第8話 跳んで飛んで翔んで

「ただいま。」

父親は、深刻そうな様子で帰って来た。


「お父さん、どうしたの?魔獣のことで何か分かった?」


「あぁ…。少し…いや、かなりマズい状態だ。王国騎士団に報告が必要かもしれない。」


「それって…」


「あぁ…ここからは、母さんが帰ってきてから話そう。みんなで揃ってからの方がいいからね。」


 どうやら、かなり深刻な事態らしい。先ほどのソフィの話だと、王国騎士団が出動するのは国家の危機だと判断された場合のみらしい。となると、この村には国家滅亡レベルの厄災が降りかかっているということだ。


 10イール程すると、母親が帰って来た。

 因みに、イールとは時間の単位らしい。1イール1分ぐらいの感覚なんだそうだ。3600シム=60イール=1クルトで、一日は26クルトらしい。1か月は29日で、13か月で一年らしい。377日で一年と、元の世界とはかなり暦が違うようだ。


「ただいまー。冒険者ギルドに言ってきたわよ~。なんだか、最近魔獣が増えているそうよ。」


「やっぱり…ね。」


「やっぱり、かなり深刻な状態みたいね。まさか、大発生…」


「そのまさかだよ。山に大きな魔力溜まりがあった。かなり村から近いところだ。僕は、これから王国騎士団へと連絡を入れる。君は、冒険者ギルドに報告してきてくれ。とんぼ返りのようになってしまって申し訳ないが、事態はかなり深刻だ。」


「分かったわ。ソフィはどうする?」


「ソフィは、村の避難所に入ってもらおう。」


「そうね…。ソフィ、村長のお家に行ってくれる?あとは他の村人たちが教えてくれるわ。」


「うん、わかった。――――大丈夫…だよね?」


「あぁ、大丈夫さ!お父さんとお母さんが、頑張って守って村を守って見せるさ!」


「そうよ。ほら、行きなさい。」


「うん…。」


 何が何だか分からないまま、ソフィは家を出て、村長の家へと行ってしまった。

―――俺を置いて。


(あっ!また置いて行かれた!忘れすぎだろ、あの子。―――にしても、スタンピードか。よく、ラノベとかであるよな。モンスターが大量発生しているイメージでいいのか?まぁ、とりあえずは、ソフィのところに行くか。)


 父親と母親が家を出たことを確認してから、家を抜け出す。家は完全に戸締りがされていたが、煙突から抜け出た。

 しかし、煙突から出るところまでは良かったのだが、一つだけ問題点があった。


(ひぃぃっ!!怖いっ!)

高所恐怖症なのだ。


煙突から地面まではおよそ7メートルほどだろう。しかし、高所恐怖症なローチにとって、そこは地獄に等しかった。

 だが、ここでグズグズしていても仕方がない。慎重に、煙突の壁に張り付いて降りて行こうとする。

 煙突の口から、30センチほど下りたところで、いきなりものすごく強い風が吹いてきた。どうやらこの家は山に面しているようで、山から吹き下ろしてくる強い風が度々発生するようだった。

 その、山からの強い風を受けて、憐れなローチは吹き飛ばされてしまった。


 かなりのスピードで地面が迫ってくる。死が迫っていると感じたのか、時間の流れがゆっくりになる。以前感じたことのある感覚だ。前の世界の友人、この世界で生まれた時のこと、この一家のこと、ネズミの血のこと、イノシシの血のことなど、今までの思い出が脳裏をよぎった。


 まだ死にたくない!その一心で、体をばたつかせる。――――すると、体がフワッと浮くような感覚がして、地面が近づいてくる速さが目に見えて遅くなった。なんだろうと、今の自分の状態を把握して、あることを思い出した。

―――そう、ゴキブリには羽があるという事実を。

 というか、今まで忘れていたことに驚いていた。普段は折りたたんだ状態で全く使わないため、今の今まですっかり忘れていたのだった。


(そうじゃん!ゴキブリって、飛べるじゃん!こっちの世界でも同じでよかったぁ!)


 飛べると言っても滑空のような状態で、蝶や蜂のように上昇や旋回は出来ないが、それでも一応飛ぶことは出来るのだ。


(これで安全に着地できる!)

そう思った矢先、再び強い風が吹いて来た。今度は、村の壁に当たってつむじ風のような状態になっており、空高く舞い上げられた。


(ぎゃあぁぁぁァァァァァァ!死ぬぅ!死ぬぅ!)

滑空できると気づいたのだから、そこまであわてる必要はないのだが、高所恐怖症にとって、地上から50メートルほども巻き上げられた状態は恐怖だった。

 恐怖に任せ、体をばたつかせどうにか姿勢を制御しようとする。

しかし、慌てている為うまく体を動かすことが出来ないでいた。そのまま、変な方向へと落ちていく。その方向は、父親がスタンピードの原因だと言っていた、山の中だった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(―――――ぎえぃやぁぁぁぁぁぁっ――――ぐへっ!)

滑空するような余裕もなく、勢いよく木に叩きつけられる。人間なら死ぬようなほどの衝撃だったが、平べったい体がうまく衝撃を逃がした為か、さほどダメージは無い。


(あぁぁ…怖かったぁ…。――――ところで、ここはどこだ?)

落下の恐怖から解放されて、しばらくの間放心状態で居たが、今の自分の状況を確認するためにあたりを見回してみる。

 地面は柔らかい土、木がかなり生えており、手入れがされていないように見える。

(あれっ?ひょっとして、山の中か?急がないと、イノシシに食われちまうぞ。)

 山に入る人はいないようで、道は獣道しかないような有様であった。木は葉を茂らせ、まだ昼だというのに林床は夜のように暗かった。苔が生え過ぎていて、人だと行動にかなりの制限がかかりそうだ。


 直感に従って山を直線的に下っていると、ふと視線を感じた。その方向を見てみると――――そこには巨大なカマキリがいた。

 こちらの倍はある体躯のカマキリは、獲物を狙う構えで山から下りる路を塞いでいる。

(わぁ…俺が20㎝ぐらいだから――40㎝ぐらいか?でけぇ。――えっと、通していただけませんかね?)


   キシャァァァァァ!!


 カマキリに発声器官など無いはずだが、この特大カマキリは叫び声のようなものを上げて、こちらに襲い掛かって来た。

(ですよねえぇぇ!)


 カマキリが振るうカマを必死で避ける。

 カマキリのカマは、獲物をしっかりと捕獲するための物なので、一度捕まってしまえば、食べ終わるまで放すことは無いだろう。なので、カマに捕まるわけにはいかない。


(でも、逆に言えば、物を切断するほどの鋭さはないはずだから、当たっても捕まらなければ問題な―――――危なっ!?)

 後ろに木があり、避けようとする動きが少しだけ阻害される。どうやら、追い詰められていたらしい。

 カマキリは、もう一度カマを振りこちらを捕えようとして来ていた。


(やばいっ、回避っ!)

 勢いよく左へと跳んで、どうにかカマを回避した。

その直後、ザクッっという何かが木に刺さるような音がした。カマキリの方を見てみる。


―――そこには、木にカマの半分ほどをめり込ませたカマキリがいた。


(えっ?なんで木に刺さって…カマキリのカマって鋭さはないはずじゃ…)

 カマキリの体長が40センチほどカマの大きさが体の五分の一程度なので、カマは恐らく8cmほどあるだろう。その半分までを木に突き刺しているのだ。かなりの鋭さと力が無ければ不可能だろう。

 そのカマに捕まってしまえば、結末は見え見えだ。


 カマキリは、再び襲い掛かかろうと、木からカマを抜…―――くことができず、動くことができなかった。

 4センチも刺さっていれば、抜けなくなるのも当然だろう。


(えぇ…間抜けだ。とりあえず、このまま放置してたらまた追いかけられるかもしれないし、止めだけ刺すか。)

 カマが抜けないでジタバタしているカマキリに止めを刺そうと、背後から近づいていく。本当は道具などで止めを刺した方が安全だが、この体ではどうしようもない。なので、唯一武器にもなりそうな顎で、頭を食べることにした。


 カマの可動域はあまり広くはないようで、背中に回り込んでしまえばカマが当たる心配はなかった。

 それでも、刺さったカマがいつ抜けるか分からないので、慎重に頭をホールドして、捕食体勢に入る。

 

 カマキリの目に顎を突き立てる。ビキッという堅いものを突き破る感覚と、不思議な風味のドロッとした液体が口の中を満たした。濃厚な牛乳のような味の中に、ミントのような爽やかさがあった。


 カマキリの生命力はすさまじく、頭をすべて食べ終えても、まだ体は元気に動いていた。

(あ、そういえば、頭を切断されても威嚇してくるって聞いたことがあるなぁ。)

 仕方が無いので、足の生えている胸の部分も捕食することにした。見た目が気持ち悪いのであまり食べたいものではなかったが、こちらを襲ってくる可能性がある以上このまま放置しておくわけにはいかない。


             ~モグモグタイム~


 中途半端に食べるのも悪いと思って、結局、完食した。一寸の虫にも五分の魂と言う通り、虫にだって命はあるのだ。それを奪った以上は、完食するのが筋だろう。

 しかし、カマだけは食べることが出来なかった。金属でできているかと錯覚するほど硬く、どれだけ齧っても傷一つ付いていない。


(んー、これだけ硬かったら何かの役に立つかもしれないな。)

 貧乏性を発揮し、木の皮を使って紐を作り、羽の中にカマキリのカマを収納した。

この体は、なかなかに器用なようだ。


(さて。いろいろあって忘れかけてたけど、早く村に帰らないと!)


 ソフィと合流するために、村へ続くと思われる下り坂を真っ直ぐに、急いで下って行った。

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