8月15日

「……意外とあったけぇ」

 恐る恐る足を入れたキョウはそう言った。興味津々な顔をしている。目が輝いていた。足をばたつかせる。感覚が面白いみたいだ。水飛沫がかかる。それを見て笑っていた。こう見ると子供っぽい。

「意外と近いもんだな」

 キョウが指さした方向を見ると、俺たちの避暑地があった。確かに。案外近くにあるように感じた。程遠いと思っていたものは、意外と簡単に手に入ってしまった。

 そんなことを考えていたら思いっきり水をぶっかけられた。驚いてキョウを見る。爆笑していた。一方の俺は呆気に取られていた。そしてすぐさまやり返した。するとキョウは先程の自分のように呆気に取られていた。笑ってしまった。そんなことを繰り返していたらあっという間に全身びしょ濡れになっていた。

「……入るか」

「うん……」

 同時にプールに入った。全身浸かるとやはり冷たく感じた。でもだんだん体が水温に慣れていった。ふとキョウをみた。

「キョウ、潜ったことある?」

「あ? ……無いけど、息止めればいいんだろ?」

「うん」

 息を吸って、吐いて、また吸って、止める。水中に全てが沈んだ。この感覚が久しぶりだった。目を開けるとキョウが頬をパンパンに膨らませていたので笑ってしまった。先にに水面へ上がる。キョウも後から続いた。

「何笑ってんだよ」

「だって……フッ……」

「おい」

「あんなにほっぺ膨らませなくたって……」

 しばらく笑いが止まらなくなってしまった。体を震わせているとキョウの手が頭に伸びてきた。濡れて張り付いた髪をクシャクシャに撫でる。また水飛沫が飛んだ。

「……急にどうかした?」

「いや?……やっと声あげて笑ったなと思って」

 その言葉を聞いて、泣きそうになった。今ちゃんと、自分は笑えている。罪を犯したというのに。

「キョウ、俺……」

「言わなくていい」

 鋭い口調でキョウは言った。そして続けた。


「俺もだから」


 驚いてキョウを見た。悲しそうに笑っていた。なんてことないみたいに言葉を続ける。

「一番深いとこってどこ?」

「……真ん中じゃない?」

「行ってみよーぜ」

 キョウが手を引っ張った。跳ねるように水中を進んだ。さっきの言葉が頭の中を反芻した。俺もって、何?キョウも罪を犯したってこと?言葉が足りなくてわからない。わからないよ、キョウ。

 足がもつれた。口の中から体に水が入り込む。苦しい。呼吸が出来ない。体が鉛のように重くなっていく。誰か助けて。


 ……助けて?


「りっか!」

 急に体が浮いた。白い光に包まれた。背中を叩かれ、体に入った水が吐き出る。汚い音だったと思う。浅い呼吸を繰り返す。水面が大きく揺れていた。キョウにぐったりと体を預ける。体温が溶け合った。なんで、なんで。

「大丈夫か?」

「……はぁっ……はぁっ……いつ、」

「あ?」

「いつ、死んでも、良いと思ってた」

「……」

「生きていても、苦しいだけだし」

「うん」

「なのに、……さっき」

「うん」

「助けて、って」

「……」

「おれ、もう、わかんない……」

 涙が止まらなかった。嗚咽が止まらなくて、子供みたいに泣いた。理由はわからなかった。死にたくなるような日々を過ごしたはずなのに、どうしようもない罪を犯してしまったのに、体が死ぬことを拒んでいる。キョウは何も言わず、ただ俺を抱きしめた。そして言葉を紡いだ。


「死にたかったんじゃねぇ。助けて欲しかったんだよ」


 あぁそっか。


「こんな地獄から救ってくれる、何かが欲しかったんだよ」


 結局俺たちは


「平和な方法で自由になりたかったんだよ」


 誰にも助けられず


「でも誰も救ってくれなかった。お釈迦様みたいに糸の一本すら垂らしてくれなかった。だから……」


 最悪な方法で自由になった。


 結局こんな方法でしか自分を救えなかった。俺たちの罪とあの人たちの罪。天秤に乗せたなら、どちらに傾くのだろう。

「俺たちは、悪くねぇ」

「……」

「悪くねぇよ……」

 声をしぼませながら、キョウは抱きしめる力を強めた。そう。そうするしかなかった。もしあのままだったら、多分死んでいたのは俺たちだ。

 キョウの顔を見たくなった。両手で抱え込むように覗いた。泣いていた。あぁ、そうだ。俺も、キョウも、ただの15のガキでしかなかった。大人に頼らず地獄から抜け出すにはこれしかなかった。たとえ間違っているとしても。キョウも、苦しかったんだ。

 あの日のようにキスをした。しょっぱかった。涙と水と何か。お互いが自由になったことへの祝福。犯した罪への贖罪。同情はいらない。俺たちは今、自由になった。そう、俺たちは悪くない。悪くないと、思うしかない。たとえそれが間違いだったとしても。


 幸せは、少しだけ塩素の匂いがした。

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