6 狂宴の果てに(8)
「ご主人は、どんなお仕事を?」
「あっ、ええとスティヴァ、……け、警備ですわ。ヴェントの治安がよくなりまして助かると」
「あの街は人の出入りが多いうえ、なかなか我々も関与ができず気になっていたんです。これからもなにかありましたら、すぐに政庁へお声を寄せてください。善処します」
「え、ええ、ありがとうございます。……宰相さまはお忙しいかたでしょう? それなのにこんなちっぽけな声までお相手になさいますの?」
わたしが見上げる先、テオリアは静かな目をしてまっすぐ前を見据えていた。
「それがわたしの負った責任ですから」
誰のことも近づけさせない、見るものの心が凍てつくような強固な意志。ただただ純粋に目的を達成しようとするあまり、そのほかのすべてを瑣末の一言で片付けてしまえる、潔さを通り越した烈しさ。
むかし、わるい夢を見てすすり泣くフィオーレを慰めていると、テオリアはわたしごとフィオーレを抱きしめて言った。
『おとなはだめだ。ばかなのかなんなのか、話が通じない。フィオーレの悪夢を終わらせられるのは、ルー、ぼくたちだけだ。ふたりで騎士になってフィオーレを守るしかない』
人との接し方はやわらかくなった。いちいち人を怒らせることもないようだ。だがやはりこれはテオリアで間違いない。
少年だったあの日のテオリアとこの男は、おなじ目をしている。
「宰相さまは、どんな愛称で呼ばれていました?」
「なぜそんなことを」
「子どものころ、宰相さまとおなじ名前の男の子がいたんです。わたしは彼のことを、テオと呼んでいました」
道なりに進み、何度も角を曲がる。どのくらい歩いただろうか、なにもない廊下の、なにもない突き当たりで、テオリアは壁に指を滑らせた。
砂に埋もれた遺跡が風に吹かれて現れるように、壁の下からドアが浮き上がってくる。
テオリアは口の端を歪めるようにして、乾いた息を洩らした。
「わたしも、そう呼ばれていましたよ」
ドアを開けると小さな部屋があり、奥には上へ向かう階段があった。
見覚えのある光景に、わたしははたと立ち止まる。しかしどこで見たというのだろう。この砦は初めて来た場所だし、この世界のほとんどがわたしにとっては未知だというのに。
テオリアが階段へ向かって一歩踏み出そうとすると、つま先で火花が散る。そこには目には見えない壁があるようだった。
わたしは壁に触れないようにしながら、階段の先を覗くようにして見あげた。
「階段は続いていますが、実質的には行き止まり……なのでしょうか」
「どうなのでしょうね」
テオリアは深いため息をついたかと思うと、見えない壁に向かって体当たりをした。接触した部分に激しく電流のようなものが走る。
わたしはとっさにテオリアにしがみついた。
「なにをしている! ばかなのか!」
たまらず怒鳴りつけると、視線の先、テオリアはあっけに取られて目をしばたかせていた。
……いけない、キャラを失念した。
どうにか取り繕えないか思案するも、気まずい時間が流れるだけでどうにもならない。
テオリアはわたしの足もとを見ながら、怪訝そうに眉を寄せた。
「ソルジェンテさん」
「あ、あの、いまのは」
「あなたはいったい……」
テオリアの眼差しを追って、わたしも自分の足もとを見おろす。
片足が、見えない壁の向こうに踏み込んでいた。
わたしは衝撃を恐れてすぐに足を引っ込めるが、……いや、そもそもテオリアは踏み入ることすら叶わなかった。
どう、なっている。
なぜわたしはすんなりと入ることができた……?
「もしかしておまえ……、ルーチェか」
テオリアがわたしを睨みつける。見えない壁に阻まれて傷ついた手がわたしの顎を掴む。さらにテオリアが口をひらこうとするが、その続きは闖入者によって掻き消された。
「ああ、ここにいましたか! 探しましたよ!」
大仰に腕を拡げながら、ディレットが部屋へ入ってきた。馴れ馴れしくわたしの肩を抱いて、テオリアから引き離す。あまりの強引さに抗おうとするけれど、ディレットの爪だろうか、肩のうしろに鋭い痛みが走った。
「困った夫婦ですね」
耳元でディレットが囁く。わたしは鋭くディレットを睨みつけた。薄気味悪い笑顔を張り付けた悪魔は、わたしの殺気など歯牙にも掛けない。
ディレットは力任せにわたしを部屋から連れ出そうとする。
「待てオーナー、彼女にはわたしの手伝いをしてもらう」
「いやいやいやいや、どうか、どうかそれだけはご容赦ください宰相さま。この娘はもう親族中でもおてんばで通っておりまして、とても宰相さまのお手伝いができるとは思えません。これの夫が向こうで呼んでおりますので急ぎます。もう邪魔する者もおりませんので、どうぞ、どうぞごゆるりと」
テオリアに返答する間を与えないよう口早にそれだけを言うと、ディレットはわたしを軽々と持ち上げて部屋をあとにした。
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