7-3


 市場からの帰り道、宿舎に戻る途中でライザ様に会った。ライザ=ラスター様、魔法士学院『シリウス』の学園長だ。


「綺麗な花ね。ミネノユキ、だったかしら」


 私は頷く。

 ミネノユキは高地に咲く花なので、平地であるクライトに住んでいるライザ様が知っているとは意外だった。


「王都での生活にも慣れてきたみたいね。困ったことはないかしら」


「特にないです。魔法の勉強は楽しいです。でも、ランク持ちだということだけで、こんな良い暮らしをさせて頂いて……」


 私にはこんな生活をする資格はありません、と言うと、ライザ様はあなたは本当に子どもらしくない子ね、と笑った。確かにそうかもしれない。


「あなたは多くの自由を失っているのよ、今。毎日早く起きて勉強しなくちゃいけないし、卒業するまでクライトから自由に出られない。目に見えないところで色々と束縛されているの。これは教育や保護という名の隔離でもあるの。あなたにとって生活は良くなったかもしれない。でも、あなたのような子がいる一方で、それまで幸せに暮らしていた子が強制的にクライトに連れて来られているのよ」


「……」


 ライザ様の言うとおりだ。

 私にはもう両親はいないけれど、もしもお父さんとお母さんが生きていて、故郷を離れて学院に入らなきゃいけないとしたら、私は嫌だと拒んだだろう。実際にそうだった。


「あなたは学院を卒業したらオーバーバウデンに戻るのかしら」


「え……」


 私は、どうするのだろう。何も考えてない。


「戻る場所が無いのなら、頑張らないとね。あと四年しかないのだから、少しずつそういったことも考えたほうがいいわ」


 私は無言で頷いた。


「あ、そうそう。話は変わるけど、あなた最近、あの子とよく一緒にいるわよね」


 ライザ様は横目でこちらを見た。

 あの名前の無い少女のことだ。私は、はいと答えた。


「助かるわ。ありがとう」


「一緒に話したり絵本を読んであげたりしてるだけです。それと、」


「それと?」


「あっ。いえ、なんでもないです」


 危うく喋ってしまうところだった。私は胸をなでおろす。あの子と約束したんだった。花冠のことは誰にも言わないって。

 ライザ様は澄んだ水色の空を一旦見つめてから私のほうを向いて、


「これからも仲良くして頂戴。あの子、あまり人に懐かないし、声をかけてくれる人もそんなにいないから」


 その表情はあの子を心配する気持ちに満ちていたが、何かが違うと思った。外側からの言葉。

 他人の子、そう、あの子のことを自分の子どもだと思っていない、ライザ様は。そう感じた。


 あの子は可愛そう。

 だから助けてあげて。


 ライザ様は?

 あの子が一番必要としているのは──


 あの子はライザ様の家で暮らしている。ライザ様の養女として。つまり、ライザ様はあの子の母親だ、血は繋がっていないけれど。


 あの子は両親がいないことも、自分が養女であることも理解している。

 そして恐れている。

 思いを伝えることもつたなくて、不安で、でも温もりを強く求めている。私にはそれがわかる。だから──


「私が仲良くするのは、あの子のことが好きだからです。とっても親切で、可愛くて、純真で、いい子です」


「私もそう思うわ」


「あの子は誰よりもライザ様を必要としています」


「んー、そうかしら。あの子は、いつも私の前ではおどおどしてるわよ。怖がってるみたい、私のこと」


 そうじゃない。

 そうじゃないのに。


「何を怖がってるのか、わからないんですか。待ってるんですよ、あの子は」


 注意するような、やや強い口調になってしまい、ライザ様の表情が険しくなる。でもすぐに視線を地面に落として、


「色々あるのよ、私にも。わからないの。考えすぎなのかもしれない。反省しなくちゃと思ってる、だけどね、なかなか簡単にはいかないのよ」


「すみません、生意気なこと言ってしまって……」


「今度、」


 ライザ様はちょっと緊張した面持ちで、


「仲間に……入っていいかしら、あなたたちの」


 と、頬を掻きながら言った。


「もちろんです」


 あの子に聞かせてあげたかった。

 開放されている学院の正門を抜けて私とライザ様は分かれた。ライザ様は校舎へと向かい、私は校舎の裏門を出て細い道を歩いて宿舎に戻った。


 ふと、お父さんとお母さんのことが脳裏に浮かんだ。それから、あの子が幸せを掴めるといいなと思った。



*****



 そのあとに起きた出来事の印象が強くて、それに行き着くまでの過程については正確に覚えていない。

 お父さんは首飾りを売れ、と叫んだ。お金が無かったからだ。


 私は拒んだ。

 お母さんの形見を売るなんてできるはずがなかった。

 頬を殴られた。私の手をこじ開けて首飾りを取ろうとするお父さんの顔は、狂気を帯びていて、まるで別人のようだった。


 首飾りを握っている両手を靴のかかとで踏まれ、私は首飾りを手放した。お父さんが拾うのと同時に私も痛みをこらえて手を伸ばした。首飾りの鎖をなんとか掴み、必死でしがみついた。

 これが無くなってしまったら、すべてが終わってしまう。ひと欠片の希望さえ消えてしまう気がした。


 やめて。

 これだけは。

 私はそう叫んだ。


 お父さんはより一層の力を込めて、首飾りを引っ張った。お父さんともみ合う中、急に──目の前が真っ白になった。

 首飾りも床も天井もお父さんも私の腕も椅子も窓も色を失っていき、間もなく白一色になった。


 白い光。

 冷たい光の壁が、体内を突き抜けていった。

 続いて爆音が周囲に響いた。地面が激しく揺れ、立っていられなかった。倒れた私は頭を抱えてその場に身を固めた。


 すぐに揺れは止まり、私は目を開ける。

 白い煙が視界をさえぎっていたので、なにも見えなかった。上を見ると、天井が屋根もろとも無くなっていた。酷い耳鳴りがした。


 すぐに風が煙をさらい、屋内の様子が露になった。

 家を支えていた木柱が何本も折れて床に落ちていた。あちこちから煙が燻っている。床には大きな穴が開いていた。四方の壁も穴が開いたり崩れかかっていた。石材が砕けて散らばっている。窓ガラス、家具、食器、それらは原形をとどめていなかった。


 お父さんは仰向けに倒れ、右足と背中から血を流していた。声が出なかった。首飾りは私の手の中にあった。私は気を失った。


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