時動者

鍵月魅争

第1話

 確かその日は総体の日だった。

 陸上の100m走で優勝した日の帰り、自転車で帰っていた。

 その時の私はお母さんとお兄ちゃんに優勝したと言いたくて周りが見えていなかった。

 一瞬の出来事だった。

 自転車ごと蹴り倒され、状況を掴めないまま車の中に入れられた。理解出来たのは目を隠されて車が発進した時だった。

 泣きながら何度も家に帰して、と叫んだ。スマホも取られて何も出来なかった。目隠しが外されたのは、その日から私が暮らす事になる家の地下室だった。

 その日以来、外に出る事を許されずずっと閉じ込められる生活になった。何度も出ようと思ったけどすぐにバレる。もう出る気にもなれなくなっていた。

 テレビは見れたからひたすらニュースを見ていた。最初は毎日のように全部のニュース番組で私の事を報道していたが1ヶ月も経つと違う話題に変わっていった。

 そして2年経った日お母さんが死んだ。元から癌を患っていたけど私が行方不明になってしまったのをきっかけに悪化したらしい。

 今、何でも叶えられるならもう一度お母さんに会いたい。自分は無事だよって、心配しないでって。

 まぁそんなこと出来ないけど。

「心美、ご飯食べよう」

 男がやって来た。左手にはお盆が乗っている。誘拐する時だけ居た小太りの男にソウタさんと呼ばれていたのを聞いた事がある。本人が話してくれたのを信じるとその小太りは近くのチンピラらしい。金で雇った関係らしい。

 何故かこの人は普通に1日3食与えてくるし、殴ってこない。お風呂も入れる。

「どうしたんだい?心美?」

 黙って首を振る。左耳にかけた髪が下りる。するとソウタさんが手を伸ばしてまた左耳にかける。何故かこの人は横の髪がアシンメトリーになってないとダメらしい。

「そうかなら早く食べよう。冷めてしまったら不味くなるだろ?」

 黙って頷いて、この人が食べ始めるのを待つ。

 毒が入ってないか心配だから、いつもこの人が食べ始めてから食べている。

「心配しないで。娘の代わりになってくれればいいから」

 ここに来た時に言われた言葉。

 この人の娘さんは6年前くらい、私が攫われる2年前に通り魔に刺されて死んでしまった。

 私を攫ったのは私の雰囲気が似ていたかららしい。

 まぁ今はもうあの時の性格じゃないけど。

「美味しいかい?」

 ゆっくり頷く。何を言われるか分からないから、食事中もその他の時間も余り喋らないようにしている。

「ねぇ、いつになったら僕の事をお父さんと呼んでくれるんだい?」

 また、黙る。

 お父さんなんて最後に呼んだのはもう10年も前、8歳の頃だ。

「まぁ僕も最後にお父さんと呼ばれたのはもう7年前なんだけどね」

 ?どういう事?娘さんが死んだのは6年前のはず。なのに最後に呼ばれたのは7年前?

「娘が…サキが死ぬ1年前に離婚していたんだよ。多分、サキが死んでも死ななくても僕は君をここに連れて来たんだろうね」

 この人は自分の近くに娘がいないのが嫌なんだろうな。どんだけ似ていたんだろう。

 娘さんの名前"サキ"って言うんだ。なんて漢字書くんだろ?まぁソウタさんの名前もなんて書くか分からないけど。

 と言うよりさっき聞きたくない言葉が聞こえた気がする。どっちにしろ私は誘拐されてた訳だ。

「僕が君を見つけたのは離婚して3ヶ月くらい経った時かな。サキが会いに来てくれたのかと思ったよ」

 聞いても無いのに話し始めた。

「多分君は下校してたんだろうね。隣にいた人と話している君がサキにそっくりだったんだ。声をかけようと思ったけど周りに人が居たから止めたんだ。その日から毎日が輝いて見えたんだ。最愛の娘にまた会えると思ったからね」

 一度でも、本物の娘さんに会いに行こうとは思わなかったのかな。離婚してるし、親権無いから難しいとは思うけど、やろうと思えば出来たんじゃ?

 話の続きをしようとしたのかソウタさんが口を開いた瞬間、玄関のベルの音が鳴り響いた。

「タイミングが悪いね。食べ終わったし良いか。おやすみ、心美」

 食器を持って部屋を出て行った。もうお風呂は済ませたし寝てしまおう。暑いから上着を脱いだ。


 外がうるさい。地下室だから普段は何の物音もしないのに。まるで部屋の前に道路があるようだ。寝るに寝れない。

 起き上がって扉の前まで行って扉に手をかける。普段からトイレに行けるように地下室の部屋の施錠はされていない。少し開けると明るい光が漏れていた。

 完全に開けると信じられない光景が広がっていた。夢だと思って頬をつねってもちゃんと痛い。夢じゃない。現実だ。

 部屋の前はバス停のようになっていた。近くにベンチもあるし屋根も着いている。おかしい所と言ったらバスの時刻表が無いだけだろう。何年も外に出てないから、今はこれが普通なのかもしれないけど。

 辺りを見渡していると音が聞こえた。振り返ると窓まで黒く塗りつぶされた車がやって来た。

 あの日のことが蘇る。怖い。来た道を戻ろうとしたら扉がなくなっていた。完全に取り残された。走れば逃げ切れるか?そう考えていると車が私の前に止まった。逃げられるよう後ずさりをした。

 車から降りてきたのは、スーツのような服を着た男性だった。私とそこまで離れてないと思う。

 その男の人の目と私の目が合った。男の人が柔らかく笑った。

「はじめまして。ジドウシャのタヒラリョウタと申します」

 優しそうな低い声で自己紹介を始める。まあ自動車が仕事とか意味がわからないけれど。

 挨拶した方がいいよね?軽く会釈はしよう。名前は言わないけど。

「……はじめまして」

 思ったより声が出なかった。てか今の自分こんな声なんだ。普段あまり声を出してないから分からなかった。

「今日はどのようなご要件で?」

「…………ご要件も何も状況が理解できないんだけど」

 どうしよう。思わず呟いてしまった。

「大丈夫ですよ。1から説明しますから」

 ベンチに座るよう促されて念の為大人しく座る。タヒラさんは少し距離を置いて座った。少しだけ見えた名札には、”田平涼太”と書かれている。多分この人の名前なんだろうな。

「まず何から?」

「……ここはどこ?」

「ここは、時空の狭間です」

「時空の狭間?」

 何この人?厨二病?妄想癖が強いの?それとも私の夢?

「はい。稀に貴女のようにここへ来る人が現れるんですよ」

「はぁ。じゃあ、あなたはここに来た人を連れ戻すの?」

「いいえ。私の仕事は、ここへ来た人が行きたい過去や未来へ連れて行き、その後に元の時間に戻す事です」

 すぐには戻れないのか。てか過去にも行けるって事は私が攫われないようにも出来るってこと?娘さんへの執着が強いソウタさんがたった一度で諦めるとは思えないけど。

「それが自動車に関係あるの?今のところ自動車は移動手段だけだと思うけど」

 そう聞くと田平さんは考え込むような素振りをした。何かまずいこと言った?

「ああ。そういう事か。私が言うジドウシャは"時を動く者"と書いて時動者です」

「"時を動く者"…」

 さらに厨二病臭が濃くなってきた。

「あ、時間が」

「時間?」

「はい。ここに居れる時間は5分しかないんですよ。もし貴女が時動者を使用したいというときの為にこれを渡しておきます」

 差し出した左手の上に車の鍵が置かれた。

「これを部屋の扉に差し込めばいつでもここへこられますよ。しかし1人につき使えるのは1度だけです」

 そう言い残して元の場所に戻った。時間はもう朝になっている。やっぱり夢だったのかな。

「おはよう心美。よく寝られたかい?」

 まあ夢に救いを求めるのも悪くはないか。


 その日の夜。結局私は使う事にした。お母さんにあって自分の安否を伝えたい。誘拐されないようにしても何度も狙ってくると思ったから。

 鍵を差し込んでドアを開ける。慣れない眩しさに目を瞑る。

 バス停のベンチに座って時動者を待つ。ここへ来る為に書いたメモを見た。{2年前 3/19 アメツカサ}ひたすら思い出して書き殴った文字。

 すぐに車が来た。昨日とは変わらない服装の田平さんが降りて来た。

「使う事にしたんですね。行き先はどちらへ?」

「……2年前…2019年の3月19日。天司総合病院」

「承りました。では行きましょう」

 ドアを開けられ後部座席に乗った。案外怖くはなかった。

「貴女はなぜそこへ?」

 何となく、この人なら名前を教えても大丈夫な気がした。

「私の名前、矢崎心美。貴女じゃない」

「気分を害してしまったならすみません。では矢崎さん、でよろしいですか?」

 小声で返事をして頷いた。車の鏡越しに私の反応を確認した田平さんが前を向き直した。

「矢崎さんはなぜそこへ?」

「…お母さんが死んだ日がその次の日なの。お母さんに私は無事だよって伝えたい」

「おや?一緒に暮らしていないんですか?」

「うん。色々あって」

 ふと、辺りが静かになった。窓の外を見ると、周囲一面オーロラに包まれたような綺麗な光景が広がっている。

「綺麗…」

 窓の外の景色を食らいつくように眺めていると思わず声が出る。

「もうすぐで着きますよ」

 その言葉で我に返る。気が付いたら周りの景色は街の中のようになっていた。

 病院の敷地内に入って滑らかに止まる。運転技術高いな。

「1人で大丈夫ですか?」

 流石に着いてきてもらうのは嫌だし、1人で頑張ってみよう。

「大丈夫」

 自動的にドアが開いたから車を出る。ずっと地下室に居たからか昼間の日差しが眩しい。ゆっくり深呼吸して病院の中へ入って行く。

 お見舞い自体は何度もした事があるからすぐに病室へ案内された。

「病状がかなり悪化して寝たきり状態なので話しかけても起きられない可能性があります」

「はい。大丈夫です」

 深呼吸して気持ちを整えて部屋へ入って行く。個室だからか思ったより狭かった。

「お母さん」

 呼びかけてみる。かつてとは別人のようにやせ細っている。涙が出てくるのを必死でこらえた。

 お母さんがゆっくり目を開けた。ゆっくり時間をかけて瞳の焦点があっていく。

「心美…?」

「うん。そうだよ。私だよ」

 応えた瞬間、お母さんの目が見開く。触ろうとしているのか手を宙に伸ばし始めたから手を差し出す。

「本当に、心美なんだね?」

「うん。本物だよ」

 お母さんの手を包みながら目を見て答える。お母さんの目から涙が流れた。

「ふふ、大人気ないね。娘の前で泣くなんて」

 力の抜け切った声で話す。私も視界がかなり歪んできた。

「ごめんね。あの日、仕事を休んででも迎えに行くべきだった」

「ううん。お母さんは何も悪くないよ」

 私がもっと周りを見てなかったのが問題だから。そう伝えるのは簡単なはずなのに声が出なかった。

「私ね、別に殴られてないよ。なんでか1日3食あるし、お風呂だって入れる。心配しないで。私は無事だから」

「そうかい、そうかい」

 無事だと伝えた瞬間何となく雰囲気が柔らかくなった。

「誘拐犯は?一緒に居るのかい?」

「今は一緒じゃないよ。違う人が連れて来てくれた。時動者の人が連れて来てくれたんだ」

「そうか、ジドウシャがか」

 多分お母さんは違うジドウシャに変換されてるんだろうな。

 お母さんの涙を拭こうとした時に机に置いてあったお母さんの携帯が震えた。

「心だよ。覚えているだろう?見舞いに来る10分前にメールしてくるんだよ」

「うん。ねぇお母さん。お兄ちゃん今元気?」

「ああ。ちゃんと元気さ。警官になるとか言ってるけどね」

「お兄ちゃんが警官かぁ。かっこいい」

「まだ本格的になった訳では無いけどね。誘拐犯は俺が捕まえるんだって意気込んでたよ」

「そっか」

 少し自分が嫌になる。お兄ちゃんにそこまで背負わせて、私は何もしていない。

 お母さんの寝息が聞こえて顔を上げたら眠っていた。優しそうな笑顔のお母さんを目に焼き付けた。

 いい加減戻ろう。お母さんに会えたし、無事だと伝える事が出来た。なるべく物音を立てないように部屋を出る。

 途中でお兄ちゃんの面影が残る人とすれ違った。

「もう大丈夫ですか?」

「うん。話したいこと話せたし」

「では」

 田平さんが後部座席のドアを開ける。涙を見られないようすぐに座席に座る。

「ねぇこれでお母さんの寿命が少しでも伸びる、とかあるの?」

「いいえ。時動者を利用して寿命が伸びた、と言う件は一部を除きありません」

「その一部って?」

「例えば交通事故で亡くなった人を救う為に戻った場合ですとか、病気で亡くなってしまう人に対して過去で病院へ連れていく、とかの場合ですかね」

 早期発見って大切だもんね。でもお母さんは元からかかっていた場合だからそれには当てはまらないのか。

 また行きのようにオーロラに包まれる。推測だけど多分ここが時空移動してる空間なんだろうな。

「ん?」

 パーカーのポケットに何かが入っている。取り出してみると写真を入れられるネックレスとレモン味のキャンディだった。

「何かありました?」

「あ、ううん。なんでもない」

 これを入れた人は何となく予想が着いていた。お母さんだ。マジックとか言って、昔からよくポケットの中にプレゼントとか入れてたっけ。

 ネックレスの中身を見ると私が誘拐される1週間前に3人で撮った写真だった。後ろに豪快な滝が流れている。3人とも皆笑っていた。

「着きました」

 バス停の前に着く。バス停にはいつの間に生えたんだろう、面白いくらい場違いな鉄製の扉があった。

「もう少しここに居られますか?」

「ううん。戻る」

「かしこまりました」

 田平さんが降りて車のドアを開ける。

 ゆっくり降りて鉄製のドアの前まで行く。

「ねぇ、このドアもう少しどうにかならなかったの?」

「すみません。これしか思いつかなくて」

「まぁいいけど」

 扉に手をかけてノブを回す。開けるとソウタさんが立っていた。

 思わず手を離してしまい後ろから扉が閉まる音が聞こえる。

「え…なんで…?」

 思わず振り向いて田平さんの方を向く。しかしそこにはいつもの部屋の扉があった。

 さっきの声、田平さんだったよね?何で田平さんが驚いてたの?さっきの様子だと知り合いみたいだったけど。

「心美!どこへ行ってたんだ?」

「い、いや、トイレに…」

「あ、はぁぁぁ。良かった。消えたのかと思った」

 まぁ間違えてはないけど。

 私もお母さんに会えて少し気分が軽くなってるのかな。本当に気まぐれで呼びたくなった。

「ねぇ、お父さん。娘さんってどんな人だったの?」

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