気まぐれな先輩。

天野詩

出会い

 ピンク色に染まる景色の中で行われる高校の入学式。新しい環境への、様々な不安と期待が募る中、春川雫は体調を崩し、初日から保健室にお世話になるという、なんとも酷い始まりを迎えていました。


(いや、まあ……昔からだし仕方ないか)


 昔から身体が強い方ではなく、緊張や気圧、人の波などにも弱かった。体調を崩しがちだったので慣れたものではあるが、辛くないわけでは決してない。


「じゃあ先生戻るから、体調良くなったら教室へ行くように。駄目そうなら誰かに声掛けて帰ってもいいから」


「はい」


 気のない返事をして、扉の閉まる音を聞く。遠くなる足音は入学式へ向かっているのだろう。そろそろ入場の時間だろうか。貰った予定表を思い出そうとするが、まだ若干の気持ち悪さを残す身体は言う事を聞かない。仕方なく考えるのをやめる。目を瞑ると、車酔いのような、平衡感覚の狂った感じがした。そこからやばいと感じるまでに、そう時間はかからない。


(……吐きそう)


 重い身体を無理矢理上げ、急いでベッドから降りて保健室を出る。多少ふらっとしたが、トイレに行くくらいは問題ないだろう……多分。初日から最悪などと考えつつも、壁に手を付きながら見慣れない廊下を進む。段々と、目の前の道が歪む。どうやら問題はあったようだ。間に合わないことを悟る。脚の力が抜けその場に座り込む。身体はもう動かないようだ。


「君、大丈夫?」


 ふと、後ろから声がした。口を抑えながら振り向くとそこには女子生徒が一人、立っていた。私から顔はわからない。が、相手は私の顔を見て察したのか、近くにあった掃除用具入れらしきロッカーからバケツを取り出す。


「これに出して」


 選択肢はなかった。それからのことはあまり良く覚えていない。目を覚まして、最初に感じたのは、まだ少し冷えたような、窓から吹き抜けた風と、それから、大きなキャンバスの前で、多彩な色の乗ったパレットを左手に持ち、右手に筆を持った女子生徒の姿だった。


 肩くらいまである、少し茶色の混ざったような髪が、逆光で透き通る。見るだけで良質だとわかるさらさらの髪が風でなびく。振り向いた彼女と、目が合う。薄茶色の瞳に、私は惹きつけられる。


「よかった、起きたんだ」


 微笑んだその顔は、綺麗だった。物語に出てくる傾国傾城の姫を思い出させるような、そんな顔。白いドレスを着せ、若干の化粧と紅を塗るだけで、多分再現できるであろうその美貌に、目が離せない。


「具合大丈夫?」


「はい、もう大丈夫です」


(……具合?)


「……っ!!」


 そうだ、私バケツに吐いて気を失ったんだ。吐き気がして、ふらふらの状態で廊下に出て、それで……


『君、大丈夫?』


 助けてもらったんだ……多分、この人に。


「ご、ご迷惑をお掛けしてすみませんでした!」


「え?ああ、片付けはしといたから心配しなくていいよ」


「……本当にごめんなさい」


 初めて会った知らない人に、とてつもない迷惑をかけてしまったことに、後悔してもしきれない。


「そんなに気にしないで。人に迷惑をかけないで生きていける人間なんていないんだから」


 いつの間にか筆とパレットを床に置き、近づいていた彼女に頭を撫でられる。


「それに、私もごめんね。こんなところで寝かせちゃって。入学式の最中で先生いないみたいだったから、一人にさせるわけにもいかなくて」


 よく見ると、ここは美術室みたいなところのようで、私の上にはブレザーがかけられていた。彼女の物だろう、衣替えの季節はまだ先なのに、彼女はワイシャツだった。


「あの……これ、ありがとうございました。クリーニングに出して返したいのですが、学校もありますし、助けていただいたことも含めて何かお礼を……」


「だからそういうのは気にしなくていいの。戻れるようだったら保健室戻りな。そろそろ先生も戻ってきてると思うし」


 ふと、時計を見ると思っていたよりも時間が経っていたようだった。そろそろ入学式が終わる頃だった気がする。


「立てる?」


 手を伸ばされる。「ありがとうございます」と、何度目かわからないお礼の言葉を言いながら、その手を掴む。白くきめ細やかな綺麗な肌で、冷たい手。やっぱり身体が冷えてしまったのかもしれない。そんなことを考えながら、その手に引かれ立ち上がる。ただ、まだ調子の良くない身体は自分でバランスを取れなかった。


「わっ」


「おっと」


 倒れそうになった瞬間、肩を掴まれ抱きしめられるような体勢になる。身長は私より頭一つ分ほど高く、160ちょっとくらいだろうか。心臓の鼓動が聴こえるくらい近くで感じる彼女は、見た目より細く、なんだか遠目で見るより繊細というか、脆いように感じた。

少し離れて、顔を見上げる。光がちょうど遮られているのでさっきより鮮明に彼女の顔が映る。


「えっと、その……ありがとうございます」


「大丈夫?もう少し休んでいく?」


「いえ、もう大丈夫です。ですが、もしかして貴方も、体調があまり良くないのでは……?」


 なんとなくだが、そんな気がした。疲労なのだろうか。絵を描いていたみたいだし、疲れたのかもしれない。でもそれにしたって。


「……寝不足と、栄養不足みたいな感じですか?」


 自分の体調管理の為に、少し学んだ時の知識だった。


「凄いね、分かるの?」


「体調を崩しやすいので、少しだけ知識があるんです」


「そっか……。ちょっと迷惑かけるかもしれないけど、ごめんね。いつものことだから気にしないで」


 その意味を理解する前に、彼女は魂が抜けたように倒れそうになる。


「大丈夫ですか?!」


 さっきとは逆で、今度は私が彼女の肩を引き寄せる。感じる重さに、彼女の何処にも力が入っていないのだと悟る。多分私じゃ支えきれない。覚悟を決め、後ろに彼女ごと倒れる。怪我をさせないように、抱きしめて。目を瞑って私も怪我をしないことを祈る。が、私達は倒れずに、何かに支えられる。


「何やってるのよ。危ないわね」


「先生……」


 間一髪、先生に支えられ、無事だったようだ。体勢を戻し、彼女を床に寝かせる。あとは何とかするから、保健室に戻りなさいと言われる。教室を出る時に、ふと入ったのは、とても美しい桜の絵と、床に落ちていた大量のサプリメントのようなものの袋だった。

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