6-4
図書館内は魔法であらゆる音を消してある。
静か、とは違う。
まったく音がしないのだ。聴覚を完全に失ったのと等しく、体がその感覚に慣れるまではまっすぐ歩くことさえ難しい。
カチュアも最初は戸惑ったが、何度も通っているうちに慣れてしまった。
図書館内では声を出しても聞こえないので筆記でコミュニケーションを取る。簡単なことは口の形や身振り手振りで通じるが、会話は困難だ。
カチュアは受付で本を返した。
背表紙には『終わりは始まり』と書かれている。
ノートと筆記用具を鞄から取り出し、『最後の何ページかが破れて無かったです』と書いて係員に見せた。
受付にいたのは、カチュアとそれほど歳の変わらない、少年と青年のあいだくらいの男の子だった。
係員の子はそれを読んで、受け取った本のページをめくった。
そしてカチュアのノートに『これは一般の方から寄贈された本でして、最初からページが欠けてたんです』と書いた。
カチュアは『同じ本はありませんか?』と書き、係員は手早く棚から分厚い管理ファイルを確認して『これ一冊だけですね』と書いた。
カチュアは諦めて図書館を出た。
少し歩くと、後ろから受付の子が走ってきた。
息を切らしながら、
「どうしても続きが気になるのなら、ライザ様に聞いてみるといいよ。ライザ様は図書館にも無い貴重な本をたくさん持っているんだ。もしかしたら知ってるかもしれないよ」
「ありがとうございます」
「普通はここまでしないんだけど、君、お得意様だから」
そう言って笑う。
カチュアはその足で院長室に向かった。
*****
緊張しつつノックをするとドアが開いた。院長室に来るのは、シリウスに入校した日以来、二度目のことだった。
「あら、珍しいわね」
「こんにちは、ライザ様。あの……お忙しいでしょうか」
「いいえ。入っていいわよ」
ライザの広い机には古ぼけた鎧が置いてあった。ライザはそれを床に退けて、部屋の隅から椅子を用意してカチュアに座るように促した。
「ここに来るのは、キリカからの推薦状を持ってきたとき以来ね」
「はい」
「なにか相談事かしら」
「『終わりは始まり』という本を知っていますでしょうか」
「……確か、うちの図書館にあったわね」
「私、図書館でその本を借りたんです。でも、最後のほうのページが無くて。もしライザ様が内容をご存知でしたら、同じ本を持っているのでしたら、と思いまして」
「あなたには難しい本じゃなかった?」
「はい。でも、あの子──どう呼んだらいいのか分かりませんけど、あの女の子に古い旧文字の読み方を教えてもらったんです」
「教えてくれた?」
「とても解りやすく教えてくれました」
奇跡ねと言って、ライザは驚く。
「カチュア、その本はどこで途切れていたのかしら」
「千年以上も昔、大陸の北に魔法士の国があって、その長い歴史の中で、ω(オメガ)の一つ下のランクのψ(プシー)が実在した記録が残っているのに、オメガの記録は存在しないというところです」
「なるほどね。そこまでだと先が気になるわよね」
「続きを知ってるんですか」
「私の家にあるわよ、その本。続きはこんな感じよ。魔法士をランク分けするようになったのは、魔法士の国アラケリアの全盛期で、アラケリア史上最も優秀な魔法士の器の大きさを上限として二十三の記号で分けた。それがα(アルファ)からψ(プシー)。オメガはね、いつかψ(プシー)を超える魔法士が現れたときのための予備記号なのよ。それがω(オメガ)の正体」
「予備、ですか」
「あくまでも著者の仮説だけどね。私の家に来れば読ませてあげるわ。図書館に無い本も一杯あるし、休みの日にでも来るといいわ」
カチュアはライザに礼を言って院長室を出た。外に出ると名前の無い少女が中庭の端の木陰で草をむしっていた。
「こんにちは、かちゅあ」
カチュアは挨拶を返して女の子の隣にしゃがみ込んだ。
「ちゃんとシロツメグサだけを選んでます?」
「うん」
女の子はローブの大きなポケットを探り、中から二つの緑の束を取り出した。片方はシロツメグサの花、もう片方は葉っぱのみでまとめられていた。どちらも細くて長い茎が伸びている。
「これだけあれば練習できますね」
「ほんと?」
「はい。今からやります?」
「うんっ」
カチュアと女の子は近くのベンチに並んで座った。カチュアは女の子からシロツメグサを受け取り、茎付きの花と葉を交互に編んでいった。
みるみるただの草花がリング状になっていく様子を、女の子は食い入るように見つめていた。十分ほどでシロツメグサの冠ができた。
「かちゅあ、すごい」
女の子は割れ物を触るような感じでカチュアからそっと冠を受け取る。そしてそれを色々な角度から眺めた。
「わたしにもできるかな」
「練習すればできるようになります」
「わたし、がんばる」
カチュアはじっくりと丁寧に女の子に編み方を教えた。それほど時間もかからずに、女の子は一通り編み方を覚えた。
しかしなかなか形が綺麗にならなかった。何度繰り返しても形が歪んだり作っている途中に崩れたりした。
「こういうとき、どうするの」
「どこですか?」
「ここ」
「ええと、こうやって茎の長さが足りなくなったときは、真ん中に新しく茎を通して……左から回して間から抜けさせるんです」
「こう?」
「はいそうです。でも、もっと強く引っ張らないと形が崩れてしまいますので、気をつけて下さい」
「うん。わかった」
日が暮れて手元が見えなくなるまで女の子は熱心に花冠を作りつづけた。それでもカチュアの作ったものとは、まだまだ大きな差があった。
カチュアは初めてにしてはこれで十分だと思っていた。また時間のあるときに一緒に練習しましょうと約束して、カチュアは宿舎に帰った。
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