3 音速襲来

3 音速襲来(1)

「ルーチェさん! ルー……うわあああああ!」


 互いの声を頼りにシロカネと合流すると、彼はわたしたちを見るなり血相を変えて悲鳴をあげた。


「だだだ大丈夫なんですかっ! 血みどろになってますよっ?」

「ああ、これか。大丈夫だよ、どれも」


 返り血だ、と答えようとしたが、はたしてあれは正しく返り血なのだろうか。


「メテオラ、この血飛沫はどう理解すればいいんだ」

「一応おれの血なんだけど、ありあまる再生能力のなせるわざだから、あんまり気にしなくていいよ」

「だそうだ、シロカネ」

「そうですか……、それは……よかっ、た……」


 かろうじてそう言い残すと、シロカネは微笑みながら気が遠くなってしまった。体がふわりと後ろへ傾いでいく。


「あぶない!」


 シロカネの体を抱きとめると、腕のなかでポンと音がして白い煙があがった。わたしはたまらず噎せかえる。


「えほっ、げほっ、シロカネ大丈夫か、シロカネ」


 煙はすぐに晴れた。腕のなかを見ると、そこにはまだ小さな狐がぐったりとしていた。ふさふさとした尾は三つに分かれている。


「妖狐だったとはなあ」

「鬼の子ではないのか」

「どちらも東方の生まれだけど別。さっきは鬼に化けてたんだよ」

「なんのために」

「さあ。それは本人に聞いてみないとなんともね。ひとつわかるのは、おれたちは狐につままれたってこと」


 メテオラはわたしの鼻をつまむ。その指も、わたしの鼻先も、たしかに卒倒する程度には血まみれではあった。


「シロカネの意識が戻る前に、身ぎれいにしたほうがいいだろうな」

「向こうに池がある。行こうか」


 メテオラはわたしの腕のなかからシロカネをひょいと持ち上げ、小脇に抱えて先を歩いた。


 あたりはとっぷりと日が暮れて、夜のとばりに包まれていた。

 わたしは迷いなく森を進むメテオラのうしろをついていきながら、喉の奥にひっかかる魚の小骨のような違和感を静かに見定めていた。

 沢ならば流れる水音が聞こえるだろう。だがメテオラは池と言った。空から見たのか。事前に地図などで見ていたのか。そうだとして、こんなに淀みなく森を歩けるだろうか。

 わたしは目の前にあらわれた広々とした池を見つめつつ、確信にいたる。


「メテオラ、貴様この森を知っているな」

「そりゃまあ、ここは有名なエレジオの森だからね。一般教養だよ」

「わたしが言いたいのはそういうことではない。わかっているんだろう」


 じっとりと目を細めて奴を見上げると、メテオラは笑顔のまま顔をこわばらせた。


「あー……、えっと」

「安心しろ、もうエレジオなのかと疑ったりはしない」

「話すと長くなるんだけど……」

「わかった。それならまたあとでいい」


 ひとまず先に体を洗ってこいと背中を押し、わたしはシロカネを抱いて木の裏側に腰かけた。ばしゃばしゃと服をゆすぐ音がする。いいな、わたしも着替えがあればああしたいものだ。


 百年前もよくそう思ったものだった。すぐにどこででも脱ぐ男どもが鬱陶しくて、羨ましかった。わたしが脱ぐとなると、わたしはよくても周りが気にする。戦場ではいつも自分が女であることが煩わしく、悔しかった。わたしはみなとおなじ、いち兵士にはなれない。


『なぜおまえが聖女付きの青騎士に選ばれたのか、わかっていないわけじゃないだろう』


 わたしを鏡の前に立たせてテオリアは言った。

 おまえが女だからだ、と。


「……チェ、ルーチェ?」


 メテオラの呼びかけに、はっと顔をあげる。ほんの短いあいだとはいえ眠っていたらしい。

 斜め後ろを見上げると、頬にぽつりと冷たい雫が落ちてくる。メテオラは木に凭れかかりながら体をかがめて、わたしのことを覗きこんでいた。すっかりさっぱりとしたメテオラの流星が心配そうに向けられている。


「よかった。また百年の眠りについたのかと思った」

「まさか」


 そうやって笑い飛ばしながら、わたしは自分が思う以上に警戒を解いていることに驚いていた。


 メテオラにシロカネと刀を預けて、池のほとりに立つ。やわらかな芝のうえにはメテオラの上着が置かれていた。


「おい、メテオラ。上着」

「ルーチェもブラウス洗いたいでしょ。そこまで汚したのはおれのせいだし、乾くまで羽織ってて」


 木のかげから腕だけを出して、ひらひらと手を振っている。

 上着を持ち上げて広げてみると、この半日でずいぶん傷んでしまっていた。お気に入りの様子だったのに。いつかかならず弁償しよう。


「ありがとう、メテオラ」


 わたしは手と顔をゆすぎ、色素の薄い髪を池の水に浸した。冷たく澄んだ水だった。湧水の池なのだろうか、池のまわりは短い芝に囲まれていて、風に水面が揺れはするが、水の出入りがあるようには見えなかった。


 思えば夜なのに目が利く。空には大きな満月と降ってきそうな星が瞬いていた。その明かりが池の水面にも反射している。


「テオリアのことだが」


 呟くように声にしたものの、話すことにまだ迷いがあった。メテオラは聞こえているだろうに返事をしない。


「おまえが知りたがったテオリアとは別テオリアなんだが……」

「いいよ」


 メテオラはわたしが知るどの男よりもやわらかな声を知っている。彼自身の耳がいいことも関係しているのかもしれない。

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