第76話「妄信」

「でも、あんなに怒らせた後じゃあもう……」


 普段怒らない人間が怒るととても怖い。

 それを身をもって体感した佳純は、今更真凛と仲良くできるとは思えなかった。

 正直話しかける勇気もないほどだ。


 佳純は、クールを装っているだけで実は臆病者なのだから。


「僕も真凛ちゃんと知り合ったばかりだから全部を理解できているわけじゃないけど、陽君が真凛ちゃんを引き留めようとしていることがまだ手遅れじゃないという証拠でしょ? 彼は無駄なことをしない男だからね」


 凪沙はあえて陽のことを話に持ち出す。

 陽のことを妄信していると言っても過言じゃない佳純は、陽が取る行動や発言にはかなりの信頼を置く。

 もちろん全てに――というわけではないが、特に自分のために動いてくれている場合は全幅の信頼を置いていた。

 そのことを凪沙は理解しているからこそ、佳純の気持ちが切れないよう繋げるために陽のことを持ち出したのだ。


「そうだけど……でも、女って相手によって態度を変える生き物だし……」

「それは君――いや、なんでもない」


 思わずツッコミを入れようとした凪沙だが、佳純の目が鋭くなったので慌てて言葉を呑み込んだ。


「秋実さんだって陽が相手だからああなってるだけで、私と話したらまたきっと怒る」


 佳純は今もなお頭を撫でられて幸せそうな表情を浮かべる真凛に視線を向け、内心嫉妬の炎を燃やしながら不服そうに口を尖らせた。

 あの二人はいつまでやれば気が済むんだろう、と半ば嫌気が差しながら凪沙は口を開く。


「本当に君は臆病だね。大丈夫だよ、もしそうなりそうなら僕と陽君が話題を逸らしてあげるから」

「…………怒ってたんじゃないの?」


 凪沙から思わぬ一言が飛び出し、佳純は驚いたように凪沙に視線を戻した。

 逆に凪沙は、若干照れ臭さそうに視線を窓の外へと逃がしながら口を開く。


「別に、そうしないと陽君に怒られるから仕方なくだけどね。……まぁ、真凛ちゃんを怒らせたのは僕のせいでもあったし」

「凪沙って前から思ってたけど、実は素の時って結構ツンデレよね?」


「君さ!? 今仲直りしようとしていた雰囲気だったのにどうしてそう争いの種を生むかな!?」


 純粋に思ったことを佳純が口にすると、凪沙は大声をあげてしまった。

 頭に血が上っているのか顔は若干赤い。


「――おいおい、なんでまた喧嘩をしてるんだよ……」


 そして、よりにもよってこのタイミングで陽たちは戻ってきてしまった。


(なんでこう、この男はタイミングが悪いかな……!? さっきまでいちゃついてたのに急に戻ってこないでよ! 絶対にわざとでしょ!)


 嫌なタイミングで戻ってきた陽に対し、凪沙は間の悪い男だと心の中で呪ってしまった。


「なんの話をしていたんだ?」

「凪沙はツンデレって話」

「やっぱり君仲直りするつもりないでしょ!?」


 凪沙が避けたい話題を容赦なく持ち出した佳純に対し、凪沙は佳純の両頬を思いっきり引っ張りながら怒り始める。

 頬を引っ張られている佳純は痛みで目から涙が出てき、助けを求めるために陽に手を伸ばした。


 しかし――。


「う~ん……まぁ、知らないけど仲直りしたみたいだな」


 一見すると喧嘩をしているようにしか見えない二人だが、陽は二人の纏う雰囲気が変わったことに気が付いた。

 だから特に止めることはせず、真凛を先に座らせてその目の前へと腰を下ろす。

 そしてじゃれあう二人から目を離し、また若干不機嫌になりそうな真凛へと声をかける。


「大丈夫だよ、これは本気で喧嘩をしているわけじゃないから」

「そうでしょうか……? あの、根本さん凄く痛そうですが……」

「凪沙は背が低いくせに力が凄く強いからな。あんなことされたら痛いだろ」


 実際に凪沙の力が強いことを体感したことがある陽は、うんうんと首を縦に振って一人納得をしていた。

 そんな陽の顔を見上げながら、真凛は首を傾げて複雑そうな表情を浮かべる。


「……放っておいていいのですか?」

「一々止めていたら身が持たない。それよりも、着いてからのことを話ししよう」


 陽は佳純が凪沙にやり返し始めたことを横目で確認した後、スマホを取り出して今日の段取りを真凛と確認するのだった。

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