5 死にたがりにピリオドの雨(5)

 わたしはソルに指示されるまま下着以外、シャツとワークパンツを脱いで彼女の前に立った。


「なあソル、契約一般の話として教えてほしいんだが、強制力というか、ペナルティのようなものはほんとうにないのか」

「そうだよね、あんな中途半端な説明じゃ不安になるよね」


 ソルはわたしの体にこまかく巻き尺をあてて、つど手帳に数字を書き込んでいく。


「不思議な力がはたらいて問答無用でいのちを奪われるとか、そういうものではないから安心して」

「……そうか、よかった。メテオラを巻き込んだわけではないんだな」

「そっち?」


 愛らしい声で笑って、ソルはわたしの胸もとで顔をあげた。


「でもねルーチェ、強制力はなくても、というか、ないからこそ契約は絶対遵守なのよ」


 ソルは美しく彩られた人差し指をわたしの心臓のうえに置く。


「あなたたちのあいだにだけ存在する楔。ほかの何ものの介入も許さない契り。それをたがえることは、相手だけではなく自分に対する裏切りでもある。たかがそんなことと思うかもしれないけど、自分自身をも裏切った魂が、じゃあそのあとは何に拠って立つことができる? 自分を自分たらしめるのは、自分でしかないんだから」


「わたしが、拠って立つところ……」

「ルーチェをルーチェたらしめているものはなに? この肉体? それもあるだろうけど、それだけじゃないでしょ」

「そうだな」


 わたしが悪魔との共生という現実を目の当たりにしながら受け入れきれないのも、わたしという存在の一部がその思想のうえに立っているからだ。

 だがもっと大部分のわたしが、わたしとしての拠り所にしているもの。それは青騎士としてのわたし、そしてフィオーレの姉としてのわたしだ。


 ……そうか、だからメテオラは契約の説明をしなかったんだ。わたしがはなからそのために生きるとわかっていたから。

 わたしのいのちが続くかぎり、絶対にたがうことない「わたし」だと見抜いていたから。


「ありがとう、ソル。得心がいったよ」

「どういたしまして。ついでに素敵なイメージをくれると嬉しいんだけど」


 ソルは手帳にドレスのイメージをいくつも描いていく。


「だいたい、動きやすいロングドレスなんてどこにあるのよ。よく考えたらめちゃくちゃな依頼よね」

「比較的、という意味だとは思うんだが」

「さいわいルーチェは背が高いから、ヒールを多少抑えてもいけると思うのね。ファーがあるってことだから、胸もとはあいてるほうがきれいだろうし、そうなるとスカート部分にはボリュームがほしいんだけどなあ」


 途中からはわたしに話しかけるというより、ソルの思考がだだ漏れになっているという感じだった。


「あいつ絶対自分のなかにイメージがあって喋ってたのよね。ルーチェの体を見てそれに気づけって言ってる気がしてむかつく」

「そう、なんだろうか……」


 わたしには、ただソルに丸投げしたように思えるのだけど……、いや、正装といえば隊服しか思いつかないわたしはメテオラ以下なわけだが。


「いつまでも半裸でごめんね。もうちょっと見せてね」


 そう言ってわたしの背後にまわったソルは、感嘆にも似た息をもらした。


「ルーチェ、髪を前にしてもらっていい?」

「あ、ああ」

「背中、とてもきれいね。軍で鍛えてたからかな、どこも無駄のない体だけど、なかでも背中がいちばんきれい」


 ソルのすこし冷えた手が背中にそっと触れる。


「うん、うん、見えてきた!」


 新しいページになにやら走り書きをして、ソルは嬉しそうに手帳を閉じた。


「ほかの仕事の都合もあるから、いちから仕立てるのは難しいんだけど、いくつか当てがあるから、かならずルーチェに似合うドレスを持ってくるね」

「ありがとう」


 それにしてもメテオラはいつのまにルーチェの背中なんて見てたんだろうねと言い残して、ソルは笑顔で帰っていった。


 さあねえ、それはわたしも聞きたいところだ。


 その日から三人での共同生活がはじまった。初日から二日目までは手探りなところも多かったが、それぞれの得意不得意が見えてくると自然と分担が決まり、わたしが洗濯、メテオラが買い出し、シロカネが炊事担当になった。掃除はわたしとメテオラで受け持ち、その他こまごましたことは気づいた者が責任を持つ。


 シロカネは長くイナノメ殿と旅をしていたからか、料理の手際もよく、腕前もなかなかのものだった。いつも有り合わせですよと謙遜するが、あれで案外食材の指定が厳しいのだとメテオラはこぼしていた。


 昼間はよく料理の本を読んでいるシロカネだが、ときおりぼんやりと窓の外を眺めていることもある。

 イナノメ殿のことを思っているのだろう。


 コルダ殿は任務のあとにシロカネの知りたい情報を教えると約束してくれたが、それは逆に考えると、それまでは何もするなと言われているようでもある。


「シロカネ、思うところがあるなら、きみがしたいように過ごしていいんだよ」

「過ごしてますよ。いいお天気でぼんやりしてただけです。でもそろそろ食事の支度をしないと。今日のご飯はちょっと仕込みに時間がかかるんです」

「それはわたしとメテオラでしておくから」

「だめです。おふたりに任せたら食材が一瞬で残飯です。かわいそうです」


 座っていたベッドからぴょこんと飛び降り、シロカネはキッチンへと向かう。


 シロカネの置かれたこの状況でただ待つしかないのは酷なことだ。任務の報酬であることは重々わかっているが、なぜコルダ殿は先に教えてくれないのだろう。任務まではまだ数日ある。イナノメ殿をさがしだし、シロカネの不安を取り除いてから任務へ赴いたほうが集中もできそうなのだが。

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