第32話 旧友

僕は1週間だけ休みを取って、

留学時代の大学に行くことにした。


パスポートを用意して、国際線で約12時間かけてその国に降り立った。


事前に大学には連絡を入れていて、留学時代、ビジネスコースで一緒になった友人のサムに会う事になっていた。


サムは卒業後、この大学で講師として活躍しているとの事だった。


僕は空港からバスに乗り、懐かしい景色を眺めながら、

様々な事を振り返っていた。


自分の障害の事、恋愛の事、ミーの事、仕事の事……考えていると、

いつの間にか涙が滲んできた。


大学に到着すると、エントランスには昔と変わらず大きなグランドピアノがあった。


懐かしむように僕は、当時この地で作曲した曲を演奏した。


曲が終わるとスマホからSNSにそのままUPした。


スマホで録音、そのままネット上へアップロードし、他者へ共有。


プラスとマイナスはあるけれど便利な世の中になったとつくづく思う。


直ぐにフォロワーからリアクションが返ってきた。


好きな事は仕事に出来なかったとしても趣味でやれれば良い。


好きなものを仕事に出来ないからと言ってそれ自体をやめてしまうのは勿体無い。


とてつもなく苦労したが、

整体は努力して何とかものになった。

好きで得意なものだ。

これが僕にとっては仕事に出来るものだと思う。


残念ながら音楽はそうならなかった。


仕事はお金を頂く以上、そこには責任がある。


だから価値を提供する為に、苦手な事よりも、

少しでも得意な事をやった方が良いだろう。


歌が死ぬほど好きでも歌が苦手で音痴ではさすがにお金は頂けない。


僕は好きで得意な事が出来たら幸せに感じるタイプだ。


仮に嫌いな事で得意な事があったとしても周りから称賛されていくうちにそれが好きと言う感情に変化したりする事もある。

しない人も、もちろんいるけれど……(嫌いなまま、得意な事を平気で出来る人もいる)。


僕はふと、姉の事を思い出した。


彼女は元々絵を描く事があまり好きでは無かったけれど、

いつも美術の成績が5だった。


先生の推薦で出したコンクールでも何度も優勝した。

そこから母や先生、周りの生徒に褒められるうちに絵が好きになって大学に行き、

デザイナーになった。


そうそう、母も絵を描くのが上手だ。

彼女の場合は周りに称賛されても絵を好きになることは一度も無かった。

でも、デザイナーになって充実した幸せな日々を送った。


人間にはあらゆる価値観がある。


ちなみに母が好きなのは歌なのだが、とても音痴だ。


残念ながら仕事にはならない。


この流れからすると僕も絵が……と言いたいところなのだが、

残念ながら僕には遺伝しなかったようだ。


僕の歌は……音痴では……無いとだけ……。


人の数だけ、あらゆる生き方、スタンスがある。


いずれにせよ、得意な事は備わった設計図の1つ。


それを努力で活かすことはとても大切な事だと思う。


とことんチャレンジしてそれが自分に出来ない、

苦手な事だと分かって、それでもそれが好きなら、

仕事に出来なかったとしても趣味でやれば良いんじゃないかなと思う。


もちろん、スパッとやめても良い。


選べば良いだけだ。


嫌いだけど得意な事はやってみて好きになれないか

姉のようにトライしてみれば良い。


嫌いだけど得意な事を平気で出来ちゃうタイプならそれはそれで幸せだ。

僕の母の様に突き進めば良い。


どうしても、どうしても、どうしても出来ないなら違う道をまた探せば良い。


嫌いで苦手な事?


それはしっかり触れて体験したならその後はやらなくて良いと僕は思う。


人生は有限なのだから。


やりたい事がそもそも無い?


それは僕含めて人生の旅を沢山するしか無い。


もっと、もっと、もっと。時間の掛かり具合は人それぞれあるけど、

きっと見つかると信じて。


 ふと時間軸を変えて色々考えてみる。頭の体操だ。


今活躍のユーチューバーも、今活躍のサッカー選手、野球選手も、芸能人も、

もし戦国時代に生まれていたなら、

原始時代に生まれていたのなら今と同じ様に活躍出来ていたのだろうか?


 今の時代の凡人と呼ばれる人がむしろ活躍していたかも知れない。


美人の定義さえも今とは違ったかも知れない(今とは違っていたと聞いたことがある)。


これまた偶然というものだろう。


人々はそれを神秘的に必然と考えたいかも知れないが……。


そんな事を考えていると後ろから拍手が聞こえてきた。


パチパチパチ!


後ろを振り返るとそこにはサムがいた。


「ヨウスケ、久しぶり!」


「サム!」


「相変わらず、ピアノ上手だね。遠くからでも君と分かったよ」


「ありがとう。でも最近は弾いていなかったから指がまわらないよ」


「そんな感じはしなかったけど!」


そんな会話をしながら、僕はサムの仕事部屋に案内された。


そこには沢山の本が山積みにされて、

机にはたくさんのプリントが散りばめられていたという流れかと思いきや、

とてもシンプルな部屋になっていた。


机と、椅子、パソコン、以上。


「サム、随分物が無いね……」


「そうなんだよ。俺は仕事を始めてから物をあまり置かないようにしているんだよね。

出来る限り、シンプルにしたくて。

いらないものは直ぐに捨てる。

出来る限り、引き算出来る所は引き算してシンプルしていたいんだよ。

だから、服もこの緑のTシャツしか着ないし」


「ミニマリストだね」


「まぁ、そんな感じだね」


「ヨウスケは、日本に戻ってからどう? 楽しんでいる?」


「そうだね……」


「なんだよ。それ。何か微妙な反応だな」


「色々な事があってさ」


「色々な事?」


僕は、強迫性障害の事や、ミーの事など自分に起きた出来事を打ち明けて、

その日は夜中まで2人で語り明かした。


依頼されたグループワークの話をした時だった。


「ヨウスケ、忘れたとは言わせないぜ。

俺が、進学しようかどうか迷っていた時、

後押ししてくれたのはヨウスケ、お前だぞ。


もし、今不安でも、準備が完璧に整う事は無いんだから、

もう前に進めって言ってくれたのはお前だ。


その言葉があって、俺は今ここまで来ることが出来たんだ。


お前には何か人を勇気づけることが出来る何かがあると俺は思うよ。


ヨウスケ自身が留学中にみんなをまとめて

コンサートを開催したりした力強さだって、

今もきっとお前の中に残っているんだ。


自信を持て。大丈夫。


そして、せっかく久しぶりにこの国に来たのだから、

ゆっくり色々考えてみたら良いさ。

何を話せば良いのか。まとめれば良いさ」


その言葉を受けて、僕は、自分への問いを始めた。

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