第31話 彼女の迂遠な批判と気遣い

 戦利品を傍らに置きながら、僕たちはビールとアイスバインを注文した。標本のように綺麗に切りそろえられた豚の足を咀嚼し、ビールを煽っていく。


 炭酸とアルコールの刺激が身体を侵していくような感覚。

 これをある人は染み渡る、と言い表したりする。ただ、僕にはこれが人間の思考とか良識とかのタガが剥がされていく感覚なのでは無いかと思えてならない。


「……思うのですが、セキくんは少し真面目なきらいがありますね」


 しばらくして、沙也加が言う。

 まるで僕に説教をするような、批判するような皮肉な物言いだった。


「さて。どうだろうね。真面目と言うには人間として脇道にそれすぎてる気がする」

「他人について敏感に考えすぎなのですよ。正しい思考を心がけようとしてしまう。それはそれで優しい在り方だとは思いますが」

「何さ」

「しかし、そもそもオカルトなんてものは一般社会とか、他人の在り方にマウントを取って、消費するような営みです」

「……だから他人のことなんか考えなくても良いって?」

「そうは言いませんが。しかし、他人の在り方について踏み込んで考察しないでは、私たちの仕事は成り立ちません。私たちが戦うものは怪異……である以前に人間の心なのですから」


 沙也加の言うことは理解できる。架空存在なるものは、他人が生み出した恐怖や悲しみが形となって世界に出力されるもの。だとするのなら、その恐怖や悲しみと寄り添うだけでは解決にはなり得ない。


「……まぁ、寄り添うことだって悪いとは思いません。必ずしも劇的な解決を導けるとは限りませんし、長期的に付き合っていく必要のあるケースもあります。相手の正体を言い当てることは怪異の意味解体においてもっともポピュラーな手法ですが、突きつけられた正しさが人間の心を追い詰めることだってある。だけど……」


 沙也加の話はどこか迂遠なものがあった。言葉を慎重に選んでいる。


「つまり、何が言いたいんだ?」

「……人のことは言えませんね。私も、セキくんには言葉を選んでしまう。こういう感覚はあまり感じたことが無かったので新鮮です。……つまりですね、眞野何某との対決は避けられない、と思うのですよ」

「依頼が来たの?」

「来てません。来てませんが、そういう予感があるのですよ。架空存在学会のメルマガというのがあるのですが」

「メルマガ」


 メールマガジン。ダイレクトメールに記事が配信されるという形式のものである。スマートフォンが普及するとともにどんどんと衰退していったイメージがある。

 古風な手段と言っていいだろう。とは言え、いまだに占いとか陰謀論系のコミュニティでは使われていると聞く。


「ええ、メルマガ。きょうび絶滅危惧種です。さりとて、LINEとかで配信にしてもセキュリティに難があったりしますから。……それで、ですよ。配信された記事によると最近、国内のUFOの目撃が増えてるそうです。SNSや動画サイトにおけるUFO目撃の話ですね。さすがにテレビメディアでは取り上げられませんが」


 その記事というのは例の陰陽師・芦屋が書いているのだという。

 彼がネット上から蒐集したUFO目撃談をまとめているらしい。


「果たしてこれが単に第三次UFOブームの幕開けに過ぎないのか、あるいは芦屋さんの話を聞いた私たちのバイアスに過ぎないのか。―――それであれば話は簡単なのですが。それとも、ですよ」


 ……それとも、シールドオブスターなるカルト団体の引き起こした怪現象なのか。

 もし後者であるのなら、確かに対決は避けられない。


「そうなったとき、どうするのか、と言う話です」

「それは」


 どうするのか。

 その漠然とした問いの意味するところは想像が付いた。

 それはつまり、僕が僕の友人と対決することが出来るか否かを問うている。


「少なくとも、眞野ミコさんがあの組織にいることは間違いありません。果たしてどのくらいの立ち位置なのかは分かりません。籍を置いているだけかも知れませんし、純粋に教義に惹かれて……コンテンツとして消費しているに過ぎないのかも知れません」


 違う、と思った。沙也加の言うことは希望的な観測である。彼女はわざわざコンタクトを取ってきて、悲痛な身の上話をし、僕を引き釣り込もうとした。そこまでする人間が、ライトな関わり方をしている筈が無い。


「いずれにせよ、我々は彼女が得た安息を破壊する立場にあります。その時になって、どのように戦うべきなのか。……例えば私であれば、そうすることに何の躊躇もありません」


 ふと、思い出す。

 事件に関わった人物から、恨み節のこもった手紙を送られたことがあった。鉛筆で刻みつけたような、当てる付けるような書き方がされたあの手紙。

 ……僕は送り主と親しい関係も築いていなかった。名前と顔しか知らない。しかし、それでもトラウマになりそうな怨念がそこにはあった。

 もし、それをミコから向けられたら、僕はどうするのだろう?


「しかし、セキくんはそうでは無い。セキくんと眞野さんの関係について、この間は棚上げしました。まだ、繋がりは切れていません。かつての友人のまま、ただ何もしないという選択肢が残っています」


 ああ、と合点がいった。

 つまり彼女は、僕を心配して言ってくれているようだった。


「ええ、例えば裁判や捜査、医療などでは事件関係者の身内は関わらせないという決まりがありますよね。アレには一定の意味があると思うのです。あなたが冷静さを保てないというのなら、関わるべきでは無いと思います。辛いというのであれば、それも同じことです。

 ……しかし、退魔は公職ではありません。関わるのも関わらないのも自由なのです。いずれにせよ無理強いはしません」


 どうしますか、と沙也加は問うた。

 僕は、それにどう答えて良いか分からなかった。関わることのメリットと、デメリットの両方が等価値となって立ちはだかる。

 この選択は両立させることは出来ない。僕はAとBのどちらかを選ばなければならない。その事実は、僕の心を重たくさせるものだった。

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