9-4


 王都は活気に満ちていた。

 もうじきアラキア国王の生誕祭ということもあって、人々の表情は一様に明るく、街はいつにも増して賑わっている。

 ライザは三日ぶりにクライトの街を歩いていた。

 道の途中でシオンと別れ、わき目も振らずに通りを抜け、屋敷の石塀に沿って歩き正面の門をくぐる。玄関にたどり着きノブに手をかけ、ドアを開ける。


「おかえりなさい」


 顔を上げると名前のない少女が待っていた。


「ただいま」


 晴れやかに微笑むライザ。


「おかえりなさい、おかあさん」


「……」


 おかあさん?

 ライザは、少しの間、その意味を理解することができなかった。少女にそう呼ばれたことはこれまでになかったからだ。

 いつも少女はライザのことを院長先生と呼ぶ。


「はなしがあるの」


 ライザは少女の話の途中にいなくなってしまったことを思い出す。


「なにかしら」


「わたし、いんちょうせんせいの……ほんとのこどもじゃないけど、」


 少女はいったん言葉を切る。


「ずっと、おかあさんになってほしいと、おもってた」


 少女はローブを脱ぐ。

 腕や足などの皮膚の表面に膿みのような黒いシミが広がっている。魔法士のみに感染するウイルス『メリッサ』の影響だ。下着の上からもそれが全身に亘っていることがわかる。見ていて痛々しい。


「わたし、きたないこだから」


 そうじゃない。

 そうじゃないのよと心の中で呟き、ライザは唇を噛んだ。


「こんなからだだから、きらわれてもしかたない」


 ライザはこの時──自分がどれだけ少女のことを追い詰めていたのかを知った。以前、カチュアに『待ってるんですよ、あの子は』と言われたことを思い起こす。


「でも、」


 少女は微笑む。


「わたしを、いんちょうせんせいの、こどもにしてほしい……なまえをつけてほしい」


 祈るような目をしてライザに訴える。


「これ、ぷれぜんと」


 脱いだローブのフードの中からシロツメ草で作った綺麗な花冠を出し、それをライザの頭の上に乗せようとする。だが、背伸びをしても届かない。

 ライザは身を屈め、それを頭に乗せてもらった。

 草と花の心地よい薫りがした。


「かちゅあにならって、いっしょうけんめいつくった」


 少女がどうして毎日草をむしっていたかをライザはようやく理解した。よく見ると、少女の両手は切り傷だらけだった。


「おくれたけど、たんじょうびおめでとう」


 幸せそうな笑みを浮かべる。

 おかあさん、再び少女はライザのことをそう呼んだ。


 少女は、少女に対して何もしてこなかった自分のことを母と呼び、手作りのプレゼントをくれた。

 その現実を認識した時、ライザを襲ったのは、抑えきれない感情だった。

 言葉にならない何かが鼓動を早め、胸が熱くなる。呼吸が苦しい。


 こらえきれず、少女のことを抱きしめる。少女が苦しくならないように優しく抱きしめたまま、声を詰まらせて泣いた。

 少女に頬を寄せる。ライザの涙が少女の頬を伝う。


「うれしくなかった?」


 泣いているライザに不安そうな顔をする。


「嬉しいに……決まってるじゃない」


「……ごめんなさい」


 泣いているライザに不安そうな顔をする。


「どうして謝るの?」


「だって……おかあさん、わたしのせいでないてる……」


「嬉しいときにも、涙はで出るものなの」


 ライザは少女の言葉に応じようとしたが、うまく笑うことができなかった。だがその表情は、少女を愛おしく想う気持ちに溢れていた。


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