第38話 模擬空戦再び

 戦争が始まって一年近く経った昭和一七年一一月、帝国海軍で階級制度の変更があった。

 その中で、下士官については従来であれば一等と二等、それに三等と呼称されたものが、それぞれ上等と一等、それに二等に改称されることになった。

 このことで太田と西沢の両名は二飛曹から一飛曹に、宮崎は三飛曹から二飛曹になった。

 ただ、変わったのは呼称のみで、残念ながら給料が上がるわけではない。

 そして、俺は相も変わらず少尉のままだったが、それでもオアフ島攻撃の際の二機撃墜で合計撃墜数が六機となり、外国でいうところのエースの仲間入りを果たしていた。

 まあ、公式には帝国海軍にエースなどという制度は無いので、「俺はエースだ」なんて言ったところで単に軽佻浮薄な人間だと思われてしまうだけなのだが。

 それに同じ期間を戦っていたはずの西沢なんてもうすでに二〇機近くも墜としているんだから、俺がエースだなどと自称しようものならきっと鼻で笑われるだけだろう。


 それと、俺たちの根城である空母「龍驤」をはじめとした艦艇群は、開戦から一年近くも続いた激戦を受けてその多くが整備中だった。

 また、整備と併せて電探や新型対潜兵器の装備、さらに対空火器の増備なども行われているという。

 「龍驤」もまたその例には漏れず、あの平らな艦型のどこに取り付けるのか想像もつかないが、彼女もまた電探を装備するのだという。


 じゃあその間、人間も整備中の艦艇を見習って温泉でゆっくりくつろいでオーバーホールといきたいところだが、慢性人手不足の士官搭乗員を遊ばせてくれるほど帝国海軍は優しい組織ではなかった。

 ちなみに、下士官と兵はそれなりの期間の休暇をもらえたらしく、各自思い思いの過ごし方をするそうで、太田や西沢、それに宮崎の姿はすでにここには無い。

 期待していた長期休暇のプレゼントも無かったので、俺は仕方が無くなじみの店のいつものお姉さんにメンテナンスをしてもらうことにした。

 同じように考えた連中は多かったのだろう。

 同期や後輩の少尉、それに先輩の中尉ともよくそこで顔を合わせた。

 たぶん、そのうちの何人かは知らず知らずの間に兄弟になっているはずだった。




 書類仕事や新米士官搭乗員の稽古相手といった業務を無難にこなしていたある日のこと、かつて上司だった元「飛龍」戦闘機隊長の大尉からお呼びがかかった。

 烈風に乗って横須賀航空隊までやって来いといういささか不自然な、だがしかし正式な命令だった。

 「龍驤」飛行長に事の次第を確認したところ、何か知っているらしくニヤニヤしながら「まあ、頑張ってこい」と言って俺を送り出してくれた。

 「龍驤」飛行長も元「飛龍」戦闘機隊長と似たような性格で、温厚な一方でいたずら好きというか結構人の悪いところがある。

 俺は、ただ嫌な予感しかなかったものの、それでも命令無視をするわけにもいかないので指定された日時に烈風を駆って横須賀基地へと飛んだ。


 そして、横須賀基地に着陸するやいなや、慌ただしく俺は格納庫のひとつに連れていかれた。

 案内する兵士に聞くと先方がお待ちかねとのことらしい。

 誰だろう?

 格納庫に入ると、そこで俺に手招きをする人間の姿があった。

 今では横須賀航空隊の実験飛行隊で新型機のテストパイロットを務める元「飛龍」戦闘機隊長の大尉だった。


 「よく来てくれたな。早速で悪いが先程から先方が手ぐすねを引いてお待ちかねだ。挨拶をすませたら、すまんがもう一度飛び上がってくれ」


 大尉はまったく意味不明のことを何の前置きも無しに話しかけてくる。

 要領を得ない俺は「いったい何をするんですか」とごく当たり前の疑問を大尉にぶつける。


 「ああ、そうか。すまん、言い忘れていた。

 実は陸軍さんから制式採用される予定の新型戦闘機で海軍の烈風と模擬空戦をやらせてほしいと申し入れがあったんだ。陸軍さんとは航空機の開発でいろいろと助け合う仲だから無碍に断るわけにもいかんかったのだ。まあ、大人の事情ってやつだな」


 「そりゃご苦労様なことで。でもそれなら別に俺を呼ばなくても横空の誰かが相手をすれば良かったんじゃないですか?

 みなさん腕利きだし、俺なんかよりよっぽどふさわしいでしょう。まして、帝国海軍の看板を背負って陸軍さんとやりあうんだったらなおのことじゃないですか」


 「あまり謙遜するな。開戦以降のお前の活躍は誰もが認めるところだ。

 それとなあ、実のところ先方がお前さんをご指名なんだ。それがあまりにも熱心だったもので、さすがに俺も断り切れなかった」


 大尉の言葉を聞いて、俺はピンとくると同時にぞっとした。

 開戦前、俺が以前率いていた小隊が海軍代表として陸軍の一式戦、それに開発途中の二式戦と模擬空戦をやったことがあった。

 その際、当時の列機だった武藤一飛曹と岩本一飛曹、それに西沢二飛曹は一切の情け容赦なく一式戦を完膚なきまでに叩きのめしてしまったのだ。

 もはや、それは戦いといったものではなく、一方的なリンチと言っても差し支えないほどの蹂躙劇だった。

 その時、俺に向けられた陸軍関係者の憎悪の目は、今でも時々夢に出てくることがある。

 軽いトラウマだ。

 ひょっとしたら、その時のことを根に持っている連中が再挑戦してきたわけじゃねえだろうな。

 いや、まさかな。

 いくら陸式とはいえそこまで大人げないわけじゃないだろう。

 そう思って今さっき格納庫に入ってきた一団に目を向けた。

 ああ、思い出したくも無い。

 あの時の陸軍大尉と手練れ搭乗員たちだった。

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