バロン退魔行 

諏訪坂 秋津

第1話 白桜の巫女

 序


 年が明けたばかりの痛いほど凍てつく深夜、北関東の国道を黒いケモノらしきものが、禍々しい長い爪でアスファルトを引っ掻きながら疾走していた。

 どこかに向かっているのか、何かから逃げているのか、その野犬ともクマともつかない姿で、自動車程もある巨体を激しく揺らしながら走っていく。

 その不吉な足音は常人が聞けば震え上がる程で不気味であった。

 決して夜どころか、昼でも出会いたくないような、生命の根源的な恐怖を掻き立てるバケモノであった。

 実際、そのカギ爪でこの数日で、行きずりの幾人かの犠牲者を出している。

 そんなバケモノが人影や自動車も見えない国道を首都圏に向かい駆けて行った。

 しかし、その2、30メートル後を大柄な学生服の男が黒いケモノを凄まじい勢いで追いかけて行く。

 韋駄天いだてん走りという文字が浮かぶような、尋常では無い勢いの上、肩に先が三股に別れた三叉戟さんさげきと呼ばれる2メートルを超える武具を担いでいた。

 重いだろうし、とてもそんな速度で走るには邪魔になっているはずだ。

 だが男は息を切らした様子も見せず、黒いケモノを追って行った。

 しばらくすると黒いケモノの前方に人影が現われた。

 今度はセーラー服の長い黒髪の女が、黒光りする弓を携えていた。このまま黒いケモノと遭遇すれば、一撃で吹き飛ばされてしまうだろうが、女はおもむろに弓を構え、鋼造りの矢を引き絞った。

 彼女の目はこの暗闇の中、一点を見据え、細いその腕のどこからそんな力が出るのか、弓の弦からはギリギリと音が聴こえそうなほど強く引かれていた。

 一瞬目が見開かると、凍てつく闇を切り裂きながら、ケモノの右前脚に矢が突き立ち、そのままアスファルトの路面に縫い付けられた。

 黒い巨体がもんどり打つが、矢の突き通った前足は地面から離れない。間髪入れず、

「テル!」と女が叫ぶと、ケモノの後から追跡していた学生服が

「おうよ!」と三叉戟を振り上げ、夜の空に飛び上がった。

 そしてげきを振り下ろし、狙い違わずケモノの背突き通し、そのままケモノに跨がり抑えつけようとした。

 今度はテルと呼ばれた男、輝虎てるとらが、

「バロン!」と道路脇に呼びかけた。

 すると看板の影で待機していた、亜麻あま色の髪の少年が駆け込んできた。その手には日本史の教科書の最初の方に出てきそうな、七又に別れた切先を持つ剣を握り締めていた。ただし色は緑青ろくしょう色ではなく、造りたての様に明るい銀色であった。しかし、押さえつけられているとはいえ、ケモノは輝虎を振り払おうと暴れまくっていた。輝虎も引き剥がされまいと必死でしがみついた。その様子をみれば、とても取り付く島もないようだが、真剣な顔の少年はまっしぐらにケモノの頭部に向かった。バロン少年がとどめを刺す、誰もがそう確信したその瞬間、足元に転がっていた栄養剤のビンにつまずいて転んだ。

「ウソだろ!」

 しかしバロンの剣は転んだ拍子にケモノの額に吸い込まれた。

「今だ!」輝虎が促すと、

星辰せいしんよ、このものにしばしのやすらぎを」とバロンが剣に念じると、あれほど暴れていたケモノが嘘のように鎮まった。すると剣の柄にめ込まれていた透明な玉が黒く染まり、剣自体も緑青色になり、博物館にお似合いの姿になった。

「あのタイミングでコケるとは思わなかったけど、なんとかやったな」戟を引き抜きながら輝虎がバロンをねぎらった。

「テトラが抑え込んでくれなかったら、こんなに簡単にはいかなかったよ」

「あんまり褒めちゃ駄目よ、調子に乗るから」いつの間にか後ろにいたセーラー服の女がとがめた。

「なんだよ、ユーキ。今回一番動かなかったじゃないのか?」輝虎が文句をつける。

「私は後方支援なの」夕姫ゆきが澄まして言い返すと

「そうだよ、ユキねえは弓なんだから走り回ることないよ」バロンがかばった。

「適材適所よ。テルが追い込み、私が待ち伏せ 、バロンがトドメ、バッチリだったでしょう?」どうだとばかりに夕姫が言いきった。

「ヘイ、ヘイ、オレが走り回れば万事解決と」輝虎が諦め顔で呟いた。

「わかったら、後はお掃除部隊に任せて撤収しましょ。寝不足は美容の天敵なの」すでに弓を折り畳んだ夕姫が乗ってきたバンに歩み出しながら言った。

「俺、走り回ってハラが減ったぜ」輝虎が折り畳んだ戟を袋に詰めながらボヤくと、

「近くに24時間営業のファミレスないかなー?」バロンが剣を隠し入れたチェロのケースを抱えたまま言うと、

「犬神サンに奢ってもらおうぜ。深夜勤務手当だって」

「良いわね。そのぐらいの役得あってもバチが当たらないわ」輝虎の提案に夕姫が乗ってきた。

「美容はどうした?」輝虎が突っ込む。

「一晩くらい大丈夫よ、まだ若いんだし。バロンもお腹すいたよね?」

「僕も軽く食べたいな。緊張して喉も乾いたし」部活帰りの学生みたいな格好で賛成した。

 三人は揃って犬神の待つ、バンに向かった。入れ違いに作業服姿の数人が元ケモノに向かって行った。


 バロンは本名を富士林楓太郎ふじばやしふうたろうというが、親しい友人は彼をバロンと呼ぶ。一応このチームのリーダーだ。少々、日本人離れした容姿は何代か前の先祖が外国から渡ってきたからだそうだ。亜麻色の髪を背中で短い三編み(本人はまげと主張)にしている。体格は中肉中背でいつもニコニコと笑顔を浮かべている。

 ケモノを追っていた戟使いの大男、輝虎は笹伏輝虎ささふせてるとらといい、槍術の家に生まれたが、戟の達人だ。190cmを超える長身かつ筋肉質で、プロレスラーかボディビルダーといっても通用しそうだ。力も強いが、追跡劇の通り、足も速い。ついでに鼻も良いらしい。今回の捜索には一役かった。幼なじみの夕姫はテルと呼ぶが、バロンはテトラと呼んでいる。テルトラと呼びづらいし、彼が四男だから丁度いいだろうと。ちなみに、これでも兄弟4人の中で一番小さいらしい。

 凰夕姫おおとりゆきは弓術の家の跡取り娘だ。並の人間では引くこともできない鋼造りの弓矢をたやすく操る。彼女も女性としては背が高く、目立つ美人だ。ただし、服装に無頓着むとんちゃくで、外ではほとんどセーラー服で過ごしており、数少ない私服のほとんどがジーンズと、それに合わせられる服だ。幼なじみの輝虎は幼少の頃、見たことがあるらしいが、バロンは制服以外で夕姫のスカートはおろか、女の子らしい服装は見たことが無い。夕姫の本名の読みはユキだが、輝虎は間違えて覚えたユーキでいまだに呼んでいる。なにか、いきさつがあるようだ。

 三人は輝虎と夕姫の「さと」と呼ばれる一族の、おつとめと呼ぶしきたりにより、人に害なすあやかしと呼んでいる存在を人知れず収拾する役割りを担っていた。

 今回は東北に現われ、被害を出しながら南下してくる、正体不明の黒いケモノの討伐とうばつ要請を受けてのお務めであった。里は数チームがあるなかで、バロンのチームにこのお務めを割り振った。

 目撃情報や進路予想から、この北関東の人家から離れた国道を一部封鎖してもらい、待ち伏せをして追い込んだ。

 トラブルはあったものの、見事討伐に成功したバロンだが、一年前まで普通の学生として暮らしていた。しかし、里の者に見出された特殊な体質を買われ、輝虎と夕姫でチームを結成した。

 1チーム3人、それから未成年の為、後見役として|犬神広二いぬがみこうじが移送、情報収集、物資・装備調達、各種生活の手続きを行っている。


 三人は明け方までファミレスで過ごした。

 支払いを終えた犬神は朝日の中でも青い顔に見えた。

「ふ~、喰った、喰った」

「デザートをもう一品食べたかったわ」

「このファミレス、しばらく恥ずかしくて入られない」バロンが下を向いて言った。

「別に悪い事している訳じゃ無いんだし、店の売り上げに貢献したのだから堂々としてれば良いのよ」メニュー表のページの数だけ食べきった大食い姫が言う。

「そうそう、迷惑かけたでもなく、モクモクと食べたんだから良い客サ」一度に十品ずつ、それも大盛りで注文し、大食い大会みたいな光景を作りだした暴食魔王が開き直る。

「…経費で落ちるかな〜」タスキみたいに長いレシートと、領収書をサラリーマン風の男、犬神がため息をつきながら財布にねじ込んだ。

 本人は約二名の健啖けんたんぶりに、サンドイッチの一皿も喉に通らなかった。

「じゃあ、明後日から新しい学校だけど、アパートに送るんで良いな」まだ納得がいかない顔で三人に確認しながら、バンのキーを取り出した。

 前のお務めが終わり、三学期から新しい任地である神奈川の高校に三人共、転入することになっている。

「ええ、荷物はきのうの内に届いてるハズだし、一度寝てから荷解きするわ」夕姫がうなずき、

「ああ、俺たちも屋根が有れば充分だ」輝虎が同意する。

「電気とか水道はもう来てるんだよね?、僕はシャワー浴びたいな」バロンが助手席に乗り込みながら、希望を言った。

「大丈夫、その辺は抜かりない」自信たっぷりに犬神が答えた。

「本当に犬神サンは頼りになるわ」スライドドアを閉めながら夕姫が感謝を述べる。

「これで駄目パパじゃ無かったらな」輝虎が皮肉を口にする。

 犬神が愛妻と3歳になる愛娘を溺愛しているのは周知の事実となっている。別に恐妻家では無いのだ。決して。

「今日も朝帰りなんだぜ。オジサンをこれ以上イジメるなよ」バンをファミレスの駐車場から出しながらボヤく。

「犬神サンはオジサンじゃないよ。どっちかって言うとアニキっていう感じだよね」バロンがなぐさめるが、

「ダメがつくね」苦笑する。

「ほら、テルが余計なこと言うから!パトロンには気持ち良く過ごしてもらわないと」ドスン、と夕姫が輝虎の脇腹をヒジ打ちする。もちろん、急所狙って思いっきりだ。

「イテえ」余り痛そうに見えない顔で脇腹をさする輝虎。

「若い娘がパトロンなんて言葉使っちゃダメ」ルームミラーで後ろの様子をうかがいながら犬神がたしなめた。

「アラ、ワタクシとしたことが」わざとらしくあやまった。

「この時間でも2時間位はかかるから、遠慮なく寝てていいぞ」

「犬神サン、大丈夫?」バロンが心配したが

「この位ヘッチャラ、ヘッチャラ」と強がった。

 朝日を浴びながら、4人を乗せてバンが行く。


 1


 駅までの道をブレザーにマフラーの女子高生が急いでいた。

 家に門限は特に無いが、今日は少々遅くなりすぎた。辺りはすっかり暗くなっている。

 塾の帰り道、ちょっとのぞいた書店でお気に入りの作家の新刊を見つけ、おサイフの中身と、次のお小遣い日までの日数を指折り数えて、迷った末に購入に踏み切った。

 3駅分の帰りの電車の中でも読めるよう、カバーをつけてもらった。

 そんなこんなで、いつもより遅くなってしまった。

 冬の夜の寒さのなか、急ぎ足で進んでいると、ふと最近の悪い噂を思い出した。

 この街で行方不明者がもう何人も出ているという話があるのだ。

 実際、自分の通う高校の上級生に失踪者しっそうしゃがおり、その連続行方不明に関係あるのではとの噂もある。

 変な事件に巻き込まれないよう、大通りを歩いているし、この時代に神隠しでもないだろう、自分には関係無いと思ったが、少し不安になって周囲に気を配った。

 すると通りかかった暗い路地から、ネコのような鳴き声が聴こえた。

 つい足を止めて路地をのぞいてみた。

 ネコが好きなのでちょっと見えたらな、と深い考えも無い行動だった。

 まさかこんな大通りに面した路地にトラブルが有るなどとは、つゆとも思わなかった。

 しかし路地を3歩ほど進むと、上から黒っぽいものが落ちて来て顔を覆った。

 悲鳴を上げたがったが、顔を覆っているものが邪魔して声も出せない。

 泥臭さが、いっそう嫌悪感をさそう。

 すると路地の奥の暗闇から、無数の子犬大の汚らしい動物が少女に押し寄せた。

 あっという間に押し倒され、路地の奥に引きずり込まれていった。

 後には少女が楽しみにしていた、新刊が入ったカバンだけが残された。


 2


 バロン、輝虎、夕姫の3人は転入する新しい学校に向かった。

 学生であることを利用し、同年代の学生から情報を集めたり、身分が保証してもらえる。

 だから大人には専任のお務めに就いているものはいない。

 犬神も里の為の、情報収集を行いながらの兼業だ。

 一応はバロン達のサポートが最優先と言ってはいるが。

「この間の黒いヤツ、毛皮だけしか残らなかったんだって」道すがら前回の単発のお務めについてバロンが話す。

「山奥の林道を広げる工事で、誤って古いお社を壊しちゃったらしいんだけど、そこから飛び出して工事の人襲ったんだって。みんなタタリだって大騒ぎしたんだけど、山を降りて途中で人を襲いながら南下してきたらしい。」

「昔は神様だったのかもな」輝虎がしみじみとうなずく。

「毛皮はクマでも犬でもなかったそうだよ。もしかしたらオオカミかも」バロンがロマンチックな事を言う

「そうかもね、神としてまつられて山を見守ってきたのに、打ち捨てられてタタリガミになったのかも」夕姫もうなずく。


「ところで今度の学校、最近増えてきたブレザーだってよ」詰め襟の輝虎が言うと

「この服、気に入ってるのよね」セーラー服の夕姫が嫌そうに言うが

「バロンはブレザーの方が似合いそうよね、ブーツも学ランより合うだろうし」自分でなければ良いらしい。

「制服は準備が遅れているってことで、しばらくこれで過ごそうぜ。またすぐ転校ってことになるだろうし」輝虎が提案する。

「そうね。でも悪目立ちするなら考えるわ」よく、輝虎と意見の合う夕姫は思案顔で答えた。

「僕はユキ姉のブレザー姿、見たいな」と少々不満顔のバロンだった。

「バロンったら、そんな事女の子に軽々しく言うと誤解されるよ」それでも嬉しそうに夕姫は言うと校門をくぐった。


 いつもの転校のようにバロンと輝虎が同じクラスに、夕姫が目立たないよう、少し離れたクラスに編入した。

 3人共高校一年生なのだが、バロンが夕姫をユキねえと呼ぶのは、夕姫の方が早い生まれの上、何かとお世話されている為だ。

 輝虎とは悪友同士という感じなのでバロン、テトラの間柄だ。

 最初、職員室に行き、担任の先生に挨拶すると、いつものようにバロンの髪型について一言いわれたが、実家に伝わる伝統で、まげは切れない旨を説得し特別に許可を得た。

 優しい印象のバロンと、体格が良い輝虎はすぐにクラスで人気が出た。

 逆に夕姫の方は声を掛けづらいのか、若干距離を空けられていたが、おおむね好意的に受け入れられた。


 放課後、夕姫が校門近くの目立たない場所で2人を待っていると、バロンだけが校舎から現われた。

「テルは?」夕姫が尋ねると

「テトラは新しいクラスメートとカラオケ行くって」よくやるよねーと、呆れ半分、感心半分の顔で答える。

「夕飯は?」一応確認すると

「要らないって。何か買って帰る?」

「昨日、デパートの地下で美味しそうな惣菜屋そうざいや見つけたから、そこ寄ってみようか。テルみたいな馬鹿舌じゃもったいないヤツ」と、ここぞとばかり好き勝手言っていたが、バロンはこの1年でふたりが、遠慮なくものが言えるほど仲がいいことを知っていたので、いつものようにニコニコしながら

「じゃあ帰ろっか」促した。

 ふたりが連れだって歩くと本当に姉弟のようだった。


 買ってきた山のようなサラダと惣菜を、アパートの男子部屋にしている2LDKの居間で平らげた後、女子部屋と呼んでいる隣の2LDKに戻り、犬神に携帯電話で電話した。

「今回も問題無く、潜り込めたわ」

「例の失踪者たちの情報は聞けたか?」

「さすがに転入一日目から表立って聞き回れなかったわよ。テルは新しいクラスメートと意気投合いきとうごうして、カラオケに行ったそうだから、なにか掴んでくるかも」

「昨日の晩にも新しい失踪者が出たそうだ。それもキミたちの学校の生徒らしい」犬神の声は苦々しい。

「これは早く手を打たないと」

「こちらも手を尽くして情報をまとめる。なにか判ったらそっちに行くよ」里の出身者に警察関係者も一定数存在する。なにか事があれば秘密裡ひみつりに協力があおげる。

「バロンの方はどうだった」犬神のうってかわって興味深そうな声に、ウンザリ気味に

「学校は知らないけど、昨日の荷ほどきに、女性ものの下着が混ざっていてバロンが目を白黒させてた。テルは腹を抱えて笑ってるし。結局、運送屋のミスって事だったけど。物が壊れたり、近所迷惑になることは起きなかったわ」

「良かった。フォローするのも大変なんで」犬神が電話の向こうで胸をなでおろす。

 バロンの特殊能力、お伽草子とぎぞうしと命名したが、その能力は周囲の特長の強化、つまり力が強いものはより強く、足が速いものはより速く、弓の名手はより正確に射られる。

 反面、ハプニングが多く発生し、特に笑えるたぐいいのアクシデントが頻発ひんぱつする。

 道を歩けば野良猫に囲まれて動けなくなったり、階段を登ろうとしたら、上から赤ん坊が降ってきて受け止めたりと、見ている方がハラハラする。

 黒い山の神討伐のとどめのときの転倒も、その一環だと思われる。

 しかし、この能力については当の本人は気づいていない。

 お伽草子と呼んでいるこの力は、本人の精神状態や、願望によって影響が及び、落ち込んでいるときはイヤなアクシデントが多く起こったり、当人が強く願えばどんなことでも叶う可能性がある。

 バロンを勧誘するよう指示した、お務めの管理者はそう説明し、神の寵愛ちょうあいを受けたまれなるものだと言う。

 彼の一族は代々、その力を受け継いできた。

 彼の父親はその力に悩み、出奔しゅっぽんしている。

 富士林楓太郎はヒエロニュムス・フォン・ミュンヒハウゼン男爵、日本で言うほら吹き男爵の末裔まつえいなのである。

 本人はミュンヒハウゼン男爵の子孫であることに誇りを持ち、髷とブーツはアイデンティティとして守り続けている。

 また親しい人にはバロンと呼んでもらっている。

 出奔した父や、仕事で世界を飛び回っている母に変わり、当代の当主である祖父に育てられたバロンはノブレス・オブリージュ、とうときものの責務を徹底的に叩き込まれ、この危険なお務めにも快く応じてくれたが、自分の本当の能力については気づいていない。

 事情を知っているバロンの祖父も、息子の懊悩おうのうについて悔やんでおり、この力について孫に伝えるかどうかは輝虎と夕姫に任せてくれた。

 バロンは自分が勧誘された理由については封印の剣、七支剣「星辰せいしんの剣」が使える為と思っている。

「それから、もう一つの方はどうだった?」

吉野弥桜よしのみおのことね。かわいい子だったわよ。また里にスカウトするの?」興味深そうに夕姫はたずねたが

「まだ判らない。身辺調査して報告するよう言われてるだけなんだ。でも憶測なんだが、もう一人の神の寵愛を受けしものかも知れない」歯切れが悪い言い方をする。

「え、そんなにあっちこっちに居るの?」夕姫が驚くが

「簡単に言うなよ。俺たち下っ端が走り回ってかき集めた情報を、積み上げて特定しているんだから。俺も最後の選別は分かんないがな」犬神がボヤく。

「とにかく平行して情報を集めるわ。弥桜みおちゃんのウチに行ってみようと思っているし」

「分かった。じゃあ、お互い連絡は密に」

「おやすみなさい」

「おやすみ」電話が切れた。

すると夕姫の耳に輝虎の足音が聴こえた。

 アパートの最上階であるこのフロアについたようだ。

 今日の聴取をしなければ。


 3


「それで遊びほうけて手ぶらって訳じゃないわよね?」腰に手を当てて問い詰めると、若干怯じゃっかんひるみながらも

「そ、そんなワケないだろ。初日としてはまあまあの成果さ」

「まあ、ふたりとも、とりあえず座ったら」テレビを見ていたバロンが座布団をたたく。

「じゃあ早速、本題に入るけど、この高校でいなくなったのは二人、ともに女子だ。一人は三年生、もう一人は今朝分かったらしいんだが二年生らしい。学校にも問い合わせが有ったり、警察も来ていたらしい。逆に先に行方が判らなくなった三年生は、素行のせいで家出を疑われていた」

「で、今日は何を歌ってきたの」お茶を入れてた夕姫がカマをかけると

「クイーンを熱唱して…、そうじゃなくて特ダネを仕入れてきたんだ」とボケツッコミ。

「帰宅部四人とカラオケ行ったんだけど、そのうちの田中ってヤツがこんなこと言ったんだ。犬がいなくなったって。外に繋いでいた柴犬のリードが切れていて、行方が判らなくなったって。そのうち帰って来ると思ったらしいんだが、戻って来ない。交番に届けたら同じような話が数件あるので、連続飼い犬誘拐事件かもって、すげー落ち込んでた」どうだとばかり輝虎言いきった。

「そうね。関係あるかもね」お茶を啜りながら考え込む。

「バロンはどう思う?」

「…猫、この街に来てから猫を見ていないような気がする」首を捻る。

「うーん。今までに無いケースね。もう少し聴き込みしたほうが良さそうね。それから明日の放課後はあけといて」夕姫が注文する。

「もう1つのターゲットにコンタクトするつもりなの」


 4

 

 ほろ酔い加減のサラリーマンがご機嫌で夜の街を行く。

普段はバスで帰っているのだが、今日は酔いましに歩いていた。

 さっき飲んだビールのせいか、もようしてきてしまった。周りを見回したがトイレが使えそうな場所がなかった。

 そうこうするうちに、おあつらえ向きの路地を見つけた。街灯も無く暗いし、通りから見えなさそうだ。

 ちょっと失礼して、用をたそうと通りを外れた。

 途端に顔を塞がれ、意識を失った。

 

 次に気がついたときは真っ暗闇で、下半身が濡れている。

 酔いはすっかり冷めてしまっていた。

 何が起こったか全然わからなかったが、トラブルに巻き込まれたのか?とにかく光が欲しい。ふところに百円ライターがあるのを思い出し、取り出して点けた。

 周りはコンクリート製の土管の中のようだ。下にぬかるんだ泥があるが、下水ほど臭くない。直径は立って歩けるかどうか。そこで真上を向くとマンホールの竪穴たてあなが有った。俺はマンホールから落ちたんだろうか?フタはどうした?とにかく、ここから出なければ。体をよじると腰と左脚に激痛がはしった。落ちたとき打ったのだろう。これでは満足に動けない。

 もしかしたら上に誰かいるかもしれない。

「おーい、誰か!誰か居ないのか?」繰り返し叫んだがなんの変化もない。

 男は安物のライターが熱くなり過ぎたので、一旦火を消し、これからどうしたものか思案した。やはりマンホールの側面に出ているタラップをなんとか、よじ登って外に出るしかないのだろうかと考えていると、奥の方から物音が聞こえた。

 なにかが近づいてくる!

 震える手で再びライターを点火すると、真っ赤に光る無数の目が見えた。

 思わず痛みで立ち上がれないまま、後ずさると手に固いものが当たった。

 ライターの火をそちらに向けてみると

「ヒッ!」骨だ。それにアレは治療跡ちりょうこんのある下顎かがく

 あわてて再度奥に目をやると、男の足先にまで何かが近寄っていた。思わずライターを取り落とすと同時に押し寄せ、あっという間に男の体を覆い尽くす。コートやズボンが引き裂かれるのがわかった。

 「だ、誰か…」叫ぼうとしたが口にまで侵入してきた。そのうち全身に激痛がはしった。

 男は最後の一瞬、テレビで見たアマゾン川のピラニアを思い出した。


 男が災難に遭遇そうぐうした場所から程遠くない、横浜にある最高級ホテル、最上階のスィートでは灯りを落としていた。

 部屋の主はソファーに深く沈み込み、東京湾の夜景を楽しんでいるかと思いきや、モニターに映し出される荒い映像を眺めていた。

 赤外線カメラの映像には、先程の男が無数の影にマンホールへ引きずり落とされる姿が映し出されていた。

「上手くいっているようではないか」

「はい、予想より早くあの男のチームが出てきたようです」後ろに控えていたロングヘアーの女性が答える。

「いよいよ、我が父祖の無念を晴らせようぞ」手にしたグラスの中身をあおる。

「まだまだ最初の一歩です。必ずやヤツの郎党ろうとう全てに復讐を」もう一人控えていた、ショートカットの女性がグラスにぎ足す。

「それで息子の方は?」主が尋ねる。

「最後はモナコで目撃されたそうです」ロングヘアーが報告する。

「わかった。居場所を突き止めたら、すぐに実行しろ」とても人の命がかかっているようには思えない、短い指示を出す。

承知しょうちしました」ショートカットが答えた。

「アルもエルも引き続き頼む」

「ハッ」と二人はキレイにそろって頭を下げる。

「あの少年もヤツの一族に生まれなければ、こんなむごい死に方をせずとも済んだのに」あわれみとも愉悦ゆえつとも取れる笑いがれた。


 5


 夕姫は早速、昼休みに行動開始した。

 朝一番に犬神へ昨夜の輝虎の情報と、バロンの観察について報告と、調べものを頼み、残るは吉野弥桜の身辺調査だ。

 弥桜みおのウチは確か

「吉野さんだよね。おウチ、有名な神社何だって?」さり気なさを装い近づく。

 昼食が終わり、クラスメートと話していた弥桜は

「うん、そうなんだ。おおとりさんだっけ?」気さくに返してくれた。

 夕姫の第一印象はフワフワだった。別に太ってはいないが後ろでまとめた髪はひどい癖っ毛で、スレンダーな自分と比べ女の子らしいラインをしている。

 顔もホンワカしている。

「そう、凰夕姫。実は私、神社とか好きなんだけど、吉野さんも巫女みことかやってるの?」と興味を持っていることを伝える。

「ミオの巫女姿もうスゴイんだから。ヤッパリ本職は違うよね」クラスメートがめちぎる。

「お祭りのときの神楽かぐら見たけど、もう女神が降りてきてるね、アレは」もう一人も絶賛だ。

「へえ、そうなんだ」と言ったが、夕姫にはその髪と体型のせいで上手く想像出来なかった。

 実家でも神事で、巫女装束に近いものは身に付けることはあるが、アレはこんなくせっ毛と大きな胸には合わないのではないだろうか?

「見に行ってもいいかな?」心の中の葛藤かっとうは出さずにお願いする。

「ええ、ウチは来る者こばまずですから」こころよく受け入れてくれた。


 放課後、今度は男子コンビが校門近くに待っていた。

「じゃあ、行きますか」輝虎が先頭で歩き出す。

 事前に弥桜の実家、白桜しらお神社への行く道筋は頭に入っている。

「今日、剣道部の顧問こもんに目を付けられちゃってさ、オマエなら全国取れるって」ウンザリした顔でため息までついた。

「テトラのウチ、有名なんでしょ?」バロンが輝虎の顔を見上げる。

「断ったよ。ウチのは槍術やりじゅつだって。そうしたら一度見せてくれって、ねばるんだよ。仕方ない、かただけ見せる約束させらちゃったよ」再びため息。

「私のところにも弓道部が来たわね。どこで聞きつけるんだか」

「二人とも、実家が有名だと大変だね」

「バロンのウチだって世界的に有名じゃん。不名誉ふめいよな病気にも使われちゃってるけど」輝虎が反撃する。

「アレはひどい言いがかりだ、撤回てっかいして欲しい。一族の悲願ひがんなんだ」悲しそうな顔をする。

「ワリぃ。嫌なこと言った」

「ハイハイ、もうすぐ到着ですよ」夕姫が話題を変えるように二人の尻を叩いた。

「じゃあ行ってくるから、隠れていて」鳥居をくぐる。


 弥桜は学校から急いで帰ると、いつものように装束に着換え、姿見の前で普段より念入りに収まりの悪い髪をでつけ、着付けをチェックした。

 さらにお守りの腕輪に触れ、確かめた。昔、ある事件をきっかけに母親に勧められて身に付けている。

 今日は転校生の凰さんが我が社に来るという。みっともない所は見せられない。境内けいだいを早くき清めよう。


 結局、自分が学校に行っている間に父さんが一通り掃き清めたようで、ほとんど必要なかった。

 そういえば学校で神楽の話題が出ていたな。

 最近は暮と正月の参拝客の対応にかまけて、練習をサボっていた。

 竹箒たけぼうきを片付けると、参拝客も見えないので、時々するように舞台の上で、型を一通り舞ってみることにした。

 その頃には夕姫が来ることを忘れていた。


 6


 夕姫とわかれたバロンと輝虎は境内脇の林伝いに奥に進むと、人の気配に気づきやぶに身をひそめた。

 夕姫には気付かれるだろうが、この距離なら常人にはわかるまい。輝虎が藪から気配のした境内をうかがうと、幻想的な光景が広がっていた。

「おい、見てみろよ」大人しく藪の影にかくれていたバロンを呼び寄せる。

「え、なになに…」思わず声を失う。

 神楽の舞台で弥桜が舞っていた。

 その装束に相まって、まるで天上から降りてきたかと錯覚する程の美しさだった。

 輝虎が抑えてなかったら、バロンは全てを忘れ、立ち上がってしまいそうだった。

綺麗きれいだ…」と恍惚こうこつとしているバロンのことを輝虎には責められなかった。


 二つ目の鳥居をくぐる時、夕姫は強い力を感じた。聖域とされている場所では時々あるが、この場所にはより新しく、繊細な感触の結界があるようだ。これだけ強力ならば並のあやかしたぐいは入ってこれないのが分かる。弥桜の調査指示書には記載きさいされてなかったはずだが、相当な実力者がいるのだろう。石段を登ると由来となった桜の樹が葉をつけてないので、寒々と並んで境内を囲んでいる。奥に本殿らしき、大きくは無いが手入れの行き届いた銅板葺どうばんぶきの建物があり、その手前の舞台にお目当ての人物がいたが、夕姫の予想とは大きく外れた邂逅かいこうになった。

 女性の自分から見ても心惹こころひかれるような神楽が演じられていた。本来はお囃子はやしとともに舞われるだろう、練習の様子だが、夕姫の最初の印象は打ち砕かれた。白桜神社の名前の通り、桜の精かと見間違えた。

「神の寵愛ちょうあいを受けしもの」昨晩の犬神の言葉を思い出した。

 しばらくすると、ひたいにうっすらと汗を浮かべ、息の上がった弥桜が練習を終えた。夕姫は近づきながら思わず拍手してしまった。

「見てたの?声掛けてくれれば良かったのに」顔を赤らめながら抗議した。

「そんなもったいない。お陰で良いもの見せてもらいました」笑顔で歩み寄る。

「そんなに褒めても御利益ごりやく上がらないかもよ」装束の着崩れを直しながら言った。

「そう?もう十分御利益有ったけど」満足そうに言う。

「この季節は何にも無い所でしょ。せめて桜の咲いている時期なら良かったんだけど」

「本当に雪の様に真っ白な桜なの?」

「言い伝えだと、倒れて白鳥になったヤマトタケルノミコトが、大和に飛び去る前にここで休んだって縁起えんぎにあるんです。その時止まった桜からは、白い花が咲くようになったそうです」弥桜が神社の由来を教えてくれる。

「へえ、ぜひ桜のシーズンにも訪れたいわ」

「練習してた神楽の本番もこの舞台で演じるから、ちょっと恥ずかしいけど観に来てくれると嬉しいな」

 夕姫が話を聞きながら周りを伺うと、境内の外の少し離れた藪からバロンの頭が見えた。

 内心、頭を抱えたくなったが、弥桜は気づいていないようだ。注意を引くため話を続け、ハンドサインで輝虎に引っ込めと指示する。

「素敵な神社よね。お父様が神主さん?」

「ええ、でもここだけの話、父は入婿いりむこでウチは母が仕切ってるの」声をひそめて囁いてきた。

「そうなんだ」色々あるようだ。ではあの結界は母親が? 

 そんな事を考えていると当の本人が現われた。

「お友達かしら?」ベージュのスーツを着た、弥桜に似た大人の女性だ。里でも高位の術者に何人かあった事があるが、同じような印象を受けた。慎重しんちょうに対応しなくては。

「はい、先日同じクラスに転入いたしました凰と申します」若干、緊張しつつ挨拶あいさつした。

「もしかしたら太刀守たちがみさとの?」びっくりした顔で尋ねられた。

「そうです。ご存知なのですか?」

「ウチのダンナが里の出なの。とすると刈取かりとりって訳か」後半は独り言のようにつぶやいた。

 刈取り?聞いたことが無い単語を耳にし、夕姫は首を傾げた。

「凰さん、本家から来たの?」

「はい。実はこの街で起きている怪奇事件の調査の手伝いをしておりまして。なにかご存知ありませんか?」弥桜を置いてきぼりにして多少心苦しが、この母親からは有益ゆうえきな情報が得られるかも知れない。

「ああ、連続失踪事件ね。確かに街に嫌な気が蔓延はびこっているのよね。うーん、水、歯、穴に注意するといいわ。私からはこれだけしか言えないけど」弥桜の母親は苦笑いした。

「母様すごい。学校でも話題になってたの。先輩が二人もいなくなったって」弥桜が話に食いつく。

「信用して。母様の託宣たくせんは間違った事無いから」と力説する。

「そうね。事件が解決して落ち着いたらまた来て頂戴。お互い話さなきゃいけないことが沢山あるみたいだから。今度はお友達も一緒にね」意味深なセリフを言いつつ去っていった。

「凰さん、父様と同郷なんだ」あとに残された弥桜に尋ねられるが

「夕姫で良いわ。私も初めて知ったわ。偶然だと思いたいけど」

「私のことも弥桜って呼んで。そうなんだ。もしかして遠い親戚だったりして」にっこりする。

「そうだといいわね」こんな従姉妹がいたら絶対自慢する。そう考えていた夕姫だが、こちらをうかがう仲間とは違う気配には気付けなかった。


 7


 その後、良くくって言う学業成就の御守りをいただき、白桜神社を後にした。

 男子達と合流する。

「あの子も凄いけど、母親も只者ただものじゃ無かったわね。アンタ達の事、気付いてたわよ」あきれ気味に言うと

「ああ、一目で分かるほどの気配をまとってたな。親子とも」輝虎が首を縦に振る。

「うん。すごく綺麗だった」まだ夢見るようにバロンが呟いた。

「あれからこうなんだ」輝虎が呆れる。

一目惚ひとめぼれれしちゃった?」夕姫がからかうように尋ねるが

「うん。すごく綺麗だった」心ここにあらずといったバロンが繰り返す。

「あー、本気かー!」夕姫は頭を押さえる。

 気を取り直し

「じゃあ今回のお務め早く解決して、今度はみんなで神社に行こう。聞かなきゃいけない話も有るようだし」夕姫が提案すると、我がチームリーダーの目が力を取り戻し

「本当?全速力で片付けちゃおう。テトラ行くよ!」と、早足で事件の調査の為、市街に向かった。

 輝虎と夕姫は肩をすくめた。


 失踪者の遺留品いりゅうひんが見付かったとされる付近を三人で見て回ったが、これといった手掛かりはつかめなかった。

あたりが薄闇に包まれ始め、そろそろ一旦引き上げようかとしていたところ、近くから猫の威嚇いかくするような鳴き声が聴こえた。

「こっちよ!」耳の良い夕姫が路地を指差す。

暗い路地をのぞき込むと、黒猫が薄汚い毛皮をまとった何かと取っ組み合っていた。どう見ても黒猫よりふたまわり大きなその生き物が、深く噛みつきこのままでは黒猫がどうにかなってしまいそうだった。

「テトラ!」バロンがお願いすると未確認生物に向け、踏み込んでフック気味に拳を放った。それは壁にバウンドして地面に落ちた。

 バロンがぐったりした黒猫に駆け寄り抱き上げると、身体中に血がにじんでおり、思ったより激戦を行なっていたらしい。

「私がみるわ」夕姫がバロンの腕から引き取って怪我の状況を確認したが、命に関わる深い傷は無いようだった。

もう一つ、気がついた事が有ったが、そちらは確信が持てなかった為、無視した。

「あれ?いないよ」バロンが気がついた。

 輝虎がぶっ飛ばした未確認生物がきれいサッパリ消えていた。

「イヤ、手応えは有った。自分で動けるハズはない」輝虎がいぶかしげに、それでも自信を持って宣言する。

「私も目を離していたわ。でもアレってねずみだったわ。規格外の大きさだけど。」思い出して嫌な顔をした。

「ねずみ?大きなネズミって都市伝説じゃないの?」

「まあ、あやかしに関しては何でもありだしな。でもあの感じは怪自体では無いんじゃないか?手応えが違う」

「そうね。怪に操られているか、眷属けんぞくかも。いずれにしろ帰ってこの件を犬神サンに報告して、対策を練りましょう」追跡は無理だと判断し、仕切り直しを提案する。

「その子どうする?」バロンが心配そうに問いかける。

「この子は飼い猫でもないみたい。連れて帰って手当するわ」夕姫がどこから出した風呂敷ふろしきで、黒猫を痛くしないよう注意して包む。それを輝虎がそうっと受け取った。


 8


「長い一日だったわ」夕姫が携帯電話で話す相手は、もちろん犬神だった。

 黒猫は傷を消毒して、男子部屋に預けてきた。バロンが看病すると言って聞かなかったのだ。アレはあんなことでは、どうにかなるようなものではないと思うが。

「それで目を離したすきに、オオネズミは消えてしまったと」

「テルが臭跡しゅうせきを追ったら、雨水溝うすいこうに続いていたって」

「ドブネズミか。つまり一匹じゃ無いかも知れないと」

「二人も同意見だったわ。あんなのがねずみ算式に増えたら犬猫に飽き足らず、人も襲うかも」考えただけでもゾッとする。

鉄鼠てっそ。そんな名前の妖怪がいたな。おおねずみの」

「そんなメジャーなの?そいつ」夕姫の声に怒りが乗ってきた。

「まあ、伝説だからこれとは別物だと思うけど、呼び名は有った方が良い」犬神の声は冷静だった。

「でも相手の姿がわかっただけでも、大きな収穫だ。対策を考えられる」犬神の声にやる気が感じられる。

「失踪者の消失推定地点と雨水管の配置を比較してみよう。その件は明朝には報告出来る」明日の出来上がりを確約する。

「それで吉野弥桜の方はどうだった?」急ぎではないけどと断りつつ尋ねた。

「犬神サンの言っていた、神の寵愛を受けしものって意味わかったわ。あれじゃアマテラスでも岩戸から出てくるわ」その稀少きしょうさを褒めた。

「それに聞いてなかったけど、父親は里の出身ですって?刈取りってなに?」夕姫が強い語気で問い詰める。

「えっと、実は里では優秀な血筋を取り込むため、計画的に外の能力者なんかを引き入れたり、婚姻こんいんを行っていて、生まれた子を里に呼び寄せる事があるんだ。それを批判的な人たちが隠語いんごで刈取りって呼んでる」若い子はまだ知らないと思うけどと断りを入れる。

「じゃあ、もしかしてバロンも?」夕姫は呆れながら確認する。

「そうらしい。その件はかなりのトップの発案らしいけど。俺なんか概要がいようも教えてくれないし、調査もできない」犬神が諦め口調で言う。

「ただし、強引なことはしていない筈だ。あくまでも本人の自由意志で行なうことになっている。でも、子ども達はおのれのルーツの半分に言われたら断りづらいし」歯切れが悪い。

「ウチの家系もそうなのね。血統操作けっとうそうさってわけか」夕姫が考え込む。結構ショックを受けた。自分の口からはバロンに伝えられない。

 確かに里の者は、家の役割に適した身体的特徴の者が多い。戦うことを役割とする家は恵まれた体格、我が凰家おおとりけは弓を引くためなのか、女なのに長身で、認めたくは無いが胸が薄い。きっと血統操作のせいだ。たぶん。

「簡単で良いから事件が片づいたら吉野弥桜のレポート出してくれ」犬神は信頼という丸投げをした。

「その前にあの母親は何者?境内の周囲にかなり高度な結界張ってたし、今回の事件の手掛かりもピタリと当てたわよ」食ってかかった。

「そりゃあ、里のものを入婿にするぐらいだから普通の人って事はないさ。父親の線からたどってみるよ。ところで事件について何か言ってたのかい」

「水、歯、穴に注意しろって。全部当たりみたいね。まず水は雨水溝、歯はねずみ、穴はマンホールってとこかしら、あの状況でこれだけ的中したんだから大したものよ」

「うわー、本物かー」時々いるんだよねーと呻く。

「じゃあ、預言にしたがってドブさらいの準備するか」


 9


 鉄鼠てっそと命名された化けねずみのボスは、雨水管が一番広くなっている場所、河川へ放水する為のポンプ場の手前に陣取っていた。

 少し前までドブネズミらしく街の地下を人目を避けながら這い回っていたが、うっかり人に捕獲されてしまった。

 死を覚悟したが、外の国から来たその人間は今の力を与えてくれた。

 食べれば食べる程、体が大きく強くなり、食欲も収まるところを知らない。自分がメスに産ませた子ども等も大きくなり、やがて天敵だった猫や犬も、逆に捕食できるようになった。

 自分から生まれた子ども達は、自分に絶対服従するので、他の同族どもを駆逐くちくし、この人間の街の地下に帝国を築くことができた。

 子を産ませる為にはべらしているメスもすぐ娘たちに代替わりすると、更に多くの子たちを増やしていった。

 こうなると困るのは食糧だった。

 最初は街をうろつく犬猫を襲ったり、同族でまかなっていたが、家族が増えると不足するようになった。

 そこで人間の目を盗み、奴らのペットをターゲットにした。そいつらは変な匂いもしたが、今までに食ってきた野良たちより脂のりが良く、美味だった。

 そこで思いつく。ペットどもより飼い主達の方が美味しいのではないか?もし奴らを糧とできるなら、さらに群れを拡大できるのではないか?いつの間にかそんな思考能力まで身に付いていた。優秀な子たちの中には体格や、狩猟しゅりょうひいでたものも出てきた。人間をおそえ!あれほど沢山いるのだ、足りなくなる心配は無いだろう。

 

 やってみると容易たやすかった。我々を散々見下してきた人間どもは、これからは狩られる側だ。

 人間を食糧とし始めると、明らかに自身にも群れにも変化が現われた。知性が上がり、仲間の情報伝達の質、量ともに充実し始めた。こうなると人間をもっと多く食べたくなる。

 そのうち、人間にも色々あって、美味いのもあればそうでもないのがいる。一番上等なのは若くて、色んな臭いのしないメスだ。オスや年寄りは美味しくない。

 力の付き方も、食べた人間により違うようだ。そのうち群れの中に、見るだけで力を得られる獲物えものか見分けられる個体が出てきた。それには権限を与え、より良い獲物探させた。

 今日はそのものから良い報告を得られた。ここからもそう遠くない場所に、若くて力の得られるメスを見つけたそうだ。すぐに持ってこい。自分の前に無キズで連れてこさせ最も力の得られる、はらわたはワシがいただき、この帝国をより強固にするのだ。


 それにしても腹立たしいのは、今日は猫の子一匹獲物が取れなかったことだ。狩りに失敗した個体の親族たちを制裁を兼ねて晩餐ばんさんとした。


 10


 男部屋で早めの朝食を終わらせると、犬神が訪れた。

「おはよう、登校前だから手短に話す。里の手を借り、化けねずみ共の出入りを監視して、干上がらせるとともに、本拠地を突き止める」用意した、この街の管渠かんきょ地図を示した。

 「今この時より、この部屋を鉄鼠対策本部とする。俺もここに詰めるからな。お前達はいつもどおり学業に励め。ねずみ駆除くじょの準備ができ次第、忙しくなるぞ」本人は徹夜したのか、目の下にクマを作りながら、妙に高いテンションで言った。

「犬神サン、大丈夫?」バロンが心配そうに声をかける。その膝には昨日助けた、黒猫が包帯を巻かれ乗せられていた。

「それどうするの」犬神が指差す。

「元気になってから考えたいけど、飼っちゃダメかな?」バロンが上目遣いに犬神にお願いする。こういうとこ、かわいいよなと思う。

「このアパートでペット飼っていいか大家に聞いてみるよ」しかたねーなと頭を掻く。 

 すると黒猫が目を覚まし、バロンの膝の上から降りた。

「もう大丈夫なの?」バロンが心配そうに黒猫を見るが、警戒しているのか距離を取っている。

 そこへ夕姫がお皿に猫用のご飯を乗せて持ってきた。黒猫に向けて床に皿を置くと

「大丈夫。毒は入ってないから」と語りかけ、後ずさる。

 黒猫はいぶかしんでいたが、よっぽどお腹を減らしていたのか、ご飯を食べだす。食べ始めれば一心不乱にご飯に食いついている。

「じゃあ、学校に行ってる間、この子の事見ていてね。犬神サン」ニッコリ笑いかける。あ、絵に描いたような営業スマイルだ。

「しかたねーな」そう言っているうちにご飯を食べ終えた黒猫は、仮設で用意した引っ越し用段ボールの猫トイレに歩いていき、用をたす。

「お利口だね」バロンが素直に喜ぶ。黒猫にはトイレを教えてなかった。犬神が首をかしげるが

「さあ、そろそろ出ないと」夕姫に急かされて、まだどんぶりと格闘していた輝虎が名残り惜しそうに立ち上がる。

 珍しく、戟のケースを取り上げる。

「おいおい、そんなのどうするんだ?」犬神が咎めた。

「今日、剣道部で演武をする約束させられたんです。中身は練習用ですよ」安心してください。と苦笑いする。

 見ると夕姫も弓袋を持っていた。

「私もね。また適当にあしらうわ」辟易へきえきした顔で言い残し学校に向かう。


 弥桜の母、雪桜ゆきおは困惑していた。神社の境内周囲にほどこした結界に異変が感じられた為、調べに行くと異様に大きいねずみの死体が転がっていた。昨日、凰家のヒメが話してたものに関係があるのだろう。保健所に連絡するか迷ったが、内々に処理することにした。

 この分だと十年前のようなことが起きるかもしれない。弥桜は当面、ダンナに送り迎えさせよう。


 バロンたち三人が校門に差し掛かると、黒い国産セダンから弥桜が降りてくる。

「もう、父さんったら心配し過ぎよ」ちょっと抗議こうぎしていた。車の中から

「帰りも迎えに来るから勝手に帰るなよ」と聞こえたが弥桜はバスンとドアを閉める。

「弥桜さん、おはよう」夕姫が声をかける。

「おはよう、夕姫さん」こちらに気が付き、ちょっと顔を赤らめ振り向いた。父親とのやり取りを見られたのが恥ずかしいらしい。

「えーと、お友達?」一緒にいたバロンと輝虎を見て弥桜が尋ねる。

「ええ、一緒に転校してきた富士林クンと笹伏クン」夕姫が二人を紹介する。

吉野弥桜よしのみおです。よろしくね」礼儀正しく挨拶する。

笹伏輝虎ささふせてるとらです。1−Aです」珍しいがよそ行きな挨拶を返す。

富士林楓太郎ふじばやしふうたろうです。言いづらいから、良かったらバロンって呼んでくれると嬉しいな」弥桜の手を取っての挨拶だ。時々、外国暮らしが長かったバロンは人との距離が近過ぎる。普通の人がやったら振りほどかれそうだが、バロンの柔和な笑顔と雰囲気で許されている。また、弥桜が顔を赤らめる。

「バロンくん?」「と、輝虎だ」口を挟むとその脇腹に腰の入った夕姫のき手が叩き込まれる。さすがの輝虎も今回は激痛に顔をゆがめる。

「バカ」夕姫が言い放つ。

「恥ずかしところ見られちゃった」おずおずとバロンから手を外しながら弥桜が言った。

「いいお父さんじゃない」夕姫がかばう。

「うん、でも時々すごく心配症で」

「こんなかわいい娘がいたら四六時中心配でたまらないと思うけど」バロンが力説りきせつする。

「うん、でも仕方ないの。昔、誰かに誘拐されかかったことがあって、またそうならないか心配してるの」

「穏やかじゃないわね」

「その時ね私、忍者に助けられたの」うってかわって目を輝かせる。

「忍者?」夕姫が疑うように聞き返すが

「そう、忍者!」本人は疑ってないようだ。

「カッコ良かったの!いつか大人になったら忍者が私の事をさらいに来てくれないかな」意外と夢見る乙女だった。

 さらわれちゃダメじゃんと、夕姫は心の中でツッコんだ。彼女の白馬の王子様は黒ずくめのようだ。

 それってお父さんじゃない?里の出身者なら忍者と間違えられることもあるだろうなどと夕姫は考えていた。

 そんなやり取りを、バロンがほうけたようにながめていた。

「かわいい…」つぶやきが輝虎の耳に入り、ちょっと呆れた。


 鉄鼠はイラついていた。報告にあった上物は少々厄介な場所にいるようだ。夜中に狩りに行った一団がなにかにはばまれ、帰ってこなかった。死体は処分たべさせたが、問題は目的が果たせなかったことだ。報告に戻って来たものの言う事には、ターゲットの居る場所に近づくと絶命するようだ。よく理解できなかったが、その場所にいる限り我々には手が出せない。自分で試す気も無い。子どもを増やすのに忙しいのだ。ここから動くことはできない。手に入らないと思うとなおさら欲しくなる。とりあえず報告に来た若いねずみを頭からかじった。

 するといいアイデアが浮かんだ。あとは子ども達にどうやらさせるかだ。


 11


 弥桜が筋金入りの忍者マニアだと、夕姫は気がついた。意識しなかったときは見過ごしていたが、弥桜の身の回りの小物や、文房具に手裏剣やらクナイのデザインが入っていた。さすがに小学生みたいな、キッチュなモノは身に付けてないが、かえって高校生のおサイフにも響くのではないか?


 放課後、輝虎が剣道場に行くというので、バロンも付いていくことにした。

 県下でも強豪校と言われるだけあって立派な道場だった。

 バロンも見学と断って壁ぎわに座ってニコニコと笑っていた。

 輝虎は顧問の教師と二、三言交わして練習用の一条(約3メートル)の槍を組み立てる。その様子を部員たちが興味深そうに見ている。

 道場の中央に立ち、安全な距離に部員達を下がらせ槍を構える。実は槍を持つのは久しぶりなのだが、素人相手に見せるには充分だろう。

 輝虎の演武えんぶが始まると道場中が息をんだ。聞こえるのは穂先ほさきが風を切る音と、床が割れんばかりの踏込の音のみ。

 大半の者は槍の武術など聞いたこともなく、せいぜいへっぴり腰の田舎踊りを披露ひろうされるものと思っていた。

 圧巻だった。部員の中には全国大会で上位に入る者もいたが、打ち込めるスキも見つからなかった。

 変わらずニコニコ見学しているバロンは輝虎の演武を楽しんでいた。いつもは戟を使っているので、バロンも槍さばきを見るのは初めてだった。

 怒涛どとうの演武が終わった。ほんの5分くらいだったが、物凄く長くも感じた。すると誰ともなく道場には似合わない、拍手が沸き上がった。

「すごい、すごい」バロンも夢中で手をたたく。

 その後、輝虎は顧問の教師に熱心に口説かれたが、固辞こじしてバロンを連れ道場を後にした。


 男二人、連れ立って帰ろうと校門に向かうと、夕姫が黒いセダンを見送ったところだった。

「オンナのかんだけど、それとなく弥桜を見張っていたの。弓道場にも付いてきてくれて助かったわ。そっちはどうだった?」振り返り尋ねる。

「テトラの槍さばき、スゴかったよ。ユキねえにも見せてあげたかった」バロンが思い出して興奮する。

「イヤー、久しぶりの槍だったから、どうかと思ったけどイケるもんだな」珍しく謙遜けんそんする輝虎だった。

「弓道部の方はどうだったの?」バロンが興味を隠さない。

「曲射ちを見せてお茶を濁したわ。お上品な弓道じゃないって」夕姫が修めているのは弓術きゅうじゅつであって、弓道きゅうどうでは無い。より実戦的で、殺人術とスポーツの差がある。

「礼儀作法なんて重視されてないしね。簡単に言えば、やられる前にやれだもの」どこか遠い目で言った。

「犬神サンから連絡来ないから、まだ動きはないと思うけど、もう真っ直ぐ帰りましょう」連絡用の携帯電話を持つ夕姫がうながす。必要ならバンで迎えに来るはず。


 12


 アパートに帰ると犬神と、妙に距離を取る黒猫が出迎えた。仲良くは過ごさなかったらしい。バロンを見ると黒猫が寄ってきた。包帯がすっかり取れた黒猫を抱き上げる。

「もう大丈夫なんだ」バロンが頬ずりする。

 おかしい、いくらなんでもこんなに早く回復するなんてと、夕姫は思ったがバロンの手前黙ることにした。

「現金なヤツだな」犬神がバロンになつく黒猫を白い目で見る。

 テーブルの上に広げられた管渠かんきょ地図は、何色ものマーカーで書き込みされ、朝見たものとはすっかり変わってしまっていた。テーブルに乗り切れない資料やメモは、床にところ狭しと並べられている。

「奴等が出入り出来そうな場所は、しらみつぶしにしている」マンホールや雨水溝は役所に秘密裏に許可を得て、固定したり金網でふさいだ。こうしている間にも犬神の携帯電話に連絡が入り、マーキングが増えていく。

「これでねずみ共を干物ひものにしてやる」寝不足らしい犬神が暗い笑いを浮かべる。

「化けねずみの標本ひょうほんが手に入ったんで調べさせたが、やはり俺たちのヤマだ。詳しい事はまだ不明だが、何らかの呪術じゅじゅつが用いられてるのは間違い無いらしい」

「じゃあ人工怪じんこうあやかしって事?」

「言ってみればそうだな」バロンの問に答える。

「もしかして、いなくなったって人達はねずみに…」

「食われたんだろうな」言いづらそうにもらす。

「これ以上犠牲者を増やさない為にも、さっさと片付けるぞ。早ければ明日にも本拠を叩く。里に装備の申請もしてある。里も今回の事件を重く受け止めているらしく、協力を惜しまないそうだ。突撃時には応援も来ることになっている」

「別のチーム?それとも…」珍しく夕姫が消極的だった。

「まだ分からん。我々は出来る事をするだけだ」

「だな。ところで俺たちのごはんは?」輝虎はお腹をさする。


 夕姫が台所でお弁当を電子レンジにかけていると、犬神が寄ってきて小声で

「おい、アレ普通の猫じゃないだろう?」真顔で問う。

「そうね。でもバロンになついているし、害は無さそうだし」夕姫は開き直る。

「そうか?そのうち、夜な夜な行灯あんどんの油をめだしたりして」犬神は疑う。

「今どき行灯は無いわよ。大丈夫、私もテルもいるから。ところで大家さんの許可は?」レンジから温めた焼肉弁当を出す。

「ああ、なんとか取れた。その代わり敷金は戻って来ないかも」住宅事情も世知辛せちがらい。

「ありがとう。バロンも喜ぶわ」今度は幕の内弁当をレンジに入れる。

「もう一つ。これはオフレコにしといてもらいたいんだけど、標本の出どころなんだが」犬神が言いよどむ。

「応援部隊が捕まえたんじゃないの?」ヤカンの火を止めて振り返る。

「実は死骸を提供されたんだが、どうもそれが白桜神社かららしい。弥桜の父親は鷹崎家たかさきけの出で、どうもその線で連絡が有ったらしい。ユキくんが弥桜に接触した事も作用しただろう」深刻そうに話す。

「じゃあ、急に車で送り迎えされたり、強力な御守り持っていたのは気のせいでは無かったのね」オンナの勘は当たっていたのだ。それにどうやら弥桜とは血縁が有りそうだ。ハトコか、それ以上離れているかもしれないが。

 これは弥桜周辺にも注意しなければ。神の寵愛を受けしものの力が悪い方にはたらきそうだ。そういう力の持ち主は得てして怪などに狙われやすい。故事にも多く語られるように、高僧や神童などを怪が食せば万倍の力が得られるとされる。化けねずみが彼女の周囲に現われた以上、見過ごせない。


 山のようなコンビニ弁当の容器を処分して、練習などに利用しているアパートの屋上に出るとすでに夕姫が待っていた。

「話ってなんだ?」食事の最中、ハンドサインで輝虎だけ呼び出された。

「剣道場の件、本当のところどうだった?」手すりにもたれ、夜の街を見たまま、夕姫が訪ねた。

「上々だった。久しぶりの槍とは思えないほどだった。つまり上々過ぎる」輝虎が肩をすくめる。

「私の方は実力以上でも以下でもなし。デモストレーション用の普通の弓で、丁度良いくらいだった。つまり弥桜ちゃんの能力はバロンとは別物だし、私はバロンに頼り過ぎという事」自笑気味に言う。

「それは俺も同じだ。バロンが見てなければ、なまけていた槍はあそこまで振り回せない」夕姫の隣の手すりにもたれる。

「結局、このチームのおつとめの成功率はバロンのおかげってことね。…私は少し応援が来るのが怖いの。他のチームが来てバロンのことを怪しまれて、このチームの秘密を知られたなら」夕姫が弱音を吐く。

「大丈夫だ。必ずしも他のチームが来るって決まってるわけじゃ無い。むしろ兄貴たちが、しゃしゃり出るんじゃないかって、今から頭が痛い」輝虎が家業とも言える槍を捨てた事を、兄達は良く思っていない。輝虎がお努めを引き受けた理由の一つが家との不仲だ。

 夕姫も顔をしかめる。笹伏の次男、三男は苦手だ。

「私達だけで解決出来ないかしら」夕姫の願いは思わぬ形で叶うことになる。


 鉄鼠の苛立いらだちはピークに達していた。我々に気が付いた人間どもが地上への出入り口をふさぎ始めたのだ。

 かろうじて人間共も知らない経路は残っているが、狭すぎて優良個体は通れず、狩りの効率が落ちて食糧が行き渡らない。

 出来損ない、弱ったやつ、ケガ持ちを処分した。口も減るし、有効活用たべられ出来る。それでもまだ足りない。後ろに居る、子供を作るスピードが落ちたメスも処分しよう。

 豚ほどに肥大し、すでに歩けなくなっているメスを値踏みしながら、そう考えていたところ、人間の言うジンジャに偵察に行っていた個体が帰ってきた。

 ジンジャからのルートが確保できたらしい。ではすぐにも例の計画を実行させよう。血の滴るメスの首をくわえたままそう考えた。


 13


「夕姫さん、本当に親戚だったんだね」今日も父親の車で送ってこられた弥桜が、開口一番そんな事を言った。

「世間は狭いね。ハトコにあたるって。父さんが言ってたけど凰さん、本家のヒメ様だって」興奮してまくし立てる。

「弓であんな事できるし、すごい親戚がいたんだ」昨日の弓道場での連射や、三点同時射ちを褒められる。

「私も、なんか武道やっとけば良かったかな?」忍者マニアの痛切な願望であった。

「名前に姫って入っているけど、ヒメ様は言い過ぎよ。でも私で良かったら護身術でも教えようか」偶然では無い邂逅かいこうに、若干後ろめたい気持ちと、今後彼女の身に迫るかもしれない危機に対処出来るようにしてあげたかった。バロンじゃ無いが、このかわいいハトコの身になにかあったらたまらない。

「ホント!よろしくね。ヨーシ、踊って、戦える巫女忍者を目指すぞ!」弥桜の鼻息は荒い。忍者の方を本職にするんだ…


 鉄鼠対策本部となっているアパートの男子部屋では、犬神が管渠地図と格闘していた。

 雨水管の管理部署と協議したが、殺鼠剤の注入の許可に首を縦に振らないのだ。雨水は下水と異なり、ゴミを取り除いたあとはそのまま河川へ放出なのだ。大量の薬物を流すのは確かにマズイ。

 ねずみ駆除業者を装っている以上、失踪事件との関連もほのめかす訳にはいかない。地道に出入り口を潰していくしかないのだ。

 里からの応援は手の空いている青年団みたいなものだが、さすがに優秀でみるみるうちに地図にバツを増やしていく。それでもあと一手足りない。本拠の位置が掴めないのだ。

 第二段階として雨水管を閉鎖し、移動の阻害そがい干攻ひぜめを行う予定だが、急ぎ過ぎてねずみ共がヤケにならないとも限らない。可能な限り隠密理に事を進めたい。

 そんな時、応援部隊から連絡が入った。電話には里で顔見知りだった男が切迫した声で事件の一報を伝えた。

「何だって!」


 土曜日で午前授業だったので、三人でハンバーガーショップに入り、昼食を取っていたところ、夕姫の持つ携帯電話に犬神から連絡が入った。

 化けねずみの件で動きが有ったらしい。バロンと輝虎にはアパートで待機するように指示があり、夕姫には念の為、白桜神社の様子を確認してから戻るように言われた。夕姫は二人と別れ、白桜神社に向かった。


 自分が狙われてるとは思ってもいない弥桜は、父親の送迎がいつまで続くのかウンザリしていた。帰ってから外に行くのは許されなかったが、境内の掃除ならやらせてもらった。

「父さんも母さんも、二の鳥居までなんてどういうつもりよ。白昼堂々と人攫いなんて起きる訳無いじゃない。昔のことがあるからって心配し過ぎよ」もう大人なんだからとほおを膨らませる。地面を掃くほうきにも力が入る。

 件の二の鳥居の前にやってくると、どこからか猫のような鳴き声が聞こえた。

 見渡すが境内ではなさそうだ。鳥居の向こう側から聞こえてくる。二の鳥居越しに一の鳥居まで伸びる石段を見下ろすと、十段ほど下に何かが横たわっていた。

 ケガしている猫だったら、かわいそうだと思い、鳥居をくぐり石段を降り始めた。すると目前の猫の皮から何かが飛び出し、弥桜の顔に貼り付いた。


 二の鳥居の反対側にあたる、本殿の裏側の結界に異常があったため、弥桜の母、雪桜は確認に行くと、またオオネズミが転がっていた。

 今度は三匹もだ。学習しないなと思っていたが、急に胸騒ぎがして、境内の掃除をしている筈の弥桜の姿を捜した。

 すると二の鳥居の手前に竹箒を見つけた。結界をより強力に維持するため、二の鳥居と境内に範囲を絞っている。

 まさかと思い石段を見ると猫のものらしい毛皮の抜け殻と、娘がヤケに大事にしていた、手裏剣柄のハンカチが落ちていた。

 さっきのネズミ達はオトリだったのだ。見くびり過ぎた事を後悔する。そこへ石段を駆け上がってくるものがいる。

「確か凰家のヒメだったわね」冷静を装えた。

「ヒメはやめてください。それって弥桜さんの」石段を駆け上がっても全く息を乱さず、ハンカチを指す。

「ええ、私が目を離したすきに、娘に何かあったのかもしれない」あくまで冷静に話した。

「失礼とは思いましたが、念の為と思い、彼女にそれとわからぬ様、発信機を渡しました。もしまだ身に着けていれば探せるかもしれません」夕姫は非常事態と思い、打ち明けた。

「もしかして手裏剣の?」

「はい、そうです。」

「アレ、貴方だったの。ゴキゲンで、ヒモを通して首から下げていたわよ。最後の武器だって」少し呆れながら教えた。

「それにあの子には御守りも有るから、多少は時間が稼げる。私はこれからおまじないの真似事をするから、娘をお願い」悲痛な顔で依頼された。

「わかりました。必ず弥桜さんを取り戻します。」夕姫は断言した。


 14


 鉄鼠は舞い上がらんばかりに喜んだ。とうとう待ち望んだ上物の人間のメスが手に入ったのだ。

 見ただけでこれを喰らえばさらに強く、かしこくなれることがひと目でわかった。

 今回ばかりは配下の者には一切手を出させずに運び込まささせた。

 先ほど背後の人間の施設にちょっかいを出したが、慌てて人間どもは鉄で蓋をしたので、二度と向こう側から開かないように細工した。

 さあ、誰にも邪魔されずにご馳走をいただこう。周囲の子ども達が物欲しそうに見ているが、優越感をくすぐる最高の調味料だ。

 まずは生き血を啜ろうとその白い首に前歯を突き立てようとしたとたん、体に激痛がはしった。この身体になって久しぶりの痛みだ。

 よくわからんが、このメスがいたジンジャとか言う場所と同じ理屈なのだろう。自分でなければ即死だった。しかし、ほころびがあるかも知れぬ。

 そばにいた子たちに探らせる。着ている服のせいかも知れない。まず邪魔な服から引き剥がせ。


 弥桜は不愉快な感触で目を覚ましたが、周囲は真っ暗闇であった。いや、よく見ると目だけ光る動物たちに囲まれていた。恐怖でまた意識を失った。


 犬神に一報入れて急いでアパートに戻った夕姫だが、そこで惨状を見た。実の母親さえ冷静であったのに、

「どうしよう。吉野さん連れ去られたんだって?どうしよう」パニック状態のバロンがいた。これはマズイ。バロンの不安でお伽草子に悪い影響が出る。この状態を放置した輝虎と犬神を睨んだが、二人とも目をそらした。

「大丈夫だから。吉野さんのお母様、とても強力な神官なの。御守りを持たせてあるから、すぐにはどうかはならないって」バロンの肩を掴んで言い聞かせた。単純なおかげで、すぐに落ち着いた。

「本当に?」バロンが心配そうに確認する。

「急げば間に合うわ」気休めだとは思うが、自分も信じたい。

「こちらも状況が動いた。二人には簡単に話したが、怪しいと思っていた雨水ポンプ場に向かわせていた応援部隊がオオネズミ達と交戦した。想定以上の数で苦戦したがなんとか閘門こうもんを閉じた。薬品がダメなら水攻めしようと準備したところに吉野クンの事件が起きた。言わば人質に取られたようなものだ」困ったように犬神が説明した。

「水攻めはダメだよ!吉野さんが助からない」バロンが焦る。

「という事は応援を待たず三人で、化けネズミのヤサに強襲カチコミをかけるしかないな」輝虎がワルそうな笑みを浮かべた。


 里からの送られてきた装備の中に耐刃、耐熱、耐薬品の戦闘服が有った。里の装備品を手掛けている企業の試作品だそうだ。動きやすく仕立てられているが、体のラインが出る。それに気持ち悪いくらいサイズがピッタリだ。いつの間に採寸されたのだろう?

「ワー、戦隊ヒーローみたいだ」バロンは、はしゃぐが色が黒だし、これはヒーローというよりまるで…

「似合ってるぜ。まるで時代劇のくノ一みたいだ」黒壁みたいな輝虎が夕姫をからかう。

「このスーツならネズミどもの歯も立たんし、バイキンの心配も無い。マスクは通常、外気をろ過して呼吸しているが、有毒ガスや低酸素になると自動で腰に付いてる小型ボンベから酸素が送られる」フンフンと犬神の説明をバロンが感心している。

「こんなに良い装備、なんでいつも使えないんだ?」輝虎の疑問に、

「実はこのスーツ、使い始めると急激に劣化する。なんでも人工筋肉の開発途中で生み出された産物らしい。三日で使えなくなるというか腐る。おまけに高額だ」犬神が答えた。

「使い捨てかよ」輝虎があきれる。

「それだけ今回は里も本腰を入れてるってことだ」

「じゃあ応援も?」夕姫が懸念けねんを口にする。

「トップが来るらしい。殲滅せんめつ作戦が開始されれば、後は彼らに任せればいい」

「トップって…」夕姫も心当たりがあるがまさか…


 ポンプ場に近い、突入ポイントに定めたマンホールの周囲は工事を装い、一般人を遠ざけている。もうすぐ日が暮れる町外れは風を遮るものがなく、凍えそうだ。

 鉄鼠の巣はポンプ場の周囲にあると推測はされていたが、弥桜の持つ発信機の信号が裏打ちしてくれた。弥桜には気の毒だがいい囮になってくれた。あとは無事に彼女を救い出し、化けねずみどもを根絶やしにするだけだ。

 輝虎、バロン、夕姫の順にマンホールから雨水の本管を進み、弥桜の囚われている場所を目指す。途中、襲ってくるだろう化けねずみを倒しつつ、救出ができ次第、一旦撤収する。

 救出作戦を兼ねた威力偵察である。この偵察の結果次第であらためて殲滅作戦をたてる予定だった。

 ここの雨水本管は2・4メートルあり、輝虎でも十分立って歩けるが、いつもの長さの柄では三叉戟さんさげきを振り回せないので、短くしたものを背負ってきた。夕姫も同様に馬上弓サイズの弓と小太刀を差してきた。バロンはいつものように星辰の剣だ。

「行くぜ。ヒャッホー」輝虎がマンホールに飛び込む。両手に今回のための得物を持ったままだ。

「お先に」夕姫が続いて飛び込む。二人が先に安全を確保した後、バロンがタラップを降りていく。その後、空気を送るためのダクトが差し込まれる。


 15


 マスクと一体になったヘルメットのライトを点灯する。軍用にも使用されているライトの強力な光線が前方を照らす。予定通り輝虎と夕姫がバロンの前後につく。しばらく降雨がなかった為、管路にはほとんど水は無かった。進み初めてほどなく夕姫が矢を放つ。今回はカーボン製の一体型の矢を持ってきている。あっという間に化けねずみの大群が押し寄せるが、輝虎が器用に両手のチェーンソー起動させる。その後は圧倒的だった。縦横無尽じゅうおうむじんに振り回す二本のチェーンソーに、大小の化けねずみがで斬りにされていく。輝虎に切り漏らされたねずみも、夕姫に射抜かれ絶命する。切られても動いているねずみはバロンがとどめを刺していく。


 町外れを走っていく、タンクローリー車の運転手はカーラジオからお気に入りの曲が流れてきたのでご機嫌だった。先ほど配達したスタンドの店主とやりあって気が立っていたところだったが、少し気分が晴れそうになった。ところが肝心のサビに来るところでラジオの音にノイズが入り初め、聞こえなくなる。男はイラつき、思わずカーラジオを叩く。ラジオから前方に視線を戻すと、工事中の看板が目の前に迫る。慌ててブレーキを踏み、ハンドルを切った為、車体がバランスをくずし横転する。タンクが傷つき、中のガソリンがこぼれていく。


 鉄鼠は二重に焦っていた。目の前のご馳走の妙な邪魔は大分弱まった。ご馳走に張り付き死んでいく子ども達の数はだいぶ減り、服もはぎ取れた。あともう少しだ。

 ところが悪い知らせも入ってきた。人間三人が子ども達を殺しながら、こちらに向かっているというのだ。奴ら、このメスを取り返しにきたのか?ダメだ。このメスはワシのものだ!たった三人だと?返り討ちにしてくれる。


「斬っても斬ってもきりがない」手がくたびれたのか、返り血を浴びるのに嫌気が差したのか、輝虎がグチを言い始めた。斬り方が雑になってきたが、ネズミも大型犬サイズになってきたので、なんとかなっている。が、そろそろ限界だ。

 それに進むにつれ、後ろや横の管路より不意打ち気味に飛び掛かってくるものが出てきた。夕姫とバロンが対応し、化けねずみを叩き切る。

「まだかな」アンテナを持ち、発信機の電波を追うバロンが心配そうに言う。マズイと思った輝虎は、から元気で

「大丈夫、もうちょっとだ」と励まし、手が痺れてきた為、チェーンソーを置いた。

「やっぱり、俺にはコイツが一番だな」背中から戟を引き抜き、高速回転させる。

 チェーンソーを止めたせいか

「ねえ、変な匂いしない?」夕姫が周囲を嗅いでみる。妙に油くさい。

「この土管中臭いぜ」普段は鼻がいいが返り血だらけな上、チェーンソーの排気ガスを浴びまくった輝虎ではわからないかもしれない。


 とうとう、ひときわ広いスペースに出た。化けねずみの巣窟そうくつだ。

「巣を見つけました。これから吉野さんを探します」夕姫が無線で犬神に連絡を入れる。

 そこはポンプ場への流入口なのだろう。中央には泥やどこからか引き入れたがらくたで、ネズミの玉座が築かれていた。雨水が流れ込んでも沈まないようになっているのだろう。その頂上にひと目でボスと分かる禍々しい空気を纏う人間より大きなネズミと、ブヨブヨに肥大し今も子ねずみを産み続けるメスネズミが数匹、そしてほとんど裸にかれた弥桜がいた。

「吉野さん!」バロンが弥桜の無事を確かめたくて叫んだ。

「ウ~ン?」その声で目を覚ました弥桜は状況がわからず混乱していていたが、自分にのしかからんとするケダモノは敵だと直感した。手に最後の武器と心に決めた、手裏剣のアクセサリーが触れた。ここで使わなくてどうする。

「エイっ!」ギュッと握りしめ闇雲に振った。刃は付いていなかったが尖った先端はネズミの目を傷つけるのに十分だった。

「ゲェアー!」おぞましい鉄鼠の悲鳴が上がる。弥桜はバランスを崩し、ネズミの玉座から転げ落ちる。慌ててバロンがネズミ達をかき分け、ダイビングキャッチする。輝虎が走って追いかけ、バロン達をひき寄せ、引き返す。その間にも夕姫が目にも止まらぬ連射で掩護えんごする。

「まくるぞ!」バロンを放し、弥桜を担ぎ直した輝虎がもと来た道を走り出し、バロンと夕姫も後を追う。


 16


 鉄鼠は焼けるような目の痛みと獲物を奪われた屈辱で怒り心頭だった。それなのに子ども達は奴等を追わなかった。命令するまで動かなかったのだ。この群れはダメだ。最初にはらませたメスの出来が悪かったのだ。そうだ、そうに違いない。とっくのとうに腹に納めたメスのことを思い出す。

 あの四人の人間を食ったら最初からやり直そう。今度は人間に気取られず、街の地下に巨大な帝国を作り、一気に街ごと人間を食ってやる。ワシならやれる。

 まずはあの四人だ。逃がすものか。生きながらはらわたを引きずり出し食ってやる。痛む左目を押さえそう考えた。


 地上の犬神たちも大騒ぎであった。工事現場のふりをして道路を塞いだはずだったが、ガソリンを積んだタンクローリー車が誤って侵入し横転してしまったのだ。準備した照明だけでなく、すでにパトカー、消防車などが集まり、回転点滅するライトが、さながら遊園地みたいに明滅している。これだけ騒がしくなっては、バロンたちが管渠かんきょに突入してなければ撤収するところだ。

「コウちゃん、このままだとマズイぜ。人目も多くなり過ぎだが、あのローリー、中身こぼれてるぜ」里で悪友だった応援隊の犬吠いぬぼうが忠告する。ローリーには大手燃料メーカーのロゴがペイントされている。すでに地面に大きなシミが出来ていた。

「マズイ、マズイぞ!あのガソリン、側溝に流れ込んで無いか?」このままだと三人の頭にガソリンが降り注ぐ。早く吉野弥桜を連れて戻って来い。バロン達が進入した、開口したままのマンホールを見つめた。


 なんとか化けねずみの追跡を振り切り、柵で区切られ行き止まりになった場所に出た。ここなら化けねずみに見つかっても一方向だけ応戦すればいい。

 合流時に催眠スプレーで眠らせた弥桜を、バロンが背負ってきた寝ぶくろ状の保護繭ほごまゆで包み、輝虎が背負い直す。三人が着ているスーツと同素材で出来ており、これでケガをしないし、バイキンも大丈夫だ。

 しかし、必死に暗い管渠の中を走った為、入って来たルートがわからなくなってしまった。

「犬神サン、聴こえますか?」夕姫が無線に呼びかけるがノイズしか返って来ない。

「ヤッパリ臭えな」輝虎がマスクの下で顔をしかめる。間違いなく石油臭い。

「どこでもいいから、上がれそうなマンホールを見つけて地上に出るのよ」正論だが、そう簡単に化けねずみ共がよじ登るのを待ってくれないだろう。

 ニャアとこんな場所には不似合いな猫の鳴き声が聴こえた。ふと声のする方を見ると、何故か例の黒猫がいた。額に残った傷に見覚えがある。間違いない、あの猫だ。

「どうやって来たの?」バロンが尋ねるが、黒猫は踵を返し、振り返りこっちに来いとばかりに一声鳴く。

「行ってみよう」バロンは疑って無いようだ。

「わかった」輝虎と夕姫はバロンの運に掛けた。

 黒猫はズンズン進んでいく。何故か化けねずみはほとんど現れず、出てきたところで夕姫の弓箭きゅうせんのエジキになった。

 途中、狭い管渠も有ったが、弥桜を担いでいても輝虎が屈めば通れた。心配なのは明らかにガソリン臭が強くなっている事だ。

 バロンは途中、足元に光を反射するものを見つけ拾った。遅れないようポケットに突っ込み先を急ぐ。

 やっと黒猫の進む先に光が見える。進入時に利用したマンホールの上からは目印代わりに夜間工事用照明で照らしている。

「犬神サン、聴こえる?もうすぐ進入地点に到着するわ…、ええ、吉野さんも一緒よ。クレーンで引き上げる用意して頂戴」無線が届くようになり夕姫が犬神と連絡をとる。

 しかしそこで黒猫が立ち止まり、毛を逆立て前方を威嚇する。夕姫が矢をつがえ、輝虎が弥桜の入った袋を置き、背中から戟をとり構える。

 ブワッと先程も感じた嫌な圧力とともに、化けねずみの大群が押し寄せる。輝虎が戟を両手で前方に回転させると、化けねずみは斬られ、叩かれ前に進めない。輝虎一人でねずみの肉弾を押し留め、削っていく。


 管渠内の夕姫から無線が入った。もうまもなく弥桜を連れてマンホール下までたどり着くそうだ。

 送風ダクトを引き抜き、引き上げの準備を開始したその時、マンホールから化けねずみが吹き出した。

 念の為に目隠しフェンスでマンホール周囲を囲っといたので、事故処理に当たっている者たちの死角になっていた。

 すぐさま配置されていた応援メンバーが気づかれないよう斬りつける。この辺はただのいなか者とは違う。

 バロンたちには悪いが、一旦マンホールに蓋をして、これ以上の化けねずみの流出を防ぐ。あんなのが街にあふれたら冗談じゃ済まない。

 何が起こっているのか夕姫と連絡を取ろうとしたが、もう通じなくなってしまった。


 鉄鼠は人間が侵入してきた場所を見つけ、待ち伏せする事にした。

 奴等はここから地上へ戻ろうとするだろう。そうはさせん。まとめて我らの餌食だ。大分群れの数も減ったが、たった四人程度、押しつぶすには訳ない数がまだいる。

 よしんば生き残るものが数匹でも、あの人間のメスを食えば、再起が図れるはずだ。より強い群れが作り直せる。そら、人間が戻ってきたぞ。

 ん、なんだあの猫は、気分が悪い。まだワシがひ弱だった時分、追い回されて命からがら逃げ出していた頃を思い出させる。一緒に血祭りに上げてやるわ。


 輝虎による戟の大車輪も段々と速度が落ちてくる。戟と管渠の隙間をすり抜ける化けねずみの数が増えて、バロンと弓を背負った夕姫の小太刀で応戦するが、きりがない。

 いつの間にか足元がぬかるみ始めていた。

「おかしい!」最初に夕姫が気がついた。ゴーグル内に酸素ボンベの使用を知らせる小さなランプが点灯していたのだ。

 外気を有毒だと感知したマスクがろ過からボンベに切り替えたのだ。いつだ?いつからだ?運動量によっては30分持つまい。しかし化けねずみたちの動きに変化は無い。

 でもこのままでは最悪、窒息してしまう。マンホール上からのライトの光ももう見えない。全滅の文字が頭をよぎる。

 その時、星辰の剣で応戦中のバロンがぬかるみに足を滑べらせ転倒する。そのまま輝虎の背後へ倒れ込んだ。意外な方向からの奇襲で輝虎もバランスを崩したところへ化けねずみが殺到する。あっという間に三人とも化けねずみの大群にのみ込まれる。

「イタイ、イタイって!あ、そこんじゃダメ!」スーツのおかげでまだ怪我はしていないが、まるで全身をゴム越しにペンチでつねられているようだ。

 輝虎が転がり回り、引き剥がそうとするが、剥がれたそばから新たに化けねずみが喰い付いてきた。絶対絶命のピンチだった。

 バロンの左手が意図してか、たまたまかポケットに手が伸びた。その間も化けねずみの噛みつき攻撃は続いている。ポケットの中身を掴み出し、無意識に握り締める。

 瞬間、常闇のはずの管渠内に閃光が走り抜ける。衝撃波と轟音に三人の意識が一瞬とんだ。


 タンクローリーの事故は消防やレスキュー隊により、運転手の救出と、ガソリンの流出を止め、すでに流れ出てしまったものの吸着と中和を行っているようだったが、犬神には相当な量が雨水溝に入ってしまうのが見えた。

 足下数メートルでは化けねずみの大群と、流入したガソリンに苦しめられているバロン達を思い、現行の人員で救出作戦を立てようかと考えていたところ、破裂音とともに周囲の固定しているはずのマンホールの蓋が一斉に飛び上がった。

 管渠でガソリンが爆発したのだ。たまらず犬神は無線機に叫んだ。

「夕姫!大丈夫か?」返信はなかった。


 バロンたち三人と意識の無い弥桜はスーツの性能で爆発の中、無事であった。

 化けねずみに押し倒されていた事も幸いであった。爆風は彼らの上を進み、張り付いていた化けねずみがクッションとなっていた。

 あれほどのしかかっていた化けねずみも今は引き剥がされていた。多少の打ち身はあるようだが、なんとか立てそうだ。

 ゴーグルのススを拭い、二人を助け起こした輝虎は周囲を見て唖然とした。爆発で生き残った化けねずみたちに火が付き、文字通りねずみ花火のように管渠内を駆け回っていたのだ。

 こんな時じゃなかったらキレイだと思ったかもしれない。一瞬で輝虎は悟った。バロンの力、お伽草子とぎぞうしだ。そうでなければこんな馬鹿げた光景が現れる訳がない。

 そもそも何故爆発したのだろう?どこまでが偶然で、どこからがお伽草子の影響なのだろう。まさかとは思うがこの事件そのものが︰

「考えていてもしょうがないわ。脱出が優先よ」同じことに思い当たったらしい夕姫に急かされる。

「このままだと酸素がなくなる。私について来て」夕姫がねずみ花火を避け、歩き出す。弥桜の保護繭を担ぎ直した輝虎とバロンも後に続く。


 17


 爆発の衝撃で気を失っていた鉄鼠は目を覚まし、しばし呆然とした。子ども達の多くが爆発で吹き飛ばされ、動いているもの大半も身体に火が付き、生きたまま焼かれのたうち回っている。

 なんとか動けるものは自分を含めて数匹だ。ここに来てようやく鉄鼠は理解した。これはあいつの仕業だ。大男の後ろにいた、メインディッシュのメスをさらっていったオスのせいだ。

 あいつがなにかしたに違いない。八つ裂きにしても許せん。こうなったらあいつだけでも喰い殺してくれる。

 わずかに残った子等に人間達を探すよう命じた。化けねずみ達は体を引きずって崩壊した帝国に散開していった。


 爆発発生後、地上では大騒ぎであった。これ以上雨水溝へのガソリンの流入を防ぐべく、土嚢どのうが積み上がられローリー車を中心に堤が設けられた。クレーン車が急遽きゅうきょ呼び出されたらしく先程から車体を起こそうとしている。

 犬神達は少し離れた場所で工事関係者を裝い、手を出しかねて眺めていた。

 そこへしばらく反応が無かった犬神の無線に通信が入った。夕姫からだ。全員無事らしい。

 前回の連絡以降、色々有ったらしく、疲労を隠しきれない声で手短に要望される。

 最初に考えていた突入ルートのもう片方から脱出するので準備して欲しいそうだ。一部の人間を残し現場に走る。


 夕姫を先導に三人は化けねずみの巣に戻って来た。

 今も玉座の上ではブタのように肥大したメスねずみが出産、授乳を繰り返していた。

 ここには歩けなくなったメス四匹とまだ赤ん坊のねずみしかいなかったので脅威は無い。時々玉座から赤ん坊ねずみが溢れて落ちてくる。これも潰していったほうがいいのか、という考えも脳裏をよぎったが無視する事にした。

「あのゲートを開けるようにするわよ」夕姫が作戦を伝える。

 閘門こうもんのレールに様々なものが突っ込まれ、開けられなくなっている。バロンが携帯作業灯を出し、輝虎と夕姫がレールから障害物を引き剥がしていく。夕姫が手を止めずに犬神と通信する。

「ええ、合図したらゲート開いて」ここからなら水平移動で脱出出来る。なんとかレールから障害物を取り除き、

「オッケーです。開けて!」夕姫が無線に叫ぶ。

 重そうな音とともに閘門が上がり始める。しかしエレベーターのドアの様にさっとは開かない。毎秒1センチメートルといったところだろう。

「早く、早く!」バロンが閘門を急かす。


 ついに発見の報告が有った。鉄鼠は怒りで、もう人間の喉笛のどぶえに喰い付くことしか考えられなかった。子ども達は殺されまくり、何よりワシの片眼を奪った。奴らはよりによってワシの玉座の間から逃げようとしている。許さん。絶対に喰い殺す。


 閘門が30センチメートルほど上がった。えば通れるかという幅だ。

 弥桜の保護繭だけでも通したものかと考えていたところ、管渠の奥よりすでに馴染みになった瘴気のような禍々しい気配が迫ってきた。

 閘門の向こう側から強烈な光が照らされ、鬼気迫る鉄鼠の巨体が浮かび上がる。バロンに弥桜の保護繭を預けて輝虎が戟を構える。しかし、

「私に任せて。バロンと弥桜をお願い」すでに短弓を取り出した夕姫が輝虎を留める。

 もう閘門は輝虎でも屈めば通られる。だが、あの鉄鼠には背中を見せられない。

 夕姫は御守り代わりに母から持たされた、とっておきの矢を引き出した。銀でメッキされ破魔の文字が刻まれた、文字通りの破魔矢だ。

 それを放つのはあまり使い慣れていない短弓だが、外すとは全く思えない。渾身こんしん一箭いっせんを放つ。


 玉座の間の奥に人間どもが見えた。後ろの鉄が上がっている。詰め物を外したな。するとその奥から強烈な光が発せられ、目がくらむ。

 行かせん!とにかく進んで人間を…

 瞬間、なにか光るモノが見えた気がしたが、そこで鉄鼠は終わりを迎えた。周りにいた鉄鼠の血を継ぐ化けねずみも倒れて崩れ始める。


 18


 ポンプ場へくぐり抜けると犬神達が待っていた。弥桜の保護まゆの頭部を開き、新鮮な空気を呼吸できるようにし、バロンもマスクを取る。

 振り返るとすでに夕姫の背の高さまで閘門が上がっていたが、輝虎が夕姫を待っているようだった。

「終わった」夕姫のその一言がこの事件の一応の終結を表していた。

 もちろん被害者の後始末も考えなくてはならないし、管渠内の清掃と残党がいないかの確認もある。

 もっと緊急なのは弥桜の帰還だろう。犬神の指示で救急車の手配と白桜神社の両親への一報はされていた。

「犬神サン、とにかくスーツの上からホースで水掛けてくれない?泥とねずみとわけわからないニオイで臭くって」

マスクだけ外した夕姫が懇願こんがんする。ここはまだ水路のようだし、きれいな水道水くらいあるだろう。


 ずっと暗闇の中にいて、もう出られないんじゃないかと思っていたが、閉じたまぶた越しでもまぶしい光を浴びて、弥桜は目を覚ました。

 自分はゴムの様な袋に入っており、首だけ出した状態だった。そのまま誰かに抱えられているのが分かった。薄目で見ると全身黒ずくめの男だ。小さい時、こんな事が有った。忍者に助けられた時だ。男がマスクを取ると逆光でよく見えないが、どこかで見た顔のような気がした。

 もしかしたら憧れの存在にまた会えたかと思うと、こんな時なのに胸が高鳴る。

 まだ目が覚めないふりをしていると、憧れの忍者の手から離され、袋ごと吊り上げられたその後、ストレッチャーに乗せられ救急車へ運び込まれた。

 救急車に揺られるうちに眠くなってしまった。


 目が覚めると今度は病院のベッドの上だった。ベッドサイドにうたたねする父親が座っていた。

 自分の姿を見ると清潔な患者服を着ていた。あちこちに打ち身があるようだが手も脚もあるが、指だけは爪の先の欠けが有った。声を掛けづらかったが

「父さん…」そういえば母さんはどうしたのだろう。父、大三たいぞうはビクッと覚醒かくせい

「弥桜!どこも痛くないか?」身を乗り出しオーバーに娘に確認した。

 あまりの勢いに弥桜は引き気味だったが、自分の娘がかどわかされた父親はこうしたものかと思う自分もいた。

 自分でも何故パニックにならないのか不思議だが意外に冷静でいられた。

「大丈夫。私は何ともないから」なんとか父さんを安心させようと無理に見えないよう、笑ってみせた。

 その時、ベッドサイドの小さなテーブルの上に、ハンカチに置かれた糸の切れた御守りの数珠玉じゅずだまに気づいた。

 ハッと思い右手首を見ると、やはりいつもそこにあった御守りがなくなっていた。

 数珠玉をよく見ると、糸が切れただけではなく、欠けやヒビが生じていた。不意に思い当たり

「父さん!母さんはどこ?」嫌な予感がした。大三は少し悲しいそうに立ち上がって、病床を区切るカーテンを開けた。すると隣のベッドに母親が横たわっていた。

 よっぽど自分よりよほど重篤じゅうとくに見える。頬はこけ、髪に白いものが混じり、点滴の管につながれている姿は一気に歳を取ったようだ。病室ということも忘れ思わず

「母さん!」叫んでしまった。雪桜はその声で薄っすらと目を開けた。

「弥桜…」声に力が無い。

「母さん!どうしたの?」聞かずにはいられなかった。答えは解っている。自分の為だ。雪桜は身を起こし

「慣れない祈祷きとうをやってね…こんな有様。命には別状ないそうだから安心しなさい」わずかに微笑んだ。弥桜は自分の為だと確信した。そうでなければここまで母が衰弱すいじゃくする筈が無い。

「落ち着くまで、しばらくはお前も休んで良いから」そう言って雪桜は安心したように眠りについた。大三はカーテンを閉じ

「さあ、お前も休め。父さん、明日も来るからな」そう言い残し父親は帰っていった。

 一人になると今日の出来事を振り返られるようになった。

 学校から帰ってきて境内を掃除していたら猫が倒れてて、近寄ったら猫じゃなくって、気がついたら真っ暗闇で変な生き物たちに囲まれてて。

 アレ、結局何だったんだろう。犬でもないし、猫でもなかったし。その後下着姿になってて、変なのに襲われそうになって、手裏剣で斬りつけたらそこから落っこちて誰かに受け止められた。

 その後の記憶がまた途切れてしまったが、次に気がついたときは黒い袋に入って、抱えられていた。また忍者に助けられたんだ。やっぱり正義の忍者はいるんだ。イヤ、もしかすると忍者は私を…

 そんな事を考えていると瞼が重くなった。


「結局、僕は今回も役立たずだった」バロンがワンタン麺を突きながらボヤく。

 三人と保護者代理は終夜営業のラーメン屋にいた。

 ゴム臭いスーツは着換え、製造元に返却した。今回はあの装備で命拾いした。提供してくれた協力者も貴重なデータが取れたことだろう。

 超大盛りチャーシュー野菜ラーメンを流し込んでいた輝虎が慌てて手を止め、

「そんなこたーない。ちゃんと俺の討ち漏らしを潰してくれたし、爆破の機転、あれが無きゃ全滅だったぜ」フォローする。

「でも、全滅しそうになったの、また僕が転んだせいだし、爆発だって偶然だよ。無事だったのも奇跡みたいなもんだし」まだクヨクヨしている。

「結果オーライよ。吉野さんも無事救出できたし、おまけに化けねずみもほぼ一掃できた。これ以上何が不満なの」大盛りチャーシューメンと大盛りチャーハンを食べていた夕姫が太鼓判を押す。

「そうだな。そうじゃなきゃ、今頃こんなところに来れないしな」野菜炒め定食を注文した犬神がため息混じりに肯定する。

 応援隊と後片付けをするつもりだったが、未成年三人を送っていくことを強く勧められこうしている。

 このままだと二徹になりそうだ。気が緩んだせいかまぶたが重い。野菜炒めを枕にしてしまいそうだ。

「バロンは気にし過ぎ。別に力仕事なんて求めてないから。星辰の剣が言う事聞くだけでも奇跡なんだから」確かにバロンの機嫌を直したいが、実際に星辰せいしんの剣を使いこなせるのは里にもいないらしい。

 そうでなければほこりを被っていなかっただろう。その名の通り星辰の力を呼び寄せ振るうのだが、星のように強く輝いても遠い、といった扱える者はわずかな上、必ずしもその力を示さない不安定な法具であった。

 それをバロンはいとも簡単に発動させて見せ、今まで不発が無かった。特に黒いヤマガミ撃退のように不死の怪には非常に有効だ。

 もし力任せに討伐に及べば、輝虎と夕姫が朝までやり合わなければ決着がつかなかっただろう。元カミサマとそんな事をすればこっちも無事でない。

「分かった。でも二人の足をこれ以上引っ張らないように精進する。ところで吉野さん大丈夫かな?」やっと気持ちを切り替え、次の問題を切り出す。

「明日、病院にお見舞いに行ってみるわ。お母様とゆっくり話したい事もあるし」雪桜が倒れた事を夕姫は知らない。気が付くと定食を食べ終わった犬神は頬杖をついてうつらうつらしていた。

「じゃあ、俺達は後始末の手伝いだな」輝虎がスープを飲み干すと明日の予定を伝える。

「ところで応援ってどうなったんだ?」


 ポンプ場や進入に使ったマンホールを一望出来る、商社のビルの屋上で二人の男が現場を見下ろしていた。一人も長身であったが、もう一人は山の様な大男であった。

「見事だったね。バロンくんのチームは」マンホールの周囲は撤収が済み、後はポンプ場とタンクローリーの事故処理の関係者が残るのみであった。

「ハラハラしたけどな」大男はつっけんどんに答える。

「危なくなったら手を出すつもりだったけど、予想の遥か上を行ったね、彼は」とても楽しそうに言った。

「俺は、愚弟ぐていが夕姫さんに迷惑掛けてないかの方が問題だった」足元に転がった監視カメラの残骸を踏みにじりった。

「良いじゃないか。どうせ未来の嫁さんだろ。迷惑掛け合えば。みっちゃん」そう言って面白がる。

「みっちゃんって呼ぶな、大津。まだ決まったわけじゃねえ。まだ上に二人いるんだ、ウチは。この件は非常にデリケートな問題なんだよ」笹伏虎光ささふせとらみつは苦虫を噛み潰したように言う。

 跡取りにならない弟達は養子に行くのがならいだ。凰家おおとりけほどの好物件は取り合いになる。その上、夕姫のあの若さであの美貌びぼうなら血を見そうだ。

 輝虎はかわいいが、長兄として、また家の為、公平に扱わなければ。

「そうか。みっ、大和やまとからデリケートって言葉を聞くことになるとは。でも、僕はあの二人、とってもお似合いだと思うんだけれどな」大和は虎光の役名だ。人の家だと思って好きなことを言う。

「ところでバロン君は誰かに、だいぶ恨みを買ってるようだね」この屋上に来るまで数機の隠しカメラを破壊した。

 化けねずみ退治をショーのように観ようとしていた者がいたようだ。イヤ、暗黒のコロシアムでバロン達が化けねずみ喰い殺されるのを悪趣味にも観戦しようとしていたのか。

「ウチの身内に手を出すと、どうなるか学習する機会を与えてやるか。もっとも活かす機会は無いけどな」物騒なことを言う。マッチョが言うと冗談に聞こえない。

「いずれにしろ、こんな素敵なパーティに僕のバロン君を招待してくれた、奇特な方を探してご挨拶申し上げなくては」虎光は幼なじみがこういう言い方をするときは、相当に怒っているのを知っている。かえって自分は冷静になる。

猟犬りょうけんに探らせよう。連チャンは気の毒だが。お礼するなら早いほうが良い」名前に負けない凶悪な笑みを浮かべる。


 港を望む最上階スィートでは今回の黒幕がグラスを片手にモニターの砂嵐を眺めていた。

「思ったよりやるではないか。カメラにも気が付かれたようだしの」あまり悔しく無さそうに感想を言う。

「申し訳ございません」後ろに立つアルが謝罪する。

「次は必ず!イエ、お許し頂ければ今から直接…」エルが申し出ようとするが

「よい、あ奴を苦しめるのも復讐の一部。簡単に死んでもらっては愉しみが半減する。次はもう準備しているのだろう?」まるでテレビの放送番組を聞くように尋ねる。

「はい。次は闘牛をご覧いただきます」アルが答える。

「そうか。次のショーも期待しているぞ」


 19


 アパートに帰った三人と犬神は何事もなかったように寝そべる黒猫に出迎えられた。

「お前大丈夫だったの?」バロンが尋ねるが、他人事のようにソッポを向いていた。あの管渠かんきょの黒猫はまぼろしだったのだろうか。

 しかし、すでに四人の眠気はピークに達していた。犬神は男部屋のソファーにうつ伏せに倒れ込んで動かなくなった。

 後の三人は体についた汗やら臭いが我慢できず、最後の気力を振り絞ってシャワーを浴びてから寝た。うっかり湯船に浸かるとそのまま寝てしまいそうなのでやめた。管渠から生き残って帰ったのにアパートで溺れるのは洒落にならない。それでも輝虎は何度かシャワー中に意識が飛んだ。

 翌朝といっても日がずいぶん高く昇っていたが、コンビニで朝食を買って帰ってきた犬神と、真新しい冷蔵庫を漁っていた三人は食事しながら反省会兼、情報の交換を行なった。

 黒猫は缶詰をもらっていた。

「吉野さんを連れ去ったルートがわかった。管渠図に乗っていない、古い排水路と繋がっていた。そこから引き込んだらしい。そこを含め、管渠内を全てさらったが、生きている化けねずみはいなかった」犬神が化けねずみ掃討の報告を伝える。

「里の読み通り、鉄鼠は人為的に作られた怪だったらしい。背中に呪符が縫い付けられていた。ドブネズミの持つ人間への恨みと歪んだ欲望を糧に際限なく大きくなり、子どもを増やしていくらしい。食べれば食べる程大きく強くなるバケモンだ。この程度の被害で済んだのは不幸中の幸いだったかもな。残党もいなかったそうだ」一旦は安心して良さそうだ。

「失踪者だが、管渠内で見つかった物の中に人骨やら衣服などの遺留品が見つかった。今、警察に引き渡して鑑定してもらっている」結局、失踪者は個別の事故として処理する方針で警察と話しがついた。

 警察にも里の出身者がおり、このような時のため、パイプが設けられている。

 遺族には遺留品とともに方針にのっとった、説明がなされるだろう。娘さんはねずみにかじられましたとは言っても信じてもらえまい。

 問題は弥桜の方だ。色々見てしまったし、どういう辻褄合つじつまあわせをするか。しかしこのようなケースでも里は用意周到で、ポンプ場に潜んでいた食人鬼カニバリストに拐われ、あわやのところ警察が突入し、容疑者を射殺したというストーリーで本人には説明することになった。

「吉野さん、大丈夫だったかな。ねえ、僕もお見舞いに行っちゃダメかな?」バロンが心配でたまらないとお願いする。

「あー、その件なんだが実は吉野さんの母親も入院しててね」犬神は言いづらそうに頭をかく。

「え?」三人にとっては寝耳に水だ。

「弥桜君の無事を祈祷して倒れたそうだ。白桜神社に電話したら宮司の父親が出て事情を聞いた」犬神は朝早くから動いていたようだ。

「どうしよう。花束は二つ用意したほうがいいかな」バロンが見当違いなことを言う。

「じゃあ、お見舞いは無理か」夕姫は諦めようとするが

「伝言では母親は来てほしいそうなんだ」

「大丈夫なの?でも娘の身に起きた事は気になるか」夕姫は思案顔になる。

「決めた。バロンと一緒にお見舞いに行くわ。テルは犬神サンの手伝いね」夕姫は輝虎のスケジュールも決めた。


 弥桜達が入院している病院へバロンとともに訪れた夕姫はロビーで思いがけず、車椅子の雪桜にであった。夕姫達は知らなかったが昨晩より大分血色も良くなり、点滴スタンドを見なければ元気そうに見えた。

「こんな格好でごめんなさい。まだこれ外せないの」点滴の袋を指す。

「娘の件でお礼も言いたいし、ゆっくりお話もしたくてご足労願ったの」フワッと笑った顔はやはり弥桜の母親だと思えた。

「はじめまして。富士林楓太郎ふじばやしふうたろうと申します。今回の件に関わった者です。」バロンが挨拶する。

「富士林…もしかして富士林楓ふじばやしかえでさんの関係者?」

「はい。息子です。ご存知ですか?」

「ええ、女性ながら困ってる人がいれば紛争地域まで乗り込む、ボランティアの鑑って言われてる人よね。雑誌で見たわ」バロンの母親を褒める。

「そんな大層なものではないです。ただ正義感のカタマリなだけで」バロンが否定する。バロンの母親、楓はボランティア団体の責任者を務めており、バロンも幼少の頃は母親に付いて世界を飛び回っていた。富士林は母親の姓だ。

 外で話したいと願われ、夕姫が車椅子を押す。雪桜は、花束を抱えて横を歩くバロンの顔を見つめ

「あら、よく見ればずいぶん珍しい相ね。ウチの娘も結構珍しいけど、貴方に比べれば平凡だわ。貴方、これからも波乱万丈はらんばんじょうの一生を送るわよ。もっとよく視てあげたいけどこんな状態なのでね」残念そうに言う。

「わかりました。早く良くなって僕の運勢視てください」バロンが目を輝かせ、身を乗り出し気味にお願いする。

「あら、やっぱり。すごい力ね」感心したように言う。

「バロン、ちょっと二人で話したいからロビーで待っていて」夕姫が席を外すように促す。気を利かせたバロンはすぐロビーに向かってくれた。こういう素直なところが愛らしいところだ。

「上手くやれず、娘さんを危険な目に合わせ申し訳ありません」早速、単刀直入に謝罪する。

「いいえ、こちらこそあの子を無事助け出してくれてなんとお礼を言っていいか」雪桜は頭下げる。

「概要はダンナから聞いたわ。苦労したようね。昨日のタンクローリーの事故と火災も関係したとか」

「いえ、たまたま色んな偶然が重なっただけです」夕姫は謙遜けんそんするが

「それであの子ね、解決の立役者は。物凄い力が集まっているけど、あの子自身の力じゃないのよね」

 ひと目でバロンについて見通した、この人には隠し事は出来ないと夕姫は話す事にした。

「はい、彼の血筋のため、彼は望むと望まないにかかわらず事件の中心に巻き込まれます。今回の事件も彼の力のせいでは無いと否定は出来ません。娘さんが巻き込まれた方に言いづらいですが」夕姫は目を伏せる。

「気にしないで。アレも娘の体質に関係あったし、これも運命なのかも。この際だから伝えておくわ、あの娘は神をも誘惑する舞を舞える。その為、貴方達があやかしと呼んでるモノにも狙われる。あの娘の血肉を食せば強力な力が得られるの。そのせいで小さい頃から狙われてきたわ」弥桜についての告白であった。

「あの娘も大きくなったし、我々親がいつまでも付いていてあげられればいいけど、どうもそうはならないようだし」なにか思案顔だった。

「虫のいい話だけれど、あの娘のこと友達だと思ってくれるなら、少しでいいから気にかけてくれないかしら」

「ええ、我々は友人だと思っていますし、ハトコとはいえ赤の他人ではありません。私に出来る事でしたら何でも致します。ですが、すでにこちらが巻き込んでしまっているかもしれませんが」

「それも彼の力?彼は何者なの?」ひどく興味を引かれたようだ。

「彼はミュンヒハウゼン男爵の末裔まつえいなのです」

「あのほら吹き男爵の?」

「はい、彼の周囲にいるものは物語の一部になってしまうのです。自分も彼の力の恩恵を受け、超人的な能力を得ています。私は魔弾の射手、千里眼、地獄耳。もう一人が怪力、韋駄天いだてん、超臭覚を与えられています。これは彼の従者としての力です。ですが、当人は自分の力についてまだ知りません」夕姫の告白であった。

「ではウチの娘も物語に取り込まれたの?囚われの姫ってところかしら。そう、そういう事だったのね」雪桜には思うところがあったらしく一人で納得していた。

「今回の件で私はあの娘を守る為、力を使い果たし二度と振るえない状態だったの。ところがさっき富士林君が私の遠見を望んだ途端、力が回復どころかみなぎって溢れそうよ。得心がいったわ」

「そうなのですか。ただし彼の力は諸刃の剣で、悪い方にも作用します。彼が望めば災難も起こります」実際、バロンの前で窃盗した男は逃走しようとして転倒し、お縄になった。

「そう、怖いわね。ところで力も戻ってきたし、せっかくだからあなたの事も視てあげるわ…うーん、周りの男達のせいで苦労するようね。富士林君の力が強過ぎて視えづらいけど彼の力になってあげれば、あなたの望みも叶うようよ」


 ロビーに戻るとバロンが花束を抱え待っていた。その姿がデートの待ち合わせのように見え、笑いを誘う。

「じゃあ、行こうか」雪桜の車椅子を押す夕姫が誘う。


 病室には雪桜と夕姫が先に入った。弥桜は石段で転倒し、雪桜は看病疲れで倒れたという、双方信じてない設定で話しを通す予定だ。

「弥桜さん、大丈夫?」夕姫が加減をうかがう。思ったより元気そうだ。ベッドで退屈しているように見える。

「ヘヘ、ドジっちゃった。今日、診察を受けて、問題無かったら退院出来るって」それでもニコニコとしている。昨日怖い目にあったのに微塵みじんも感じない。

「吉野さん。これお見舞い」バロンが奮発ふんぱつした見事な花束を差し出す。

「ありがとう。バロンくん」受け取った弥桜は香りを嗅ぐ。そしてバロンの方を仰ぎ見て固まった。興奮で手が震える。昨日の夜に見た、自分を助け出してくれた男のシルエットにそっくりだった。掛けても良い、あの忍者だ。

「吉野さん、本当に大丈夫?顔が真っ赤だよ」バロンが心配して声をかける。弥桜は挙動不審きょどうふしんになったことを恥じつつも、バロンが忍者である事を確信した。

「じゃあ、あんまり長居すると悪いから僕はこの辺で…」弥桜の様子がおかしくなったので、バロンが退去を告げようとすると

「待って!」弥桜がバロンの手を掴んだ。

「えっと、まだ来たばかりじゃない。た、退屈だからもう少しいない?」しどろもどろになりながらも押し留める。

 その様子を母親とハトコが見ていた。もしかしてこれはアレじゃないか。そう、甘酸っぱいアレ。

 夕姫は自分のそういうことには疎いが、人の恋愛沙汰には人一倍興味があった。これは輝虎にも教えなければ。

 一方、母親の方はというと複雑な心境だった。バロンは好青年だが彼の周囲はトラブルだらけだし、娘には平穏無事に人生を送って欲しい。そう思う反面、娘の体質問題を解決するには彼に関わらずにはおれないと、例の勘が告げている。しかし、それとは別に頭のどこかで弥桜は面食いなんだ、と思う自分がいた。娘を溺愛できあいしているダンナには恋する乙女の顔をしている弥桜を見せられないなとも思った。

 二人共言葉を探しているのか押し黙ってしまったので、夕姫が助け舟を出す。

「弥桜ちゃん。今日帰られるならその花束、生けない方がいいかな」

「えっ、そ、そうね。せっかくだし持って帰りたいな」慌てて返事をする。やっぱり怪しい。いくら花束を貰ったとしてもこの反応はちょっと急過ぎる。まともに会ったのは二度目だし、これはもしかするとバレたか。今日は早々に撤退し、後日探りを入れてみるか。ナースステーションでバケツをお借りして水を入れ、可愛そうだが花束を挿した。帰るときまでこうしておけば長持ちするだろう。

「それではおば様、これで失礼します。お大事に」名残惜しそうなバロンの袖を引っ張って病室を出る。

 バロンの件は口外しないよう、雪桜と約束してある。そちらの線からは弥桜に伝わらないだろう。


 バロンがアパートの男部屋に帰ると、今度は玄関まで黒猫がお出迎えした。元野良猫とは思えない。バロンは黒猫を抱え上げ、何かを思案する。そこへ着替えてきた夕姫が入ってきた。

「この子の名前、ペンタってどうかな?」バロンが夕姫に尋ねる。

「その子、女の子よ」夕姫が本気?とばかりに聞き返す。

「テトラの次ってことで」バロンはいたずらっぽく笑った。

「テルの弟分?良いわね。アイツもドラ猫だし」夕姫も釣られるように笑う。黒猫の名前はペンタで決まりそうだ。

 しかしコイツの素性を夕姫は疑っていた。あの不自然な管渠での出合い、さらに爆発からどう逃げ出したのか、いっそ、黒猫が二匹いると言われた方がまだ納得出来る。

 しかし、額のキズは管渠で見たものと寸分違わず一緒だ。夕姫の千里眼を使わなくてもわかる。

 この猫といい、弥桜の疑念ぎねんといい、頭の痛い問題ばかりだ。こっちの気も知らず、抱えられているペンタはバロンの頬を舐めた。

「バロン、私買い物に出るから」決めた。今晩はヤケ食いする。夕姫はスーパーに買い出しに行くため玄関を出た。すると廊下に戻ってきた輝虎の姿を認める。

「夕飯の材料を買いに行くから付き合って」八つ当たりと思いつつ輝虎の腹をどつく。

「わ、わかった」犬神の手伝いを終え、やっと帰ってこれたところだったが、夕姫の機嫌が良く無さそうだったので輝虎は素直に従った。


 最初、夕姫はすき焼を思い浮かべたが、鍋がない事や自分と輝虎で囲むと、焼くスピードより食べる方が早くなりそうなので肉じゃがにした。

 別に輝虎の好物だったからじゃない。調理の効率を考えた結果だ。

 じゃがいもダンボール一箱、肉をキロ単位、シラタキをあるだけ、野菜や調味料を購入した。サイフと荷物は輝虎持ちだ。

 アパートで自炊する時は夕姫が料理する代わりに輝虎とバロンが交代で食材代を負担する事が多い。三人共お務めの手当てが出ているので普通に暮らせば困る事は無い。貯金が出来る程だ。ただ気前がいいのか輝虎がサイフを開くことが多い。まあ、二人の前でカッコつけたいのもあるらしい。

「今回はどこからどこまでバロンの影響が有ったと思う?」夕姫は帰り道ダンボールを抱え、買い物袋を両腕から下げた輝虎に自分のモヤモヤをぶつける。

「タンクローリー車が出てきたのは偶然じゃ無さそうだよな。もしかしたら吉野さんが拐われたところからかも知れないし、あるいは最初から…」輝虎が言い淀む。その最初からが、どこからなのかあまり考えないようにしていた。バロンとの出会い自体がお伽草子とぎぞうしの影響で引き起こされたものでは無いとハッキリ否定できないからだ。

 里や自分たちがバロンを引き込んだつもりが、逆にバロンに巻き込まれたのではないかと思うことが最近ある。

「少なくとも地下で起こった事はバロンの影響を受けての事ってわけね」夕姫も輝虎とおおよそ認識は同じと感じた。

「あの鉄鼠って呼んでた化けねずみは人の手で作られたって言うし、まさかそこまでバロンの影響なんてこと…」考えて恐ろしくなったが、あんな迷惑な行為、誰がなんの為にと思うと、もしやここまで影響がと思わないでもない。

話を変えもう一つの懸念事項を切り出す。

「吉野さん、どうも脱出したときバロンの顔を見てしまったようなのよね。いくらバロンがいい男だったとしても病室のあれは無い」夕姫は輝虎に病室での一件を話した。

「まあ、折を見て話したらどうだ。母親にはバレちゃってんだし」輝虎は他人事みたいに軽く言う。それが出来たら苦労しない。

「忘れたの?吉野弥桜の身辺調査も指令のうちよ」そう、その任務に悪影響を与えそうな事は避けたい。自然な弥桜を調査できなくなるし、親しくなり過ぎると客観的な視点が保たれるか自分でも自信が無い。ただでさえ、ハトコだということが分かり、親近感をもってしまっている。かなう事ならハトコの普通の恋愛であれば手助けしたいところだ。かと言って勘違いからバロンの周りを嗅ぎ回られるのも困る。この件は輝虎が頼りにならないのはわかった。とにかく同級生である夕姫自身が弥桜の動向を見守るしかなさそうだ。

 そんな事を考えていると視界の端に黒猫が見えた。ギョッとしてそちらを見ると猫のクセに気まずそうに目をそらす。しかし夕姫の目はハッキリと猫の額にあるキズを捉えた。先程バロンがペンタと名付けた黒猫に間違いない。

「ペンタ。ペンタでしょ?」バロンが外に出したとは思えないが別猫とは思えない。呼び掛けると走って逃げ去ってしまった。

「ペンタってあの黒猫のことか?」バロンにテトラと呼ばれる男の疑問だった。

「さっきバロンが命名したの。5人目の兄弟よ。有り難く思いなさい」理不尽な事を言う夕姫だった。

「俺は認めないぞ」飼い主でもないのに無駄な抵抗を試みる輝虎だった。黒猫は見失った。気になるが猫一匹追いかける程ヒマでもない。アパートに戻ればわかることだ。

 夕姫と輝虎がアパートが見えるところまで戻ると、自分達の住む最上階の廊下に黒いワンピースの女の子が見えた。

 たしかあのフロアには子どもはなどと夕姫が考えていると、男子に割り当てられている部屋の前に立ちドアを開けて入っていった。

 あまりの事に夕姫は目をこすって、端から自分達の部屋のドアの順番を確認したが、何度数えても結果は同じだった。背筋がゾッとした。

「どうしたんだ?青い顔してるぞ」輝虎は気づかなかったようだ。夕姫はバロンが心配になり

「先行くわ!」言い終わる前に走り出す。今の輝虎には及ばないが夕姫も常人よりは相当早く動ける。階段を駆け上がっていきながら、あの少女が普通の人間ではないと確信し始める。女の勘だがあの少女がまといった雰囲気は怪に近い。

 部屋の前にたどり着き、ドアノブに手を掛けると開かない。出た時と同様にカギが掛かっている。

「どうしたんだ?」気が付くと輝虎が追いついていた。夕姫の行動に異常を感じたので慌てて後を追ったのだ。

「カギがかかってる…」夕姫はいぶかしんだがポケットからカギを出し、そっとカギを回す。意を決してドアを開ける。

「…ウン、色々あわただしいけど元気にやってるよ。周りの人達も良くしてくれるから、僕の事は心配しないで…ところで父さんはまだ…モナコ?そんなところでいったい何してるの?爺ちゃんも心配してたよ。一度帰ってこないかって…。えっ、連絡はつかない?なんでモナコにいるって…入金があった…」バロンが電話をしていた。部屋には異常が無い。部屋を出た時と変わらない。黒猫を含め、何も変わっていない。夕姫はソファーの上の黒猫を見るが丸くなって顔を見せない。

「ウン、今はそんなに遠くじゃないから、そのうちそっちや爺ちゃんのところにも顔出すよ…、ウン、母さんこそ身体に気をつけて、じゃあ」バロンが母親との電話を切る。

「お帰り。…みっともないところ見られちゃった」バロンは少し恥ずかしそうに言った。

「ねえ!何もなかった?」夕姫は勢い込んでたずねた。バロンは驚いて

「な、何も無かったよ。誰も来なかったし」夕姫の剣幕にタジタジになるバロンだったが、ウソはついてないようだ。少なくともバロン本人は異常を感知していない。

 そうすると…まさかと思いながら夕姫の視線はソファーの上に移る。黒猫は視線に反応するように身じろぎする。

「…ネコマタ…」夕姫がカマをかけてボソッとつぶやくと黒猫が小さくビクリとする。じゃああの女の子はこいつか?犬神じゃないが行灯あんどんの油をペロペロするアレか?こんな身近にあやかしがいるとは。夕姫は頭が痛くなりそうだったが状況を整理してみる。

 こいつは化けねずみから助けられて、もしかしたら恩義を感じている。われわれも管渠の中でこいつに助けられるところだった。化けねずみの邪魔が入らなければそうなってただろう。特に悪さをしていないし、われわれが怪を狩っているのもおそらく理解している上でここにいると思いたい。

 無害!悩んだ末に夕姫は決めた。こんな小さな黒猫一匹、退治するのも気が引けるし、バロンも可哀想だ。夕姫は無害認定する事にした。

「アンタ、悪さするなよ」夕姫が持ち上げて顔を見ながら言う。黒猫は目を反らした。何も気がついてない輝虎が

「悪さしたらその怖いおネーサンが喰っちまうからな」


















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