5 死にたがりにピリオドの雨(4)

 ソルはやっぱりねと呟いて、わたしの頭をぽんぽんと撫でた。


「わたし、むかしエレジオに襲われそうになったことがあって。あいつがわたしの声を拾ってくれなかったら、いまここにいなかったかもしれないの。実際にエレジオを撃退してくれたのはおばさまなんだけど、おばさまの話は聞いた? 伝説のエレジオ狩りって」

「いや。でもそういえばコルダ殿は先輩と呼んでいた」

「おばさまはスティヴァーリの創設者で、初代隊長なの。おじさまと結婚してやめちゃったんだけどね、メテオラのことを隊員にできるくらい鍛えたのもおばさまなんだよ」

「頼もしいかたなんだな」


 ソルは自分のことを褒められたように喜ぶ。


「アルトロへ行くことがあったら、かならず会いにいって。とてもすてきな人だから」

「そうするよ」


 わたしの返事に、ソルは満足げに微笑む。


「誰とも会いたくなくて……家族とも顔をあわせたくなかったときでも、メテオラだけは平気だった。わたしが部屋に閉じこもってたら、隣で図鑑とか眺めてるの。まださっきの狐の少年くらいの年頃だったかな。口数は少ないけど優しい子で、わたしを責めないし、なにがあったのかも聞かない。ただひとこと、ソルの爪はきれいだねって言ってくれた」

「それでメテオラの爪も?」

「うん。そのうち評判が広まって。うちの家業は仕立て屋だからそういうのに興味あるお客様も多くて、紹介してもらったりしてるうちに仕事が楽しくなって……」


 ソルの爪には彼女の髪色や瞳の色とよく似合う、パールピンクの花がいまにも咲こうとしていた。ソルはそれを親指の腹で撫でながら、絞り出すように言う。


「いまのわたしがあるのはメテオラのおかげなの。だから無茶はやめてほしいし、本当はスティヴァーリ隊のことも、わたしは賛成してない」

「隊員であることは栄誉なことではないのか」

「……まあね、そういう人のほうがたぶん多数派。入隊の試験は厳しいらしいし、誰にでも務まる仕事ではないから。でもそれならメテオラは適任? いかにも屈強てわけでもなく、戦闘狂てわけでもなく、なによりハイブリッドなのに」


 それはたしかに、わたしも気になっていた。

 耳の良さは役立つだろう。機動力だって申し分ない。だがハイブリッドというリスクはそれらと比べてもあまりにも大きすぎる。呪いの扱いだって危険がともなう。一歩間違えれば、……呪いに呑まれることにでもなれば、メテオラ自身がエレジオ側になる可能性だってあるのではないのか。


「メテオラがスティヴァーリ隊である、その理由か……」

「みんなはおばさまの影響だろうって言ってたけど、わたしにはそうは思えなくて」

「自分を危険な環境において無茶をするため?」


 ソルはそっとうなずく。


「どうしてもその考えが消えない。わたしと話すときのメテオラは子どものころから変わらない、わたしが知ってるメテオラだけど、……爪を触るたび思う。この爪が剥がれたときのメテオラはきっとわたしが知ることのない、わたしがおそれたメテオラなんだ、って。ルーチェも実際に目にしたって言ってたけど、メテオラのことこわくなかった?」

「うーん」


 昨日のことを思い返してみるが、不思議とそういった感想はひとつも浮かんでこない。


「わたしはソルと比べて、戦地でそういう……目を覆いたくなるような光景に何度も遭遇してきたから平気な部分はあるだろう。呪いのことはよくわかっていないが、メテオラが普通の状態じゃないことはわかった。だからあのときはとにかく正気に戻すことしか考えていなかったんじゃないかな」

「なんの疑いもなく?」

「まあ見た目がメテオラなのだから、メテオラなのだろう、と」


 あはは、とソルは声をあげて笑った。


「すごいな、わたしには無理」

「恐怖は、あるんだ。たとえば戦地で経験したことを夢に見てうなされることだってある。だがなにより怖いのは、その恐怖を乗り越えられないことなんだ。百年前の過去のことは変えられないが、メテオラはいまわたしの目の前にある現在の現実だ。どうにかできる可能性があるなら、そのままにはできない。メテオラはひとりでは呪いの状態から戻ることができないと話していた。だからわたしはメテオラを、彼の日向道が続いているであろう世界へ繋ぎとめたいと思う。何度だって」


 ソルはどこか冷めたような、疑わしげな目をわたしへ向ける。


「昨日会ったばかりの男にどうしてそこまで言い切れるの」

「ソルだって、いまの自分があるのはメテオラのおかげだと話していただろう。わたしもおなじだよ。あいつがわたしを見つけて、百年後のこの世界へ連れ出してくれた。もしメテオラが来てくれなかったら、わたしはいまもあの洞穴で眠っていただろうし、それこそ天地がひっくり返っても目覚めることはなかったかもしれない。おかげでわたしはもう一度生きるチャンスを与えられた。その恩はどんなに返しても返しきれない」


 契約を結び、願いと未来を分け合った仲ではあるが、もし結んでいなかったとしてもわたしはやはりおなじように彼に思い切り頭突きをするだろう。

 ソルがわたしの手を取る。


「ありがとう、ルーチェ」


 わたしはソルの手を握り返した。


「もったいない。メテオラには助けられてばかりだから。わたしにできることならしたいと思う。それだけだよ」

「契約の相手がルーチェでよかった。あなたたちの契約が無事に果たされることを祈るわ」

「ソル……、契約には反対じゃないのか?」

「反対。反対なんだけど……、でも契約のためにメテオラが生きようとしてくれたら、それでいいような気もしてきた」


 ソルが大きく伸びをする。


「よし、採寸しようか、ルーチェ」

「そうだな」

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