引きこもり令嬢と結婚する方法

micco

Ⅰ. 引きこもりと仲良くなるのは難しい

1.始まりは騒がしい来客から

 不意に、アニスは書類から目を上げた。


 (なにか、騒がしいな)


 同時、初秋の陽光がレースカーテンの隙間から差し込み、彼はまぶしさに琥珀こはく色の目を細めた。背にかかる白銀の長髪が肩を滑ってさら、ときらめく。 

 傾きかけた陽射しは、彼の瞳にきらりと反射しながら調度の影を床に伸ばしている。

 柔らかい素材のシャツが陽に透け、彼の細身のシルエットを映した。


 少年とも青年とも断ぜない、中性的な美貌びぼう。その銀にけぶる眉がいぶかしげにしかめられたが、慣れた者でなければ彼の変化には気づかなかっただろう。


「……客か」


 彼はそう独り言ち、読むのに辟易へきえきしていた陳述書を素速くしまった。どうやら侍従が先触さきぶれに来られないほど、相手は切羽詰まっているらしい。


 (面倒だな)


 アニスはうんざりした面持ち――非常に分かりづらいが、麗しい唇はわずかにひん曲がっている――で立ち上がった。

 年末が差し迫り、書類は掃いて捨てるほど届く。厄介な客は厄介事しか運ばないと相場が決まっていた。


 繊細なフリルシャツに、正しく候爵令息らしい――紺地に華やかな刺繍の刺された上着を羽織る。騒々しさは明らかにここに向かっており、彼は扉にちらっと瞳を向け襟元を整えた。


 と同時、バアァン! と、ノックもなしに扉が開け放たれた。そして、見るからに筋骨隆々な男が転がり込んだ。


「アニーィィィィ!」


 アニスはひくりと頬が引きりそうになったのを、候爵令息たる表情筋で我慢した。

 入り込んだのは、濃い金髪に夏の空のような碧い目、白い軍服の美丈夫。

 ハグを求める形で腕を広げて入室したその男は、まるで覆いかぶさるようにアニスに近寄ったかと思うと、突然べしゃりと床にひざまずき、彼の腰にすがりついた。


 男は、金に碧にと豪奢ごうしゃな色合いを持ちはっきりとした輪郭の顔つきは平常なら精悍せいかんの一言だろうが、今は「情けない」に尽きた。くしゃくしゃである。

 禄に寝ていないのか顎には無精髭が散っていることが、アニスをますます中性的に見せた。


「侍従より先に入るなら、ノックくらいしてくれ」


 アニスは男の金髪に特大のため息を降らせた。

 「ジャノルド殿下! 廊下はお歩き下さい!」と、遅れて現れた侍従にひとつ肯き、平常通りに「お茶を」と手を振った。

 その全く動じない様子に一瞬、恨めしげな目を向けたジャンは彼を揺すぶった。


「アニス=ヴィンセント=ヘレンゲル! 話を聞いてくれ!」


 侍従がくたびれた様子で出て行ったことを見届けると、アニスはようやく相手に胡乱な目を向けた。よくも長ったらしく呼んでくれたと、縋りつくジャンの太い腕を乱暴に払う。


「今日は何の騒ぎだ、ジャン。人の家の廊下を走るな」

「しかし、俺も急ぎなんだ! もうお前に相談するしか!」

「……お前、いつも真っ先に僕の所に来るくせに何言ってる。さっさと離れろ、僕はお茶を静かに飲みたい」

「それって今から相談に乗ってくれるってことか!? ありがたい! うおぉぉぉ……!」


 アニスは再びひっついてきたジャンに「いい加減、鬱陶しいバカ殿下!」と一喝すると、全力で彼を足蹴にした。



 程なく人払いが済み、ポットを手ずから傾けたアニスは「それで?」と、幼なじみであり親友のジャノルド=ホセの向かいに腰掛けた。

 ローテーブルには美しい彩りの茶器と焼き菓子の銀の二段スタンドが置かれていたが、既に空だ。お茶が配られる前に、ジャンが菓子をほとんど平らげてしまったからだ。

 そして、出されたばかりのお茶を一気に飲み干すと「やっぱアニスの煎れる茶は美味いぜ」などと喜色をにじませた。


「おかわりくれ!」

「……ジャン、何の用で来たんだ。僕はそんなに暇そうに見えるか」


 普段よりも少々低く響いた声に、ジャンは首をすくめた。そして彫りの深い目元をきょとんとさせ、申し訳なさそうにする。


「あーそうだよな、その……さっきは興奮して礼儀を欠いて悪かった。お前の知恵を借りたい。この通りだ!」


 大柄な彼が体を縮め、濃い金髪のつむじを晒す様子を見、アニスはひとまず溜飲を下げた。

 「顔を上げろよ、ジャン」と、ため息交じりに目を伏せた。しかしすぐに琥珀色の瞳を鋭く光らせると、声を落とす。


「まだ爵位もない僕に、王太子殿下が頭を下げる懸案はよっぽどのことだろう」

「まぁ……そうだ。俺の人生が懸かってる」

「それは大事おおごとだな。まさか……あと三十年は揉めないと思ってたが、継承権問題が?」


 アニスは「それならば、駆け込んできたのも肯ける」と顔を強張らせた。

 対するジャンは「いや、王位は関係ない……あ、でも関係あるのかも」としどろもどろ。行儀悪くズズッとお茶をすする。


(ジャンが珍しく口ごもるとは……察するに未遂だが、王宮でキナ臭いことでもあったのか。僕に隠し事をしたことのない彼も、さすがに内輪の争いは話しづらいらしい。話の内容によっては父上に報告せねばならないな)


 王太子という立場でありながらいつまでも子どもの頃のような純粋さを持ち合わせるジャンと、それを好ましく思うアニスは、長く気の置けない友人関係だ。

 表情を緩めたアニスは、彼を安心させようと思いやりを以て笑んだ。


「分かったジャン。僕個人ならば、きっと力になろう」


 いつのまにか傾いた陽射しが彼の白銀の髪を朱色に染め上げ、笑むと少年のように柔らかくなる目元を引き立たせた。朱の混ざる琥珀色をたたえた微笑みは、初心な令嬢ならば卒倒するほどの麗しさだ。

 しかしアニスの内心は、どんな王宮の闇を知ることになるのかと、少しく緊張していたのだが。


「さぁ話してくれ。毒でも盛らせたか、それとも兄殿下の悋気りんきに触れたか」

「いやそれが……婚約者のモニカ=ラベリ嬢がまっっったくつれなくて困ってるんだよぉぉ! 『何とかなるまで帰ってくるな!』って父王オヤジがカンカンなんだよぉぉ! アニー、何とかしてくれぇ!」


 アニスは軽い目眩めまいに額を覆った。


「お前、もう帰れ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る