第74話 終了のお知らせ

 その部屋には重苦しい空気が漂っていた。


 ブレンドコーヒーの香りを添えて。


綿貫真尋わたぬきまひろくん。君とこうして対面するのは、初めてだね」


「は、はい……すみません、ロクにあいさつもせずに」


「別に気にしなくても良い。学生同士の付き合いに、とやかく口を出すのは野暮だからね」


 目の前にいる落ち着いた口調の男性。


 ダンディという訳ではないけど、きっちりとしている。


 スマートな魅力が漂う。


 そのとなりには、メガネのきれいな女性が佇む。


 僕のとなりに座る、和沙ちゃんによく似た。


 彼女の両親とも、上品な所作で僕を見ている。


 きつく僕を責める雰囲気はないけど、緊張で手汗がひどい。


 だから、誤魔化しにティーカップを持つことさえも覚束ない。


「野暮だと言うのなら、お父さん。どうして、わざわざ家に真尋くんを呼んだの?」


 普段は敬語口調の和沙ちゃんが、珍しくタメ口だ。


 何だか新鮮だなぁ、とわずかに和んでしまう。


「大事な話があるからだ」


 けど、すぐにまた緊張感が押し寄せる。


「和沙がおさむくんと付き合っている時、私たちは安心していた」


 和沙ちゃんのお父さんが言う。


 元カレさんのことだろう……


「彼は有名大学に通うエリートだし、態度も紳士的だ。若い性欲にかまけて、和沙を堕落させることもない。理想の相手だった」


「本当にね。だから、別れたと聞いた時は、驚いたし、ガッカリしちゃった」


 和沙ちゃんのお母さんが、吐息まじりに言う。


「その後、和沙に新しい交際相手が出来たと、雰囲気で感じ取った。それ以前に比べて、出掛ける頻度が増えて、オシャレにも力が入っていた」


「だから、お相手はどんな子かしらと、気になっていたの」


 僕はダラダラと、冷や汗が止まらない。


 だって、お世辞にも僕は、そんなエリート彼氏じゃないから。


「申し訳ないが、少し調べさせてもらったよ。君のご両親は現在、海外出張中。君は立派なお家で1人暮らしを満喫していると」


「ま、満喫していると言いますか……」


「そこで娘と逢瀬おうせを交わしていたのかい?」


 和沙ちゃんのお父さんは、メガネをしていない。


 だから、その静かな鋭さがダイレクトに突き刺さる。


 和沙ちゃんのお母さんは、メガネの奥で微笑んでいる。


 けど、それがかえって怖い。


 ていうか、もうこの場にいることが、怖いです!


「い、いえ、その……」


「2年生に進級して、真尋くんと同じクラスになってから。親友のゆかりさんと麗美さんと一緒に、放課後になると彼の家にお邪魔していたの」


 和沙ちゃんが、淡々と言う。


「わたしは案外、にぎやかな場所でも集中できるから」


「なるほど」


 お父さんは、頷く。


「ちなみにだけど、綿貫くん」


「は、はい?」


「まさかとは思うけど……そのお嬢さんたちとは、娘と同じような関係にはなっていないだろうね?」


 ダラダラダラダラダラダラダラダラ……


「……え、えっと、そのですね」


 何とか誤魔化せないかと、必死に思考を回す。


「真尋くんは、ゆかりさんと麗美さんとも、関係を持っているわ」


 けど、和沙ちゃんがあっさりと言った。


「か、和沙ちゃん!?」


「真尋くんは、ハーレム王なの。こんな風に冴えない見た目だけど、すごい人なの」


 静かながらもハッキリと言う和沙ちゃんから、ギギギ、と両親に目を移す。


 父は静かに、母は笑顔で。


 相変わらず、僕を見つめていた。


 いや、睨んでいるのかもしれない。


 ヘルプミー!


「人というのは、見かけによらないな」


「ええ、そうね」


 怖い怖い、その夫婦の相槌が。


「まだ子供ながら、大人の行為にも及んだのかい?」


 何てスマートかつ鋭い問い詰め。


 僕は既に萎縮しきって、答えられない。


「ええ、そうよ」


 和沙ちゃーん!


「真尋くんは、すごいんだから」


 和沙ちゃーん!?


「「…………」」


 ああ、もう怖い。


 無言の和沙ちゃん両親が本当に怖い。


 僕はもう、生きてこの家から出られないかもしれない。


「母さん、アレを」


「ええ、あなた」


 すると、和沙ちゃんのお母さんが、膝上に置いていたであろう紙を、テーブルの上に置く。


 やばい、何か示談書でも書かされるのか?


 でも、僕だって高校生だし、和沙ちゃんとそういった関係になったのは、合法だよね?


 いや、合法とかいう言葉を使っている時点で、ちょっとクズいな。


 ああ、何だかんだみんなと気持ち良い生活を送っていた、これが報いなのか……


「……これは、わたしのテストの結果」


 和沙ちゃんが、ポツリと言う。


「ええ。1、2年生の分をまとめたデータよ」


 和沙ちゃんのお母さんは言う。


「これを見る限りだと、1年生の頃よりも、2年生の時の方が……」


 ゴクリ。


「……上がっているわね」


「えっ」


「元々、高水準の和沙ちゃんだから、これ以上は伸びないかと思っていたけど……まさか、さらに成長するなんて」


「そ、そうなん……ですか」


「それに母親目線から見ても……お勉強以外も成長した気がするわ」


「ちょ、ちょっと、お母さん」


 和沙ちゃんは、両手で胸を覆い隠す。


 ごめん、和沙ちゃん。


 恥じらっているところ申し訳ないけど、僕もうすうす感じていました。


「このデータが物語っているように、君は和沙にとって良い影響を与えているようだ」


 和沙ちゃんのお父さんが言う。


「それに何より、和沙の表情が、明るくなった」


「お父さん……」


「修くんと別れたと聞いた時、しっかり者ながらも繊細な女子高生の娘は、心が折れてしまうかと心配したが……どうやら、杞憂だったようだ」


 そこでようやく、微笑んでくれる。


「綿貫くん……いや、真尋くん」


「あ、はい」


「君がこれからどんな人生を歩むのか、私たちには分からないし、口出しをする権利もないだろう」


「いえ、そんな……」


「ただ、出来ることなら……これからも、娘をよろしく頼む」


 真っ直ぐな瞳に射抜かれる。


「お父さん……あっ、すみません」


「構わないよ」


「じゃあ、私のことも、お母さんって呼んでちょうだい」


「お母さん、ありがとうござます」


 僕はようやく、ホッと息を漏らす。


「真尋くん」


 となりから、そっと和沙ちゃんが声をかけてくる。


「わたし、とても嬉しいです」


「ぼ、僕もだよ」


「あの、これからも……わたしと、一緒にいてくれますか?」


「うん、もちろんだよ」


 僕らはお互いに微笑んで見つめ合う。


「……さて、あとは若い者同士ということで」


「ええ、そうね」


 ご両親は立ち上がる。


「和沙、真尋くん。私たちは、しばし所用で出かけるよ」


「うん、分かった」


「うふふ。どうぞ、ごゆっくり」


 ご両親は、リビングから出て行った。


「……緊張した」


 脱力した僕は、先ほど以上に深くため息をこぼし、うなだれる。


「ごめんなさい、真尋くん」


「そんな、和沙ちゃんが謝ることじゃないよ」


「その、お詫びに……ご奉仕させて下さい」


「ご、ご奉仕って……」


 カチャカチャ。


「……あっ」


 こうして、僕は和沙ちゃんのご両親に認めてもらえた。




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