第1話 運び屋少女の日常

 帝都の繁華街から少し離れた田園風景の広がる閑静な場所にぽつんと年季の入った洋館が建っている。


 鉄製の門には力強い文字で「診療所」と書かれた木製看板が立て掛けられているが、敷地内には訪問者を拒むように牙を剥く獅子の石像が立ち並んでおり、物物しい雰囲気を醸し出している。


  その怪しげな場所に1人の少女が足を踏み入れた。ゴーグルの付きのキャスケット帽を目深に被り、華奢な身体に対してかなり大きな帆布鞄を肩から下げた、少年のような身なりをした少女は石像の間を臆することなく進み、古びた扉の前で立ち止まる。


 獅子の顔を模したドアノッカーに手を掛け、コンコンコンと3度扉を叩くと「はーい」と間延びした返事が聞こえる。少女は一息ついた後、扉の向こう側の人物に向かって落ち着いた調子で声を掛けた。



「先生、つむぎです。頼まれていたものをお届けに上がりました」




******



「いやぁ……汚いところですみません。ちょっとバタバタしてまして……。しかし、今日も時間ピッタリにとどけてくれて助かります」



 見慣れない大小様々な器機が散乱し、書類があちこちで山のように積みあがっている汚部屋の一角、かろうじで座面が見えている長椅子の端にちょこんと腰掛けた紬に向かって、館の主が明るい声を出す。


 フレーム部分が欠けたボロボロの丸眼鏡を掛け、あちこちに寝癖のついた頭をポリポリと掻き上げる、白髪混じりの頭髪に対して若々しい見目をした年齢不詳の男−−本日の依頼主である上倉八雲かみくら やくもからアイスティーの入ったグラスを受け取った紬は、礼を述べて冷たい紅茶に口を付ける。


 スッキリとした柑橘の風味が鼻を抜け、乾いていた喉が潤っていく。思っていた以上に喉が渇いていたようで、ゴクゴクと一気に飲み干してしまった。行儀が悪いと思われたかもしれない……。暑い日中の配達ではこまめな水分補給を意識しなければ。





「では、見せて貰えますか?」



 長椅子や座卓にこれでもかと積まれていた書類を無理矢理押しのけ居座った八雲に促され、紬は帆布鞄の中にぎっしり詰った薬品や薬草を丁寧に取り出し座卓に並べていった。医師であり、研究者でもある八雲はそれら1つ1つをまじまじと観察し、時間を掛けて全てを眺め終えた後、満足そうに頷く。



「うん、今回もバッチリです。見分けにくい薬草もあったけどちゃんと依頼した通りでした」



 少々緊張しながら八雲の様子を眺めていた紬はその言葉にホッと息を吐き「良かったです」と微笑む。



「今回もミスなくお届けできて安心しました。これまで何度も間違ってご迷惑をお掛けしていましたから……」



 申し訳無さそうに眉を下げる紬に向かって八雲が「いやいや」と首を横に振る。



「初めから完璧にできる人はいませんから、気にしないで。紬くんが配達してくれて本当に助かっているんです。薬草や薬品は使い方次第で毒になるものが多いですから。

 1人でこれほどの数を入手してしまうと犯罪でも企んでるんじゃないかと役人に目を付けられるんですよ。不本意ながら胡散臭いと思われているらしい僕みたいな医師は特にね。 

 いろんな仕入れ先を回って安全に且つ経路を上手く誤魔化して届けてくれる運び屋の存在に僕は助けられていますよ」



 紬達の働きが医学進歩の一助となっていると力説され、流石にそれは大袈裟過ぎると笑ってしまったが、自分の仕事が役に立っていると言われることは素直に嬉しいものだ。



「本日もご利用ありがとうございました。今後とも、どうぞご贔屓に」



 受け取った依頼料の入った茶封筒を空っぽの帆布鞄に仕舞い、紬は丁寧に頭を下げる。



「こちらこそ。あぁ、そうだ紹介所の皆にもよろしくお伝えください。そろそろ家政婦の派遣をお願いしたいと思っているので近いうちに紹介所に寄らせてもらいます。ほら、あまり患者は来ないけど仮にも診療所がずっとこの状態だとまずいから……」



 八雲は散らかった部屋を横目に決まり悪そうに笑い、ポリポリと頬を掻く。紬は笑って「はい」と返事をし再び頭を下げて上倉邸を後にした。


 館を出るとじめじめと蒸した空気が辺りに充満し、今にも雨が降り出しそうなどんよりとした雲が空を覆っている。



「午後の仕事、無くならないと良いなぁ……」


 

 物が雨に濡れることを嫌う依頼主は多い。今日はこの後3件ほど依頼が入っていた筈だ。可能であれば配達時間を前倒ししてもらおうと、紬は広い畦道を駆けだした。


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