1-3


「倒れたのはただの疲労からだわ」


 ライズは井戸水を汲んで戻ってきたリットに説明した。やはり特に外傷はなく、魔法を使う必要がないということも。

 しかし、ライズはしきりに何かを考えている様子だった。


「お爺ちゃん呼んでくる? もしかしたら悪い人かもしれないよ」


「今日はもう遅いから明日にしましょう」


 好奇に満ちた瞳で、男の顔を覗き込んでいるリットに言う。


「さあ、あなたはもう寝なさい」


「お母さんは?」


 首を左右に振って娘の頭に手をのせる。


「あなたには朝になったら、お爺ちゃんの所に行ってきてもらうわ。おやすみなさい」


 額にキスをして娘を部屋へと促す。

 リットは黙って頷き、パタパタと足音をたてながら自室へと向かった。


「………」


 魔法の光が室内を淡く照らす。

 ライズは、ベッドの脇に椅子を置いて座る。男が目を開けたのは、光の球を新しくしてから間もなくのことだった。


「申し訳ございません、ライズ様」


 唐突に男が口を開く。


「で、なんの用かしら」


 ライズの言葉には、男をいぶかしむ感情が含まれている。


「私はもうシリウスとは、」


「ギルドとは関係ありません。これは俺の個人的な頼みです」


 男は半身を起こす。


「その首枷くびかせのことかしら」


 男は小さく頷く。


「経緯は聞いてもいいのかしら」


「……」


 男は答えない。


「なるほどね。そのモジュレータは、誰かに付けられたのね。で、たぶん、ウイルス入りのプレートを吸わせられた」


 男は頷き、


「これを外すことはできるでしょうか」


「恐らくね。でも、その前に聞きたいことがあるわ」


 ライズはふっと表情を崩し、


「妹さんは元気?」


 と、言った。


「どうしてそれを……」


「ライザから聞いたことがあってね。七年前の、終戦の翌日──私と同じように、ギルドを辞めた人がいたって」


 それもその理由というのが、病弱な妹の静養のために、和平条約を結んだばかりのゼノン公国にあるオーバーバウデンという温泉郷に移り住むというものだった。

 ライズは自分が辞める理由と同じく、守るべき大切なもののために生きることを選んだ男に、妙な親近感を覚えていた。

 だからこそ、七年経った今でもはっきりと、


「名前は、ジード。ジード=スケイル。あってるわよね?」


 男はライズに自分のことが知られているとは、思ってもみなかった。


「いいわ。シリウスじゃなくて、あなた個人の頼みというのなら、特別に叶えてあげましょう。用事はそれだけ?」


 ジードは間をおき、頷く。

 ライズは優しく微笑む。


 立ち上がり、ジードを椅子に座らせ、手が届くくらいの距離に立つ。ライズの左腕の『ルイン』が鈍く光り、それに伴い、目まぐるしい速さで印が結ばれていく。

 言葉を発することなく、ライズの魔法が完成する。

 ライズが両手で包み込むようにしてジードの首枷に触れると、枷は音もなく外れ、まっすぐ床に落ちた。






 だが、その瞬間──ジードの右手から閃光が走り──その狙いは寸分違わずライズの首筋を捉えていた。






 鮮血が部屋中に飛び散り、切断されたライズの首が壁に勢いよくぶつかって跳ね返り、ジードの足元に転がる。

 ライズは床に崩れた。

 血だまりが床を這うように広がっていく。


「……すまない」


 ジードは血で濡れた剣を落とし、ぽつりと呟いた。その表情からは、どんな感情もうかがいい知ることはできなかった。


『妹さんは元気?』


 先ほどのライズの言葉が耳につく。

 人を殺したのは初めてのことではなかったが、その時は、戦争という特殊な状況下だった。今回は違う。


 シリウスに対する裏切り行為に他ならない。

 罪悪感──

 やるせない気持ちが、胸を圧迫する。


 肉親を斬り捨てたかのような、えもいわれぬ感触が右手に残っている。

 いかに『破滅の魔女』と呼ばれたライズと言えど、あの無防備な状態で攻撃を避けることなどできるはずがなかった。

 ジードが立ち尽くしていたのは、時間にすると四秒弱──


「ふうん、魔法剣ね。なにを隠してるのかと思ったらそんなものか」


「っ!」


 ジードが驚いて視線を足下にやると、切断された首と死体は跡形もなく、床一面の鮮血も消えていた。


「下手クソな芝居だったな」


 穏和な表情は消え失せ、ライズは鋭い眼光で男を見据える。

 強烈な威圧感。

 全身が総毛立ち、ジードは一歩も動くことができない。


「私の生活を脅かす者は、誰であろうと殺す」


 絶対に逃げきることはできないと、ジードは悟った。ただ、妹のことだけが気がかりだった。ひどく頼りない妹が、無事に解放された後、この先ひとりで生きていけるのか。


「痛みは感じない、一瞬で跡形もなく消してやる」


「……そうしてくれ」


「えらく往生際がいいんだな」


「俺の仕事は終わった。ひとつだけ……心残りがあるが、もういい。殺してくれ」


 両目を閉じ、ジードは死を待つ。

 ところが、なかなかライズから一撃は放たれなかった。そして、


「やめたわ。殺してあげない」


「え?」


 目を開けると、ライズは柔らかな表情に戻っていた。それとは対照的に、なぜだという顔をするジード。


「だって、脅されてるのでしょう? 妹さんがさらわれて、私の命が返す条件とか。相手は、ゼノンの反政府組織ってところかしら。でもあなたを束縛していた首枷は……シリウスも一枚噛んでるのかしら?」


 ジードは答えられない。


「もう喋っても大丈夫よ。首枷と同時に、指輪のも解除しておいたから」


 ライズが指差す先に、銀色の指輪が割れ落ちている。


「……どうしてそこまで」


「そんなことより事情が聞きたいわ」


 ジードはライズの予想を大筋で肯定し、より深い事情を話しはじめた。


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