第9話 下山と蛇

 夜のように暗い山道を下って行く。

日の光が全くと言っていいほど入ってこないので、山に入ってからどれだけの時間が経過したのか分からない。下っても下っても同じ景色しか見えないため、いま自分がどこに居るのかさえ分かっていない状態だ。


(ったく、こんだけ全速力で山を下っているのに、なんで村に出ないんだ?そこまで高く舞い上げられて無かった筈なんだが…。――――っと、なんか光ってるぞ!やった!村についた!)


 進路からやや左に逸れた木の隙間から、微かに青白い光が漏れ出ていた。

光に誘われるままに、草木をかき分けて進んで行く。光に近づくにつれて植物は密集しており、段々と進みにくくなっていた。だが、そこは素晴らしきゴキボディ。スルスルカサカサと隙間を抜けて、あっというまに光の下へとたどり着いた。


――――が、そこには予想していたような村の風景は無く、代わりに丸く太った月の光を受けて青白く光る小さな湖があるだけだった。

 その様子は非常に幻想的であり、改めてここが異世界だということを感じさせた。


(あぁ…きれいだな。なんか落ち着く…。湖に映った満月がいい感じだな。あっ、月が出てるってことは、もう夜なのか。はやく、村に帰らないとな。)


 あまりに美しい景色に心を奪われて、しばらくの間ただ呆然と湖を見つめていたが、ふと、自分のするべきことを思い出して、再び村を探すために歩き出そうとした。


(まだここに居たいけど、仕方ない…。今度、ソフィと一緒に来よう。)


 直感に任せて、村に帰ろうと適当な方向へと進もうとした時だった。

湖から、大きな水音を立てて巨大な何かが浮かんできた。


(あ、なんだろ、オカルト番組で見たことあるぞこの光景・・・。)

 鎌首をもたげて水面から顔を出すその姿は、いつぞやかなり有名になった、イギリスの湖に住むという未確認生物を連想させた。


 だが、水面から顔を出したのは◯ッシーでもイッ◯ーでもク◯シーでもなく、まだら模様の黒い大蛇だった。

 大蛇のまむしのような模様は、湖の光に照らされてテカテカと光っている。その体の太さは木の幹ほどで、長さは湖の周の半周ほどの長さだった。


(で、でけぇ…!)


 大蛇は、その巨大な体躯を引きずりながら湖の周りをグルグルと回っている。気づけばその周りに、夥しいほどの虫や獣が集ってきていた。おそらく、湖の光に引き寄せられたのだろう。


(な、何なんだ?あ、さっき倒したカマキリもいる。イノシシも…でも、なんでこんなにサイズがでかいんだ?前の世界の3倍ぐらいはあるぞ…異世界すげぇ)


 大蛇は、集ってきた様々な生物を睥睨しながら、湖のまわりをグルグルと周回している。

しばらくグルグルを回っていたが、ふと大蛇は回るのを辞めて、近くにいたかなりの大きさのイノシシを丸呑みにしてしまった。


(な、何なんだ!?おなか減ったのか…?)


 それから、大蛇は集ってきた生物を次々と食べだした。まるで、何日も食べていなかったかのように勢いよく貪っていく。獲物の中には、毒々しい色の蝶などの明らかに蛇の捕食対象外であろう生物まで入っていた。


(やべぇ!このままじゃ俺も食われる!)


そう思うものの、危機感に反して体は硬直して一ミリたりとも動かない。蛇に睨まれた蛙のようとは、まさにこのことだ。蛙ではなくてゴキブリだが。


 蛇がちょうど真横にいたイノシシを丸呑みにした時、恐怖に慣れたのか、はたまた命の危険を感じ取ったのかは知らないが、体の自由を取り戻した。


(しめた!にっげるんだよ~ん!)


 全速力のダッシュで蛇の口から逃れようとする。しかし、大蛇はどうも食い意地が張っているらしく、体長20センチ程度の、大蛇からすればそれこそゴマ粒程度の大きさの虫を追って体を伸ばしてくる。

 迫りくる牙から逃れるために、ただひたすら茂みに向かって走る。茂みの中ならば、蛇も追って来ないだろう。湖のまわりには、まだまだ他にも獲物がいるのだから。

 必死で逃げて逃げて、残りあと数メートルで茂みの中へと逃げられるぐらいまで来たとき、茂みの中から、カマキリが現れた。


(またお前かぁぁぁぁ!?危なっ!)


 最初に見たカマキリよりも二回りほど大きく、さらに、カマも凶悪な形へと変化した、明らかに異常なカマキリが行く手を阻んだ。

 それを横っ飛びに避して茂みの中へ突入しようとする。が、しかし、次はネズミに阻まれて仕方なく茂みの生え際をグルグルと周回していく。

 茂みの中からは、次から次へと様々な種類の生物が抜け出て来る。そのせいで、茂みの中に隠れて逃げることもできずに、蛇に追いかけまわされる羽目になった。ちなみに大蛇は、目の前に来た生物を食べながらローチを追っている。


(くっそ、他にも獲物はいっぱいいるのに、なんで俺のことをこんなに追いかけてくるんだ!?)


 もうすぐ湖のまわりを一周し切るころだが、蛇はなお追いかけるのを止めない。それどころか、じわじわと距離を詰めてきていた。

 前世ではありえない程のスピードを出して逃げているにもかかわらず、蛇を振り切れないでいるのは、蛇の体格のせいもあるだろう。今逃げている位置は、蛇が付けた窪みの数メートル外である。蛇が全力で体を伸ばして口がギリギリ尻尾に届かないぐらいの円周だ。

 湖は、蛇が噛み千切った獲物の血が流れ込み、少し赤くなっていた。


(だぁぁぁ!まだ追いかけて来るのか!?もういいだろ!いい加減しつこいぃ!)


 あまりの執拗さに腹が立って来たので、後のことなど考えもせずに全速力で振り切ることにした。今までは、逃げ続けることを意識して持久走のように体力配分を気にしていたが、今のようにゴールが見えない中では、短距離走のように瞬間的に全力を出して抜け出した方が有効だろう。

 足の回転数を上げてさらに加速しようとしたところ、羽の内に何か硬いを感じ取った。


(なんだ?邪魔くさいな…って、コレは!うまく行ったら、逃げ切れるかも!)


 ゴキボディの脅威の瞬発力を活かし、一瞬でトップスピードに乗り蛇の頭を引き離す。

 残り数メートルにまで縮まっていた差が10メートルほどまで引き延ばされる。その加速した勢いを利用して、思いっきり木に突撃をする。そして、トップスピードを維持したまま木を駆け上り、枝葉を避けながら高くまで登って行き、そこからさらにジャンプする。


 体感で新幹線程度の速さと枝のしなりにより、体はあり得ない程高く飛び上がった。湖のまわりにあった背の高い木を軽々と超えて飛んでいく。


 しかし、その程度で大蛇は諦めてくれない。首を思いっきり伸ばしこちらに噛みつこうと迫ってくる。


 上昇が限界を迎え落下へと変わっていく瞬間に、背中に隠しておいたを6本の脚でしっかりと抱える。その状態のまま、羽で空を叩いて真下へと加速していった。


 真下には、蛇の頭があり、そのある一点を狙って突撃していく。ただ突撃しただけでは大したダメージを与えることは出来ないだろう。太い体は全身隙間なく硬い鱗に覆われており、生半可な攻撃は易々と跳ね返されるだろう。

 …が、しかし、鱗のない部分―――つまり、目や鼻の孔を狙って突撃すれば、ダメージを与えることも可能だろう。


 しかし、弱点にただ突撃するだけでは不十分だ。このゴキボディは起伏の少ない攻撃性の低いフォルムとなっている。そのため、たとえ目に直撃させたとしてもたいしてダメージを与えることは叶わない。だが、それを補うためのモノはすでに持っていた。そう、の正体である、数時間前に交戦したカマキリのカマだ。


 このカマは、硬い木の実を齧ることも出来た顎ですら捕食できないほど硬く、突いただけで木に2センチ程度刺さるほど鋭い。このカマで目をつけば、あわよくば脳にまで達して命を奪えるだろう。そこまで行かなくても、最低でも視界は制限されるはずだ。


(うらぁぁぁぁ!くたばれぇぇぇぇ!)


 全力で下へと加速する。極限の集中状態の為か流れる時間がゆっくりと感じるようになり、しっかり目へ照準を合わせて突撃することが出来た。

 カマは根元まで深々と刺さり、鮮血が夜の空へと飛び散った。確実に失明はしただろう。


 蛇が突撃してきた勢いを利用してさらに空へと飛んでいく。

利用したと言えば聞こえはいいが、要は体当たりで吹き飛ばされただけだ。


(ぐへぇっ!って、高い高い高い高い高いいイイイイィィィ―――…)


 蛇の突撃で天高く打ち上げられた一匹の虫は、必死で羽を動かして村の明かりへ向かっていく。幼い時から染みついた高所への恐怖と戦いながら、豆のように小さく見える家々へと滑空していった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る