第2話:未知の相手は逃げるに限る

 名もなき旅人はアンリの手を握ると白銀の服をまとった女性たちの間を縫うように逃げ出した。

 今の状況でむやみやたらに戦うことほど馬鹿らしいことは無い。特に未知の相手となれば一種の自殺行為に過ぎないだろう。


「-・-・ -・-- ・・ -・--・ ・-・! 」


「-・- ・・ ・--・ ---・ ・・- --・-・ ・-- -・- ・・! ・--・ ・-・・  -・・- -・---  -・・-! 」


 白銀の服をまとった女性たちは電子音のようなものを発しながら2人を追跡してくる。コーシャスにいた頃はこんな人たちはいなかったはずだ。彼女たちは動きが素早く、かなりあった距離も段々と詰まってきている。

 嫌な予感が名もなき旅人の頭をよぎったが頭を振って忘れようとした。自分の脚力を信じなければ事態は好転しないのだ。


「戦わないの? 」


 アンリは名もなき旅人に追走しながら訊ねる。口が悪くなったことに関して言われるかと思ったが、差し迫った状況で他人の口調のことなど気にしている余裕がないだろう。


「あんなやつ戦える訳ねーだろ」


「見た目は戦いそうな雰囲気を醸し出してるけど意外ね」


「戦わずに逃げて悪いか」


 名もなき旅人は不機嫌そうに言葉を返す。


「いいえ。別に」


 アンリは息を切らしかけながら言った。名も無き旅人は彼女に対して違和感を覚えたがとりあえず疑問は棚に上げて目の前のことに集中する。


「-・・- ・-・--! 」


 白銀の服をまとった女性たちは電子音のようなものを発しながら名もなき旅人とアンリを追い続けている。

 彼女たちが何を言っているのかは全く分からない。せめて交渉でもできたならば結果は変わっていただろう。名もなき旅人は走りながらも後悔をしていた。


 ようやく森の折り返し地点に差し掛かった寸前にアンリが何かにつまずいて派手に転倒した。


「おい! 大丈夫か! 」


「ダメ……足が……歩けない」


 名もなき旅人はアンリを助け起こそうとしたが、彼女は首を振ると弱々しい声を出す。どうやら転倒した拍子に足を捻ってしまったみたいだ。白銀の服をまとった女性たちとは多少の距離がある事を確認すると名もない旅人は頭を働かせた。


 アンリを見捨てれば逃げることが出来るかもしれない。しかし名もなき旅人としては非情に徹することなど到底出来なかった。ならば相手の方が足が速い以上、彼女を背負うか抱きかかえるかして逃げるしかない。

 名もなき旅人は覚悟を決めると腰を落としてアンリの膝裏に自身の手を回した。


「ちょっ……嘘でしょ!? 」


 困惑するアンリをよそに名も無き旅人は彼女を背負うと口を開く。


「お前を守るためにはこうするしかないんだ。俺の肩にちゃんと掴まってくれ! 」


「わ……わかった」


 名もなき旅人はアンリを背負いながら走り出した。彼女の体重が責任となって重くのしかかってくる。この決断が吉と出るか凶と出るかは誰にも分からない。

 だが名もなき旅人にとってはこれが唯一の活路だという気がしていた。


「ごめんなさい。私のせいでこんなことになってしまって」


 アンリは謝罪すると同時に自嘲じちょうした。どこか名もなき旅人に対して罪悪感を感じたのだろう。しかしそんなことなど彼にとってはどうでもよかった。


「過ぎたことは仕方ねーだろ。過去は変えられねぇんだ。昔よりも今を大切にしろ」


 アンリは痛いところ突かれたように沈黙する。人生はつまずきや失敗がつきものだ。ならば今を糧にすべきだろう。人生は失敗しても努力すればリカバリーできるようになっているのだから。彼女もその事は重々承知の上であるはずだ。


 そろそろ森を抜けるだろう。名もなき旅人の額には汗が流れ、疲れからか足が段々と遅くなっていく。しかしアンリを守るという一方的でかりそめの約束をした以上、責任は自分が負わなければいけない。


「・・-・・ -・・- --- ! 」


「-・- ・・ ・--・ ---・ ・・- --・-・ ・-- -- ・-・-・- ・-・・ ・-・-・ --・- ・-・-・ --・-・ -・-・」


 白銀の服をまとった女性たちは相変わらず2人を変わらぬ速度で追い続けている。このままでは捕まってしまうのも時間の問題だ。しかし抗い続けなければ活路は開かないのだ。名もなき旅人は自分に鞭を打ちながら必死に走り続けていた。


「旅人さん」


「アンリ、突然どうした」


 先程まで黙っていたアンリが重い口を開いた。なにか問題があるのだろうか。名もなき旅人は彼女の話に耳を傾ける。


「お願い。私を置いて逃げて」


 今更何を言っているのだろうか。名もなき旅人は強い怒りを覚えると彼女に思いをぶちまけた。


「今更そんなことを言うなっつの! 俺を裏切る気か! 」


 やってしまった。

名もなき旅人はハッとすると歯止めをかける。あまりにも責め立てたあまりにアンリが泣くと思ったのだ。やはり真剣になるとすぐに口調が荒くなるだけでなく人を責めてしまう癖はどうにかすべきだった。


「悪い、言いすぎた。だがお前の体と責任はこの小さい背中で受け止めてやる。だからお前は俺を信じて背中を預けてくれ」


 名もなき旅人は心の中で苦笑した。逃走している状況でありながらもカッコつける言葉を吐くなんて自分には似合わない。少なくとも彼女は小さい背中ではなく大きい背中で受け止めて欲しいと思うだろう。だが今の彼女を説得させるにはこれ以上の言葉が見当たらなかった。



「信じないと言ったらどうするの? 」


 しばらく気まずい沈黙が続いていたが名もなき旅人の言葉の圧力に耐えきれなくなったのか重い口をようやく開いたようだ。


「信じるまで俺が走り続けるだけだ。お前を絶対見捨てたりなんかしないぞ」


 やっぱり自分は頑固なのだろうか。

 名もなき旅人は言葉を吐きながら気持ちを反芻はんすうしていた。しかしそうだとしても自分の筋は最後まで通す精神は変わりない。自分の筋がぶれまくって彼女に大したことない人間として思われるのが嫌だったのだ。


「そう、私は名もなき旅人さんのことを信じてみる。だから……逃げ切って」


 アンリの声を聞く限り随分不安そうだと思いながらも名もなき旅人は彼女を背負ったまま森の中を疾走する。彼女の言葉が糧になり名も無き旅人の足腰に自然と力が入った。


「あっ……抜け道よ! 」


 しばらく走り続けているとアンリが左指を指して歓喜の声をあげた。確かに彼女の言う通り森の抜け道が見える。


「・・--・ ・--・ ・-・-・- ---- ---- -・-・- ・-・-- ・・ ・-・・」


「・・-・・ ・・ ・・- ・-- ・・・ --・-- -・-・・ ・・・ -・・・- -・- ・・-・- -・- ・- -・- ・・」


 森を抜けると白銀の服をまとった女性たちは電子音のようなものを発するとこれ以上追ってこなかった。名もなき旅人は安堵あんどしたのかほっと一息つく。気がつけば橙色の毛布のような空に血のように真っ赤な夕日が見える。


「綺麗だな」


「えぇ」


 名もなき旅人の声にアンリは共感する。しばらく夕日が沈む風景を彼女と楽しんだのもつかの間、突然自分の泊まるところが気になってくる。こんな時間になっているのに夕日を見ている暇なんてない。名もなき旅人は急に慌てるとアンリを抱きかかえてゆっくりと歩いていった。

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