《 第18話 誕生日が近づいてきた 》

 5月の足音が聞こえてきた。


 その日の夕食時。ぼんやり考えごとをしつつハンバーグを食べてると、佐奈が顔の前で手を振ってきた。



「……なに?」


「ぼけーっとしてるから気になって。兄ちゃん疲れてる?」


「疲れてるわけじゃない。ぼーっとしてただけだ」


「疲れてるからぼーっとしちゃうんだよ。体力つけないと夏を乗り切れないよ」


「夏は空調効いた部屋で過ごすから問題ない」


「登校中に倒れちゃうかもじゃん。私がランニングに付き合ってあげよっか?」


「それこそ倒れちゃうだろ。俺のことはいいから飯食え飯」


「兄ちゃんが気になって集中できないよ」


「佐奈は心配性ね。きっと母さんのハンバーグが美味しくて感動してるのよ」


「母さんのハンバーグは絶品だからなぁ」


「ほんとほんと! お母さんサイコー!」



 賑々しい会話に加わることなく、俺は再びぼーっとする。


 ぼーっとしているのは、考えごとをしているから。


 というのも、柚花の誕生日が迫っているのだ。


 以前誕生日をすっぽかしてめちゃくちゃ怒られたことがある。


 1日遅れでケーキを買ったし、どこでも好きな場所につれていくと言ったのだが、機嫌を取り戻すのに数日がかりになってしまった。


 夫婦関係が冷え切った一番の原因ってわけじゃないが、原因のひとつになっているのは間違いない。


 もちろん、いまの俺たちは夫婦じゃない。友達に誕生日を祝われなかったくらいでそこまで怒るとは思わないけど……ちゃんと覚えているのにスルーするのはどうかと思う。



「またぼーっとしてる」


「母さんのハンバーグを味わってるだけだ」


「あら珍しい。航平が料理を褒めるなんて。お小遣いアップしてほしいのね?」


「そんなんじゃない。……アップしてくれるなら大歓迎だけど」


「前向きに検討しておくわ」



 とにかくだ。


 恋人に贈るような特別感のあるプレゼントを用意するのは意識しているようで気が引けるが、友達の誕生日を祝うことはおかしなことじゃないはずだ。


 軽い感じで祝福すれば、素直に喜んでくれるはず。


 そうと決まればプレゼントを用意しないとな。



「決めたわ。航平のお小遣い、500円アップします」


「決断早っ!」


「航平が味わってるって言ってくれて、とっても嬉しかったもの」


「お母さん! 私も! 私も褒めたよ!」


「500円アップします」


「やった~! 大金持ちだ!」



 はしゃぐ佐奈のとなりで、俺は美味しいハンバーグを頬張るのだった。



     ◆



 翌日の放課後。


 教室を出て、校門を抜けたところで、柚花が駆け寄ってきた。



「今日はなにするの?」



 柚花とは友達になったけど、校内ではあまり話さないようにしている。


 この時期に仲良くしている男女は珍しいからだ。


 付き合っているのかもと噂されれば、お互いにぎくしゃくするかもしれない。


 そんなわけで、話し合って決めたわけじゃないが、校門を出るまでは友達ではなくクラスメイトとして接するというのが暗黙の了解になっていた。



「家に帰って漫画でも読もうかと」



 本当はプレゼント選びをするつもりだが、柚花が一緒だと落ち着いて選べない。


 真剣に選ぶ姿を見られるのは恥ずかしいし、サプライズで渡したほうが喜んでくれそうだし。



「だったら勉強会をするわよ」


「いや、勉強会はちょっと……」


「なによ、嫌なの? このままだと夏休み返上することになるわよ」



 そりゃ夏休み返上は嫌だけど、誕生日が迫っているのだ。いまは勉強会どころじゃない。


 かといって、漫画を理由に断るのは厳しそうだし……。



「やっぱりショッピングモールに行こうかな」


「そんなに勉強したくないの?」


「勉強したいと言えば嘘になる」


「堂々としてるわね……。今日のところはショッピングモールでいいけど、ちゃんと勉強しなきゃだめよ? あんたが補習組になったら遊び相手がいなくなるんだから」


「わかってるよ。勉強するときは先生役よろしくな」


「ええ、任せなさい!」



 一緒に過ごすことが決まり、柚花は上機嫌そうにうなずいた。


 アニメの話をしつつ駅へ向かい、電車に乗りこむ。


 最寄り駅で降り、寄り道せずにショッピングモールへ。



「で、なにか欲しいものでもあるの?」


「特にないよ。ぶらつくのが目的だから」


「そう。だったら、あたしの買い物に付き合ってよ」


「いいぞ」



 一緒にぶらつけば柚花の欲しいものがわかるかも。


 空調の効いた館内を歩き、やってきたのは家具コーナー。


 懐かしいな。新居へ引っ越したときのことを思い出すぜ。


 ふたりで食器棚やらテーブルやらを見て、デザインが可愛くないとか、来客が来たときこのサイズだと困るとか、いろいろ話し合ったっけ。


 あのときは本当に幸せだった。この幸せが一生続くんだと思ってた。


 なのに仕事が忙しくなったせいで一緒に過ごす時間が減っていき、遊べないせいでストレスが溜まって喧嘩が増え、お互い顔を見るのも嫌になり、最終的には離婚してしまった。


 ……まあ、離婚の最大の原因はほかにあるけど。


 どっちにしろ今回は柚花と結婚しないし、仕事に忙殺されない人生を送るんだ。


 柚花とは口喧嘩はするだろうけど、前回みたいに関係が冷え切ることはないはず。お互いに爺さん婆さんになっても縁側で茶でも飲みながら談笑できる、そんな関係になるはずだ。


 さておき。


 プレゼントに家具はキツい。


 500円アップしたとはいえ、高校生の小遣いじゃ手が出せない。


 良好な友人関係を保つためにも好きなものをプレゼントしてあげたいけど……もうちょっと安いものを欲しがってくれませんかね……。


 そんな俺の気も知らず、柚花は高級そうなソファに腰かけた。


 お、お前、そのソファ40000円もするじゃねえか……。



「となり座ってみてよ」


「いいけど……」



 これは買えないぞ、と心のなかで告げ、ソファに腰かける。



「どう?」


「高すぎて落ち着かない」


「値段なんか気にしなくていいわよ。座り心地は?」


「値が張るだけのことはあるな」


「スペース的にはちょうどいい感じかしら?」


「スペース的にはちょうどいいけど……」


「だったら候補に入れておくわ」


「候補って……ソファ買うのか? 真新しいやつ持ってただろ」


「ふたりで使うには狭いじゃない。こないだもキツキツだったし」



 ああ、そういうことね。


 俺と一緒に使うことを想定して選んでたのか。



「そりゃ狭さは感じたが、買い替えるほどのことじゃないだろ」


「……あたしとふたりで座って、居心地悪くなかった?」


「悪くないよ。言うほどキツキツでもなかったしな。いまの柚花、痩せてるから」


「は? その言い方だと将来的に太るみたいに聞こえるんですけど?」


「そんなこと言ってないだろ」


「それに近いことは言ったわよ! そりゃ体重は増えたけど、身長が伸びただけなんだから! あんたと違って、あたしの成長期は終わってないのよ」


「は? その言い方だと将来的に身長伸びないみたいに聞こえるんですけど?」


「そう言ったもの」


「今回の俺は成長しまくるからな! そしたら物理的に見下してやるからな!」


「そのときはヒールを履いてやるわ」


「ヒールはズルだろ!」


「ヒールはオシャレよ! ……なにしてんの?」


「ヒール履いてデートに来たときのお前のマネ」


「そ、そんなよろよろしてなかったわよ!」


「してただろ! めっちゃ心配した記憶あるし! 履き慣れてないなら無理して履くなよ」


「うるさいわね! ヒール履いたらあんたが見とれてくれると思ったのよ!」


「ある意味目が釘付けになったよ! 見てないといつ転けるかわかんねえからな! まったく、オシャレもいいけど安全第一の格好しろよ」


「好き勝手言ってるけど、あんただってデートにダメージジーンズで来たじゃない。よりによって上は赤いペイントシャツだし! 車に轢かれたのかと思ったわよ!」


「オシャレだと思ったんだよ! ワイルドで!」


「どこがオシャレよ! 最悪の組みあわせじゃない! あんなところで車に轢かれる伏線張るのやめてくれない?」


「伏線じゃねえ! あと店内では静かにしろよ」


「あんたが将来的に太るとか言うからでしょ」


「そういう意味で言ったんじゃないってば。むしろいまが痩せすぎなんだよ。夏バテしないようにちゃんと飯食えよな」


「あんたもね」


「おう。……で、ソファはどうするんだ?」


「やめとくわ」



 俺たちは寝具コーナーへ向かった。


 まさかふたりで寝ることを想定してベッドを買いなおすのだろうか。


 どきどきしていると柚花はベッドをスルーして、枕が並ぶ棚へ向かった。



「どれにする?」


「どれにするって、俺の枕は必要ないだろ。こないだはたまたま寝過ごしただけなんだから」


「夏休みは毎日一緒に過ごすんだから、同じことが起きないとも限らないじゃない。高い買い物じゃないし用意しといて損はないわよ」


「いいって。わざわざ買わなくて」



 ソファに比べれば高い買い物じゃないが、安い買い物ってわけでもないし。



「ここで買わなかったら、またあたしの枕で寝るはめになるわよ。……航平が嫌じゃないなら、べつにいいけど」


「嫌じゃないけど……柚花こそ、腕枕嫌じゃないのか?」


「べつに嫌じゃないわよ。……航平こそ、腕きつくなかった?」


「きつくないよ。鍛えてるからな」



 柚花がくすっと笑う。



「鍛えてるって。ひょろひょろの腕しといてよく言えるわね」


「ひょろひょろではないだろっ。てかひとのこと言えるのかよ。お前だってぷにぷにしてるのに」


「そ、そんなことないわよっ! そりゃ以前はぷにぷにしてたけど、いまのあたしは女子高生よ? ちゃんと引き締まってるわ」


「はいはい」


「……信じてないわね? だったら触って確かめてみなさい」



 まさか触ることになるとは思わなかったが、ここで緊張感を悟られれば意識してるみたいになってしまう。


 堂々と服の上から二の腕に触れると、柚花はくすぐったそうに目を細めた。



「ど、どう? 引き締まってるでしょ?」


「ぶっちゃけ、服の上からだとさっぱりわからん」


「……直接触りたいの?」


「そうは言ってないだろっ。ぷにぷにしてないって信じてやるからさ、欲しいものがないなら違う店に行こうぜ。なんか欲しいのないのか?」


「服を見てみたいわ」


「服か……」


「なんで嫌そうな顔するのよ」


「長丁場になりそうだなと思って。柚花と一緒に服屋に行くと、毎回帰りが遅くなるから」


「そんな長くかからないわよ。せいぜい2時間じゃない」


「充分長いだろ。数分で終える俺を見習えよな」


「あんたの場合は短すぎよ。だいたい、一緒に見てまわるのが嫌なら、なんで別行動しなかったのよ。ゲーセンでも本屋でも行けばよかったでしょ」


「別行動したら一緒に買い物に来た意味がないだろ。……あと、もしナンパされたら困るし」



 むっとしていた柚花は、その一言に表情を和らげた。


 あきれたように苦笑して、



「ナンパって……女性服売り場でナンパとかされないわよ。だいたい、ナンパされたとして、そのひょろひょろの腕で守れるの?」


「全力を出せばいけるって」



 柚花が、ふっと微笑した。



「全力を出してくれるんだ。……だったら今日もナンパから守ってくれる?」


「仕方ないから守ってやるよ。このムキムキの腕でな」


「はいはい。そういうことにしといてあげるわ」



 柚花の服選びに付き合うことになり、女性売り場へ移動する。


 ……思った通り、長丁場になりそうだ。俺に一切遠慮することなくじっくりと服を見てまわり、1時間近く経っても買い物が終わる気配はない。



「どれにするんだ?」


「う~ん……。特にいいのなかったわ。次は航平の番ね」


「俺はいいよ」


「だめよ。ちゃんとオシャレしないと。動物園でも変な英字シャツ着てたじゃない」


「変とか言うなよ。カッコイイだろ……」


「そう思うなら和訳してみなさい。二度と恥ずかしくて着られなくなるから」


「……なんて書いてあったんだ?」


「自分で翻訳したほうが勉強になるわ」



 よほどおかしなことが書いてあったのか、柚花はニヤけ顔だ。


 こんな顔されたんじゃ怖くて翻訳できないだろ……。



「せっかく買い物に来たんだから、あたしが選んであげるわ」


「いいよ選ばなくて。小遣いないから」


「動物園でもらったお金、まだ余ってるんじゃないの?」


「漫画に消えたんだよ」


「ちょっとは計画的に使いなさいよね……」



 本当はまだ残ってる。


 だけど、あのお金は柚花のプレゼントに使うんだ。俺の服なんていつでもいい。



     ◆



 けっきょくプレゼントが決まらないままお開きとなった。


 家に帰ると夕食を済ませ、通販サイトを眺めるが、柚花が心から喜んでくれそうなプレゼントは見つからない。


 そろそろ風呂に入ろうかと思っていると、ケータイが電子音を響かせる。


 柚花からメールが届いていた。



【笑えるラブコメでオススメのアニメ教えて】


【柚花が見てなさそうなのだと『ラブカノ』がオススメだ】


【ありがと! 借りてくる!】


【もう暗いから気をつけてな】


【ありがと!(☆^ー^☆)】



 二度も感謝されるとは。ほんと、柚花はアニメが好きだな。


 最初はちっとも興味なかったのに、俺の影響でどっぷりオタクに染まって――



「……そうだ」



 ふと名案が閃いた。


 通販サイトをチェックすると、よさげなプレゼントを発見する。



「5000円か」



 高校生が友達に贈るプレゼントにしては少し高めだが、柚花の喜ぶ顔を想像すると購入に迷いはなかった。

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