1-2


 ライズの左腕には、金属の篭手こてに似たものが取り付けられている。それはライズの手の甲から二の腕までを覆っている。

 篭手こてのようなそれは、全体的に幾何学的な装飾が施され、鈍い銀色の光を放っていた。甲の部分には丸い窪みがあり、そこから垂直に三センチくらい上に小さな赤い球体が浮いている。

 魔法士なら知らぬ者はいない、ライズのモジュレータ『ルイン』である。


 手の甲の球体が光り、

 そして。

 まばゆい光の帯がリング状に連なり、リットを包む。


 リットは、目を輝かせながら、母親の真剣な表情を見つめ、流れるような心地よい詠唱を聴いていた。

 ライズはリットの憧れだった。

 普段はのんびりとしていて微笑みが絶えないライズも、魔法を唱えているときだけは、かつて魔法士だったころの面影おもかげをのぞかせる。

 ライズは娘のリットが魔法士になることには猛反対だった。しかし、こうして魔法を使って罰を与えるたびに、リットの魔法への思いはつのっていった。


「はい、おしまい」


「……うん」


 空になったソークを感じ、リットは暗い表情になった。肩を落としてイスに座り、返された魔法書のページをめくる。

 これで当分、魔法で遊ぶことはできない。


 リットは魔法が大好きだ。

 最下級のランクであるα(アルファ)だったが、自分に少しとはいえ魔法士の資質があることを誇りにさえ思っていた。


 しかし、魔法を忌み嫌う人間は多い。アラキア王国で唯一の魔法士の学院『シリウス』のある王都クライトやその周辺地域は例外として、その他の地域ではいまだに魔法は得体の知れないものという認識が根強く残っている。

 それでもこうして平和に暮らせるのは、ライズの人柄とライズが村長の孫娘であることが大きい。あとはリットの魔法が人畜無害だからだ。

 リットの魔法は、どんなに頑張っても小さな光の球を創ったり、雑草を枯らすくらいで精一杯だった。

 むしろリットは嫌われるどころか、村の誰からも好かれている。その可愛らしい容姿と神秘的な瞳の色、母から受け継いだ明るさと面倒見の良さで、いつも子どもたちの輪の中心にいる。


「ねえ、お母さん。今日ね、スミのお婆ちゃんが言ってたんだけど、お母さんってすごい魔法士だったの?」


「ええ。すごかったわよー」


 まったく凄さが伝わらない言い方に、苦笑するリット。


「ほんとかなぁ」


「お母さんはね、クライトにいる王様にも会ったことがあるんだから」


 驚くリット。初めて聞く話だった。

 どちらかというと、ライズはあまり過去のこと──特に魔法士だった頃のことを話してくれない。いつも肝心な部分ではぐらかされてしまう。


「どうしてお母さんは、魔法士をやめちゃったの?」


「もともと好きじゃなかったの、魔法が。でも一番の理由は、七年前のゼノン公国との戦争かしら。あなたをお爺様に預けて私は戦場にいた──毎日がとても怖かったわ。私が死んで、リットをひとりにしてしまうことが。だから戦争が終わって、ずっとリットの傍にいたくて私は引退したの」


「……」


「感動したでしょ?」


「……うん、ちょっとだけ」


 リットとしては複雑な気分だった。ライズが本当にすごい魔法士だったのだとしたら、いまもそうあって欲しかったという気持ちもある。


「そのうち、あなたにもわかる時が来るわ。結局、魔法なんて……最後には何の役にも立たないの」


「そうかなぁ、とっても便利だと思うけど」


 リットは小首を傾げる。


 ライズはリットと一緒に夕食の食器を片づけ、使い古された二人分の皿やコップを水で綺麗にすすいでいく。


「ねえリット。魔法はね、誰かを守るためにあるのよ。それを忘れないで」


「うん」


 金色の髪を揺らしながら、少女は答える。


「……本当にわかってるのかしら」


 そのとき、

 不意にドアが叩かれる音がした。


「こんな時間に珍しいね」


「そうね。ガースンかしら? 私が出るわ。リットはそこを動かないで」


 母の言葉に頷く。

 ライズがドアノブに手を触れようとした瞬間──扉が勢いよく開かれ、ひとりの男が大きな音とともに床に倒れた。


「な、なんなの!?」


 突然の出来事にリットが悲鳴に近い声をあげる。


「まあ、変わったお客様ね」


「お母さんっ、はやく魔法を唱えないと死んじゃうよ!」


「落ち着きなさいリット。この人、別に怪我はしていないわ」


 日焼けした肌、黒い髪に多少切れ長の目、見慣れない服装。そして首にはドーナツ状のかせがつけられている。もちろん村の人間ではない。


「なにか言いたいの?」


 男の口元が動く。


「……こ、こんばんは」


 うっすらと笑みを浮かべ、謎の男は気を失った。


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