渇望

茉白

第1話

「まゆ、高校卒業おめでとう。」

 私は運転席に目を向け、甘く響く耳障りの良い少し高音質の声に応えた。

「ありがとう。すっごく嬉しいな、かずき君が来てくれて。」

 大好きなかずきの横顔を見ながら、私は上機嫌だった。

「でも、ちょっと嫌だったんじゃない。知らないおじさんやおばさんにじろじろ見られて。」

「まゆの為だから大丈夫。晴れの日に一人ぼっちになんて出来ないからね。」

 そう言って優しく微笑むかずきは、濃紺のスーツがよく似合っていた。

「こんなにめでたい日にこうたもはなさんも仕事だなんて、残念だったね。」

 こうたはパパ、はなはママの事。

 かずきとパパは少し年の離れた幼なじみで、パパが昔から弟のように可愛がっていた事もあり家族同然の付き合いをしていた。

 つまり今日は保護者代理という訳。

「いいの、かずき君が来てくれたんだもの。充分だわ。」

 パパとママには悪いが、心の底からそう思った。

「そう言ってくれると来たかいがあるな。」

 かずきもまんざらでないようすで、私の頭を撫でる。

「そう言えば、言ったかな?」

「何?」

「その制服似合ってるのに、今日で終わりだなんてちょっと残念だな。」

「制服好きなの?じゃあかずき君が言えば、いつでも着てあげる。」

「それって、コスプレを喜ぶおじさんみたいだから遠慮しておくよ。」

 かずきは苦笑して、丁寧に辞退した。


 車は私の家へ向かっていた。

「かずき君、今日この後の予定は?」

「うーん、今の所は無しかな。仕事のメッセージも入ってきてないし。」

 かずきはちょっと名の知られ始めたフリーのカメラマンだ。

「ほんと?それじゃあ、一緒に夕飯食べようよ。こんな日に家で一人ご飯なんて寂しいな。」

 私は体中からあふれ出そうな歓喜を抑えつつ、甘えた口調と上目遣いでかずきを誘う。

 きっと一人というキーワードがひっかかったのだろう。

 かずきは小さな子供を心配するような表情で私をチラリと見たが、今一つ煮え切らない返事をする。

「うーん、そうだな…」

「もう、嫌ならいいよ。他の誰か誘うから。はるおみが暇なら連絡してって言ってたし。」

 拗ねたふりしてそういうと窓の方を向いた。

 はるおみは、私の3つ年上の幼なじみで、かずきももちろんよく知っている。

 わざと仲の良いはるおみの名前を出したのは、かずき以外にもかまってくれる人の影を具体的にちらつかせるためだ。

 案の定、知っている相手とはいえ男の名前が出た事に慌てたようすだった。

「嫌じゃないよ。…そうだね。せっかくだし、お祝いもかねて僕にご馳走させて。」

「ほんと?やった、嬉しい。かずき君優しいから大好き。」

「僕もまゆが好きだよ。」

 告白は今日もさらりと流され、私は心の中でため息をついた。

 家に到着すると、急いで車から降りる。

「じゃあ、着替えてくるから待っててね。」

 そう言うと、それに応じる様にかずきはにっこり笑って手を挙げる。

 その笑顔に、私の心は弾む一方だった。


 急いで部屋へ行くと、今日で最後の制服を脱ぎ捨てお気に入りのワンピースを身に着ける。

 長く伸ばした髪をほどくと、パパ譲りの緩い天然パーマがふわふわと鏡の中で揺れた。

 結いなおし、仕上げに淡い桜色の口紅を引くと大きく深呼吸をした。

「落ち着いて、きっと大丈夫。」

 鏡の中の自分に言い聞かせ、私は部屋を出た。


「ごめんね、お待たせしました。」

 そう言って私は助手席に乗り込んだ。

 何気なく私の方を見たかずきは、一瞬驚いたような表情になった。

「まゆ、何だかいつもと違う。お化粧してるの?」

「リップだけだよ。変?」

「ううん、似合ってる。何だかもうすっかり大人になったね。ついこの間までランドセルだったのに。」

 感慨深げに言うかずきに、私は本当にため息をついた。

「ランドセルなんて、もう6年も前の事じゃない。いつまでも子供扱いしないでよ。」

「ごめんごめん。つい月日の経つのを実感してしまって。僕もおじさんになる訳だ。」

「何言ってるの。かずき君まだ29歳じゃない。おじさんになんて全然見えないから。」

 かずきはベビーフェイスで、20代前半に見えた。色白の肌、少しブラウンに染めたミディアムヘアー。容姿端麗で、ぱっちりとした瞳が印象的な青年だ。

 実際、大学生に間違われる事だって何度もあった。

「それにいつだって素敵だし。」

「本当に?まゆはいつも僕を嬉しくさせてくれるね。」

「だって、ほんとの事だもん。かずき君が一番かっこいい。」

「ありがと。褒められて悪い気はしないな。」

 かずきはそう言うと、車をスタートさせた。


「何が食べたいの?」

「何でもいいの?」

「今日はまゆのお祝いだからね。何でもリクエストしていいよ。」

 本当はもう決まっているのだが、少し考えるふりをした。

「えーっと、じゃあ、かずき君の手料理が食べたいな。」

「僕の手料理?そんなのでいいの?」

「そんなのがいいの。駄目?」

「駄目じゃないけど、買い物とか行かないといけないし…。」

「一緒に行こう。いいでしょう?」

 ここは引けないので少し強めに言った。

「うーん、言っておくけどたいしたものは作れないからね。」

「いいの。かずき君が私のために作ってくれる事に意義があるんだから。」

 私が言い出したら聞かない事を分かっているかずきは、半ば諦めたようすで言う。

「わかったわかった、じゃあ買い物に行こうか。僕の部屋でいいの?」

「やった、嬉しい。楽しみだな。」

 私は、無邪気なふりして喜びを隠さない。

 こうしてかずきの部屋に入る事に成功した。


 久しぶりに来たかずきの部屋は、かすかにたばこの香りがした。

「懐かしいな、全然変わってない。かずき君と一緒ね。」

「はいはい、あんまり成長してないんです。」

 かずきが冗談めかして言う。

「まだ、たばこやめてないんだ。パパと一緒ね。」

「なかなかね。そんなに匂う?」

「大丈夫。パパほどじゃないし、たばこの匂いは嫌いじゃないから。」

「なら良かった。」

「吸ってもいいよ。パパはヘビースモーカーだもの。」

「そう?実はずっと我慢してたんだ。1本だけ吸わせてもらおうかな。」

 かずきはキッチンに行くとたばこに火をつけ、紫煙をフーッと吐き出す。

「まあ、座りなよ。」

 促されソファに座ると、キッチンのかずきに目をやった。

 たばこを挟む細くて長い指や、いつもはあまり見る事のない大人っぽい表情に思わず見とれてしまうが、かずきはそれに気づくようすはなかった。

 かずきはたばこの火を消すと、一伸びして髪をかき上げ

「ちょっと待ってて。」

 と、寝室へ消えていき、すぐに着替えて戻って来る。

 白いシャツにジーンズというラフな格好もよく似合っていた。

「さて、では調理開始といきますか。」

 そう言うと腕まくりしながらキッチンへ向かい、ジャズを流しながら野菜を洗い始める。

「手伝うよ。」

 立とうとするが手で制された。

「まゆは座ってて、今日はお客様なんだから。」

「えー、つまんない。一緒に作りたいな。」

「それじゃお祝いにならないでしょう。大丈夫。適当にくつろいでてよ。」

「…分かった。おとなしく待ってる。」

 私はクッションを抱きかかえ、キッチンから漏れてくる歌を聴きながら、ここまで順調に来ている事に安堵する。

 どうかこの後も上手くいきますようにと心の中で祈った。


「…聞こえてる?まゆー?」

 呼ばれている事に気付いた時、かずきはもうキッチンから私の隣に来ていた。

「何?どうかした。」

「何回も呼んでるのに返事してくれないから。やっぱり疲れた?」

「大丈夫、何でもないよ。」

 今考えていた事を悟られないように、私は笑ってごまかした。

「ならいいんだけど。もうすぐ出来るよ、飲み物は何がいい?」

「シャンパン、と言いたいところだけど駄目でしょう?」

「駄目だね。未成年にお酒は出さないよ。」

 そう言ってかずきが笑う。

「やっぱり。じゃあ炭酸水ある?」

「あるよ。分かった。」

 そう言うと、かずきは歌を口ずさみながらキッチンへ戻っていく。

 まだ大丈夫、何も警戒されていない事にほっとした。


 思いのほか美味しい食事が進み、デザートの苺を食べ終えると

「大学合格おめでとう。」

 かずきがそう言っておもむろにラッピングが施された箱を私に手渡した。

「えっ、何だろう。開けてみていいの?」

「どうぞ。本当はもっと早く渡すつもりだったんだけど、出しそびれちゃって。」

 思いがけないプレゼントにドキドキしながら開いてみた。

 細いゴールドのチェーンに馬蹄モチーフの付いたネックレスが光っていた。

「馬蹄はラッキーアイテムだからね。まゆにいつも幸運が訪れる事を祈って。」

 私はキラキラと光に反射するネックレスを見つめながら、何も言葉が出なかった。

「どう、気に入ってくれたかな。」

「…かずき君、今付けてくれる?」

 そう言って後ろを向き、髪を上げた。

「いいよ。」

 私が感想を言わないので少し不安げなようすでそっとネックレスを付けてくれる。

 振り返り、かずきを見つめた。

「似合う?」

「もちろん。僕が選んだんだから。」

「ほんとに?一人で?」

「本当だよ。一人でジュエリーショップに行くのってちょっと恥ずかしかったけど。」

「きれいね。」

「気に入った?」

「うん、ありがとう。すごく嬉しい。一生大事にするね。」

 私が笑顔でそう言うと、

「良かった。」

 安心したのか、かずきもにこやかな表情に戻った。


 夕飯の片付けを二人でしてコーヒーを飲みながらくつろいでいると、気がつけば8時を回っていた。

 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。

「そろそろ送るよ。」

 時計を見ながらかずきが帰宅を促し立ち上がるが、私はコーヒーカップを握りしめたまま返事をしなかった。

「どうしたの?」

 ついさっきまでと感じの変わった私を不思議そうに私を見つめる。

 そんなかずきをまっすぐ見返すと、私は思い切って聞いた。

「かずき君、今付き合ってる人いる?」

「何、いきなり。」

「いるの、いないの?」

 少し強めに聞くと、かずきは戸惑いながら答えた。

「今はいないよ。」

「ほんとに?」

「本当だってば。」

 それならばと、一息ついて話を進めた。

「…ねえ、知ってると思うけど、私、かずき君の事が好きなの。」

「僕もまゆの事が好きだよ。」

「そうじゃない。そういう意味じゃないってもう分かってるくせに。」

 思いがけない私の告白に、困惑を隠せないようすのかずきを見て、さらに畳みかけた。

「ずっと大好きだった。かずき君だけだった。私じゃ駄目かな。」

「………」

 かずきは何て言ったら分からず立ちすくんでいる。

 ジャズだけが何事もなかったように流れ続け、私たちの間には、長いようなそうでもないような居心地の悪い沈黙が流れた。

「……分かった。困らせるつもりじゃなかったの、ごめんね。帰るから。今日はありがとう。」

 私は何事もなかったかのように笑顔を作り、いつもの口調で帰り支度を始めた。

「あっ、えっ、どうやって帰るの?もう遅いし、送るから。」

 かずきはまだ一連の出来事に戸惑っていたが、あわてて私を止めようとする。

「大丈夫。」

「大丈夫じゃないよ。一人は危ない…」

「はるおみに迎えに来てもらうから。」

 かぶせるように私は言った。

「何ではるおみ君?送るって言ってるだろう。」

「かずき君には送ってほしくないの。」

 私は平静を装うが、どんどんきつい言い方になってしまう。

「どうして。僕はこうたやはなさんに頼まれてるし…」

「もうこれ以上、保護者はいらない。」

 爆発してしまいそうな感情を必死で押さえながらそう言うと玄関に向かった。

 どうやら一世一代の告白は悪い方へ転がりそうだ。

 泣くのはかずきと離れてから、と自分に言い聞かせながら玄関へ向かった。


 私は話す口調も態度もどこか投げやりになる事を隠そうともしなかった。

「じゃあね、さよなら。今までありがとう。」

 かずきは靴を履こうとする私の腕を焦ってつかみ、一生懸命引き留めようとする。

「ちょっと待って。何か変じゃない?さよならなんて…」

 そう、いつもは

「バイバイ、またね。」

 がお決まりの別れの挨拶だった。

「もう会わないって言う意味だと思ってくれていいから。」

「どうしてそう極論になるのかな?」

 本当に困り果てたようすのかずきを見て、私はこの際どうせだから気持ちを全部ぶつけてしまう事にした。

「もう誰にでも優しいかずき君に期待するのは嫌なの。これ以上好きになりたくないの。辛くなるだけだから。」

「そんな事言わないでよ。小さいときからまゆは特別なんだから。」

「特別?特別って何?意味が全然わかんない。」

「僕はまゆが大事だよ。大切に思ってる。知ってるだろう。」

「もういい。」

 そう言った次の瞬間つかまれていた腕がグイっと引き寄せられ、私はぎゅっと抱きしめられていた。

「まゆ、ちょっと落ち着いて話さない?」

 コーヒーとたばこの香りが入り交じったかずきの腕の中は想像していた以上に心地よく、思わずうっとりしまいそうになる。

 でも、ここで挫けたら今まで通りの関係で一生終わってしまうのは分かり切っていた。

 これが最後のチャンスとばかりに私は言った。

「…じゃあ、私のお願い、特別に聞いてくれる?」

「もちろん、いいよ。何して欲しい?」

 私が少し落ち着いたと思ったのか、安堵した声のかずきは少し腕を緩めながら、私の顔を覗き込む。

 私は顔を上げ、じっとかずきを見つめて一生分の勇気を振り絞った。

「…今夜はかずき君とずっと一緒にいたい。」


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