第18話 毒と覚悟、そして再開


「だ、大丈夫? ナツメ……?」


 すぐそこで立ち尽くしていたユズハが、急ぎ足で駆け寄ってくる。


「だ、大丈夫だ……。でも……」

 

 男の死体を見て、思わず口元に手を当てる。

 鼻を突く不快な臭い。眩暈。くらりと倒れそうになるのを、寸前で堪えた。

 

 また、もう一人、僕が、僕が殺して――


「――仕方ない。今のは、不可抗力。気にすることない」

 

 ユズハに背を擦られ、少しずつ動転した気持ちが落ち着いていく。

 人を殺す。少し前までは考えたこともなかった。テレビで騒がれる殺人事件も、どこか他人事のように感じていた。

 

 でも、今も手に纏わりつく、ぐにゅりと、人の体内に剣が刺さっていく時の不快な感触。

 思い出すだけで、吐き出しそうだった。


 ふぅと息を整え、青ざめた顔を上げる。

 

「すまん、ユズハ。嫌なもん見せたな」

「……ううん、大丈夫。それより、大丈夫?」

「大丈夫? 何がだ……?」

「ほら、ほっぺたに、傷」


 言われ、頬に手を当てた。

 ぬるりと、何かの液体で指が滑る。手を見れば、そこにはべっとりと血がついていた。 


 躱したと思っていたナイフ……あれが、ギリギリ頬を掠めていたらしい。

 痛むけどまあ、堪えられない程度じゃない。


「大丈夫だ。……そんなことよりも、すぐに先に――ッ?」

 

 ぐらり。脳を揺さぶられるような感触に、目を見開いた。

 頭痛、吐き気。おおよそ風邪のような症状が、台風のように僕に迫る。 


 ……なんだ、これ。

 咳き込むと、コポリと口から血の塊が迸った。

 

 いや、まさか……。 


 息を三十秒間止めて、僕は己のステータスを確認した。

 そして。普段は書かれていなかったその『表示』に、どうしようもなく、情けない悲鳴を漏らした。



『状態異常:猛毒――約30分で死に至る』


 

 約30分で死に至る。

 視界の中でその文字が、ゆらゆらと揺らめいていた。 


 思考が、完全にシャットアウトする。

 ……え、死ぬ? 30分で? たった、そんだけで?

 

 冷や汗がぶわぁっと湧き出る。

 僕の周囲を取り囲むように、死神とやらが笑っている気がした。

 

 からからに乾いた喉に、じんわりと鉄の味が広がっていく。

 ……あ、やばい。


 目のふちがじんわりと熱くなって。ぽたりと、頬を一滴の涙が伝った。


 いや、だ。いやだ、いやだ。まだ……死にたくな――


「――ゔ、ぁ”……」

 

 地面に膝から崩れ落ちて、ドクドクと不定期に唸る心臓を押さえた。

 ぽたぽたと、開いた口から血が滴る。ぷはっ、と、更に勢いよく血が吹き出した。

 

 瞳孔が、ゆっくりと開いていく。

 ……あ、これ、もう、やばい。

 

 ぜぇはぁと、足りなくなった酸素を掻き集める。

 藻掻く僕に、ユズハが不安げに声をかけた。


「……大丈夫?」

 

 あ、そうだ。そうだよ。

 ユズハには【治癒ヒール】がある。もしかしたら、それを使えば……。

 もたれかかるように、ユズハの体を掴んだ。


「毒……にかかっ、たッ!! 頼む……速く、速く【治癒ヒール】を……ゔ、ぁッ!!」

 

 鼻から、つーっと血が垂れる。目に痛みがして、と思ったら、ぽたぽたと目の辺りからも血が垂れ始めた。耳からもまた、血が吹き出ている。……なんだ、これ。

 

 ユズハが、「え、うそ……」と嘆くように口にした。

 

「す、すぐに治すね……。支援魔法【治癒ヒール】」

 

 緑色の淡い光が僕を包む。

 ゆっくりと、僕にのしかかっていた苦痛が晴れていくのが分かった。 


 呼吸を整えるように、深く息を吸って吐く。

 治った……のか?

 

 いいや、違う。軽くなっただけだ。

 もう一度ステータスを確認する。



『状態異常:毒――3日で死に至る』


 

 呆然と、それを見ていた。

 3日後、僕は確実に死ぬ。痛いのだろうか。苦しいだろうか。分からない。でも、一命は取り留めた。まだ、命を繋ぐ術はあるのだ。

 

 攻略にかせられた制限時間は、残り4日。

 そして、僕に残された時間は、残り3日。 

 

 分かりやすい。たった1日、減っただけだ。

 4日の時点で、多少の無茶は覚悟していた。

 

 けれどもう、腹を括るしかない。


 頃合いを見るように、脳内でぱんぱかぱーんとアナウンスが鳴り響いた。


『みなさん、第三層の攻略、楽しんでますかー? 順調にエリアボスを倒せているみたいで、私も安心です~! エリアボスは倒せば倒すほど皆さん迷宮攻略に役立つ【アイテム】が授けられますから、積極的に倒してください! ちなみに、第三層の攻略条件は簡単!』


 一呼吸おいて、アナウンスは僕らに告げる。


『――第三層は、全てのエリアボスが討伐された時点で攻略完了となります!』

 

 その言葉に、僕はぎちりと剣を握りしめた。


『残された11人のプレイヤーの皆様は、力を合わせて攻略してくださいね! 16人から随分減っちゃいましたけどね~? しくしく! それじゃ、また!』


 じじっ、とノイズを立てて消えるアナウンス。

 その頃にはもう、僕は歩み始めていた。

 

 残された時間は、少ない。

 ……やるしかない。

 

 毒は、ユズハの【治癒ヒール】をもう一度かけたが、これ以上症状が軽くなることはなかった。

 つまりは、そういうことだ。 


 ――残された時間は、たった3日。 


 こうなった以上は、臆病なままじゃいられない。

 

 人を殺したことで上がっていた2つのレベル。

 それによって得たスキルポイントを【回収の極意】にぶち込んで。

 

 ……やってやるさ。

 指先を口角に押し当てて。ぐいっと、僕は笑みを作った。

 

SkillTree──────────────―

〇スキルメニュー

【回収者の極意――〈13〉[+2]】

──────────────────―


Info─────────────────

【回収の極意】のポイントが13になったため、

【技量】のステータス30上昇しました。

──────────────────―

 

 ◇


「フラマッ!! 【どんぐりショット】ッ!!」

 

 リスの顔面をしたフラマの口から、ぽんぽんぽんと、3連発でどんぐりの銃弾が飛んでいく。

 名前こそ可愛らしいものの、その威力は破壊的だった。 


「GUGYAAAAAAA!!」

 

 ――エリア【蝶の舞う花園】、そのエリアボス【ハニー・ビートル】の尻先にある鋭利な針が、木っ端微塵に吹っ飛んでいく。 


 これで、相手の脅威は無力化したも同然だった。

 声をかけることなく、足に力が貯まっていく。ユズハだ。

 

 ダンッ、いつも通り宙を飛ぶ。

 忙しなく羽を動かし逃げようとする【ハニー・ビートル】の羽を掴んで、ぐしゃりと羽をもいだ。


「GYUIIIIII!!」

 

 悲鳴を上げる【ハニー・ビートル】は地に落ち、やがて微塵も動かなくなる。

 それを見て息を吐きながら、僕は紫の返り血を袖で拭った。 



Info───────────────────

【!】エリアボス《ハニー・ビートル》を討伐しました。

【!】アイテム《はちみつ》が授与されました。

──────────────────―――

 

 

 どこからともなく現れた瓶に詰まったはちみつを眺めて、僕は笑う。


「なーにが攻略に役立つアイテムだ……」

 

 ちろりと舐めてみるが、甘いだけ。バフがかかる気配もない。このただの『はちみつ』が、一体何に役立つってんだ……。

 

【鑑定】してみるが、『分類:不明』と表示されるだけだ。

 ただまあ、どうやら、単なる食料というわけでもないらしかった。 


 はちみつを【収納】して、おもむろに空を見上げる。

 空に浮かんでいたのは、いわゆる『マップ』というやつだった。 


 マップは正方形型に、規則正しく36マスに区切られていて。

 点々と、マスには×マークと『!!!』マークが並んでいた。 


 ×マークが攻略完了エリアで、『!!!』マークが要注意エリア、ということらしい。

 恐らくプレイヤー同士で位置が把握できないようにだと思うが、×マークは攻略完了後、間を開けてつけられる。親切設計である。

 あの白髪に出くわすのも面倒臭そうだし、そそくさと退散させてもらおう。

 

 エリア【蝶の舞う花園】は下から2マス目の右から3マス目の位置。

 すぐ上のエリアは僕が攻略済みだし、左は未攻略ではあるものの、すぐ隣に×マークがある。近くに誰かがいるということだろう。


 一方、右下あたりのエリアにはまだ誰も手を付けていない。


 このまま、右の方向を目指すとしよう。 


 数えてみれば、討伐完了されているエリアボスの数は――『22体』。

 左上の辺りが全て攻略されているのを見るに、それなりに強いプレイヤーが暴れているのだろう。見れば、『!!!』のマークがついていた場所にまで『×』がついていた。

 

 僕がこれまで倒してきたのは――

 

討伐難易度:★☆☆☆☆

〇【叩かれる土竜もぐら


討伐難易度:★★☆☆☆

〇【リス軍曹】


討伐難易度:★★★☆☆

〇【シルバーバック】・【ハニー・ビートル】・【徘徊する石像】

 

 ――この計5体だ。

 

 星4,5と戦ったことはない。

 かといって、【シルバーバック】戦ではかなりの痛手を負った。

 

 簡単に言えば木を伝って軽やかに移動するゴリラなのだが、お生憎様こちらは人間。

 木を伝うなんぞ大それた芸当できるはずもなく、翻弄されまくった。最後には一か八かで突っ込んできた【シルバーバック】に【引き寄せ】を使って倒したが……ギリギリだったのは間違いない。 


 ただ一方、【徘徊する石像】は楽に倒せた。

【どんぐりショット】を遠くから打ちまくっていたら、ぽろぽろと石が崩れてきて、いつの間にか倒していた。

 

 エリアボスとの戦いは、ほぼ相性に影響される。

 多分、それは間違いないことだ。

 

 何度か【死体回収】の対象を今の【リス】から変更しようとしたが、【どんぐりショット】の汎用性を信じてこの状態を貫いた。

 

【どんぐりショット】はまさしく銃撃だ。

 3発、対象にどんぐりの弾丸を浴びせるだけのスキル。消費MPは1あるが、それはフラマのMPに依存する。

 

 リス状態のフラマのMPは驚異の32。

 ただでさえ威力の強い、一度で3発撃ち込めるスキル。それが32回繰り出せるとなれば……96発、敵に強力な弾丸を浴びせられるということだ。クソ強い。

 

 故にエリアボスの死体はすべて【解体】してきたが、ドロップアイテムは攻略報酬と同じものだった。

【ハニー・ビートル】からもまた、同じはちみつがドロップした。正直いらない。 


「さーて……早速、次に行くか。ユズハはまだ行けるか?」

「うん。まだ頑張る! それより、毒は大丈夫……? 体は痛まない? 無理しちゃやだ」

 

 泣きそうな顔で僕にしがみつくユズハ。

 どうやら、余命3日の僕を心配してくれているらしい。なぜ、なんて思うのはもうやめた。きっと、この子の心の内は僕には読めない。


「大丈夫だから。ほら、さっさと次行くぞ」

「……えへへ」

 

 頭を少し撫でてやっただけでこの上機嫌さだ。

 単純なやつめ。

 

 色とりどりな花が咲き誇る花園を、真っ直ぐに歩いていく。

 ひらひらと舞う蝶々が鼻先にちょこんと止まって、またどこかへと飛んでいった。 

 

 ……長閑だな。

 だがしかし、前方に見えるのは大樹。巨人が住んでいるとしか思えない森だ。更にその奥のエリアには、『!!!』マークまでついている。

 

 きっと、ここからが山場だ。

 ひっそりと、影で覆われた大樹の森へと、僕は足を踏み入れた。 

 

 景観がガラリと変わる。

 それに、肌寒い。木々の表面は黒く、それがより陰鬱な雰囲気をあたりに漂わせていた。木漏れ日の一つさえない、異様な空間。

 

 ガサコソと、何かが揺れるような音が聞こえてきた。

 ……なんだ? まさか、エリアボスか?

 

 息を呑んで、音の正体を探る。

 するとそこにあったのは――


「……は?」


「……ふぇ?」

 

 ――涙目で蹲り、赤色の木の実を口に運ぼうとする、金髪ギャルの姿だった。


 ……金髪ギャル。

 あの日、僕と決別したパーティーメンバーのうちの一人。

 

 阿左美あさみ 天菜あまなが、そこにはいた。




【あとがき】

 おそらく、ここからかなり駆け足で物語が進みます。

 駆け足すぎて「ん?」となられたら申し訳ありません……。頑張って書きますので……。

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