無限の猿

木野崎 灯

無限の猿

 世界をより安全に、より平和なものにしようと、190か国あまりからなる国際会議の壇上で、ひとりの学者が演説をした。


 「突然ですが、『無限の猿定理』というものをご存じでしょうか。これは、サルがタイプライターの前に座り、キーを際限なくたたき続ければ、いつかウィリアム・シェイクスピアの作品を打ち出すことができる、という例で説明される定理でありまして、これはすなわち、無限と言う数が持つ不確定性と潜在的な恐ろしさを端的に示すものであると言えましょう。しかし、裏を返せば、この定理は、無限においてもシェイクスピアという一つの解がいつかは生み出される、ということも暗示している。しかして、宇宙開発の多大なる発展により資源問題から解放され、もはや無限と呼んでもいい極めて莫大なエネルギーの獲得を果たしたこの世界は、無限と呼ぶに差し支えない、そんな世界にも、平衡を保つ鍵、すなわち一つの解が存在するということの表れではないか?私は、この立場に立ち、今一度この世界について一つの解を見つけ出す必要性があると考える。そこで、今こそ、先人たちの知恵と、われわれの圧倒的な資源を生かし、この仮説を検証する必要がある」


 すぐに世界は一丸となってこの命題に取り組み始めた。いまのわれわれにはあまりあるほどのリソースが存在する。飢餓は消えた。しかし、それでも人間というのは何かを求め続ける生き物なのだ。頻繁に起きる戦争、差別、富の不平等。国民は皆心から平和を求めている。


 この国家を超えた世界プロジェクトに、およそ1億匹にも及ぶ猿が投入された。地球の時間は無限ではなく、我々もまた然り。

 どうしても、できるだけ早く、彼らには答えが必要であった。


 コンピューターが世界のあらゆる場所、置けるべきところのすべてに設置され、その一台一台に猿が配備された。先人たちの記したすばらしく厳粛で意義的な文章が猿の眼前に出現すれば、プロジェクトは成功する。そのときに我々の前に出現した文章こそが、いまの我々にもっとも必要である啓示にほかならない。


 最初に現れる文字列について、数々の議論が交わされた。一番多い意見は、人間を人間たらしめる文章だった。ある者は、世界初の憲法であるワイマール憲法、またある者は、リンカーンのゲティスバーグ演説ではないかと提唱した。あらゆるところでそれは議論の的となり、賭け事にさえなった。


 世界の命運を握るタイプが各地で始まった。文字列の様子は連日電子放送に乗り、意味のない文章にまで意味を見出す人々も各地で現れた。いくつもの文字列が現れては記録され、現れては解釈された。


 記録しつづけて400と23日、ついに意味を持った文字列が出現した。出現したのはアメリカ。未だに世界の覇権を握っている超大国だった。

 その文字列は短かったが、こんなものだった。


『万国の労働者よ、団結せよ!』

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