第20章

 本能寺の変の経過や、信長と蘭丸のやり取りは、途中までは結構信憑性があります。


 本能寺から逃げた侍女の証言や、本城惣右衛門覚書、蘭丸を討ち取ったと伝わる安田作兵衛や他の家臣達、本能寺に関わり、江戸時代まで生き残った人達の証言はリアリティがあります。



 川角太閤記の一場面に本能寺に向かうまでの道順や、どこで謀反を告げられたとか、どういう指示があったかとか、かなりリアルな証言は光秀の生き残りの家臣によるものらしいです。


 人によって証言に少しバラツキがあったり、記憶違いはあったりします。


 謀反について告げたのが亀山城内だったり、出陣してからだったり、道のりが少し違ったりは小説的には些細な事です。


 戦闘準備の下知や、都に入る時の指示は証言とされるものを使っています。


「騎馬の者達は馬の沓を切り捨てよ!徒歩の者達は、新しい足半あしなか(踵の無い草履)に履き替えよ!鉄砲隊の者達は、火縄を撃ちやすいように一尺五寸に切っておけ!」


「町に入る潜り戸は開いている筈じゃ!潜って扉を押し開けよ!幟や旗指物に気を付けて潜れ!軍勢を早く引き入れるように町の扉をどんどん開けていけ!一団となって進まずとも良い!各々が、本能寺の森、さいかちの木、竹藪を目指して進め!進め!」


 と言った辺りです。


 信長が「女達は苦しからず急ぎまかり出でよ」と言うまで側にいた侍女をひっつかまえて、太田牛一さんが証言を取ったそうです。


 なので、「如何なる者の企て...」と聞かれて蘭丸が明智謀反を伝え、「是非に及ばず」という有名なセリフを信長が言うまでのやり取りはかなりの信憑性あります。


 此処で気づくのは、蘭丸の役割です。

 小姓に物見をさせたのに、信長に報告するのが蘭丸という流れは非常事態でも変わらない訳です。

 物見に言った小姓が信長に直接報告するのではないと言うことです。


 その辺りを考えると、蘭丸の最期にも信憑性が生まれてきます。

 それに関しては後程。


 弥助は本能寺を抜け出たと伝わっていて、生け捕りにされたと聞いた事があるのですが、明智光秀が「これは人ではないから、放っておけ」と超差別発言をして助かったらしいという逸話はどっかの史料に載ってます。


 ただ、その後弥助の消息は不明のようで、普通に日本で生きていたら超目立つと思うので、宣教師について国に戻ったのかも知れません。


 弥助だけ何で本能寺を抜け出せたかというのは私の推測ですが、本城惣右衛門覚書から見る雑兵達のモチベーションを考えると、その気になれば案外逃げられたかもねみたいに思ったりします。


 本能寺にいた人数があまりにも少ないので、あっという間に落ちたと思います。


 ただ、やはり本城惣右衛門覚書に記録されているように、敷地の広さと部屋数に対してあまりにも人数少ないので、信長のいる御殿に行くまでは人の姿が殆ど見えなかったというのがリアルです。


 家臣達は信長を守る為に、最終的には御殿に固まって、次々と討ち取られてしまったようですね。


 小説内では敷地の広さが幸いして、少しは持ちこたえてる感を演出してみましたが、実際のところ30分から1時間が限界ではないでしょうか。


 明智軍の明智秀満軍が妙覚寺を囲む予定だったのに進軍が遅れたというのもリアルに感じます。


 明智軍は一万人以上いたようなので、100人くらいしかいない本能寺に費やすとは考えにくいですし、ましな兵力を持つ信忠側を攻めないと謀反を成功させるのは難しいと思うので信憑性はあります。


 小倉松寿と湯浅甚助が町家にいて、本能寺に斬り込んだ事や高橋虎松の奮戦振りも史料に残っています。


 本能寺の変で討ち死にした者の名前の中に蘭丸の姉の旦那の名前もあります。


 蘭丸の姉は三人いたようですが、一番目か二番目の姉の旦那と思われます。


 本能寺の向かいの邸が京都所司代村井貞勝で、この人が妙覚寺の信忠の元に駆け込み、二条城に移動するように進言したと云われています。


 本能寺との位置関係で一番近いのが村井の邸ですが、南蛮寺も結構近いです。


 妙覚寺までの距離も、二条城までの距離も近衛前久の邸が隣にあったのも本当です。


 本能寺の変後に色々な人が謀反に加担していたのではと疑われていますが、蘭丸邸のお隣さんの津田信澄は光秀の義理の息子だったばっかりに、即効信孝に殺されています。


 二条城の信忠軍は1000人近くいたようなので、本能寺のように容易くはいかず、かなり奮戦したようです。


 そこで、とばっちりを受けたのが近衛前久です。


 二条城の隣の邸であるから、明智の兵達が近衛邸の屋根の上とかに上り、二条城に向かって鉄砲で攻撃をしてしまうんです。


 後でその事を追及され、謀反に加担していたんだろうと疑われて、近衛前久は家康を頼り都から逃げ出しています。


 近衛父子って......私には何だか憎めません。

 近衛前久黒幕説を使ったドラマがありました。


 信長役は東山紀之で蘭丸は中島裕翔だったか。

 タイトルは忘れましたが。


 坊丸生存説も採用していました。

 坊丸生存説だけでなく、蘭丸生存説もありまして二つあります。


 一つは前にも書いた蘭丸を信長と光秀で取り合い本能寺の変が起きた説により、生け捕りにされた蘭丸を閉じ込め「俺のものになれ!」と迫る光秀を袖にして、自害してしまうので結局すぐ死んでるやん という逸話。


 もう一つは、傷だらけのじいさんが江戸時代にいて、その傷は一体?と皆が思っていたら、生き残った蘭丸だったという逸話。


 坊丸にせよ、蘭丸にせよ、平家のように源氏の時代になっていたら姿を出す訳にはいきませんが、光秀すぐに殺されてるんですから生きてたら、先ず長可のとこに行ってると思うので信憑性は余り……


 信長の最期については、様々な説があるので勿論はっきりした事は分かりません。


 ただ、信長の首は見つからなかったというのが、光秀のその後の命運を左右する一つの要因となっています。


 

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