第29話 僕の自己嫌悪と彼女の邪推
眞野ミコとの再会から一ヶ月経った。だが、特に何が変わったと言うわけでも無かった。依頼が入れば沙也加と一緒に現地入りして調査し、解決する。そうでない日は大学生活を送る。そうしたサイクルがそのまま繰り返されている。
「今日はどうします?」
僕が取っていた日本文学科の現代詩歌の講義が終わると、沙也加がそう聞いてきた。専門講義であり、基本的に彼女は受講資格を持っていないのだが、勝手に入り込んで一緒に講義を聴いている。
単位にならない講義を聞くのは苦痛では無いのか、と思うのだが、毎回のように来るのでそうでも無いのだろうか。
「そうだな、久々に神保町にでも」
「いいですねぇ。そうだ、三省堂の地下のビアレストラン行きましょうよ。アイスバインを食べましょう。詩歌の先生、美味しそうに食べ物の話するじゃないですか」
彼女の言うとおり、現代詩歌の講義を執り行う講師はいつも美味しそうに過去に食べたものの話をする。テレビで見るような食レポみたいに、飾り立てた言葉でおいしさを語るわけでは無い。友人と、妻と、見知らぬ誰かと、食べた。そのときにはこういう天気で、こういう感情があって……そういう言葉の節々を、彼は愛おしそうに語る。僕はそれを聞くのが好きだった。
その日は講師が学生時代に立ち寄った大衆酒場で食べた豚足の話だった。なんてことは無い、誰にでもあるような一幕。それでも、美味しそうに語れるのは、それは感性の違いなのかも知れない。
「あれ聞いてたら食べたくなってきました」
「確かにアイスバインも豚足か」
「ええ、似たようなものです。というか一緒です。調理法が違うだけですから」
と、そう言うことになった。
大学を出るといつも通り、靖国神社を通り抜けて靖国通りまで行き、そこから歩いて神保町を目指して歩く。
大鳥居を抜けて、信号待ちをしていると、沙也加が話しかけてきた。
「そういえば」
「うん」
「この間の眞野何某の言葉、覚えていますか?」
「あまりに多くの言葉を費やし過ぎて、どれについて聞かれているか分からないな」
約五時間に及ぶ沙也加と眞野ミコの舌戦。時に神学論争のようですらあるあの戦いについて、逐一すべてを覚えるなどということが出来ない。一体沙也加はどれについて尋ねているのだろうか。
「私と眞野何某の舌戦より前の会話ですよ。セキくんと会話している時、妙な言葉遣いをしているように思えました」
「言葉遣い?」
確かに眞野ミコは芝居がかったしゃべりを意図的にする人間ではあった。だが、それはいつものことである。
「思い出してください。勧誘がスタートしたあたりからのこと。あの時、死者が云々……などということを言い出していませんでした?」
そういえば、言っていた。
あの時、僕は眞野ミコの言葉に飲まれないよう、なんとか頭を振り絞っていた。一字一句覚えては居ないが、彼女の言う言葉を聞き逃さないよう集中してもいた。
「UFOに選ばれれば、もう死んでしまった人間とももう一度会えるかも知れない……とか?」
「生まれ得なかった人物とももう一度会えるかも知れない、とも言っていましたね。なんだかそこが頭に残ったのですよ」
……言われてみれば、妙だった。いや、はっきりとヒントとして捕らえることも出来るかも知れない。なぜ彼女がああなったのか、なぜ彼女がカルトにハマりだしたのか。そういう疑問に対するひとつの取っ掛かりとなる可能性もある。
傍らを、女性が通りかかった。小さな子供の手を引いている。母親のようだった。彼女は僕たちに目もくれない。甲高い声で、何かを語る子供に掛かり切りだった。子供の声は喜んでいるようにも、何かを悲しんでいるようにも聞こえる。いずれにせよ、大きな感情を母親はぶつけられていた。
「……しかし、それを暴く必要なんてあるか?」
眞野ミコのことに思考を戻す。
結局、眞野ミコがあの場で語らなかったということは、僕にはまだ話したくないことなのではないか。詮索されたくないことだったのではないか。仕事ならともかく、僕たちがそれを暴くことは、それは倫理的に正しい行いではないのでは無いか。
「必要はありませんが、興味はありますよね」
沙也加は事も無げにそう言う。
倫理とかデリカシーとか、そういう道徳に反したものに対する興味を示してはばからない。それどころか、僕に突きつけてくる。『結局、あなたも同じ穴の狢じゃないですか』と、言外に告げている。
円藤沙也加にはそういう部分があった。彼女はあえてエキセントリックな言動をして、僕にそれを咎めさせようとすることがままあった。そして「仕方が無い、沙也加に付き合ってあげよう」というように言い訳をする道を作ろうとする。
「さて、この間の言動から考えられるケースは何個かありますね。親しい人物が亡くなった可能性です」
沙也加は答えを聞くこと無く、考察とやらを始めた。結局、僕はそれを止めずに聞いてしまっていた。
「両親、兄弟、友人……あるいは例の恋人。文脈をストレートに読み解けば振られたとか別れた、というのが普通ですが。彼女の発言からだと死別したという可能性も無くはありません」
「裏切られた、とも言ってなかったか?だとするとその解釈は妙だ」
「共に生きる約束をしていたのに、それを裏切って先立ってしまった……というのならどうでしょう?」
「そんな恋愛小説みたいな例えを使うもんかね?」
「無くはありません。例えばどうです、私が急に居なくなったりすれば?セキくん的には裏切られた、みたいな気持ちになったりしませんか?」
「うかつに言葉には出来ないな。そのときになってみないと分からない」
「やれやれ、リアリズムの徒でしたか。リアルに対して放送禁止用語的な見方をする人だったとは。幻滅です」
「想像でものを語るのは難しいんでね」
……果たして。そのとき、恋愛小説的な飾り立てた言葉がでてくるのか、そもそも言葉にならないのか。それは僕には分からないことだった。
「ともかく、解釈の問題です。眞野何某にとってはそういう言葉として出力される可能性も無いでは無い、と思うのですが」
「まぁ、それは分かるけど」
僕は眞野ミコでは無い。彼女がどう思って発言したかは想像するしか無い。だから沙也加の言う説を否定する根拠は無かった。
「さて、もう一つありうるのは……あの、生まれてこなかった命、という発言から……彼女が妊娠したのだけれど、降ろしてしまった、という可能性ですね」
沙也加はあまりに事も無げに言う。つい、僕は顔をしかめてしまった。彼女は僕の表情を見てどう思ったのか知らないが、なおも饒舌に言葉を重ねた。
「妊娠したのに彼には降ろせと言われたとか、勝手にしろと逃げ出したのか、家族の反対を受けて仕方が無く、とか。あるいは……彼女、医学部だったのでしたよね。となると、大学病院なんかで産婦人科に関わる可能性もあります。彼女自身では無くても、そこで堕胎や流産……それに苦しむ人間を見てしまった、という線も考えられますね。あるいは……セキくん、眞野何某は霊感少女だったりしましたか?」
「そう言う話はあまりするタイプじゃなかった。魔術とか魔法とかの話はしたけれど、霊視の話はあんまりしなかったな」
「となると、水子霊の怨霊を感じ取ったというようなことは無さそうですね。とはいえ、人間の生死に関わる立場にいた人間なわけですから、そこからナイーブになっても可笑しくはありません」
すべては想像だった。邪推と言ってもいい。野次馬根性であり、見方によっては陰口とも取れる。それを沙也加はとても楽しそうに語って聞かせてくる。
趣味が悪い。こういうことを語り合う人間は嫌いだった。誰かを傷つけかねないことを平気で言う人間のことが嫌いだった。
ただ、僕は沙也加のことが嫌いになっては居ない。彼女が語る言葉に耳は自然と引きつけられている。不粋な想像を募らせる会話を、僕は全く嫌悪していない。
……その事実が、嫌悪感を催す。その会話を平気でする彼女と、それを受け入れている自分自身に嫌悪している。
「……なぁ、止めないか」
「何をですか」
「こういう話。あまり人の悪口とか陰口染みた会話を募らせるのは好きじゃ無い」
「む。セキくんはあちらの肩を持つというのです?」
「肩を持つとか持たないとか、そう言う話じゃない」
そう言う話では無いのだ。自分が許せるか、許せないか。そういうことでしか無い。
会話が途切れる。
首都高の高架下から外国人が経営するコーヒーショップの前あたりまで、僕たちは沈黙を保っていた。
……僕は、悪いことを言っていないと思う。ただ、こういう喧嘩染みたやりとりはあまりなかった。果たして、円藤沙也加はこういうときにどういう反応を返すのだろうか。
再び信号に引っかかったあたりで、沙也加は口を開いた。
「……まぁ、分かってますよ。あまり品のある話し方ではありませんでした。それは謝罪します」
「いや。僕もキツく言ってしまったかも知れない」
「しかしですね。私としても、この話題はするべきだと思うのです。ただの噂とか笑い話であるならば、ここまで掘り下げません。あらあら、胡散臭いものに引っかかりましたね、で終わりです。でも、そうじゃないのですよ」
「……うん。確かにそうじゃない」
「はい。私は一般的かつ模範的な淑女である前に退魔師なのですよ。見えている地雷に対策は立てなければなりません。そしてセキくんも紳士である前に退魔師であれ……とは言いませんが。そういう私について理解を示していただけると幸いです」
「……うん。分かった」
「分かっていただけましたか。素晴らしいことです。さぁ、神保町ですよ。本を売ってる街でやることは何でしょうか?」
「本を探したり眺めたり以外無いだろうね」
「その通りです。そういえばセキくん、今週のゼミの課題図書は何です?私も探すの手伝いますよ?」
沙也加は努めていつも通りの口調で僕に提案してくる。
……まぁ、たまには本音で語り合うことも必要かも知れない。それによってお互いの考え方が変わることは無いとしても。そうしなければ、どこまでがお互いの領分なのか、それすら図ることは出来ないのだから。
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