第13話 駿府へ


 勝悟たちは手強い攻撃を受けることなく、無事に本丸への一番乗りを果たした。後には勝頼隊、内藤隊の兵士たちが堰を切ったように殺到してくる。

 遅れて蔵屋敷を抜けた大手門からの兵士も流れこんで来た。

 最早一刻の猶予もない。先に長野長盛を捕らえるか討たねばならない。


 勝悟と正直は本丸を探し回ったが、業盛の姿はなかった。

 そこで本丸の奥に設置された御前曲輪に飛び込んだ。もう進行を邪魔する守備兵は、一人もいない。

 奥に進むと、一人の武将が位牌の前で拝み込むようにして倒れていた。

 近くによると、その将は首の頸動脈を切って自刃していた。位牌には長野業正の名が示してあった。

「長野業盛殿で間違いないでしょう」

 正直がホッとしたように勝悟に告げた。

 勝悟の胸にも安堵の気持ちが広がっていったが、業盛の死顔を見ていると別の感情が起きていた。


 長野業盛は勝悟とほぼ同年代の青年の顔をしている。現代であれば進路選択の真っ最中で、自由に広がる未来の選択に思い悩む年だ。戦国の世ゆえに父の死によって長野家の当主と成り、西上野の旗頭として重責を担うことになったのだ。

 しかしここまで徹底抗戦する必要はあったのか?

 長野氏は元来関東管領上杉憲実の配下だった。だからこそ北条と戦い、武田と敵対した。だが盟主である憲実は、上杉謙信を頼って越後に逃げ込み、既に関東の地にいない。代わって謙信が北関東に進出したが、領土欲の薄い謙信は統治を徹底せず、あくまでも援軍の形で中途半端な体制を敷いた。

 ゆえに北関東の諸勢力は次々に北条に寝がえり、この西上野においても長野家以外は武田の軍門に下った。ここで業盛が死ぬまで踏ん張る理由は何一つ見当たらない。


 信玄の基本政策は旧領安堵だ。信長のように降伏者を皆殺しにして、領土を完全併合したりしない。業盛が下れば信玄は大歓迎して、厚く遇したことは間違いない。働き次第では武田の重臣として、より輝かしい未来が待っていたはずだ。

 そんな男が父の位牌の前で自害して果てている。

 史実によれば信玄の死後、勝頼にも長盛のような未来が待っている。

 本人と会ってしまっただけに、それだけは自分の手で食い止めたいと思った。

 勝悟は改めて歴史に挑戦する決意が強くなるのを感じた。




(なんて明るい街なんだろう)

 箕輪から戻った勝悟は、ゆっくり身体を休める間もなく、正直と共に駿府に来ていた。

 駿府は伊那や箕輪そして古府中と大きく違って、とにかく陽の光に恵まれた土地だった。

 道行く人もどことなくのんびりして人生を謳歌しているように見える。


 駿府の街並みを豪華に彩るのは、京風に整理された区画に規則正しく建てられた家並みだ。どの家も古府中や伊那の家より大きくて立派で、この地の住人の豊かな暮らしが想像させられる。

 屋内はもっと違って、現代の和室に近い造りが成されていた。

 古府中にある小助の家は、部屋らしい区画はあるが、襖や障子はないので、部屋としては確立されない。駿府の家の床にはちゃんと畳も敷かれている。

 これだけの文化と富を築き上げた今川氏の実力を再認識すると共に、義元亡き後も文化を衰えさせず維持している氏真は、評判程悪い人物ではないのかもしれない。



 勝悟と正直は駿府に来る前に、古府中に立ち寄り、躑躅ヶ崎館で信玄に目通りしている。

 初めて会った信玄は、戦国きってのマキャベリストらしく、冷酷さを連想させるような厳しさと、大大名たる威厳を放っていた。

 甲斐という国が好きで、領民への愛に満ち溢れているイメージだったが、実体は武田という国家が優先され、本拠を高遠に移すことに対しても、まったく心理的抵抗はないように見えた。

 内心では駿河の併呑は諦めきれないようであったが、北条を始めとした諸大名の情勢から、外交を優先させる方針を受け入れる柔軟さが、信玄にはあった。


 古府中では正直と共に飯富昌景の屋敷に泊った。旧知の仲でも有り、何よりも昌景の剛毅で思慮深い気質が勝悟には心地良かった。

 正直を交え昌景と三人で箕輪城攻めを、酒を酌み交わしながら語っていると、思わぬ来訪者が現れた。

「少し邪魔してよいか?」

 その来訪者は豪胆な気質をそのまま表すような声で、三人の酒宴の場に腰を下ろした。

「これは太郎様、何事でございますか?」

 この場のホストである昌景は、驚いた面持ちで突如現れた武田太郎義信に訪問の目的を訪ねた。

「太郎様は真野勝悟にお話があるのだ」

 義信の後ろから、昌景の兄である飯富虎昌が顔を覗かせ、この訪問の目的を告げた。

「私にでございますか?」

 勝悟は少し緊張しながら、改めて虎昌と昌景という年も性格も違う兄弟を見比べていた。

 兄の虎昌は「甲山の猛虎」と呼ばれ、武田家中で諸国の武者から最も恐れられていた猛将で、その名に相応しい立派な体躯で重々しい雰囲気を漂わせていた。

 一方、弟の昌景はそれほど大きくない、当時の日本人の中でも小兵の部類に属し、一見武勇とは縁遠いように見えるが、武田騎馬隊の侍大将として、「源四郎の赴くところ敵なし」と謳われるほどの武功をあげている。


「今日は礼を言いに来たのだ」

 義信は傅役である虎昌に似た大柄で猛々しい身体に似合わぬ、親しみやすい雰囲気を滲ませながら、勝悟に笑いかけた。

「何にでございますか?」

 義信に対し自ら訪ねて来て礼を言われるような記憶はない。勝悟は戸惑いながらも、義信の気さくな雰囲気に巻き込まれて、不躾にも理由を尋ねた。

 意外にも虎昌はその様子を目を細めてみている。傅役として義信の大きな器量と言えるこの気質が自慢なのだろう。

 確かにどちらかといえば繊細な気質の勝頼より、義信の方が当主としての器量は勝っているかもしれない。


「礼を述べねばならぬ理由はいろいろある」

 義信は頭を掻きながら、理由を思い出そうと上を見た。その姿が妙に愛嬌があって、勝悟だけでなく、生真面目な正直までが笑いそうになるのを必死にこらえていた。

「そう、まずは弟のことだ。あ奴は妙に神経質なところがあって、諏訪の血を引くことを妙に気しておる。わしに対しても時折、心を閉ざすような様子があった。ところがお主が側についてから、自分が為すべきことに気づいたようで、そのことに夢中になったのか、父上だけではなく、最近はわしにも遠慮なく胸襟を開いてくれる。わしはそれが溜まらなく嬉しい」

「さようでございますか。ご兄弟が仲良くされることはたいへん喜ばしいことです」

 それが自分の影響かどうかは別にして、兄弟の仲がいいことは素直に喜べた。


「次に、本拠移転策じゃ。この策のおかげで駿河から父の目を逸らしてもらえた。父が今川と戦を始めれば、わしの奥方が悲しむからのう。わしは奥方が駿河からやって来たときから、もう無茶苦茶惚れてしまっておる。絶対に悲しませたくないが、あからさまに反対すれば、わが父は子といえど容赦はせぬ。今頃詰め腹を切らされていたかもしれない。本当にお主には感謝しておる」

「とんでもございません。私のつたない考えを拾って、お館様に献策された勝頼殿の情熱があってのことです。きっと太郎様のお立場を心配してのことでしょう」

 勝悟が謙遜して勝頼を立てると、穏やかだった義信の目に鋭い光が灯った。


「そこよ、お主が現れてから我が武田に明るい活気が生まれた。何よりもそこの正直のように信濃衆が変わった。先の戦いでも占領された敗者の殻を捨てて、武田の一員としての積極性が見える。その原因をわしなりに考えてみたのじゃが」

 義信の口調はだんだん熱くなってきた。

 その熱が伝わって、勝悟も自分では気づかぬ原因が知りたくなった。

「何だと思われたのですか?」

 勝悟の問いに義信は自信有り気に答えた。

「お主の考えには愛があるのじゃ」


 聞き慣れぬ言葉を聞いて、その場の一同がきょとんとした。

「愛ですか……」

 勝悟もさすがに太郎の言葉の意図しているところが分からなかった。

「そうじゃ。お主の考えには、兄弟、親子、そして占領された信濃の民に対する思いやりが随所にみられる。きっと、できるだけたくさんの者が傷つかず、うまくいくことを願っているのだと思う。この戦国の世でそういう優しさから始まる考え方をわしは知らぬ。母上から聞いた京の公家にもそういう考えはない。お主はいったいどこから来たのか?」

 勝悟は次々に現れる義信の多様な顔に驚いた。

 あの謙信にさえ正面対決を挑む勇猛さに、初めて話す勝悟たちを即座に打ち解けさせる人懐こさ、さらには賢者のような明敏な頭脳、一言では表せない魅力に溢れていた。


(まさに大将の器だ)

 だが、自分の出自を正直に話すことはできない。言っても信じて貰えないことは間違いない。

「私自身にも記憶がないのです」

 そう言うしかなかった。

 義信は言葉の真偽を確かめるように、勝悟の目をじっと見つめたが、すぐに笑顔を見せて口を開いた。

「いや、どこから来たかは蛇足であった。お主の今を見ていれば、そんなことどうでもいいことだ。一言だけ伝えておく、わしも勝頼と同じくお主のことを信頼する。これからも良い国を作るために力を貸してくれ」



「あれが今川の館ですね」

 勝悟の耳に、目的地に近づいたことを告げる正直の言葉が飛び込んできた。

 二人とも駿府の地は初めてだった。

 勝悟が義信との会見を回想している間にも、生真面目な正直は目的地を探し続けていたようだ。

「立派な屋敷ですね」

 堀に囲まれた敷地内には、平城らしく輪郭式の縄張りが施されていたが、本丸に築かれた屋敷はまるで公家屋敷のように壮麗な造りであった。

 勝悟もその美しさに目を見張る。花開く春の華麗な景観を連想させる躑躅が、今はひっそりと庭を彩り、庭の一画に植えられたもみじ林は、既に紅葉の兆しをしっかりと見せ始めている。これらが駿府の豊富な陽の光に照らされて、武門の館とは思えぬ奥深い情緒を描き出していた。


「見事なものですねぇ」

 しばらく任務を忘れて鑑賞していると、凄まじいスピードの礫が飛んできた。勝悟は反射的にそれを掴み、手を開くと礫は石ではなく紙だった。

 開くと、「安」という文字が記されている。

 正直が手の平を覗き込んで、文字の意味を図りかねて首を捻ると、勝悟が笑って説明を始めた。

「これは以前、勝頼様を狙った忍が送ってきたものです。今では武田のために良い働きをしてくれます。どうやら城内に特段危険はないようです」

 冬左は捕らえられてから、勝悟のための忍働きを嬉々として行っていた。勝悟は冬左に仕事を頼むとき、持てる情報を全て伝えた。勝悟が求めるものは単なる事象ではなく、事前に与えた情報を加味した冬左自身の意見だった。

 今まで自分の見解など求められたことがなかったのか、これに冬左は感激した。価値のある情報にしようと、いつにも増して注意深く観察し、考察するようになった。

 今度の駿河行きでも、先乗りを自ら申し出、駿河を隈なく調査して下した結論だった。


「なかなか簡略な知らせですな」

 二人の背景を知らない正直は、一文字だけの知らせで安堵する勝悟が不思議に思えるようだ。

「まあ、信頼してますから」

 勝悟の返答も至ってシンプルだった。


 二人は門番に、自分たちの名を明かし、城内に足を踏み入れた。

 これから今川氏真と対面する。

 世間からは愚者と評される駿河の太守はどんな男なのか?

 この美しい駿府のあるじへの興味が、知らず知らず高まっていくのを抑えることができなかった。

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