名もなき旅人は平和を祈る

シュート

第1話:晴れ時々見知らぬ少女

 忌々いまいましい故郷に戻ってきてしまった。

 名もなき旅人はその思いを胸に秘めながらコーシャスの地に足を踏み入れた。雲ひとつない晴天をバックに首都マグナバリーからそびえ立つ時計塔が見える。


 ゴーン……ゴーン…………

針が4を指したのか時計塔の鐘が鳴り始めた。重厚で不気味な鐘の音に耳を澄ましていると名もなき旅人がまだ幼かった頃の思い出が蘇ってくる。


 血に染まった闘技場を舞台に殺気を放ちながらこちらを向いている4人の子供たち。熱狂している人々の歓声と調和するかのように混じる甲高い断末魔だんまつま――――

 思い出す度に何故あの時の思い出なのだろうかと疑問を抱く。


 名もなき旅人がまだ12歳だった頃から6年の月日が流れた。その間に色々な出来事があった。全てを封じ込め、静かに生きることを決意したあの日のことも。

 それなのに何故あの思い出だけを封じることが出来ないのだろうか。その時の思いが強いからこそだが他にも――


 いや、今はこんなことを考えている場合では無かった。故郷に戻ったのは全て自分の力不足で思い出が賦活ふかつし始めてきたせいなのだから。

 名もなき旅人は地図を開きながら首を振ると近くの街へ歩みを進めた。


 目的の街ウェルドレイに着くまでには森を通る方法しか無い。しかし森の中は見通しがよく歩きやすかった。時々聞こえる鳥のさえずり声が名もなき旅人の心を癒す。

 しかしその声を遮るようにどこからか草むらを掻き分けるような音が遠くから聞こえた。名もなき旅人は咄嗟とっさに音がした方を向く。すると段々とこちらの方へ揺れる草むらが迫っていた。

 野生動物が草をかき分けるようなことをするだろうか。 恐らくこちらへ向かって来るのは人間で間違いなさそうだ。名もなき旅人はそう思いながら構えていると草の中から見知らぬ少女が飛び出してきた。


「きゃぁぁぁぁ!!! 」


 彼女は目の前に人が立っているとは思ってもいなかったのだろう。少女は目が合うや否や尻もちをつくと甲高い悲鳴を上げた。彼女のスカイブルーの髪の毛が風に揺れる。


「大丈夫か! 」


 名もなき旅人は手を差し伸べると少女は怯えたようにこちらを見上げる。

 彼女の顔を見る限りおしとやかなタイプの美人ということがわかった。真っ白なブラウスにマリンブルーのスカートが清楚せいそな町娘の雰囲気を醸し出している。


「びっくりした。かと思ったけど……」


 少女は安堵あんどすると名もなき旅人の手を取った。立ち上がってみると彼女の方が心持ち背が高く、低身長のコンプレックスが突き刺さる。


「追われているのか? 」


 名もない旅人が訊ねると少女はこくりと頷いた。彼女が言っているあの人達は恐らく首都マグナバリーにある軍隊のことだろう。確かにあの人達に追われるならば逃げ出したくなる気持ちも分からなくはない。

 しかし事情がある限り追われるようなことは無いはずだ。名もなき旅人は事情を訊ねかけたが、必死に堪える。

 それよりも少女が言うあの人達に見つかるとかなり不味いことになるだろう。だがここは見通しの悪い森の中だ。動いた方が見つかってしまう可能性も十分にある。


「えぇ。私は……アンリ。アンリ・アルベルト。あなたは? 」


「俺か? 俺は……ただの名もなき旅人だ」


 素っ気ない答えにアンリはいぶかしんだ。


「名もなき旅人って……名前とかないの? ワイアットとかルーファスとか」


「すまないがそんな名前はないんだ」


 名もない旅人はそう言いながらも困惑していた。少女を騙しているようで少し心が痛むが、自身の名前を言ってしまってはどうなる事か分からない。名前というのは個人を知る鍵のようなものだ。名前を知らなければその人の個性を知る箱を開けることは出来ない。

 だからこそ自身の名前を出さずに済むようにしたいのだ。


「旅人さん、どうしたの? 」


 アンリの言葉で名もなき旅人は我に返る。今のところは彼女に勘ぐるような仕草は無さそうだ。だがこれ以上詮索せんさくされるようなことがあっては不味いだろう。


「いや、なんともない」


 名もなき旅人はそう答えることに必死だった。まるで同時に同じ言葉を口にした後のような沈黙が流れ、形容しがたい感覚が襲ってくる。話し出すきっかけを完全に逃し、ただ沈黙を守ることしか出来なかった。


「ねぇ……旅人さん」


 アンリが興味深そうに名もなき旅人を見つめる。


「なんだ」


「旅をしてきた国の話を私に聞かせて」


「なぜだ」


「あなた旅人なんでしょ。私はコーシャスしか知らないから別の国のことを知りたいの」


 おそらくアンリはに追われている現実から逃れたかったのだろう。

 しかし名もなき旅人には彼女の求めるような話はほぼなかった。なぜなら自身は旅という名の逃避行をしていたからである。だが全く話すことが無いわけではない。必死に頭を回しながらなにかネタになるような話があるか考え込む。


「そうだな――」


 しばらくして名もなき旅人は話を決め、一呼吸を置いて話し始めようとした。しかしその事に気を取られていたのか近くから人が迫っていることに気づいていなかった。

 

「・-  -・-  ---・ ・・! 」


 突然その声を遮るような不快な電子音によって現実へと引き戻される。視界に移ったのは白銀のワンピースをまとった女性が草陰から音もなく現れる異様な光景だった。それも1人だけではない。目視で数える限りざっと20人程だろう。


 一体……この人たちは何者なんだ。

名もなき旅人は混乱しながらもこの状況を飲み込もうとする。せめて1つだけアンリに確認したいことがあったが彼女に聞いても大丈夫なのだろうか。


「これがお前の言うか? 」


 名もなき旅人の言葉に彼女はこくりと頷く。どうやら名もなき旅人の言うあの人たちとアンリのあの人たちは違っていたようだ。

 彼女を守ることが出来るのは自分しかいない。ならば何をすればいいのか自ずと決まってくる。

 名もなき旅人は息を吐くと辺りを見回した。


「そうか。初っ端から手厚い歓迎を受けるとは思わなかったがひと仕事やるしかねぇな」

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