菜穂ちゃんは本当に丁寧にうたう。

 ちいさな口をおおきく開けて、一生懸命に。

 それは綾実ちゃんがちいさな手で音を紡ぐ姿を思い出した。


 菜穂ちゃんの声は本当にやさしい。

 春のひだまりのようにあたたかだ。

 それは倫也先輩の音を思い出す。


 この子のこれからを、本当に決めていいのだろうか。

 この子は絶対、優れた素質を持っている。

 わたしが壊してしまわないかしら。

 この子の未来を。




 千絵先生はわたしには素質があると、最後のレッスンで言ってくれた。

 千絵先生はいつも真剣に教えてくれた。

 あの夏のあとも。


 姿勢については耳が痛くなるほど注意されたし、 

 練習をすっぽかしていたら、母よりも真っ直ぐに叱った。

 それでも丁寧にうたったら母よりも褒めてくれる。

 大好きな先生だった。

 

 あの頃わたしは千絵先生のようなソプラノ歌手になりたかった。

 でも本当になれたの?

 

 「私、先生の声、とっても大好きです!」

 お手本を歌い終えた時、菜穂ちゃんは言った。

 でも私はあなたの両親みたいな名はないのよ。


 「もっと練習したら、私よりも上手になるよ。」

 菜穂ちゃんはたまに練習を忘れてしまうからそう言ってみたけど、

 これから私よりも上手になることは明らかだった。


 菜穂ちゃんは困惑の表情を浮かべた。

 「あなたは十分頑張れば、お父さんとお母さんみたいになれるのだから。

 ほら、次の曲を聴かせて。」

 菜穂ちゃんはまたうたいはじめた。


 

 「終わったよ。今から帰るね。」

 レッスンが終わると菜穂ちゃんは綾実ちゃんに連絡をする。

 時計は6時を過ぎていた。

 「それじゃあ、ご両親によろしくね。」

 「また来週もよろしくおねがいします。」


 菜穂ちゃんは帰っていった。


 わたしは菜穂ちゃんみたいな女の子になりたかった。

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