「リーフの異常な愛情」part10

「お入りください。この建物がその答えです」


 俺とオリサは厩舎から少し離れた建物へ案内された。

 なんだろう、この建物は……。真新しい建物のはずなのに、なぜだかひどく陰鬱な空気が漂っているように感じる。

 建物内を見渡すと天井から極太のチェーンが何本も吊り下げられ、その先端には鋭いフックが付いている。奥には冷たい印象を抱かせる巨大な鉄の扉があり、壁から伸びたコードにはバカでかいペンチのようなものが繋がりぶら下げられて……、極めつけは棚に大小様々な刃物が並べられていた。

 どう見ても拷問部屋、もしくは処刑部屋だ。それ以外に何と形容すればいいのか、何一つ言葉が見つからない。


「トール……」


 異様な重い空気を感じ取ったオリサがすぐそばに近寄り、俺の手を握りしめた。彼女もどうすればいいかわからなくなっているようだ。いったい俺たちは今から何を見せられるのだろう。いや、俺たちの身に何が起こるのだろう……。せめてオリサだけでも守らなければ。


「お二人のその驚いた表情……。ああ、やはり一目ひとめでここが何なのかお分かりいただけたのですね!それでは簡単に手順をご説明いたしましょう。まず初めに、そこにあるシャワーを用いて体に付いた汚れを落とします」


 まったくわかっていないのに。

 呆気にとられていたら、静止の声を上げるいとまもなく説明が始まってしまった。リーフは一体何を言っているんだ。


「次に、この道具の出番です。こちらは電流が流れるようになっておりまして、先端で頭部を挟み、電気ショックを与えることにより一瞬で気絶させてくれます」

 先程気になった巨大ペンチのような物体の登場とともに、物騒な単語が出てきた。リーフはどうしたんだ。いつもの彼女ではなくなってしまったかのようだ。

「ここからは手早く進めなければなりません!」


 興奮してきたのか語気が強まる。


「こちらを使い、いよいよそのときです」


 そう言ってナイフらしき刃物を取り出したリーフを見て、オリサの手に力が入った。俺も自身の不安を隠すことなくその手を握り返した。オリサに一人ではないと伝えるように。

 リーフの目は嬉々として輝いている。


「電気で気絶しているうちに首を通る血管をしっかり意識し、手早く切って放血を……」

「リーフちゃん!待って!どうしたの!急に何の話をしてるの!?」


 耐えられず、オリサが悲鳴のように問いかけた。


「ここは何なの?ねえ、教えて!」


 この状況にあってもかばうように俺より半歩前に立ち、杖の先端はまっすぐリーフに向けている。いざというときは、リーフを傷つけることすらもやむを得ないという意思の表れのようだ。俺は情けなくただ立ちすくんでいるだけだというのに、オリサが恐怖に立ち向かってくれている。


「あら、見てお分かりではありませんでしたか?ああ、これは大変失礼いたしました。嬉しくてついお二人のことを置いてきぼりにしていたようです。ここは食肉加工場です」

「はぁ?」


 二人仲良く間抜けな声を出してしまった。


「つまり、家畜たちを解体してうるわしのお肉を取り出す施設です。実はわたくし、お肉が大好きでして……」


 そう話すリーフは両手を頬に当て、紅色した顔を隠している。まるで恥ずかしい体験を話すかのように身体をくねくねよじらせながら。先程のナイフを持ったまま。危ないぞ。

 食べるためとはいえ、命を奪う空間でこの馬鹿エルフは何をしているのだろう。


「わたくしがいた森では、エルフは皆菜食主義者ベジタリアンなのです。ですが、なんといいますか、わたくし、草はどうにも苦手でして」

「草?」

「はい、お野菜はちょっと。食べる意義を見いだせないと申しますか。お肉には到底及ばないと思うのです」


 野菜を草とか言っちゃう人、テレビで見たことあったけど本当にいるんだ。異世界人だけど。


「ねえリーフちゃん、昨日の晩ごはん、野菜たくさんのポトフだったけど……」

「作っていただいて大変申し訳ないのですが、あれには困ってしまいました。しかし上手くトールさんを誘導して一人になれましたので、自分でソーセージとスープだけをすくっていただきました。作ってくださったお二人には申し訳ございませんが、実は今朝も草は少々、お肉を多めに頂いていたのです。大変美味しかったです。ご馳走様でした」


 深々とお辞儀をするリーフ。頼むからナイフを置いてくれ。


「ああ、うん、お粗末様です」

「じゃあ、リーフちゃん、今までのごはんは……」

「もともとお料理は好きでしたので、わたくしが料理をすることで上手くお肉をたくさん食べられるようにしていました。みなさんお気づきではなかったので、今日はじめて懺悔ざんげいたします。自分だけ好きなものを食べて申し訳ありません。先程のお話に戻りますが、エルフは皆、愚直にも草ばかり食べておりまして、わたくしは愛しのお肉を食べられる環境にはおりませんでした。一度だけ食べた馬刺し、あの味が忘れられません」


 恍惚こうこつの表情でナイフの先端を見つめながらなまめかしくゆっくりと舌なめずりをする。しとやかなリーフのその所作は狂気を孕むとともにひどく官能的でもあった。


「そう、わたくしとお肉の出会いはあの日でした。ある時、仲間たちとともに旅行したときのことです。その街では人間族が世にも珍しい生の馬肉を売っていましたが、仲間たちは一瞥いちべつするなりひどく不快な顔をしていました。肉を食べる習慣がないのはもちろん、あまつさえ友と呼んで差し支えない馬を食べるだなんて。仲間の目はそう物語っていました。今思えば恥ずかしながら、わたくしも初めは仲間たちと同様の想いを抱いておりましたが……、どういうわけかあの赤く美しいお肉が頭から離れませんでした。興味を抱いたわたくしは仲間の目を盗んでその馬刺しという料理を食べてみたのです。驚天動地きょうてんどうちとしか表現のしようがありませんでした。この世界にこんなにも美味しいものがあるのかと、天にも昇る想い、世界の全てを手にしたかのような想い。そうしたら、わたくしにはそれまで毎日食べていた野菜が食べ物に思えなくなってしまったのです。否!敢えて申し上げましょう、野菜は草であると!しかしながら故郷の森に肉を食べる習慣はない。馬はいるものの、それは食用ではなく移動手段!なぜなのか!そこからわたくしの悪夢は始まりました。来る日も来る日も来る日も来る日も、わたくしは毎食草を食べねばならない……。目の前には馬が何頭もいるのに!辛かった……、辛かったですとも!故郷の森にいる限り、あの子たちを食べてはならない!故に!ああ、故に!わたくしは神に願った!肉を食べる文化のある世界に行かせてほしいと。ふふふ、そしてトールさん!わたくしはあなたの世界にたどり着いた!ええ、そうです!そうなのです!わたくしはこの機会を与え給うた神様に感謝し、受け入れてくださったトールさんに感謝し、第二の人生を歩みだす!もはや誰にもわたくしを止めることなどできない!故に!故にトールさん、家畜の飼育と解体、そして調理はわたくしに一任していただきたく思います!ふぅ……、今まで言い出せず誠に申し訳ありませんでした」


 誰だおまえ!

 リーフなりに夢が叶って相当興奮しているのだろう。普段と異なる口調で両腕を広げ大仰な仕草で声高らかに演説する姿は、さながら舞台の中央でスポットライトを浴びる女優だった。

 そして長々と力説されたが、大変申し訳無いことにオリサやルルの悩みに比べるとまったく共感できない。ただの一単語たりとも共感できない。野菜くらい食えよ。いや、食ってはいるけどさ。


「その……、頑張ってくれるなら、それでいいかな。餌やりとか掃除はもちろん俺もがんばるよ。確認したいんだけどさ、解体は全部やってくれるってことでいいのかな?」


 深々と頭を下げるリーフに確認した。『やる』と言え、言ってくれ。


「当然です!先ほど申し上げたではございませんか。お肉に興奮して聞き漏らしてしまったのですか?トールさんたら、仕方のない子ですね。わたくしに一任してくださいませ。この加工場が昨日一番の楽しみでした。これでわたくしはいつでもお肉が食べられます!様々な点でこだわりました。さあ御覧ください!いざ!いざいざいざ!その扉の中は冷凍庫になっていて、お肉もたくさん保存できます。ミンチマシーンもある!ソーセージを作るための機械もある!刃物類は安全のためには収納箱に入れるべきだとわかってはおりましたが、わたくしたち以外に触れる者がいないならば取りやすさ重視で多少乱雑に並べてしまっても良いかと考えました!元々のこの世界のやり方と同じようにする必要は無いと思うのです。ですから、わたくしなりの『食肉加工道』を追求していく所存です。不束者ですが、この飼育大臣、いえ畜産大臣エルフ族のリーフめをどうぞよろしくおねがいいたします」


 落ち着いたと思ったら再びエンジン全開になったリーフに深々と頭を下げられた。肉に興奮してるのはお前だよこの馬鹿。

 そうだ、思い出した。彼女たちが来たあの日、リーフは来て早々にホットドッグや唐揚げ、昼食に焼肉弁当とチキン南蛮弁当を食べていた。夕飯のおでんは牛すじを何本も嬉しそうに食べていた。よく食べると思ったらそうか、そういうことか。


「あ、うん……。こちらこそ……。あの、ちなみにさ、リーフって動物と話せるよな」

「厳密に言うと、意思を通わせられるのです」


 知らんよ、そんなん。何が違うかわからんし、どっちでもいいよ。


「その、仲良くなった動物をここで加工するんだよね?」

「もちろんです」


 躊躇はないらしい。鋼のメンタルかよ。


「動物は動物、肉は肉ですから」


 いっそ清々しい。


「そ、そうか。誰かがやらなきゃならないと思ったから、助かるよ」

「そ、そだね。あ、トール、あたしたちは畑を見に行こうか!」

「そーだな、オリサ!じゃ、リーフ、ここでゆっくりしててくれ!」

「ありがとうございます。もう少しお肉を加工するときの模擬練習をしたかったので助かります。捌きます!そして共にいただきましょう!考えただけで涎が止まりません!ふふふ、うふふふふふふふふ!!お肉の時間です!いざ!いざ!いざぁぁっ!あーはははっ!!お肉です!お肉です!」


 狂乱大臣があげる哄笑こうしょうを背に受けながら、俺とオリサは逃げるように建物から出た。一刻も早くその場を離れたかった。リーフの存在により、俺たちの心は一つになった。握りしめた手は一切緩まない。


 ・・・・・・・・・・・・


 拷問部屋を出て放牧場を通り抜け畑にたどり着いたところで限界が来たのか、オリサが崩れ落ちた。


「ドオルぅぅ、ごわがっだこわかったよぉぉぉ!だべられぢゃうたべられちゃうがどかとおぼっだおもったぁぁぁぁ!」


 緊張の糸が解けて滂沱ぼうだの涙を流すオリサの手を取り必死になだめる。

 正直、俺もめちゃくちゃ怖かった。たぶん、人生で一番怖い経験だった。


「よしよしよし、泣くな泣くな。リーフも悪いやつではないから。な?たぶん天然なんだ。わかるか?よしよし。守ってくれようとしてありがとうな。よしよし、ありがとうな。本当にありがとう。いい子いい子」


 こうして肉の供給源が確保された一方、リーフとの間に心の溝が生まれた気がした。



第三章

「リーフの異常な愛情 または彼女は如何にして我慢するのをやめて肉を愛するようになったか」 

 完

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