聖女の派遣1

 まあ……まあね、今はここの暮らしにも随分慣れて、さほど不満もないしね?

 毎日お風呂に入れて、上等な服が着れて、上等な食事とお茶ができる環境。

 考えてみればこれこそが、私の夢見た安全で平穏な生活――


 いや。

 これ、平穏か? 少なくとも、安全とは言えないよね……?

 うん、頑張ってはみたけれど、さすがに自分を騙しきれなかったわ。

 これは違うよ。


 いつ暗殺されるかわからない、隙を見せたら殺られる状況だ。

 平穏の反対語って、なんだっけね?


 そう考えると、今私の目の前で最高級のお茶と専属シェフお手製の高級お茶菓子をのんびり優雅に堪能しているこの男は、ある意味図太いな。


「なに? どうしたの?」

 そう言いながら今日もこっちに極上の笑顔と、そして今までも一ミリたりとも私には効いたことのないはずのキラキラを送ってくる夫(仮)だ。


 そう、毎日一緒にお茶をする習慣は、いまだに健在なのだった。実はこの人マメなのか?

 と思いつつも、それでも毎日私のために忙しい合間にも時間を作って来てくれるのが嬉しくて、私もついつい愛想よく一緒に過ごしているのだけれど。


「ああ……いや……よくあなた、その年まで生き延びてきたなあと思ってね……」


「……ああ。これでも僕のスキルが判明するまでは、兄たちに紛れて誰にも注目されずに結構のびのびしていたんだけれどね。なにしろ五番目だし? でもまあ、王家なんてそんなものなんじゃない?」


「えええ、物騒だな王家。しかもつまりはスキルなの? 問題になるのはスキルなのね? この世界は何でもスキル次第なの?」


「え? そういうものじゃない? 君の元いたところは違うのかな? どうした急に……ああ、もしかして、この前の毒ナイフが怖かった? もうあんなことは起きないように、今はこの城の警備体制を見直して前よりも君のことを厳重に警護するようにしているから、安心していいよ」

 にっこり。


 って。

「いやあなたこそ、この前ももう少し私が到着するのが遅れていたら死んでいたでしょうよ……」


 たとえ死ななくても、今こうして呑気に茶菓子なんてつまんでいられるような状況ではなかったかもしれないのよ?

 私のことより、自分の事でしょうよ……もしやこの人、危機感が麻痺しているのかな。


「そうだね。でも助かった、それでいいんじゃないかな。君のお陰だ。それに、あの時の君は僕の理想の雄々しい聖女そのものだった。いやあ嬉しかったな。思わず部下たちの前なのにニヤけそ……おっと、そうそう、その菓子、シェフのアニスシリーズの新作らしいよ、食べてごらん」


 悦に入って語り始めたところで、私が思わず冷めた目線になっていることにどうやら気づいたらしい。


 そういやこの人「自分を守ってくれる雄々しい聖女」が憧れだったのだと、あのファーグロウへ向かう馬車の中で生き生きと吐露していたのを今、思い出したよ。

 そうだった、この人、ちょっと変わった趣味だった……。


 この嬉しそうに私を見る笑顔、その美しい笑顔の真意をもし知らなければ今も思わずときめいただろうに、こういうところは相変わらずこの人ちょっと残念だわね……。

 だいたい雄々しいって、なんだ。嬉しくないぞ?


 と、勧められたお菓子は素直に食べながら思う私。

 なにしろ私のために作ってくれたらしいのに食べないなんて申し訳ないし、うちのシェフは何を作らせても美味しいしね。シェフももちろんレクトールのスカウトなので間違いないのだ。


 ちなみにアニスシリーズというのは、もともと私のアニスという名前がロスト村のロスト教会に植わっていたハーブの名前だったからなのだけれど、最近ここのシェフがそのアニスというハーブを使ってお菓子を作るのにはまっているのだった。


 なんでも「聖女様に相応しい最高のお菓子を!」とかなんとか……。


 こうして考えてみると、最近の私は結構甘やかされているわね。


 こんな贅沢な生活は期間限定だと思っていたのだけれど。


 そろそろ私は、覚悟を決めなければならないのかもしれない。

 生涯レクトールの救護班を務める、という覚悟を。


 若くたくましく、あまりにも美しく、なのにあまりにも優しい、そして地位も財産もある女性の理想そのもののような夫。

 私には完全にもったいなくて、つまりは最高に「釣り合わない」夫。


 だけれど私の身の安全がこのレクトールに依存していることに気づいてしまった今、国の「聖女の保護」としての結婚というのは、ある意味合理的だったのだと気づかされる。

 王族として遇してしまえば、そう簡単に誘拐したり殺したりは出来なくなるのだ。まあたいていの人にとって、ということだけれど。そしてそんなのはお構いなしな人も一部いるみたいだけれどね。


 それでも今は、それが一番「私が」生き延びやすい方法なのだと、私も認めざるを得ないのだった。


 ならば、私がこの人と形だけでも結婚できたのは幸いだったのだろう。

 この大変好ましい、一緒にいて幸せだと思える人と。

 私が自分と同じか、それ以上に大切だと思えるようになったこの人と。


 今でもなぜこの人が、この地味な上にたいして上品でもない私のことを好きだと言うのかは全くわからない。

 私の「聖女」という肩書だけに魅かれているようにも見えないのが不思議なところ。


 だけど、いやだからこそ彼はいつかは、この地味な形式上の「妻」に飽きる日が来るかもしれない。

 そして他のもっと上品で美しい、彼に相応しい女性を愛するようになる日が来るのかもしれない。


 だけれど彼は優しい人だから、それでもきっと「聖女の妻」を捨てることはしないだろう。

 たとえそこに恋愛としての愛情はなくなっても、お互いを守り支えあう、そんな穏やかな関係は続くのではないだろうか。


 最近は私も、たとえこの先この人と離婚しても、私はずっと彼のことが忘れられないのではないかと思い始めていたところだった。

 この先たとえどんな人と出会っても、常にこのレクトールと比べては彼を恋しく思うのではないかと、薄々感じていたところだったのだ。


 じゃあ、いいか。


 形だけでも「妻」でいる限りは、たとえいつか彼の心が私から他の人へと移ったとしても、少なくとも私はこの人の近くにいることができる。

 贅沢は言うまい。


 離婚して手の届かないところから遠く彼を慕うよりは、せめて近くで彼を見つめていられる方が、まだ幸せというものだろう。そして私はずっと妻として、堂々と彼のことを慕っていられるのだ。


 それに最愛の人を直接自分のこの手で守り、そして救うことが出来るというのも、嬉しいことではないか。


 ならば、頑張ろう。出来る限り。

 なんなら機会があればどうやら彼のツボらしい「雄々しい聖女」も積極的に披露して、最大限の努力はして。

 それでも困ったことが起こったら、もうその時に考えればいいよ。

 そう、とにかく私は、今目の前にある最善策に飛びつくのみだ。


 もうどうとでもなーれーー。


「今日のアニスシリーズも美味しいわね」


 今、目の前の幸せを堪能するのだ。ああ刹那的……。


 幸いこの驚くほどお高そうなティーカップも最近は少々見慣れてきて、優雅ではないにしてもたいして緊張することもなく、落ち着いて持って躊躇なく口をつけることが出来るようになった。

 今ではお気に入りのお茶もあって、その香りや味を楽しむ余裕までできた。

 シェフの美味しいお料理とお菓子で舌もすっかり肥えてしまった。

 いつの間にかに私もこの生活に順応してきているようだ。


 もういっそ私はこの城で、このままずっと閉じこもって暮らせばいいんじゃないかしら?

 いいわね、それ。なんて素晴らしい案なんでしょう……!



 なーんて、私は真剣に悩んで決意をしたというのに。

 さあこれから春までは、特に気合を入れてお仕事頑張るぞ、そう思っていたというのに。


 なのに、どうして今、私がこの城を出る話になっているのですかね?

 いやわかるけど。


「どうにかして断るから、アニスはここに居ればいい」

 レクトールはそう言うが。


「まあ気持ちは分かるがのう……立場もあるからのう」

 神父様が困った顔をして言った。


「でもオースティン殿もわかっているのでしょう? これは罠かもしれない。むしろ罠だと思った方がいいでしょう」

 レクトールが眉間にしわを寄せて神父様の方を向いて言った。


「そうかもしれんがのう。でも、だからといって断るわけにもいかんじゃろ。王子が父王の正式な要請を断るなんて、喧嘩を売っているようなものじゃろうて。君が王の敵になんかなったら怖いからワシ、逃げちゃうよ? いっそアニスも一緒に来るか?」


「アニスは行きませんよ。やめてください、そこまで私を徹底的に見捨てるのは」

「ちょっと。私がどうするのかは私が決めるのよ。とはいえ私の今の本職は将軍の救急活動なんだけれど、それは秘密だしねえ……」

 私もため息をついたのだった。


 今までこの城はオリグロウとの戦争の拠点として、そして王都からは随分と離れた辺境ということもあって比較的自由にレクトールの采配で動いていたのだけれど、今回、なんとこの真冬というとても正念場な時期に、王宮から厄介事が持ち込まれたのだった。

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