暦の話以外は、毛利討伐の話とかしたみたいですが、信長の態度に勧修寺さんはややご立腹なご様子で。


 「見送りもなかった」と日記に書いてます。

 ネットで調べていたら、勧修寺さんって感情が日記に出るよねと指摘されてる方がいまして、私も実は思った事あります。


 安土に勅使が来て、蘭丸が「いかなる御使いのよし」と聞くシーン。


 「おらんと申候こしょうもちて」 と記される場面で、勧修寺さんは蘭丸の事を前から知っていたと思うのですが、この言葉を直訳すると「お乱とかいう小姓をつかわしやがって」という、少し感じ悪い言い方に思えてしまうのは、私の考え過ぎかもしれません。


 本能寺の変の前日、信長が皆に優しい言葉を掛けたというのは、意外にも確か、秀吉が書かせた「惟任退治記」にも載ってたと思います。


 公家を追っ払った後、身内や仲の良い家臣達と酒宴があったようです。


 深夜まで碁を見たって話が結構ポピュラーですが、江戸時代の創作っぽかったのと、ページ数増やしたくなかったので、作者の都合で大人しく寝た事にしました。


 乱が蘭丸となったのは、美少年のイメージを持たせたくて江戸時代に創作されたものと、かなり深読み意見もあるようなので調べました。


 蘭の歴史を。


 蘭が乱だったら何だ、じゃあ美少年世阿弥はどうなるんだ。

 彼の場合は鬼夜叉というとんでもない名前だったから、足利義満の愛人になって藤若という名前に変えさせられたようです。


 乱が「乱を治める」という意味として使われているのを、古典で見かけた事ありません。

 一般的な使われ方は、戦乱の乱とか乱れるという意味で、良い意味で使われている例に御目にかかった事ないです。

 

 ただ、学のある身分の高い人達は、治めるという意味を持つ事は知っていて、蘭丸父も、そのような意味で名付けたんだとは思います。


 蘭というと、西洋のカトレアばかりが頭に浮かび、非常に女性的且つ美女的で、戦国時代にカトレアなんてなかったと思ってしまう人が多いように感じました。


 はい!無いと思います。カトレアはね。


 昔の日本、或いは中国で蘭と認識されていたのは、キク科の蘭とラン科の蘭と二つあるようです。


 孔子の詩が小説に出てきますが、孔子の時代の蘭は、小説で書いた通り、主にキク科の香草。

 日本の七草、フジバカマを蘭と認識していたようです。


 草なので、見た目超地味です。

 見た目ではなく、香りが随分と愛されていたようで、孔子の詩だけでなく、男性の内面の美しさを称える物として蘭が例えに頻繁に使われています。


 聖人君子とか、孤高の賢者のようなイメージです。


 時代が進み、日本の戦国時代頃には、現代人にも馴染みがあるような形の蘭の花が愛され、既に中国では栽培もされていたようです。


 春蘭という綺麗なラン科の花です。

 

 ただ、蘭が草から花のイメージに変わっても、相変わらず男性の美徳を例える比喩として用いられていて、香りも見た目も愛され、女性の名前にも良く使われています。


 高貴なイメージが愛されたらしく、日本の梅や松、菊、竹、藤、などのように男女問わず名前に使って違和感ない植物として認識されていたように思います。


 歴史を少し掘り下げると織田家三蘭丸というのが出てきます。


 織田家には、早川蘭丸は謎ですが、伊藤蘭丸父子と三人の蘭丸がいたという知る人ぞ知る話です。


 伊藤蘭丸祐道が松坂屋の創始者である事も知る人ぞ知るで、包装紙の柄がカトレアなのは、蘭丸の名前からきているとも言われています。


 蘭丸父子の名前は信長が付けたとも伝わっていて、信長が派手好きで、伊藤蘭丸父子が美形で食されていたからかと思っていたのですが、蘭の歴史を調べて納得です。


 男性に使っても全く違和感ない字だった訳です。


 なので、名前が蘭だからといって父子揃って信長に食されていたと思ってはいけません。


 本能寺の変に参加した光秀の家臣達が生き残って色々証言してくれてます。


 本城惣右衛門覚書は丸ごとwiki に載ってます。

 それ以外にも、蘭丸を討った安田作兵衛とか、他の家臣達の証言も続々と寄せられていて、本能寺に向かうまでの指示内容とか、どういう経路でいったとか、とってもリアルです。


 証言により多少食い違いはあります。

 光秀が謀反を打ち明けたのが亀山城か、城を出てからかとか。


 ただ、ぎりぎりまで言わなかったというのは一致してます。


 光秀が本能寺に軍勢を向かわせる口実として蘭丸の名前を使ったのはポピュラーな逸話です。


 「京の森乱より飛脚があった」という部分です。

 

 小説では光秀を茶会に呼ぶ書状を、軍勢を向かわせるのに利用した事にしてますが、実際には書状自体存在せず、光秀が嘘を言っただけかもしれません。


 茶会に呼ぼうとしていたというのも私の創作です。


 ただ、実際に本能寺の当日に色々な人が都に向かっていたようでして、家康とかもそうですし、確か筒井順慶とか。


 光秀を茶会に招いても不思議はないと思うのですが、中国に向かう途上に京都はないので、ついでじゃなくて、わざわざ向かう感じになってしまうのだけが気になります。

 

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