ロンリーハート (5)

九郎あいつならてきとうに逃げてくれると思ったの」声をひそめてカミーユ。「あいつ友だち多いでしょ。というか、友だち作るの天才。会う人会う人、味方につけてしまう。

 かくまってくれる所もたくさんあるだろうと」

「まあそうだね」


「わたしの指令が――

 こんなに速くすみずみまで届いてしまうなんて、思わなかった」

「は? ちょっと待って」

 誤算だったというのか? 自分のカリスマを、甘く見つもっていたと?

 組織のトップが「人が動いてくれない」と悩むのはよくある話だが、動いて困るなんてありなのか。

 まじか。


「そうか」アントワーヌはため息をついた。「悪役を買って出たつもりが、予想外の展開になってしまったと」

「違う」カミーユはつらそうな声だ。「悪役を買って出てなんかいない。逆」

「逆?」

「わたしはひどい人間なんだ、アントン。軽蔑していいよ。

 わたしが、彼を利用したの」

「え?」


 何だそれは。穏やかじゃないじゃないか。

 アントワーヌはスマホを持ち直した。


「誰にも言わないでね」沈んだ声が告げている。「こんなこと他の誰にも言えない。アントンにしか」

 まずい、とアントワーヌの理性は警鐘を鳴らす。こういうのまずい。つかまれる。

「わたしから離れたほうが、九郎のためだと思った。そこは嘘じゃない、本当。

 でも、それだけじゃない。

 これは――

 なんだ。わかる?」


 心臓の鼓動が速くなる。彼女のと共振しはじめているらしい。


「わかる? アントン。源平合戦が終わって、武士たちはやることがなくなってしまった。

 国じゅうにいわば、失業者があふれてる。

 わたしが声をかけた人たちだ。わたしには責任がある。

 だから、各地の荘園のガードマンを引き受けるという受注話を作って、朝廷にねじこんでみた」

「ああ、あれね」

(『ダブルダブル』巻二第四章「見つめていたい」(1)~(7)参照)


「『まだまだ物騒な世の中ですから、ここはぜひわたしども武士、セキュリティのプロにおまかせを!』というラインで押してみた」

「なるほど」

「『危険な者どもを追いはらってさしあげます。皆さまを戦乱からお守りします!』というね」

「セコム的な」

「そう。それであのときは何と言うか、あの場の」

「ノリで」

「そうノリで、なんか通っちゃったのね。

 だけど後白河院は賢い人だから、最近じわっと言ってくるの。

『ねえ頼朝ちゃん、〈まだまだ物騒〉って、もうぜんぜん物騒じゃないよ?

 戦争はとっくに終わったよね。どこにいるの? その〈危険なやつら〉』」


 苦い沈黙が落ちる。


「つまり」アントワーヌは乾いた唇をなめた。「危険なやつらが、必要だと。戦乱が」

「そう」

「そいつらが暴れてくれているかぎり――」

「武士の仕事はなくならない」


 短く吐く息が聞こえた。

 一瞬の笑い声。あるいは、泣き声だったかもしれない。


「もう、引き返せない」せきばらい。「九郎には何が何でも、逃げとおしてもらわないと困るの」

「ああ。なるほど」

「二重の意味でね。もちろん死んでほしくないし、彼が長く逃げつづけてくれるほど、幕府わたしたちもセコムやってられる」

「訊いていい?」

「何」

「どうしてこんな危険な賭けに突っこんだんですか? あなたほどの聡明な人が、鎌倉殿。

 可愛い九郎をおとりにしてまで」

「それは、あの」


「勢いで」

「――はい?」


「わたしいっぱいいっぱいで。余裕なくて」

「うそでしょ?!」


「ほんと」カミーユは本格的に泣き声になった。「ほんともう、死にそう。朝廷のエリート軍団まじで怖いし。後白河院なに考えてるかわかんないし。

 わたしのまわりの人たち、みんなおすわりしてしっぽふってる感じで、いつもいーっつもわたしの指示待ちだし!

 九郎を、九郎を犠牲になんて、したくなかったけど」

「ああもう、泣かないの」

「あいつなら、危険って言えば皆さん納得するから」

「たしかに」

 いちいち当たっている。ゆえに、痛ましい。


「わたしこういうこと、ぜんぶ一人で考えてる。考えすぎて頭から血が出そう。

 アントン、どうしてお寺に帰っちゃったの? わたしを置いて」

「それは──」言えない、自分の身を守るためだったなんて。

「戻ってきてくれないかな、鎌倉に。助けてくれない? 無理にとは、言わないけど」


 断るなら、あの瞬間が最後のチャンスだったな──

 と、のちにアントワーヌは思ったものだ。


「わかりました。行きます。そっちに」

「ほんとに?」

「おれなんかでよかったら」

「嬉しい!」

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