マリアナ決戦

第53話 小隊最弱

 昭和一九年二月一日、天国のような、あるいは別の意味で地獄とも言えた入院生活から抜け出し、ようやくのことで軍務に復帰した俺だったが、とっくに「瑞鶴」第三中隊長の任からは外され、最初のうちは員数外扱いのしがない実験部員の一員だった。

 まあ、長期入院を強いられた搭乗員をいきなり最前線に放り込むようなマネはさすがに人使いの荒い海軍でもためらいがあったのだろう。

 それに、俺は中尉でもあり部下の命を預かる立場なのだからなおさらのことだ。

 実戦勘の鈍った中尉に率いられた中隊が大損害でも被ったらそれこそ目も当てられない。

 まあ、俺も海軍のご厚意に感謝しつつ、入院中に弛緩した肉体を鍛え直し、さらに烈風改の感覚を取り戻そうと毎日躍起になって空を飛び回った。


 そして、半月あまりが経過した時、思いがけないニュースが飛び込んできた。

 トラック島が米機動部隊から発進した艦上機の奇襲攻撃を受け、同地を守る航空隊が壊滅状態に陥ったのだという。

 すでにマーシャル諸島は昨年のうちに放棄され、現在では米陸軍航空軍がそこの主となって多数のB17やB24を展開させている。

 一方、トラック島は絶対国防圏の最前線として多数の戦闘機を擁し、毎日のようにマーシャルから押し寄せてくる米重爆と激しい消耗戦を演じながらも不屈の闘志で同島の空を守り抜いていた。


 だが、その拮抗した戦いも唐突に終わりを告げる。

 烈風や烈風改といった戦闘機とB17やB24といった重爆が死闘を重ねるその横合いから、米機動部隊が突然殴りかかってきたのだ。

 敵重爆への対応に目を奪われていたトラック島にとって米機動部隊からの攻撃はまさに青天の霹靂だった。

 それと、事情通の実験部員に詳しい話を聞いたところ、どうもトラック島の司令部に油断があったみたいで、初戦でかなりの数の戦闘機が地上撃破されてしまったことが苦戦と敗北の原因だったらしい。


 俺はその話を聞いたときに何ともやるせない気持ちになった。

 帝都にさえ奇襲を仕掛けてくる連中なのだから、トラック島に同じことをするくらいは朝飯前だろう。

 成功したらそれを繰り返して手痛いしっぺ返しを食らい、失敗したら失敗したで反省もなくなお同じ過ちを平気で犯す。

 帝国海軍上層部はアホの巣窟なのかと思わず疑いたくもなってしまう。


 後日、さらに詳細な情報が同期を経由して俺の耳にも入ってきた。

 トラック島の被害は極めて深刻なものだった。

 烈風改や烈風、それに強風といった戦闘機を三〇〇機以上も失い、しかもそのほとんどが地上撃破されてしまったのだというからそれはもう悔しくてしょうがない。

 飛行場の被害も深刻で、その多くが滑走路を耕され付帯施設が爆砕されたという。

 艦船の被害も大きく、重巡「衣笠」をはじめ海軍艦艇だけで一〇隻以上が撃沈破され、商船に至ってはいまだに被害集計が終わっていないとのことだ。

 同期によれば、海軍は近日中にトラック島から撤退し、マリアナ諸島を最前線として絶対国防圏を設定し直すのではないかということだった。

 戦局がいよいよ緊迫の度を高めているのが、入院明けの俺にもよく分かった。




 一九四四年四月一日。


 リハビリを終え、戦闘機乗りとしての勘を取り戻した俺は「瑞鶴」戦闘機隊第二中隊長兼同中隊第一小隊長を拝命した。

 怪我をする以前は第三中隊長だったから、ひとつ偉くなったことになる、と思う。

 まあ、たいして差はないのだが。

 そして、俺が直率する小隊もそのメンツが大幅に様変わりしていた。

 残ったというか、顔見知りなのは二飛曹から一飛曹に昇格した宮崎だけで、太田一飛曹と西沢一飛曹はそれぞれ上飛曹となって、俺が退院する前に前線の基地航空隊へ転属していったという。

 そういえば、太田と西沢が入院中の俺のところにあいさつに来たような記憶があるのだが、俺は女はともかく男に関しては若干痴ほう症の気があるのでよくは覚えていない。


 で、その太田と西沢の代わりに小隊のメンバーになったのが杉野計男二飛曹と杉田庄市二飛曹でふたりとも昭和一七年の春に予科練を卒業したというのだから立派な中堅だ。

 しかし、それでも開戦劈頭から何度も激戦をくぐり抜けてきた熟練の俺から見れば若年兵も同然だった。

 俺は彼らが予科練を卒業する頃にはすでにウェーク島沖やマーシャル沖で敵機を撃墜しまくっていたのだ(実際には全部合わせてもわずか三機だったが)。

 ここはひとつ先輩搭乗員としての貫禄、さらに上司としての威厳、そして人としての貫目の差を見せつけねばなるまい。

 そう考えた俺は、訓練で杉野と杉田に模擬空戦で稽古をつけた、つもりだった。


 だが、それはとんでもない考え違い、思い上がりだった。

 杉野は万事にそつがなくその若さにもかかわらず老練、いや、もはや老獪と言っていい機動で俺を翻弄した。

 小隊で一番若い杉田に至っては、その若さゆえに猪突猛進なのだが、その機動にまったく無駄な動きがなかった。

 例えて言えば、華麗なフットワークを持ち合わせたイノシシだった。

 はっきり言おう。

 俺は杉野と杉田に負けた。


 そのことで落ち込む俺に宮崎は「あの二人は天才ですから」と慰めの言葉をかけてくれた。

 だが、俺にはなんの慰めにもならなかった。

 宮崎、お前はいいよ。

 杉野と杉田に対して互角かそれ以上の戦いが出来たんだから。

 胸中でそんなすねた思いが渦巻くが絶対に言葉には出せない。


 「また小隊最弱だ・・・・・・」


 俺はこの戦争が始まってから何度目になるか分からないデジャブとかいうやつに囚われていた。

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