向日葵のあなたが、可愛いと言ってくれたから

花散ここ

「お前、本当にみっともない顔をしているな」

「赤毛だってにんじんみたいで可愛くないし」

「どれだけ着飾ったって不細工なのは変わらないぞ」


 悪意が刃となって胸を刺すようだった。鋭い痛みに泣き出してしまいそうになるのを堪えて、わたしはドレスのスカートをぎゅっと両手で握り締めた。

 わたしにそんな言葉を掛ける男の子達は、にやにやと意地悪く笑っている。わたしが泣くのを待っているんだ。自分の言った悪口で泣かせたいのか、言葉はどんどん過激になっていく。


「……わたし、ドレスもお化粧も、髪を結うのも嫌いなの。だから似合っていなくたっていいのよ。別に……全然気にならないわ」


 ツンと顎を突き出して、精一杯の澄まし顔で意地を張った。

 本当は……泣いてしまいたかったけれど。綺麗なドレスも、アクセサリーも、初めてのお化粧だって、凄く嬉しかったのに。


 わたしが泣かないものだから、男の子達は不満そうに眉を寄せた。


「ふん、一番気持ちが悪いのはお前の目だ。もう俺達の事を見るなよ! 気持ち悪いのがうつってしまうからな!」


 息が止まった。

 思わず両手で目を隠した。でもそうやって俯いたら……本当に泣いてしまいそうで。唇をぎゅっと噛んでそれを耐えた。


「僕は可愛いと思うけど。彼女の目はとても綺麗だよ」


 穏やかな声の主はゆっくりと歩を進め、わたしの前に立った。意地悪な男の子達から、わたしの事を守るように。顔を上げたわたしが指の隙間から見たのは……風に靡く淡い金の髪。

 まるで陽だまりの中に咲く、向日葵のようだった。



 * * *


 勢いよく飛び起きた。

 嫌な夢を見た。とびっきりの悪夢に嫌な汗が流れて、息が乱れている。鼓動も早く、深呼吸を繰り返して落ち着こうとするけれど、まだ時間が掛かるかもしれない。


 あれは実際にあった事。わたしが言われた言葉達、そのままだ。


 わたしが参加した最初で最後のお茶会は、同じ年頃の子ども達を集められたものだった。貴族の子ども達が集められたそれは社交の第一歩だったのだと思う。伯爵令嬢であるわたしも母に連れられて参加して、ふわふわとした気持ちは見事に打ち砕かれる事となった。


 溜息をついたわたしは、のろのろと寝台から降りる。

 姿見の前に立ち、ぼさぼさの赤髪に手櫛を入れた。長い前髪の奥にあるのは黒と赤の瞳。そう、あの時に『気持ち悪い』と言われた瞳だ。

 あの言葉が心の奥に棘となって刺さったままで、わたしは前髪を長く伸ばして瞳を隠している。


 ろくに手入れもしていない肌には吹き出物が出来ている。髪だってきしんで艶がない。唇は乾燥して皮が浮いて、それを剥がしたら血が滲んでしまった。

 夜更かしして本を読んでいる事もあり、目の下には薄いクマが出来ている。全体的に血色も悪い。

 猫のように丸まった背を意識してぴんと伸ばすけれど、すぐに疲れてまた背中が丸まった。


 そんな自分の姿を客観的に見て、ひどい、と言葉が漏れる。

 でもこれは自分で選んだ・・・ことなのだ。


 鏡から離れたわたしはソファーへと腰を下ろす。母が選んでくれた座り心地の良いソファーは青色で、銀糸で描かれた大きな薔薇がとても綺麗。でもそんな綺麗な場所にわたしは不釣り合いだと、そう思う。

 


 お洒落に興味がない。

 着られたらドレスなんて何でもいい。お化粧だってしなくていい。

 社交の場にもほとんど出ない、変わり者の……醜い伯爵令嬢、ディアナ・キーデンス。そう言われているのも知っている。友人も居らず、通っている学園でもわたしに話しかける人なんてほとんどいない。


 それを──わたしは自ら望んでいる。そう、周りには思われているし、わたしもそうふるまっている。


 でも違うのだ。

 本当は違う。綺麗なものに憧れているし、可愛らしく着飾りたい。そんな願望だって持っている。

 だけどわたしには似合わないから。みっともないと笑われるなら、興味がないふりをしていた方がいい。その方が、傷つかないもの。


 わたしの溜息はメイドが部屋をノックする音に消えていった。



 流行りものとは程遠い、体の線を拾わないドレスはわたしに似合っていない。だけどそれをわたしは自分で選んでいる。

 髪も結わずに適当に後ろに流したわたしは、サロンでお茶を飲みつつ本を読んでいた。いつもならすぐに物語に没入できるのに、今日はちっとも読み進められない。


 理由はもう分かっている。あの悪夢と……その夢を見る原因になったであろう、昨日のあれ・・のせいだった。



 学園での授業も終わり、帰ろうとしていた時の事。

 人の少ない裏庭を通って、裏口で待ってくれている馬車の元に向かおうとしていたわたしの足を止めたのは、裏庭の東屋に見えた婚約者・・・の姿だった。


 綺麗に整えられた低木の生垣に身を潜め、その様子を窺ってしまう。そこに居たのは婚約者であるアレク・リネルガの他には彼の友人が数人。それから──


「アレク様がお可哀想だわ。婚約者があんな見た目なんだもの」


 ──サフィ・メルレット子爵令嬢。

 頬を膨らませて憤るその姿さえ可愛らしいと思う。幼い頃は体が弱く田舎で療養していた為に社交の場には出ていなかった事と、末っ子な為に天真爛漫なところが残っていて、それがまた愛らしいと彼女に想いを寄せる男性も多いらしい。

 それにも頷ける程に彼女はとても可愛らしかった。


 サフィ嬢はアレクの腕にそっと手を添えながら、尚もアレクの婚約者──つまりわたしなのだが──がどんなに醜いのかを訴えている。醜いわたしは意地悪で、サフィ嬢にいつも嫌がらせをしているそうだ。彼女の周りにいるアレクの友人達もうんうんと大きく頷いているのが見える。


 アレクがそれに対して何を言うのか。それを耳にするのが恐ろしくて、わたしはその場から逃げ出してしまった。


 彼の声がわたしを厭う言葉を紡ぐだなんて、聞きたくなかったから。

 アレクとサフィ嬢があまりにもお似合いだったから。



 そしてあの悪夢、それから──この憂鬱に繋がっている。


 見た目が酷いと言われても仕方がない風貌なのは理解している。

 髪も肌も手入れを怠って、瞳を隠す為に前髪を長く伸ばして。背を丸めて歩くその姿は貴族の令嬢には見えないだろう。


 すっかり読む気が失せてしまった小説に栞を挟む事もせず、それをテーブルに置いてから、わたしはソファーの背凭れへと体を預けた。顔の横に落ちる、くすんだ赤毛が鬱陶しい。


「……アレクはあの子に何て言ったのかしら」


 ぽつりと落とした呟きには、隠し切れない嫉妬の色が滲んでいる。


 アレクに触れる彼女サフィが嫌だった。

 可愛らしいあの子に、アレクが靡いてしまうんじゃないかって。


 彼女の言うような意地悪なんてしていないし、嫌がらせだってしていない。話した事なんてあっただろうか。彼女のような華やかな人は眩しすぎて、視界に入れる事だってほとんどしていないのに。


 サフィ嬢がそんな事を言うのは……きっとアレクの事が好きだからなんだろう。

 アレクに寄り添う彼女の可愛らしさを思い出して、胸の奥がひどく痛んだ。


 嫌い。

 サフィも、美しく着飾る女の子達も嫌い。わたしに持っていないものを持っている、あの子達が嫌い。


 胸を刺す痛みがいつからのものなのか。もうそれさえも分からないけれど、痛みはどろどろとした嫉妬へと姿を変えていく。

 飲み込まれそうな気持ちの悪さに、わたしは深呼吸を繰り返した。テーブルからカップを取ってお茶を飲むけれど、それはすっかりと冷え切っていた。


 立ち上がって窓へと向かう。曇りもなく磨かれた窓から見える庭園は、色とりどりの花で溢れてとても美しい。

 そしてその花々は、サフィ・メルレットを思い浮かばせるようだった。


 昨日のサフィ嬢は本当に可愛らしかった。

 緩く巻いた薄茶色の髪は高い場所で二つに結われていて、濃いピンクのリボンで飾られていた。それがとても似合っていたし、触れてみたいと思わせる程に髪は艶めいていた。

 色付く頬も唇も、彼女の魅力を引き立たせるような深い色合い。きっと瞳の周りにも何かをしているのだろう。お化粧をしないわたしには良く分からなかったけれど。


「あんな可愛い子が、アレクにはきっとお似合いなのね」


 アレクはとても素敵な人だから。

 いつだって真っ直ぐにわたしの事を見てくれて、着飾る事をしないわたしの事を認めてくれていて、優しい声で名前を呼んでくれて。


 伯爵家の嫡男で見目も麗しい。

 そんな人にわたしは……相応しいんだろうか。


 相応しくないなら、アレクの事を……諦める?


 婚約だって幼い頃に交わされたもので……あの頃とはきっと色々変わっている。別にお互いの家に強い利益があるものではないし、わたしと婚約を解消したってアレクにも、リネルガ伯爵家にも、わたしの家キーデンス伯爵家にも不都合があるわけではない。

 

 そう考えて、また胸の奥が痛んだ。

 嫌い。可愛らしいあの子が嫌い。


 湧き上がる感情に眩暈がして、わたしはその場に蹲った。

 アレクの事を想うと胸が苦しい。嫉妬の痛みとは違う苦しさで、落ち着かなくなる程に鼓動が弾む。


 大好きなアレクを諦めなくてはいけない? それが彼の幸せなら、わたしは……。

 

 もうアレクと一緒に居られないと思うと、涙が滲んだ。

 でも……本当にそれでいいの?


 顔を上げた先、窓に映る自分の姿はひどいものだった。

 わたしは何か努力をした? アレクに不釣り合いだというのなら、釣り合うような努力を……わたしはしたの?

 そんなに簡単に諦めたら……後悔して、泣き暮らしてしまうのではないだろうか。


 鼓動が早まっていく。

 心臓が意思をもっているかのように力強く鼓動を刻む。


 まずはアレクに会わなければ。

 一人で考えたっていい結果にはならなさそうだもの。わたし達の事なんだから、二人でちゃんと話さないと。


 わたしは立ち上がると、手紙を書くべく自室へと戻った。

 何かを変えるのは怖い。それでも、変えなければならない何かがあるのだと、わたしは本当は気付いている。

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