武蔵野の夢
きつね月
1
「先生、ごめん下さい、」
「……」
「先生、聞こえていますか?聞こえていますよね、作品を受け取りに参りましたー。聞こえてますかー?」
「……うるさいな、聞こえているから入りたまえよ、」
「んじゃ、入りますねー」
「……」
「うわ、先生。これまたずいぶんと可愛らしい姿に……」
「うむ、これが今の流行りらしいでな」
「マッチョな男だったり、今にも死にそうな性別不詳だったり、ファンタジーに出てくるような美少女だったりで……先生も大変ですねえ」
「まあ、私とはそういう存在だからな」
「それで、先生。作品の方は」
「うん、目下苦戦中だが前は向いている、と言っておこうか」
「困りますねえ、もう随分待ってますから」
「仕方ないじゃないか、もう少しだから気長に待ちたまえよ」
「もう少しってどのくらいですか?」
「それはまあ、
「それはそれは先生らしいお答えで。どうです、ここらでいっそお引っ越しなどされてみては。気分転換になって仕事も捗るかもしれませんよ?」
「嫌みなことを言うね、君。私がこの地以外に行けるわけがないだろう」
「……うーん、その理屈が未だによく分からないんですがね」
「そうだな、じゃあ待っている間にでも、この地のことを少し話そうか……」
「あ、じゃあお茶入れてきますね」
「うん、いつも通り温めで頼むよ」
「はいはい……」
「……それで君、まず『武蔵野』って言えばなんだと思う?」
「なんだ、と言われますと?」
「その単語を聞いたとき、頭のなかにぱっ、と浮かんだものだよ。なんでもいい、答えてみたまえ」
「ええと、そうですね。『豊かな自然』とかですかね」
「そんなものは日本各地にあるだろう。私は『武蔵野』の話をしているんだ」
「なんでもいいって言ったくせに……」
「どこでもいいとは言ってないよ、君」
「はいはい、先生には敵いませんよ。降参です、教えてください」
「諦めるのが早いな。自分なりの答えが出るまで考えようって気持ちはないのか」
「私の仕事は、先生が作ったものをなるべく早く受け取って、なるべく早く皆様にお披露目することですから。むしろ考えない方がいいんです」
「……まったく。いいかい『武蔵野』と言えばだね、まずは『東京』だろう」
「……はあ」
「なんだ、その気のない返事は。私に早くしてほしいならせめて相槌ぐらい役にたちたまえ」
「いえ、だって先生。『武蔵野』と言えば『東京』なんて、『番茶』と言えば『日本茶』みたいなことを言われてもですね……」
「うん、それでいいんだよ。ぱっと浮かんだろう」
「まあそうですが、それで、東京だからなんなんですか?」
「東京と言えば都会だ。それも日本一の都会だ。そこに憧れる者は多い。『上京』なんて言葉があるぐらいだからな」
「そうですね」
「ところがだ、ここは物価が高いんだ。日本一だからね。田舎からはるばる上ってきた夢追人の多くはそこに面食らう」
「一概にそうとは言えないと思いますが……」
「そういうやつが多いって話だよ。で、自分の懐事情を鑑みるにどうやっても都心になんか住めそうにない、それでも東京に住みたいってやつはどうすると思うね?」
「どうするんです?」
「西に来るんだよ。だから『武蔵野』ってそういう場所なのさ」
「……貧乏人が多いよって話ですか?」
「ただ貧乏ってわけじゃない。満たされない生活のなかで常になにかを求めてさ迷っている。叶いそうな夢、叶いそうにもない夢、そもそも夢と呼べるかもわからないような憧れ。そんなものを自分の中に抱えて生きているような人が、この場所には多い」
「まあ、先生が言うならそうなんでしょうね」
「うむ」
「で、」
「うむ?」
「それと先生になんの関係が」
「関係、大有りだよ、君。私はそういう人たちの想いが集まって出来た存在なのだからね」
「そうだったんですか」
「そうだったんだよ。叶わぬ夢、叶った夢、その結果がなんであれ、本気であるならすべて等しく、必ず産まれるエネルギー。それが次元を越えて形作られた、それが私なのさ」
「はあ、」
「だから私の存在意義は、そういう人たちのためにある。この私の作るものは、そういう人たちのためになる。夢追人たちの見ている景色を、私も反対側から見ている。まあ、そういうことなのさ」
「んー……分かったような、分からないような」
「まあ君はそれでいい。とにかく、もう少し待ちたまえ。そうさ、もうすぐ。もうすぐなんだから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます