第6話 追いかけられる小さな反応
最初に感じた異変は、本当に小さな物だった。
「……ん? 何か妙な感じが」
魔法を行使する者は、魔力の動きを少なからず察知できる。
空気中にもそれはあって、その密度はある程度一定――の筈なのだが、それが少し歪んでいるような感覚がある。
小さな違和感ではあったし、感覚といっても直感とかそういうものに近い類のものである。
が、俺のこういうのは残念ながらよく当たる。
だから念のために「『探索せよ』」と小さく唱えてみた。
それと同時に内包魔力が俺を中心に薄く周りへと広がっていき。
「……居た」
引っかかったのは、5つの反応。
その内の1つ、先頭の物だけ小さい。
それを少し奇妙に思ったが、ゆっくりしてはいられない。
その反応は全てこちらに向かって走ってきている。
このままだと、いずれこの馬車の側面部と遭遇する。
「御者さん!」
馬車の中で立ち上がりつつ声を張り上げると、周りの人達が驚いた。
対して御者台の方からは「何だーい?」という間延びした声が聞こえてくる。
実に緊張感を削がれる声だが、呑気にしている場合じゃない。
「俺、実は感知の魔法が使えるんだけど、右前方からなんか来てる。結構大きい」
「何っ?!」
「ちょっと俺が見てくるからさ、ここで馬車止めて待っててくれないか?」
俺がそう申し出ると、彼は素直に馬の手綱を引いてくれた。
お陰で馬車は動きを止めて、馬がヒヒンと小さく嘶く。
俺はすぐに馬車から降りて、御者の男にこう告げた。
「下手に動いたらそっちに行っちゃう可能性もあるから、ちゃんと止まってここで待ってて。で、万が一俺が止められない場合は分かる様に火球を空に打ち上げる。その時は馬車で全力で逃げてくれ」
「分かった。けどアンタ、一人で行くのかい?」
不安そうなその声からは、迫りくる驚異に対する怯えと「この人に任せて大丈夫なのか」という疑念が見て取れる。
確かに俺は、目に見えて筋肉質だったりはしないし、肌だって日焼けしてない。
その上服装が町人ルックなのだから「戦えるのか?」と思われても仕方ないだろう。
だから俺は、敢えて強く笑って言った。
「大丈夫、俺って結構強いから」
と。
感知は持続させながら、森の中を疾走する。
その中で、先程の小さな反応が何なのかに思い至った。
「……逃げてるな、間違いなく」
先行する1つと、後ろの4つ。
その間隔が段々と狭まってきている。
その事から、後ろの4つが前の1つに統率されているという事は無いと予想する事が出来た。
その1つは、魔法で身体強化をしている感じではなくどうにも素人臭い動きだし、特に立ち止まるでもなく逃げている様子から見ても、もしかしたら自衛手段を持っていないのかもしれない。
どちらにしろ、命の関わるかもしれない事態である。
急ぐのは当然だった。
4つの方はおそらくだが、大きさからして人ではない。
走り方から見てそれなりの知能を持っている、団体行動が可能な獣だろうとすぐに想像がついた。
その条件に当てはまる、この辺に生息している獣は――。
「ウェアウルフ、かな」
だとしたら、俺一人でも十分処理出来るだろう。
そんな風に思ったのと、目標の姿を俺の目が捉えたのはほぼ同時の事だった。
しかしそれを見つけた瞬間、思わず口角がヒクリと上がる。
「おいおいおい……どうしてお前がここに居る」
目視出来たのは二メートルほどの大きさの、想定よりも小さな体躯。
しかしその小ささは、戦闘力とは比例しない。
「……ガイアウルフの氷型亜種」
間違いない。
図鑑で一度、見たことがある。
ガイアウルフとは、ウェアウルフが何らかの理由によって魔素に障った結果生まれた魔物の名前だ。
ウェアウルフより危険度ランクが2つも高い上に『亜種』とは突然変異種で、その希少な代わりに戦闘力が格段に高く、『氷型』というだけあって氷魔法を行使する。
せめて亜種であるのは見間違いであってほしかったが、首に一回りゴツゴツとした氷が生えているんだから見間違えようがない。
(どうしたもんかな……)
ウェアウルフなら持っている剣で一閃だった。
しかし魔物となると獣よりも皮膚が固いし、魔法だって使うんだから一人で相対するには少しばかり厄介だ。
しかしまぁ、とりあえず。
「人命、優ー先っ!」
そんな掛け声と共に、腰に下げていた剣を鞘から抜いて斬りかかる。
すると金属が何か固いものにでもぶつかるような高い音が、当たり一帯に響き渡った。
すぐ目の前には、牙を剥き出しにした魔物。
腹でも減っているのだろうか、よだれがめっちゃダラダラだ。
後ろをチラリと確認すれば、今正に食われそうになっていた小さなモノが腰を抜かして座り込んでいる。
見ればどうやら、一桁年齢の女の子らしい。
あのタイミングで割り込めなければ、間違いなくコイツに食い殺されていただろう。
目深にフードを被ったその子は青い顔で、目を丸くして俺とガイアウルフの姿を捉えている。
「もう、大丈夫」
安心させるように言えば、薄紫色の瞳が俺に焦点を合わせた。
「俺が助ける、だからそこでじっとしてろ」
そう一言言い置いて、改めて目の前の敵たちに目を向けた。
俺がずっとやりたかった10の事、その内の一つに、実は『正義の味方』というものがある。
誰かのピンチに駆けつけて、颯爽と敵を倒して笑う。
昔何かの本で読んだ英雄のようなその姿に、俺はずっと憧れていた。
王太子時代は、誰かの為に体を張る所業自体が許されなかった。
むしろ王太子は、守られる側の人間だ。
叶わぬ夢なのは当たり前だ。
しかし今、そのシチュエーションが目の前にある。
(まぁ、思ってたより嬉しくないが……なっ!)
迫りくる牙に剣で応戦しながら俺は、そんな風に独り言ちる。
こういう事態に遭遇してみて、初めて分かる。
人命に関わるこの状況では、正直言って『正義の味方』とか言ってられない。
先程も言った通り「人命優先」、今考えるべきはそれだけだ。
俺は過去に一度だけ、魔物の討伐に出たことがあった。
王太子としての箔付けだから前線に立つような事は無かったが、後ろでずっと討伐風景を見ていたし隊長が戦闘のセオリーやらを色々と解説してくれていたので、魔物に対する戦い方は一通り知っている。
「まさかこんな所で、しかもこんな強い個体相手にソロの初陣をかますとは俺も思ってなかったけどな」
それでもやらなければ俺も後ろの子も死ぬのだから、やらねばなるまい。
「退けて、斬る。それが一番シンプルだ」
目の前の敵を睨みながら、俺は口内でそう呟いた。
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