第31話「この件を丸く収めるために」

 震える声で発せられた優しい声。

 陽は改めて真凛の強さを再認識する。


 好きだった人に裏切られており、そしてその人に傷ついた自分のことを笑われていたにもかかわらず真凛は怒りを見せなかった。

 それどころか、相手に対して謝り、相手のために自分を制しようとしている。

 そんなことができる人間を陽は彼女以外知らない。


「真凛ちゃん……」


 晴喜も真凛の突然の登場には戸惑っている。

 いや、それどころか、先程の会話を聞かれていることに焦り申し訳なさそうにしているように見える。


 陽はその変化を見逃さなかった。

 少なくとも、これが演技でないことを確信する。


 真凛は動揺する晴喜に対して再度笑いかけ、その後は視線を外し今度は陽の顔を見上げた。


 そして、同じようにニコッとかわいらしく笑みを浮かべて口を開く。


「葉桜君も、ありがとうございました」

「怒らないのか……?」


 てっきり、先程の態度から真凛は陽に怒っていると思ったのに、真凛は叱責するどころかお礼を言ってきた。

 そのことを陽は意外に思う。


 しかし、これは真凛にとって当たり前のことのようだ。


「私のために怒ってくださった御方を、どうして怒ることができるのですか?」


 それは、先程と同じようにとても優しい声。

 だけど、無理に出した声ではなく、きちんと陽に感謝をしているからこそ発せられた声だと陽は理解できた。

 そして目の前で笑みを浮かべる女の子を見た陽は、自分がしていたことが幼稚に感じてしまった。


 だからこそ、考えを改める。


「相変わらず、お前は強いよな」


 真凛のことを凄い人間だと思った陽は、真凛に対して初めて優しい笑みを見せた。

 それにより真凛は驚いて息を呑むのだが、そんな彼女の頭をポンポンッと叩いて陽は口を開く。


「悪いな、お前を傷つけたくなくてもっと簡単に収めるつもりだったのに……少し、感情的になってしまった」

「あっ、いえ……本当に、感謝はしておりますので……」

「あぁ、ありがとう。お前からしたらもう終わっていたことかもしれないのに、蒸し返してごめんな。だけど、もう少しだけでしゃばらさせてほしい」


 陽はそれだけ言うと慰めるように優しく真凛の頭を撫で、そして晴喜のことを見つめた。


「なぁ木下。過去にお前に何があった? まだ言っていないことがあるんじゃないのか?」


 既に陽は晴喜にいったい何があったのか想像がついていた。

 それを真凛がいるところで話させていいのか――という疑問は正直あったけれど、この状況で真凛が一人立ち去ることはないと理解していた。

 だから彼女に対して更なる追いうちになるかもしれないが、それも覚悟で陽は一歩踏み込んだのだ。


 もし陽の想像した通りのことが起きているのなら、ここで晴喜は切り捨てるべき対象ではなく、真凛同様に助けないといけない対象に変わる。

 そしてそれこそが、一番今回の件を丸く収める手段だと陽は判断した。


「僕は――」


 陽の問いかけに対し晴喜は口を開きかけ――そして、すぐに閉ざしてしまった。

 晴喜にとって陽は長年一緒にいた友でもなければ、親しき友でもない。

 そんな相手に話せるほど晴喜の抱える闇は軽いものではなかった。


 だからこそ、陽はもう少し彼に対して踏み込む。


「馬鹿にするような態度を取っていたのに、実際に秋実を前にするとお前は罪悪感を抱いていた。それがお前の本心じゃないのか?」


 陽にとって一つ腑に落ちないことがあった。

 それは、どうして真凛がこの男を好きになったのかということだ。


 高校生となった今では長年の恋に対して盲目になっていただけかもしれない。

 しかし、聞いた話によれば幼かった頃から真凛は晴喜を好きだと言っていた。


 例えそれが幼さゆえだとしても、小学生で学年が上がるうちに気持ちは変わっているだろう。

 それが変わらなかったということは、それだけの要素を晴喜が持っていたことになる。

 そして、小学生の頃から他人を騙せるほどの頭が晴喜にあるとは思えない。


 それらのことから、やはり昔の晴喜は優しかったのだろう。

 いや、というよりも、一年生の時にお人よしすぎる晴喜の一面を陽は見てきており、それらが演技にはどうしても見えなかった。


 だからそんな男がこれだけのことをするようになったのは、それ相応の理由があるはず。

 その一つに陽は思い当たる節があった。


「僕は……」


 だけど、やはり晴喜は口を開いてはすぐに閉じてしまう。

 その様子からそれだけ口にするのが重いことだというのがわかる。


 しかし、これでは話が進まない。

 だから、陽は核心を突くことにした。


「いじめを受けていた、違うか?」

「――っ!」


 陽の言葉を聞いた晴喜は、明らかに動揺した表情で陽の顔を見つめた。

 その様子を見て、真凛は驚いたように陽の顔を見上げる。


「どういう、ことですか……?」


 その声は先程よりも震えており、晴喜と同じくらいに動揺しているように思えた。

 だけど、ここからは陽にも想像の範囲でしかない。

 全てを知るには本人の口から聞く以外ないのだ。


 だから陽は真凛をスルーして再度晴喜に声をかける。


「偏差値が高いのが取り柄の進学校だけあって、うちの生徒たちにそんな馬鹿なことをする奴はいないはずだ。だけど、お前は今も誰かにそういうことをされているのか? それとも、中学時代に受けていたのか?」

「…………」


 陽の問いかけに対し、晴喜は未だに黙り込んでしまう。

 そんな晴喜に対して、再度陽が口を開く前に真凛が晴喜の両肩を掴んで顔を覗き込んでしまった。


「教えてください、晴君……!」

「…………」


 しかし、晴喜は辛そうな表情をするだけで、言葉を発しようとはしなかった。

 それだけでよほどのことがあったというのがわかる。


 何より、人格が壊れるようなことが過去にあったことは間違いがなかった。

 そのことを真凛が知らないということは、余程巧妙に手を回せる相手にやられていたのかもしれない。

 そんなことを考えながら、陽は真凛の肩に手を置き、どけるように指示をした。

 そして、晴喜の目を近距離から見つめて口を開く。


「お前、もしかしてまだそいつらに何かされているのか?」

「――っ!」


 陽の質問に対し、晴喜は肩を大きく震わせた。

 それで陽は今も何かしらのいじめを晴喜が受けていることを確信した。


 まさか現在進行形でいじめが行われているとは思わなかったが、それなら晴喜が中々口に出そうとしないことも合点がいく。

 ここで打ち明けたことがバレた時、何かしらの報復をされることを恐れているのだ。


 そんな晴喜に対し、陽は自分の提示できる最大のことを口にする。


「さっきまでお前を責めていた奴の言葉なんて信じられないかもしれないが、一つだけ俺はお前と秋実に約束をするよ。お前がちゃんと打ち明けてくれるのだったら、俺がそいつ――いや、そいつらをどうにかしてやるよ」


 陽は知っていた。

 こういういじめをする時、人は一人ではなく集団で行うことを。


「どうして、君が……? 君は怒ってるんだろ……?」

「あぁ、そうだな。だけど、俺が一番に願うのは今回の件を丸く収めることだ。そのためには尽力する」

「でも、君一人でなんて……」

「まぁ詳しくは言えないが、心配するな。そういう汚い奴等を潰す手段を俺は持っている、ただそれだけの話だ」


 陽が力強くそう言うと、晴喜はゆっくりと口を開くのだった。

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