第48話 注進




「全く! 人の顔を見るなり悲鳴をあげる奴があるか!」




 品の良い装飾品に彩られた室内で、見るからに高級そうな長椅子に座らされた紬と源太は、老婆の叱責を受け「申し訳ございません」と平謝りしていた。


 前髪にカーラーを巻き、光沢感のある肌触りの良さそうなネグリジェを着たタエ婆が「失礼にも程がある!」と向かいの席で眉を吊り上げている。



 紬と源太の甲高い悲鳴は鷲尾邸に響き渡り、使用人達が「何事か?!」と血相を変えて飛んできて屋敷内は一時騒然となってしまった。


 タエ婆の一喝で直ぐに落ち着いたが、方々から訝しむような視線を向けられ、紬は居た堪れない気持ちになる。




「事情は中で聞こう」と勧められるまま応接用の長椅子に腰掛けた途端、雷が降ってきた。どうやら鷲尾家の当主は紬達が夜遅くに突撃訪問してきたことではなく、出迎えた自分を見て悲鳴をあげたことにご立腹らしい。


 特に源太は「あんなに指導したのに!」とか「女性レディに対する心得がなってない!」などと厳しく責められていた。


 憤るタエ婆の足下では我関せずという顔で、番犬(クロエというらしい)が体を丸めて寛いでいる。






「カモミールティーです。熱いのでお気をつけください」




 老齢の執事がタエ婆と紬の間に置かれたテーブルに手際良くティーカップを並べていく。漂う湯気と共に、仄かに甘い香りが鼻孔を擽った。茶葉に使われている小菊のような白い花には、安らぎの効果があったと記憶している。


 忍び込むような真似をしたにも関わらず、家令の執事は紬や源太を客人として扱ってくれるようだ。夜遅くに起こしてしまった挙句、仕事をさせてしまっていることが申し訳なくなって、紬は「すみません……」と身体を縮こまらせた。





「……それで? こんな夜更けに一体何の用じゃ?」

 



 源太に対してひとしきり悪態を吐き終わったタエ婆が、ギロリと鋭い視線で紬を見据えた。自身に向けられた威圧感に思わずごくりと喉が鳴る。




「ど、どうしても早くタエ……鷲尾様のお耳に入れておきたいことがありまして、失礼を承知で伺いました。……こちらをご確認ください」




 そう告げて流華に託された書簡を差し出すと、タエ婆の片眉がクイッと上がった。


 老婆は執事を通して書簡を受け取ると、時間を掛けてその内容に目を通す。文字を追う彼女の表情が次第に険しくなっていく様子を紬は緊張の眼差しで見守る。




「成る程……これは穏やかでないな」




 書簡から視線を上げたタエ婆が大きく溜息を吐き、人差し指で眉間に深く刻まれた皺を揉んだ。執事が直ぐに反応し、主人から書簡を受けると丁寧に折り畳んで執務机へと移動させる。




「お前達が懸念しているとおり、此度の御前会議は豊穣祭での騒ぎを収めた第一皇子と烏丸の功績を称える為に開かれる。


 そこで褒章が授与され、第一皇子が次期皇帝になることが発表されるだろう。しかし、この疑惑を知ってしまった以上……素直に認める訳にはいかんな……」




 タエ婆は苦虫を噛み潰したような表情でそう言うと、言葉を切って優雅な動作でティーカップを摘み口へと運んだ。暖かい液体でごくりと喉を潤した後、一呼吸置いて再び口を開く。




「皇帝に疑惑を伝え、烏丸達への褒章については検討する時間が必要ではないかと進言することは出来る」




 タエ婆の言葉に紬は顔を綻ばせた。しかし神妙な面持ちのままの老婆を見て、すぐに表情が曇る。




「事態を収束させたことにより、次期皇帝は第一皇子が相応しいという声が大きくなっておる。慎重に動かないと、我々は英雄を貶める悪者にされかねん。


 烏丸は恐らくマキという青年に全ての罪を被せるつもりじゃろう。そちらも上手く問い詰めないとシラを切られて終わりじゃ。


 ……もう少し時間と情報があれば体制を整えられるものを……成る程、それを阻止する為の見張りという訳か」




 タエ婆が窓の方を向いて目を細めた。分厚いカーテンが掛けられていて外の様子は窺えないが、今も警護と称して沢山の近衛兵がこちらを監視しているだろう。



 今朝方突然現れた近衛隊は「第一皇子からの指示だ」と書簡を掲げ、屋敷の周りを取り囲んだらしい。タエ婆だけでなく使用人ですら、出掛けようとすると「外は危険なので」と止められてしまうという。




「今や時の人となった第一皇子の心遣いを無下に断るのは心証が悪いじゃろう……。屋敷内には入らない条件で警護を認めたのじゃ。


 それにしてもお前達、よくあの中を掻い潜って来れたな。中々人に懐かないクロエを手懐けたのも大したものじゃ。……其奴はピーピー泣いてなかったか?」




 ニヤニヤと揶揄うような視線を向けられた源太が「泣いてないわ!」と思いっきり顔を顰めた。源太とクロエの先導のお陰だと伝えるとタエ婆は「ほぅ……」と感心したように目を細め、愛犬の頭を撫でる。




「さて、御前会議まで時間が無いが出来る限りの手は尽くそう。状況を整理して作戦会議じゃ。お前達も知恵を貸してくれるな?」




 タエ婆からもう一度詳しく状況を説明して欲しいと指示を受け、紬は「はい」と恭しく頭を下げた。


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