第4話:奇妙な悪夢とルビーの指輪
名もなき旅人の意識はなにかに導びかれるように先の見えない回廊を下っていく。このまま下り続けるのだろうかと思っていると気がつけばどこまでも続いている廊下が浮かび上がってきた。
ここは一体どこだろうか。
名もなき旅人の意識は迷い子のように辺りをうろついているとどこがから声が聞こえてくる。
「私の弟を
怒りと恐れの入り交じった声が廊下を通して響き渡った。声のありかを突き止めるように声がするドアの前へと向かう。
「総統……これは決定事項なのですか? 」
「貴様は跡継ぎになる長男以外はみんな殺せとの命令を忘れたのか? 」
先程の声とは違う冷たくドスの効いた男の声が聞こえる。どうやらこのドアの先である男と総統の2人が言い争っているようだ。その部屋のドアは隙間が開いている。のぞいてみると漆黒の軍服を着た1人の男の姿が確認できた。
「お忘れではございません。しかし……」
「諦めろ。貴様の弟は国のために死ぬ運命しかないのだ」
「総統! 私は諦めたくはありません! 」
目の前の男が突然叫んだ。しかしそれを黙らせるかのように剣を鞘から抜く音が聞こえる。すると目の前の男はピタリと止まった。恐らく目の前にいる男は兄なのだろう。
「麗しい程の兄弟愛だな。だが諦めないならば貴様の首を切った後に一家を滅ぼすまでだ」
「なっ……」
目の前の男は絶句した。それに対してもう1人の男は
「俺の命令に逆らうな。逆らえばこの首が飛ぶくらい聡明な貴様なら分かっているだろう? 」
「分かっています。しかし……」
「しかし何だ? それでも逆らうと言うならば貴様の弟を目の前で処刑してもいいんだぞ」
「総統、せめてもの良心があるなら弟を私の手で殺させてください」
目の前の男は勇気を奮い立たせると懇願した。その瞳は首に剣を突きつけられている恐怖と弟を守る決意が入り交じっているように見える。
「総統はご存知ではないでしょうが私の弟は勘が鋭いのです。総統の手で処刑されると聞けば弟はすぐさま行方をくらますでしょう」
「ふむ、ならば聞かれないようにすればいいのではないか? 」
「総統、それならば苦労はしません。気がつけば近くにいるような人ですから」
その刹那、足下から何かがきしむような音が聞こえた。それと同時に血の気が引いたような感覚が襲ってくる。
「そこに誰かいるのか? 」
残忍な男の声が聞こえると同時に意識がその場から離れていく。まるで背後に迫り来るものから逃れようと必死になっているように。すると突然意識が砕けたようにばらばらになり、元の形へと戻っていく。
「はぁ……っ! 」
名もなき旅人は跳ね起きるように目を覚ました。今にも破裂しそうな心臓を落ち着かせるように周りを見渡す。
いつ頃の夢だろうか。名もなき旅人は自分の腕を擦りながらアンリに目を移す。仰向けで寝息を立てているあたりどうやらまだ寝ているようだ。名もなき旅人は寝顔をもっと見ようと近づけると彼女は名もなき旅人の上着を着るようにして背を向けた。
彼女を起こすのは良くないだろう。名もなき旅人はそう思うと聴覚が違和感を訴えていた。耳をそばだててみると岩を打ち付けるような雨の音が聞こえてくる。
逃避行をするのは無駄な体力を消費するだけでなく足跡がくっきり残ってしまう可能性があった。今日はここに滞在しておく方がいいかもしれない。少なくともここは見つかりにくく誰にも気づかれないだろう。
しかし心の奥底では何か肝心なことを忘れているような気がしていた。
「旅人さん……」
名も無き旅人はその声に振り向くとアンリが目を覚ましたのか起き上がってきた。空色の髪の毛はボサボサでその手には名もなき旅人が着ていた上着を握っている。
「アンリ、おはよう」
名もなき旅人の声に反応したのか彼女はぴくりとした。
「お、おはようございます」
彼女は名もなき旅人の手をじっと見つめている。何かおかしなことでもあるのかと思っていると彼女ははっとしたように上着を名もなき旅人の前に出す。
「あの……これ」
アンリはそう言うと毛布替わりにしていた上着を返した。どうやら彼女は服をたたむのが下手なのか広げてみるとしわがかなりできている。
「ありがとう。しかし……なかなか特徴的なたたみ方をするんだな」
「すみません。服をたたむということがどうしても出来なくて
「そうだったのか。まぁ人には向き不向きがあるから仕方ないな」
名もなき旅人は彼女を励ますように言った。子供たちは5歳から12歳になるまで
名もなき旅人は記憶を封じているせいか
「そう言ってくれて嬉しいです。先生は頭ごなしに私を叱ってたんです。そして――」
彼女の言葉を遮るかのように突然名もなき旅人の腹の音が鳴る。そういえば昨日の夜は林檎を食べたっきり何も食べていなかった。
「す、すまない」
彼女に腹の音を聞かれたことを誤魔化すようにため息をつく。そう言えば食べるものがないことを忘れていた。人は最大7日まで何も食べずに持つと言われているが前日でかなりエネルギーを消耗している。
このままではいつ体が動かなくなってもおかしくないだろう。だが食べ物がない以上エネルギーの節約に務めるしかない。
「いいえ、やっばりお腹減っていますよね。私が食べ物を持ってきてないばかりに……」
「その事はもういいんだ」
名もなき旅人は左手であごを押えて考え込む仕草をする。彼女の事を叱っても事態は好転しないことなど分かりきっていた。そんなことよりもアンリがじっと左指を見つめていることが気が気で仕方がなかった。
「じっと俺の手を見つめてどうしたんだ? 」
「何故指輪をつけているのか気になって……結婚しているんですか? 」
そう言えば忘れていた。名もなき旅人は右薬指につけているルビーの指輪をちらりと見る。暗くてよく分からないが銀色の指輪に豆粒程のルビーがはめ込まれている。
「結婚はしていない。だが誰かからもらった大切なものなんだ」
「そう。誰から貰ったの? 」
「すまない、それは覚えていないんだ」
名もなき旅人は平謝りするしかなかった。思い出を自ら封じてしまった以上、思い出すにはかなり時間がかかってしまうのだ。
ふと名もなき旅人の脳裏に突然サファイアの指輪がフラッシュバックした。形もデザインも全て自分のつけている指輪と全く同じである。しかしその指輪が一体何を意味しているか今の名もなき旅人には全く見当もつかない。
ふと耳元にかすかな息遣いと足音が複数聞こえる。名も無き旅人ははっとすると耳をそばだてた。完全に話に夢中になっていて辺りを警戒することを怠っていた。足音からして恐らくコーシャスの兵士たちだろう。
「どうしたの? あっ……」
アンリは名もなき旅人の方を振り向こうとした途中で突然顔色が真っ青になる。
完全に考えていなかった。白銀の女性たちが増援を呼ぶ可能性があったことを。見つかってしまっては仕方がない。じたばたしてもどうにもならないのだから。
名もなき旅人は覚悟を決めると後ろを振り返る。そこには黒い軍服を着た男たちが2人の目の前に立っていた。
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