第14話 Hello Hello


 

 なんてことない昼下がり。

 冷房が効いて、真夏だというのに少し肌寒い場所で。

 

 目の前の、白衣を纏う医者は唸りながら首を傾げた。

 

「うーん。嫌なことを聞いたらごめんね。まず、虐待を受けていたことはあるかい?」

「……あります、かね。覚えていなくて、あんま。でも、幼少期は、幸せだったと思います……」

 

 あはは。

 取り繕ったように笑みを浮かべる僕に、医者はふむふむと分かったように頷き始めた。


「それじゃあ、何かこわ~いものから身を守ろうとしたことは?」

「それは……うーん。あったような、なかったような」

 

 そうですか。なるほどなるほど。

 医者は手に持つ資料のようなものをとんとんと机の上で整えると、僕の目を真っ直ぐに見つめて言った。


「気に障ったら申し訳ないけど、これは向き合わなくちゃいけないことだからね。マークテストの診断結果からして、間違いないことだよ。落ち着いて聞いてくれ。君は――解離性同一性障害、いわゆる二重人格だね」


「それって……つまり?」


「君の中には、君を守ろうとするもう一つの人格がいるんだよ」

 

 ミーンミンミン、なんて。

 あまりにも作り物っぽい、小煩い蝉の鳴き声が耳元で反響していた。


 ◇

 

 市井さんは顔を歪めながら胸元からダガーを引っこ抜いて、傍らにそれを置いた。

 ただ僕は、そのダガーに釘付けになっていた。


 なんで、なんでなんでなんで……?

 なんで、僕のダガーが……?


「あ、あれ……」 


 天菜が口を震わせて、市井さんに突き刺さっているダガーに人差し指の先を向けた。


「あれ、あんたのじゃないの……?」

 

 向けられる怪訝な視線に、僕は一歩後ずさる。

 市井さんが、右口角の端を強がるように持ち上げて、優しげな声色で僕に訊いた。


「……そう、なのか? ミナト、教えてくれ。俺は……まだ、君を信じていたいんだ」


「ち、違います!!」

 

 切羽詰まったように、僕は悲鳴混じりの叫び声を上げる。


「そのダガーは、僕の物ですけど……でも、僕じゃありません。僕は、何も……っ」

 

「じゃあ、何故俺を起こさなかったんだ? ……順番通りなら、君は見張りを俺と交代する予定だっただろう……?」


「そ、それは眠っていただけで……。って……」


 3方向から突き刺さる怪訝な視線に、僕は思わず口をつぐんだ。

 息が止まる。……なんだ、これ。あれ……?

 

 もしかして、誰も僕を信じてない?


「ちょっと、待って、待ってくださいよ……」


 一歩前に出る。

 瞬間、天菜が「ひぃ……」と小さな悲鳴を上げて一歩後ずさった。


「こ、来ないで……」


「いや、だから僕は何も……っ」


「動くな、ミナト。……信じてもらいたいなら、だ」

 

 な、なんだよ、これ。なんで……?

 ピタリと静止しながら、僕はははっ、と自嘲気味に笑う。 


 頬を伝う冷や汗が、ぴちゃりと地面に落下した。

 

 息を呑んで、僕は必死に真っ白に染まった頭を回す。

 考えろ……考えろ……。間違ったら終わる。ここで返答を違えれば、僕は終わる。


 あまりにも大袈裟に生唾を飲み込んだ。

 

 なぜ……? 

 なぜ、市井さんの胸元には僕のダガーが突き刺さっていた? 


 僕が刺した、としか考えられない。

 けれど、僕は何もやっていない。証人はこの僕だ。僕だからこそ、それは確信できる。 

 僕は……確か、ひどく眠気がして、だから、眠ったはずだ。

 

 それで、市井さんのうめき声で目を覚ました。

 だとしたら、なんで僕のダガーが……? 


 答えは、一つしかない。

 でも、いや、そんな……。 


 まさか……。 

 

 ――ハメられた……?

 

 でも、なんで、誰が……?

 まさか、裏切り者……?

 

 いたのか?

 でも、誰が?

 

 泳ぐ視線を、なんとかみんなの方に向ける。

 ユズハか? 天菜か? この二人のどっちかが……僕を、罠にかけた?

 

 でもまさか、いやいやいや……。

 

 ユズハはまだ子供だ。そこまで頭がキレるとは思わない。それに、あれだけ僕を主人公だとか言っていたくせに、こんな裏切りってあるのか?

 天菜だって、こんな腰抜けのくせにこんな事できるわけがない。

 

 ユズハでも、天菜でもあるわけない。

 だったら、だったら……。 


 だったら、誰がやったって言うんだよ……。

 思考を放棄するなよ。いるんだ……いるんだよ、裏切り者は。

 

 受け入れろ。そして、考えろ……。

 きっと、まだ大丈夫だ。ちゃんと説明すれば、まだ、みんな分かってくれるはず。


「僕は……やってません。きっと、『裏切り者』が、僕を犯人に仕立て上げようと――」

 

 きっと、まだ、みんな……僕を――


「――ミナト。すまないが、もう、君のことは信じられない」


「……へ?」

 

 市井さんの言葉に、思わず呆けた声が漏れた。

 今、この人……なんて……?

 

 困惑する僕に、更に市井さんは続ける。


「今すぐ、この場から離れるんだ。なるべく、遠くへ」

 

 ……何、言ってんだ?

 この場から離れるって……。パーティーを離脱しろってことか?

 

 いや、まさか、そんな……。

 

「なんで、なんでですか!? だから、僕は何もやっていないんですってば!!」


「何もやってないなら、なおさら分かってくれ」

 

 ひどく冷徹な視線に、体から力が急速に抜けていくのが分かった。

 

 あっれ……。おかしいな。

 ぐるぐると視界が回る。 


 喉がカラカラに乾いていて。

 か細い吐息が、一つ漏れた。

 

 世界から、孤立するような感覚。

 

「君のような危険な存在を、この場において置くわけにはいかない。嬢ちゃんとおチビちゃんならば、今の俺でもなんとかなるだろう。だが……ミナト。君が裏切り者だった場合、俺にはどうしようもできないんだ。君を特別疑っているわけじゃない。……分かってくれ」 


 そっか。そういうことか。なるほど、それなら仕方ない。

 仕方ない、けどさ……。

 

 醜悪なゴブリンの外形を思い出して。

 僕は、ぐちゃりと表情を歪めて口を開いた。


「それって……僕に死ねって言ってますよね?」

 

「あんた……折角あんたを庇って言ってくれているのにそんな言い方……っ」


「だって、だってそうじゃないか……。第二層になって魔物も強くなって、たった一人で僕が戦える訳がないだろ? 僕が一人で戦っても……殺されるだけだ。市井さんだって、それを分かって言ってるんですよね……?」

 

 市井さんは、ただ何も答えなかった。

 黙って、僕のことを見ていた。 


 諦めにも恐怖にもよく似た、笑い声が喉からこみ上げる。

 

「結局、そういうことですか……。なんだ。信じていた僕が……馬鹿だった。じゃあ、僕は行きます。でも、最後にそれ――」

 

 市井さんの胸元に突き刺さっていたダガーに指をさして、僕は言う。


「――それだけ、返してもらってもいいですか? それがないと、戦えないので」 


 ただ、市井さんは何も答えなかった。

 なんだ、それ。なんだよ。 

 

 ……結局、そういうことかよ。 

 やっぱり、僕のことなんて、信じていないんじゃないか……。

 

 目を伏せ、唇を噛み締め。

 僕は、ゆっくりとみんなに背を向けた。 


「【アイテム欄】」

 

 呟き、僕は【アイテム欄】を開く。

 そして、【収納】していたゴブ肉をいくつかその場に投げ捨てた。


「これ……みんなで食べようって、言ってたやつなんで」

 

 それだけ吐き捨てて、僕は歩き出した。

 

「ま、待って、ユズハも――」

 

「――来んな」

 

 背後から近づいてくるユズハの声を、僕はたった一言で静止させる。

 なんで……。そんな声が耳に入る。

 

 困惑するユズハに、僕は更に告げた。


「もう、誰かを信じるのも、信じられるのも、疑うのも、ごめんだ。だから……一人にさせてくれ」

 

「ユズハは、ナツメの味方。だから、裏切ったりしない。……ダメ? お願い」


「いくらお願いしたって……っ」


「じゃあ、ユズハが変なことしたら……殺してもいいよ? だから、お願い」


「…………勝手にしろ」

 

「やった!」

 

 てくてくと近づいてくるユズハに、僕はお願いする。


「最後に、市井さんに【治癒ヒール】を使ってやってくれ。それが出来ないなら、着いてくるのは認めない」


「……分かった」

 

 確かに市井さんに【治癒ヒール】を使ったのを確認して、僕はまた歩を進め始めた。

 

 一歩、一歩。

 覚束ない足取りで。ゆっくりと、ずっと、行く宛もなく。

 

 それからずっと歩いて。

 口の中にしょっぱい味がして、僕は初めて、自分が泣いていることに気づいた。

 

「なんで、なんで……」

 

 ズキリと痛む胸元を押さえつけ、僕は壁によりかかる。 

 頭の中にあったのは、昨夜のことだった。

 

 市井さんと、笑い合っていた時のことを。

 それを思い出して、ぎゅっと拳を握りしめた。


「――ゲームかぁ。帰ったら、久しぶりにやってみてぇなぁ!」

「――じゃあ、僕と一緒にやりましょうよ!」

「――お、いいなそれ! 帰ったらゲームパーティーだ!! ガーッハッハ!!」

 

 ……笑っていた。幸せだった。

 確かに、そうなるはずだった。市井さんと一緒にダンジョンを出て、それで、一緒にゲームをしようって、約束した。 

 

 なのに……。

 なのに、なんでこうなった?

 

 裏切り者のせいか? 僕があのとき、眠ってしまったからか……?

 

 ぐちゃぐちゃになった頭の中で。

 誰かが、「ちげーよ」と囁いた。


 ひどくおぞましい、けれど、聞き飽きた声だった。

 それは。


「――お前が弱いから、全部全部失ったんだ」

 

 それは、他でもない僕の声だった。

 

 ハッとなって、目を見開く。

 

 更に、声は僕に告げる。


「甘いから。優しいから、テメェはいつも失ってきたんだろ? ほら、あの路地裏で女を助けたときもそうだ。お前は優しいから、だから全部失った」

 

 空っぽな僕の胸に、すっと言葉が染み込んでいく。


「いるって気づいていたくせに、甘いから、優しいから、だからいないって思い込む。……だから、ほらまた失った」

 

 ぐちゃ、ぐちゃ。

 音を立てながら、頭の中で何かが擦り潰れた。


「お前が守りたいものはなんだ? 妹だろ? あの日誓ったはずだ。全てを失っても、守り抜くって。なのに、他を取っている暇なんてあるのかよ? ……お前があの日抱いた覚悟は、その程度のもんだったのか?」


 息が乱れた。

 ぽたりと、口から垂れるよだれが地面に一点の染みを作った。


「だったら、甘さも優しさも全部いらねぇ。思い出せよ、本当の自分を……。お前は、そんなに出来た人間だったか? ちげーよな。もう、周りの目を気にする必要もねぇ……」

 

 そうだ、そうだよ……。

 

 ニタリと、口角を吊り上げた。

 ゆっくりと立ち上がって、僕は顔を隠すほどに長い髪をかきあげる。

 

「……ようやく思い出したかよ。だったら、強くなれ。もう、誰にも裏切られないくらいに。奪われないくらいに。どんな理不尽でも跳ね返せるくらいに……強くなるんだ」 

 

 そして、それで。

 

「――僕が裏切り者を、裏切り返す」 


 他でもない自分の声で、僕はそう呟いた。

 もし次、どこかで市井さんと再会しても。僕は、彼を信じない。天菜も。ユズハだって。 

 

 優しいから、弱いから裏切られる。

 この世界は、そんな理不尽で出来ている。

 

 だったら。

 甘さも弱さも優しさも、全部いらない。

 

 全ては、結花を救うため。

 僕は……ここで生まれ変わる。

 

 涙を拭って、前を向いた。

 今もきっと、僕を罠にかけた裏切り者はほくそ笑んでいるんだろう。


 ……それも今の内だけだ。

 

 マフラーの下に口元をうずめて、僕はゆっくりと息を吐いた。

 

「ガルゥッゥウ!!」 


 前方からやって来た犬頭人身の魔物――コボルトを見据え、僕はゆっくりと彼に手をかざす。

 武器はない。それに、僕には攻撃的なスキルや魔法もない。

 

 けれど。 

 コボルトが振りかざす剣をターゲットにして、僕は囁くように口にした。


「スキル【引き寄せ】」

 

 飛んでいったマフラーが、コボルトの手から剣をひったくる。

 そして、やがて剣は僕の手元に収まった。 


 驚き固まるコボルトに向け。

 僕は、ゆっくりと距離を詰める。

 

 コボルトは、怯えたようにその場で尻餅をついた。

 涙目を浮かべるコボルトの腹に、勢いよく剣を突き立てる。何度も、何度も何度も何度も。

 

 そして、返り血を浴びた顔をそのままに。

 僕は、ポツリと呟いた。


「なんだ。……案外簡単だ」

 

 歩き出す。

 強くなるために。もう、裏切られないために。


 弱い自分は、もう終わりだ。

 僕は、結花のためならば。 


 ……どれだけ残酷な人間にだって、なってやる。 


 時計の針が進むように。

 チクタクと音を立てながら、僕の物語が回り始める。




【あとがき】

 昨日投稿できなくてすみませんでした。

 それともう一つ、作者のメンタル状況と多忙により毎日投稿をやめさせて頂きます。申し訳ありません。ただ、なるべく高い更新頻度は保つ予定です。

 

 今後ともどうか、本作品をよろしくお願い致します;;

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