3 音速襲来(4)
メテオラは足もとの見えない暗い森を正しく走る。聴覚だけで森の様子を把握しているのだろうか。手を引かれて走るのはもどかしい思いがしたが、おそらくこのほうが都合がよいのだろうと我慢する。
「ルーチェ、怪我はない?」
「苦しかったが、もう大丈夫だ」
「よかった。あいつの速さはおれの耳でも追いつかなくて。避けられなくてごめん」
「話から察するに同僚と鉢合わせたみたいだが、これと関係があるのか」
わたしは手に持ったままだった徽章を見せる。メテオラは横目にそれを確認して、手に掴んでいたシロカネで頭を抱えた。
「とりあえず上着にしまっておいて。それ失くすとおれ火あぶりは堅いから」
「わ、わかった」
ポケットにはなにかやわらかな布もあった。フィオーレのハンカチだ。わたしは走りながらどうにか徽章を挟み込んだ。
スティヴァーリ隊。いったいどういった組織なのだろう。
エレジオ狩りをするのなら、それなりの情報網があったりもするのだろうか。もしそうだとしたら、フィオーレやテオリアについても調べられないだろうか。できれば組織内でそれなりの地位の、せめてメテオラが隊長と呼ぶ人物と話ができないものだろうか。
そこまで考えて、わたしははっとした。
最終的には頼ることになるかもしれない。だがそれはあくまでも最後のカードであって、はじめから当てにするものではない。
まずは自分で辿るのだ。百年前に途切れてしまった足跡を。
結果が得られればそれでいいという類いのものではないのだから。
わたしは暗い森と、斜め前を走る男の横顔を見上げた。
「追っ手はあると思うか」
「ごめん。たぶんある。ジャックはしばらく動けないと思うから、そのあいだにすこしでも遠くへ行き――」
軽い発砲音とともに、あたりが真昼のように明るくなる。照明弾だ。
わたしたちは思わず立ち止まる。木々の隙間からこぼれてくる白い夜空を見上げていると、頭のなかまで真っ白になってしまう気がした。
さすがの眩しさに、メテオラに抱えられていたシロカネがむにゃむにゃと言いながら目を覚ました。
「もう朝ですか」
「いや、夜だ」
「ルーチェさんは冗談がへたですねえ。こんな明るい夜があるわけ、ふぎゃ!」
メテオラがシロカネを投げてよこす。わたしは胸の前で受け止め、両手でシロカネを抱えた。
「ぼくはボールじゃないですよ! てててていうか、いつからぼくは狐の姿にっ? 無理! はははは恥ずかしすぎて死ねる!」
シロカネはそれだけ言うと、ふたたび失神してしまった。なんともせわしない子だ。
空が次第に夜を取り戻していく。
メテオラは刀をベルトに挟み、静かな声でわたしを呼んだ。
「ルーチェ、巻き込んじゃってごめん」
「さっきから謝ってばかりだな」
「ごめん」
「逃げずに隊長とやらと話をする道はないのか」
「ジャックがいるとうるさいからたぶん無理」
わたしは少年の猪ぶりを思い返し、納得してしまう。
「じき少年は追ってくるんだな?」
「ほんとにごめん、ルーチェ」
謝罪を繰り返しながらメテオラはわたしの正面に立ち、両肩に手を置いた。
エレジオが相手なら逃げるという選択も場合によってはあるかもしれない。だが同僚や上司から逃げるなどということは、わたしには受け入れがたい。しかも原因はメテオラの無断欠勤なのだ。
ほんのすこし見上げる位置に、申し訳なさそうなスカイブルーの瞳がある。
ここは問答無用で少年の前にメテオラを突き出すところなのだろう。だがこうも殊勝にされると意思が揺らぐ。
わたしは自分の甘さに対して深いため息をもらした。
「つまりあのジャックという少年をやり過ごして、隊長に事情を話す、その機会はいまではない、と」
「そう」
「しかしそもそも貴様はなぜ無断欠勤なんてしてまでここへ来たんだ。そんなことをしなければ、こんなことには」
「だからそれは話したよね。ご先祖様が残した宝の地図を頼りに来たって」
「茶化さずにきちんと答えろ。わたしはいまそういうことは」
話している最中だというのに、メテオラはわたしを腕のなかに抱きしめた。
「ごめんねルーチェ、飛ぶよ」
耳もとで囁かれ、その甘やかさに一瞬言葉の意味を捉え損ねる。
手旗を毅然と振り下ろすときのような音がする。昼にも聞いた。これは翼をひらいたときの音だ。
「ま、待て、メテオラ!」
「待たない。シロカネのこと、落とさないでね」
死んじゃうよ、とメテオラは爽やかな笑顔を向ける。
「きさま……」
散々わたしに謝っていたのは、こういうことだったのか!
「落とすなって言ったって……!」
メテオラの片腕がわたしの膝を抱き上げる。わたしは上着のファスナーをおろし、シロカネを中へ押し込んだ。同時にわたしの爪先は地面からふわりと浮いた。
やわらかな浮遊感は最初だけで、そのあとは発射された大砲の弾のように一気に森を抜ける。枝に引っ掛かれ、葉に頬を打たれ、たどり着いたのは夜空のただなかだった。
風が強い。わたしは乱れる髪を押さえて、体をかたくした。足もとに広がる景色から逃れたくてメテオラのほうへと顔をそむける。
「下、いい景色だよ、ルーチェ」
「誰が見るか! そもそも真っ暗な夜になにが景色だ!」
「そう言わずにさ。ほんとうにきれいだから」
両腕が塞がっているメテオラは鼻先をわたしの額へ寄せて、あちら側へと促す。わたしはうっすら目をあけて、メテオラを睨みつけた。
「想像しただけで目眩がする」
「怖いなら、おれの首に腕をまわしてよ。安定するから」
ほんとうにきれいだよと言うメテオラの瞳に宿る流星を見つめながら、こんなに美しい瞳の男がいう「ほんとうにきれい」は一体どれほど美しいのだろうかとうっかり興味が湧いてしまう。
わたしはメテオラの首へと片腕をまわし、上着のなかのシロカネを抱きしめながら、メテオラの視線の先を見おろした。
わたしは思わず息をのむ。
そこは地上でありながら、満天の星空のようだった。城壁に丸く囲まれているのか、小さな光が寄り集まって月のように煌々と輝いている。
「港湾都市、ヴェントだよ」
「あれは、松明かなにかが燃えているのか。それにしては仄白い光をしているが……」
「そっか。百年前に蒸気発電はないのか」
「蒸気、発電……?」
わたしはメテオラを振り返る。
「地下深くの熱源を利用して、ああやって明かりに変換してるんだって。詳しい仕組みはガキのころ習った気がするけど忘れた。ごめんね」
メテオラは悪びれずに謝る。
その時ふと、彼の頬の紋様が頬から首、首から胸へと続いているのに気がついた。胸もとの紋様は、明らかになにかを模しているように見える。
頭上を一羽の烏が飛ぶ。かあと鳴いて、わたしたちの上を旋回している。
「やば……。急ぐよ」
メテオラは地を駆けるときのように中空を蹴り、落下するような速さで空を飛んだ。
怖いだとか、嫌だとか、おろせだとか叫ぶ間もない。わたしはふたたび、かたく目を閉ざした。
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