第51話
「ダメです。」
第一声はそれだった。
「いや、そうは言うがなマリウス。冒険者というのは実に興味深い活動で、経験できることも多く…」
「いいえ、ダメです。経験できることも多いけど、危険も多いのでしょう?それに、学校はどうするの。王立学園の入学式まであと2ヵ月ですよ?」
キッパリと拒絶するその女性。青を基調としたくびれの強調されたドレスを身に纏い、指に小ぶりな宝石をあしらった指輪をつけ、もとの顔の輪郭さえ分からなくなるほど白く白粉を塗りたくり、頬には薄く紅を置き、目元には青いアイシャドウを上品に引いている…といった風に全身を豪奢に飾り立て、いかにも高貴ですという出で立ちだ。
身動きをする度に、柑橘系の香りが鼻を撲つ。薄めれば良い匂いになりそうだ。
この女性の名は、マリウス・ランミョーン。メイビスの母親である。
「王立学園は、1年時は自由登校だ。それに必須単位も無い。入学式も自由参加だから、無視してしまっても構わないよ。」
「あら、2年からは授業に出ないと単位が取れませんし、1年時も自由登校だからと言って登校しなくてもいいというわけでもありませんわ。そもそも、1年時は社交界の基礎を作るうえでとても重要な時期なのですよ。」
「うぬぅ…しかしだな…」
コーヴァスはやや押され気味に唸る。メイビスは少し心配になってきていた。
「お母さま」
「なぁに?私の可愛いメイビス。ゴメンねお父様が変なことを言い出しちゃってぇ。大丈夫よ。あなたはちゃんと学校に行かせてあげますからね。」
コーヴァスに冷たく言い放つ姿から一変、先程よりきもち高い声でメイビスに話しかける。素晴らしい変わり身である。
「お母さま。僕は世界を見てみたいのです。自分の目で、この広い世界を見て確かめたいのです。」
上目遣いで懇願する。今まで様々な我儘をこれで押し通してきた。今回もきっと行けるだろう。
「ダメよ。」
が、思惑は外れ、あっさりと却下される。
「ねぇメイビス。よぉく考えて?あなたはなんだってできるのよ。冒険者なんて危険な職業になんかならなくたって、十分な富と名声が手に入るのよ。あなたの“ギフト”は強力だわ。その力があれば魔導学院でも主席になれるはずよ。主席になれば将来は約束されたようなものだわ!宮廷魔導士になれば安定した俸禄が得られるし、魔導部隊に志願すれば部隊長は確実。あなたほどの力があれば、筆頭魔導士も魔導部隊長の座も簡単に手に入るはずよ。文官、武官どちらの未来も約束されているの。でもそのためには他家との関わりは欠かせないわ。盤石な派閥の形成には盤石な人間関係が必要不可欠なの。」
怒涛の勢いで捲し立てられるメイビスの未来予想図。あまりの勢いに、メイビスは思わず気圧されてしまっていた。
「だから、それはあくまでお前の考えだろう、マリウス。重要なのは、メイビスがどう考えているかだ。」
「いいえ、メイビスの未来を考えてこそです。いいメイビス。あなたはわたしの言うとおりに進んで行けば、何も問題は無いのよ。」
断固たる声で言い放つ。
「しかしお母さま、私は…」
「いいえ、ダメ、ダメよメイビス。一時の気の迷いに流されちゃ。貴方の栄光は約束されたようなもの…でも寄り道をしてしまえばそれだけ栄光は遠ざかってしまうのよ。」
メイビスが何かを言い切る前に、言葉を重ねる。有無を言わせぬ圧力で意見を潰しに来ていた。
「マリウス…。栄光と言うが、それは本当にメイビスが望むモノなのか?お前の夢を、子供に押し付けているんじゃないのか?」
「そんなこと…っ!私はただ、メイビスのことを思って言っているのよ!アナタが口を出す問題じゃありません!」
「そのメイビスがどう思っているかを考えてないと言っているんだ!家庭教師のことだってそうだ。幼い頃からずっと勉強漬けで可哀想だと思わなかったのか?3歳からだぞ!甘えたい、遊びたい盛りじゃないか!それなのに机に縛り付けて…」
「縛ってなんかいなかったでしょう!」
「比喩だ!」
段々熱が入り、言葉が荒くなる両者。その間でメイビスはただオロオロと戸惑うことしかできなかった。
母が言うことも理解は出来た。確かに、母の言うとおりに唯々諾々と進んで行けば社会的な栄光を掴むことは出来るはずだ。その能力があるという自負もある。幼い頃から努力を続けて、同年代では抜きん出ている自負があった。父は可哀想だと言うが、物心つく頃からなので苦ではなかった。というか、普通を知らなかったのか。
まあ、母の言う栄光の道のその通りに全てが進むわけではないだろうが、それに近しい結果にはなるはずだ。
それは、母の言いなりで自分の意思など無い。が、今まではそれでも良かった。
だが、あの3人と1匹と出会って、少し欲が出た。
もっと、世界を見てみたい。もちろん、世界の情勢は科目の一つなので頭に叩き込んではいる。他国の言語も主要なものは習得済みだ。でも、それは机の上でのみの知識でしかない。それに、この場合の“世界”はもっと抽象的な、世間の方が近い。
それは、母の言いなりでは、絶対に達成できない欲だ。
「大体、アナタは野望ってものが薄すぎるのよ!出世もしようとしないで領地の経営ばかり!」
「それは大事な務めだろうが!貴族が自分の民の安寧を考えて何が悪い!だいたい、お前は事あるごとに出世、栄光だ。出世の何が楽しい?栄光に何の意味がある?自分の手で街を育てることの方がよっぽど有意義だ!」
「だからアナタは向上心が無いって言うのよ!アナタはただ自分の楽しいことをしたいだけ。そんなのは、ただの木偶と変わらないわ!」
メイビスがオロオロとしながらも考えている内に、両親は罵り合いを始めてしまったようだ。
父と母。どうやらこの両者は相反する性質を持って生まれたらしい。日頃からお互いに対する不満を抱えて過ごしてきたようで、溜まりに溜まったものが此処にきて爆発したようだった。平生、一見仲の良い夫婦の様であったが、表面上だけだったのだろうか。
「アナタは、自分の無能を知るのが怖いだけなんだわ!出世争いに興味が無いなんて振りも、負けるのが怖くて何もできないことの裏返しよ!」
「なんだと!そう言うお前も、自分に自信が無いだけじゃないのか!出世することでしか、自分の価値が見いだせない、さもしい人間なんだ!」
むしろ、良くここまで夫婦としてやっていけたものだ。相性が悪すぎるように思う。
(…まさか、僕の得意属性が火と水なのって、この両親の影響なんじゃ…)
そんなわけが無いが、そう考えてしまう程に両者の言い分は真逆の方を向いている。
「お前はいつもいつも―――…!」
「アナタだって―――…!」
「ちょ、ちょっと、父上、お母さま…!」
「「うるさい!」」
…相性は悪いが、息はピッタリなようだ。
段々とヒートアップする二人だが、ここに止められる人間はいない。
時間が経ち、食卓を囲むときでさえ両者睨み合いを継続していた。流石に罵り合うようなことは無かったが、お互いに目を逸らすことなく、結局そのまま夜に。就寝時間になってさえも睨み合いは続き、競うようにして寝室へと入って行った。
そして翌朝。
何故か上機嫌な両親と共に久しぶりに食卓を囲み、メイビスの冒険者活動は1年という期限を設けて許可されることとなった。
何があったのかは知らないが、考えたくはないメイビスであった。
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