アリ人間
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アリ人間
電車の中では、ほとんどの人が自らの携帯を見つめていた。僕は乗り物酔いしやすい
『さぁ、地上があなたを待っている! ステアグラウンド社』
車窓からの景色に変化はないだろう。真っ暗な中に一定間隔でランプの明かりが通り過ぎていく。僕がこの電車に乗ってから降りるまで変わることはないし、もっと言うと始発駅から終着駅まで一つの動画をループ再生しているみたいな繰り返しだ。僕の祖父母がまだ幼かったころ、電車は地上を走っていたらしい。冷たいコンクリートの壁に覆われた窓の外からは、そんな地上の面影なんてかけらも感じられなかった。
「あのぅ…………、すみません」
声がした方に目を遣る。五〇歳前後と思われる女性が、僕と一つ空席を挟んで座っていた青年に申し訳なさそうな目を向けていた。
「……はぁ、なんでしょう」
青年の格好はかなり特徴的だった。ヘルメットに遮光ゴーグル、顔をすっぽり覆うマスク、厚めの防護服、泥だらけの靴という格好で、大きなリュックサックを足元に置いている。
「その、地上からのお帰りですか?」
「まぁ、そうですが。それが何か」
青年の対応は鬱陶しさを隠そうともしないものだったが、女性は構わず続けた。
「さっきの駅で乗ってきたということは、サイタマC地区の東口から戻ってきたってことですよね?」
青年は驚いた顔をしたが、すぐに胡散臭そうに頷いた。女性はその反応を確認すると、かすかに震える唇を舌で湿らせる。その目は不安と焦りに大きく見開かれていた。
「あのですね。私、息子が一人いましてね。そうちょうどあなたと同じくらいの。で、その息子も、あなたみたいに地上探索をよくする子なんです。でもね。もう丸五日間、なんの連絡もないんです。あの子のアパートの部屋に行ってみても留守で。大家さんに聞いたら『地上に行きましたよ』って言うんですよ。ステアグラウンド社に捜索願は出したんですけど、真面目に取り組んでくれそうになくってね。私、心配で心配でじっとしていられなくて、毎日こうして電車に乗っては、地上探索家の方々に訪ねてるんですよ。『息子を見ませんでしたか?』ってね」
女性は一息に捲し立てた。青年は困惑していたが、話の大筋は理解したようだった。
「息子の名前は、香川栄太郎です。所属はハットリ隊、探索家ナンバー三〇六……、四七八。いつもサイタマC―Eから出入りしてたんです。何かご存じありませんか?」
「ハットリ隊の、香川……、ですか。あ、そういえば」
青年はその名前に心当たりがあったようで、慌ててリュックサックの中身をまさぐり始めた。数秒の間があって青年が取り出したのは、数枚の四角い何かだった。
「何ですか、それ」
「……これは、社員証みたいなものです」
今度は女性のほうが戸惑っていたが、青年は口を開くのを少し躊躇した。
「名前とか、所属している隊とか、色々確認できるんですけど……、あ、これです。これ、息子さんのじゃないですか?」
青年が差し出した小さなカードを、女性は食い入るように見つめた。
「香川……、ハットリ隊……、三〇六四七八……。ええ、息子です! 間違いありません! 一体どこでこれを⁉」
女性は縋るように青年の肩に手を置いた。
「サイタマC―Eから西へ五キロの地点で見つけました。その…………、息子さんの、死体と共に。ハットリ隊は、蟻に喰われて全滅していました」
「よぉ
管理室の壁に埋め込まれたデジタル時計を確認してみると、十六時五十七分と表示されていた。
「遅刻じゃないから別にいいだろ。それより、ハットリ隊の識別タグ持ってきた人いる?」
「あぁ、いた。全滅だってな。ま、タグが回収できただけマシか」
斎藤は深々とため息をつき、腰を下ろしていたデスクチェアに身を沈めた。
「なんでこう、若いのは地上に上がりたがるのかね」
「その出入りを管理してる人間がそれを言うのは面白いね」
「こっちは大まじめに言ってるんだよ」
僕が茶々を入れると、斎藤は露骨に嫌な顔をする。
「まぁ、大金が手に入るからじゃない?」
「そりゃあ大金持ちになるやつだっているにはいるが、ごくごく一部だけだろ。大半の発掘物は大して金にならん。茶碗一枚で二〇〇円だぞ」
サラリーマンの俺の年収のほうが絶対に多いな、と斎藤は肩をすくめた。
「
「遮光ゴーグルがないと眼が焼けて、マスクがないと呼吸ができなくて、ついでにバケモノみたいにデカい蟻どもに追われてでも撮らなきゃいけない動画なのか?」
「さぁね。有名になりたいんだろ」
「その動画投稿ってのも良くないよな。見た奴がどんな影響を受けるか分かったもんじゃない。うちの息子なんて、地上探索で騒いでる動画見た後で『ぼくも地上たんさくに行ってみたいです』とか日記に書きやがる」
『息子』という言葉に、さっきの電車内でのやり取りが思い出される。遺品というにはあまりにもちっぽけなものを握りしめたまま、あの母親は声を押し殺して泣いていた。
「……まぁ、まだ七才だろ? あんまり真に受けたってしょうがない」
斎藤が何か言いかけたとき、室内にけたたましいブザーの音が鳴り響く。斎藤は即座に対応を始めた。
「はい、こちらステアグラウンド社管理室の斎藤」
『あぁ、斎藤さん。お疲れ様です。こちらバンドウ隊の
僕はカナガワD地区北口に設置された監視カメラの映像を、室内のスクリーンに映し出した。
「了解。六名の生存を確認、周囲に他生体反応なし。今ゲート開けます。お疲れさん」
「そういやお前、良いお相手は見つかったか?」
唐突に斎藤はそう切り出してきた。正直その手の話はもうウンザリだったが、いくら否定しても斎藤は僕に結婚を勧めてくる。
「いいや、見つからないし、見つける気もない。ダイコク人は嫌われ者だから、きっとその血を引いている僕と結婚したがる人なんていないだろう」
斎藤は大きくかぶりを振った。
「ダイコク人かどうかなんてパッと見じゃわからん」
「エイホン人の『自分たちと違う何か』を察する力はすごいよ。電車ですぐ隣に座られたことがあんまりない。それに、名前を言えばすぐバレる」
「
「大げさな奴だなぁ」
本心だった。僕みたいな大した目標も持たずただ淡々と日々を消化しているだけの奴が、人間全部なんて大層なものを代表できるわけがない。
「大体な、ダイコク人が避けられてるのだって、蟻を地上に放ったのがダイコク人だ、ダイコクアントだ、って根拠のない噂を未だに信じてる奴らが一定数いるからだろ。そんなバカどもは無視すればいい」
「それが噂じゃなくて事実だとしたら?」
「だとしても気にすることはないな」
斎藤は皮肉気に頬を吊り上げた。
「眼が焼けるほどの太陽光も、肺が腐るほどの大気汚染も、蟻は関係ない。全部、人間サマの自業自得だろ。自然環境を好き勝手いじくりすぎたツケだな。ま、光に関しては人間の眼が地下生活で退化したからだ、とも言われてるが。どのみち人間はジメジメした地下に引きこもる運命だったってことだ」
「斎藤は本当に捻くれているな……」
この世の中、多少卑屈な思考のほうが生きやすいんだよ、と斎藤は悪びれもしない。
「それに、ダイコクはその蟻のせいで亡んだとかいう噂もある。実際どうなってんのか、確認のしようはないがな。それが本当なら今更になって、蟻を生み出した国だとかなんとか騒いだって意味がないだろ」
「まぁ、そうかもしれないけど」
僕は否定とも肯定ともいえない曖昧な反応しか取れなかった。
「ああ、そうだ。噂といえば、いや、これはだいぶ信憑性のある話だが、アキレマって国あっただろ」
「あの、太平洋の反対側にあるやつか」
たしか、二十世紀後半くらいに栄えた大国だったか。強引な外交と強大な軍事力で瞬く間に世界の覇権を握った、とかそんな感じだった気がする。実際の海すら自分の目で見たことはないので、全部歴史の授業で習った話だ。
「それがどうかした?」
「その国からエイホン政府あてに、半世紀ぶりに電報が届いたんだと。曰く『我々は蟻に打ち勝った』とさ。ゴーグルもマスクもなしに地上を歩けるほど環境が回復したとかなんとか」
「へぇ、すごいな」
素直に驚かされた。まさか蟻に勝てる人間がいるとは全く思っていなかった。斎藤はそんな僕の様子を可笑しそうに見ている。
「ところが、だ。その後すぐに連絡がついたアキレマの現地メディアによるとな、『打ち勝った』なんてどうも真っ赤な噓らしい。地上で生活を始めたはいいが蟻どもはまだまだ健在で、一日何万人も殺されてる。それでも政府は『
「そりゃあ、ひどい」
けれど、
斎藤との他愛ない雑談にひと段落ついたとき、本日数回目のブザーが鳴った。
「はい、こちら管理室の
応答はない。
「もしもし? こちらステアグラウンド社ゲート管理課、梁
『………………ダイコク人が』
明らかな侮蔑の意志を持ったその語気に、僕は眉をひそめる。
「まぁ、ダイコク語は喋れませんけど、ダイコク人ですよ。そちらは?」
斎藤が気遣うような目線を送ってくるが、気にするなとばかりに手で制しておいた。
『イシカワ隊の佐藤。トウキョウB―Eだ。とっとと開けてくれ』
スクリーンに映された現地の状況を確認する。
「あれ、佐藤さん、他の隊員はどうしたんですか? あなた一人しかいないようですが」
咄嗟に質問してしまったことに、すぐに後悔した。地上探索家が地上で行方不明になる理由など一つしかない。
『察してくれよ、わかるだろ? ダイコク人なんだから』
蟻に襲われた、ということだろう。イシカワ隊は全部で八名だったはずだ。つまりは七名もの人間が死んだことになる。
「申し訳ない、こちらの配慮が足りていなかった。すぐゲート開けます。その……、お疲れさまでした」
佐藤は開きつつあるゲートに向かって一歩踏み出したが、突然その足を止めた。
『なぁ、蟻ってさぁ。昔はもっと小さかったらしいぜ』
「……ええ、そうみたいですね」
話の意図が読めない。
『土ン中にせっせか巣作って、必死に食べ物かき集めて、群れて暮らして。暗くて狭い巣の中で子ども増やして。けどよぉ、どんなに頑張ったって所詮は小さくてしょうもないただのアリでしかなくて。人間のガキに戯れで踏んづけられたり、大事な巣をぶち壊したりされるってのは、可哀想すぎて泣けてくるよな』
「そう、でしょうか」
ゲートはもう完全に開いている。
『そうだよ、そうなんだよ。今日地上で拾った日記に書いてあったよ、「アリンコであそぶのは楽しい」って』
「子どもの書いたことでしょう」
斎藤が焦った顔でデスクチェアから立ち上がった。
「おい、他生体反応多数! どんどんゲートに近づいてきてるぞ!」
「佐藤さん、今はとにかく中に入ってください。お話はその後いくらでも伺いますから」
けれど佐藤は立ち尽くしたまま動かない。
『仲間が蟻に喰われてるとき、俺ゃ思ったんだ。もうすっかり蟻と俺たち人間の立場はひっくり返ってんだ、ってな。土ン中で一生懸命に住む場所こしらえて、ほとんど育ってない野菜とその辺の昆虫煮詰めただけのモン完全栄養食とかごまかして。なのに文明気取って脳死で携帯いじり続けて。狭っ苦しくてカビ臭い世界でジワジワジワジワ人口減らしてくだけだもんな』
佐藤の話は妙にすんなり頭の中に入ってくる。正体不明の生体反応は、人間ではありえない速度で地下と地上の境目に迫っていた。
『蟻にとっては俺たちなんてオモチャですらないんだよ。ただの食いもんだ。そんくらいどうしようもないくらいちっぽけな存在に成り下がっちまったってのに、こんなに必死こいて生きる意味って、本当にあるのか?』
ある、と叫ぶべきだったが、声に出すことができない。その代わりの言葉は、ほとんど無意識に口にされた。
「わからない」
スクリーン上に、ゲートのすぐそこまで到達したその生物の姿がはっきりと映し出される。
大きな大きな蟻が、カメラ越しに僕を見ていた。
アリ人間 rei @sentatyo-
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