あなたの一生は私の一瞬
古代紫
第一話
辺りは静か。太陽は西に傾き始めたころ。
ぽつんと小さな家が建っていた。周りには家がほとんどなく、ちらほらと同じくらいの大きさの家が建っている。
その家の中、赤い屋根のかわいらしい家。庭には桃の木が一本生えており、花が散って実が生りかけていた。庭に向けて両開きに開いたガラスの窓。内側のカーテンも開けられていて、風になびいている。
部屋には二人の男女がいた。男性は黒のタキシードに黒色の蝶ネクタイを着た二十代前半で茶色のバイオリンを手に持っている。
男性の横には大きなグランドピアノと十八歳程であろう少女。彼女は真っ赤なワンピースを着てピアノの前に座っている。すそがひらひらと軽いワンピースで、肩紐がかけられているだけの白い肌を綺麗に引き立てている赤色だった。
「……いいかい?」
「はい。いつでも……」
男は少女に聞き、バイオリンを首元におき、弓をそっと弦に当てる。それを見た少女はピアノの前に座りなおし、両手をそっと鍵盤の上に浮かせる。
少女の指が鍵盤を弾く。重みのあるピアノの音が部屋中を駆け巡る。軽快に指を走らせて透き通るような音を紡ぐ。男はそれに合わせて弓を弾いた。ピアノだけの音にバイオリンの軽くてもしっかりと聞こえる音が混ざり合う。まるで何処かが繋がっているかのように少しもぶれることなく二人の音は互いを引き立て、混ざり、心地よく部屋を満たす。
二人はとても楽しそうな笑顔を浮かべ、バイオリンを、ピアノを奏でていく。
バイオリンとピアノ。男と少女。二人の演奏会が、今日も始まった。
◇◆◇◆◇◆
悪意は無かった。わざとじゃない。けれど……過ちを犯してしまった。
天使と神様のいる天界。
地上の世界となんら代わりの無い田舎の果樹園の一角。りんごやなし、ぶどうや栗などがそれぞれの区間に分けられて一塊となってたくさん生えていた。
ただ、木々が規則的に並ぶ果樹園の中、三月下旬の今に花を咲かすべき木々がすべて灰になっていた。ピンク色の花をつけるべき果物……桃の木が、すべて灰になっていた。
「
冷たい風が吹き付ける小さな道。一人の天使が歩いていた。
十八歳くらいで黒髪のセミロング。天使だからといって白衣の装束や、金色のリングがあるわけではなく、どこにでもいる少女。茶色のコートを着ているが、とても寒そうだ。目は虚ろで、冬の灰色の空のようにさびしい目をしていた。
歩いても、歩いても彼女の目には求めるものが見つからない。それもそうだ。天界から追放された彼女の目には何も映っていなかった。
何で私が……? そう思っても何も解決しない。管理人は他にも何人もいたのになぜか私だけが追放されることになった。みんな、私に全部の責任を押し付けたんだ。はじめに誰かが私のせいだと言い出して……後はみんながそれに乗って、気が付けば抗えないほどになっていた。それに、桃園が燃えた日は私は有給休暇をとっていたのだ。私に責任があるはずがないのに……そう思っても、何も起こらなかった。冷たい風は吹くし、おなかも減った。胸の奥が……空っぽだ。
空っぽの胸に、りんっ――と小さな、軽い何かが響いた。
耳の奥で、音が聞こえた。歩くたびに音は少しずつ大きくなっていき、空っぽの胸を満たすように優しく空気を震わしている。
ピアノの音だ。一つ一つの音が綺麗に冷たい風の中を躍り、胸に響いてしみこんでいく。
音に導かれるまま、ふらふらと歩いてたどり着いたのは小さな赤い屋根の家だった。かわいらしい家の庭を音に引き寄せられながら歩き、閉じられた窓をそっと覗く。
そこでは一人の若い男がピアノを弾いていた。黒い光沢のあるグランドピアノの前に座って、楽しそうに十の指を鍵盤の上で躍らせている。
一つの指が白い鍵盤に触れるたびに軽やかな音が出て、それがいくつもの音と混ざり合って一つのメロディになる。
演奏が終わり、男が窓の外の少女に目をやる。
いけない……聞き入れちゃった。もう、行かなきゃ。
少女は窓から離れ、庭から出る。するとさっきまで少女が覗いていた窓が開いた。
「こんにちは」
よく通る声だった。足が止まり、少女も男に向き直って「こんにちは」。自分の内は悟られたくない、そう思った精一杯の作った顔で……。
男から返ってきたのは意外な言葉だった。
「君も弾いてみる?」
「え?」
「ピアノ」
男は少女を招きいれ、グランドピアノの前に座らせた。
少女には多少のピアノの心得はあった。けれど、さっきの男の演奏と比べれば稚拙で中途半端なもの。とても彼の前で弾けるものじゃない。
弾けないよ……逃げちゃおうかな? でも……この人の演奏はもう一度聴いてみたい。でも……私は……。
ピアノの前に座ったまま、どうしようか頭を悩ませる少女に、男は優しく言った。
「悩まなくていいよ。好きなように音を出せばいいよ」
「で、でも……私、下手だから……」
「君に合わせて、僕はこれを弾くよ」
そういって男が取り出したのはバイオリンだった。そして、少女の後ろで背中を向けながら黙って弾き始める。
ピアノとは違う、柔らかく張りのある音が部屋を満たす。ピンッと張り詰めているようで、どこか柔和で優しい音。
ずっとこのまま聞いていたい。なぜだか分からない。少女は彼の音を聞いていたいと思った意味が、自分でも分からなかった。
ふと、男が演奏をやめて少女に目を向ける。
男が言う前に、つい少女はうなずいた。せっかくだから……私も弾いてみる。
イスに座りなおし、両手を鍵盤の上に乗せる。
ぎこちなく弾き始め、男はそれに合わせてバイオリンを奏でる。少女のピアノはだんだんと緊張の糸をほぐし、ピアノから流れる音は彼女の楽しさを表現するようになった。
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