第4話 五月下旬の昼下がり その3
彼女は僕の背中に両手をまわすと、ギュッと抱きしめてきた。
「わたしにもギュッと、してくださいな。それとも、面倒な女は嫌いですか?」
首を横に振り、否定する僕。
「佑凛さんは、ほんわかと温かいです。それに、いい匂いがします」
「んー、柔軟剤の匂いでしょうか?」
「違いますよー。佑凛さんの匂いがいいのですよ」
「よくわかりませんが、良いことならそれでいいですね」
「ですね」
それだけ口にすると僕も彼女も黙ってしまった。
お互い、なにかを言わなくちゃいけないような、沈黙への焦りのようなものはないように感じる。
ただ、このひとときを、大切に過ごしたい気持ちが、そうさせているのかもしれない。
衣服を通して伝わってくる彼女の体温。
きっと彼女にも僕の体温が伝わっているに違いない。
それに、僕の緊張した心も伝わっていると思う。
僕も彼女も厚めの長袖シャツを着ているせいか、直接的な肌の触れ合いはない。
もしこれが薄手のシャツ一枚だったらと思うと、自分を自制できたかわからない気がする。
いま僕にできること、それは平常心を保ち接すること。
手を出したらアカンぞ自分!
「佑凛さん、どうしました?」
「んー、重くないかなーと」
「ギューってされていて、気持ちいいですよ」
「それはよかった」
か細い彼女の腕を、よーくこらして見てみると、うっすらと産毛が生えている。
幽霊に産毛?
本物?
指先でちょいとつまんでみたら「キャッ!」と小さな悲鳴。
「ゆぅーりーさぁーんー」
「ごっ、ごめん」
「もっと、ギューってしてくれたら許しますヨ」
「はい」
ギューっとする僕。
背徳感が三倍増しになって僕を襲う。
小さな女の子にしか見えないけど、年月的には百年以上存在していることになる。
そのせいか、なんとなく自然と敬語になり、彼女も僕に合わせて敬語を使ってくれる。
そんな僕に彼女は『やさしくて、紳士な人』そう言った。
その言葉を聞いたとき僕はものすごーく安心と、未知なるものの限界を感じた。
そう、僕の心の奥に秘めた、黒い欲望と卑しい感情を、知られなくてよかったと。
世間からは物静かなおとなしい高校生と言われ、両親もそう思っている。
でも、一皮剥けば僕も男。
サイズが大きすぎるジャージの隙間から覗かせる彼女の肌に、冷静さを保つことが苦しく思うときがある。
小犬のように、子猫のように、無防備なまでに僕の目の前で肌を露出し警戒することなく、じゃれてくる彼女。
そんな態度に接していると、心の奥底に溜まった欲望を彼女にぶつけたいと思ってしまうときがある。
いつも身につけている僕の衣服を無理やり脱がし、華奢な肩をベッドに沈め、両腕の自由を奪い、無理やり抱きつきたいと思ってしまう。
きっと彼女は驚くだろう。
紳士的な振る舞いをしていた男が一瞬にして獣と化して襲ってくるのだから。
そんなことを考える僕の目の前で、普通に接してくれるということは、未知なる存在であっても、エスパーのように人の心までは読めないということ。
もし僕の心を読めたなら、汚いモノを見る目で、態度で軽蔑を、そして僕の元から離れるに違いない。
そして呪いや憑依をして僕を破滅させるかもしれない。
一緒に暮らしはじめて半月が立つけど、そんな卑しい感情を考えてもいつも通りに接してくれる彼女。
毎日毎日、黒い感情があるわけじゃないけど、たまーにふいに考えてしまう。
そんな自分がとてもとても、嫌だ。
二年前の中二の頃、僕は数名の女子からいじめられていた。
消しゴムカスを投げつけられたり、わざとぶつかってきたり、過剰に反応されたり無視されたり、意味もなく股間を触られたり、いろいろやられた。
中三の高校受験とともにいじめはなくなったけど、たまに思い出すことがあって胸がチクチク痛むときがあって僕が受けたいじめに似たことを、彼女にしてみたいと思ってしまう自分が心底嫌。
そんなとき『この、ゴキブリ以下の屑!』眉間にシワを寄せ、痰唾を吐きかけてくれたなら、どんなに楽になるのかと思ってしまう。
「ゆーうーりーさぁーん、どうしました?」
「うっうん、ちょっと眠いかなぁーてっ」
「眠い、それはきっと、いつもより多めに吸った影響と思います」
「ああ、そうなのね」
「そうなのです、ごめんなさい」
「桃乃さん、謝らなくて大丈夫ですよ。あの、一瞬で崩れ落ちる感覚は病み付きになりそうですよ」
「病み付きにならない程度にしないといけませんね。ではでは、お詫びにちゅーしていいですよ、佑凛さん」
少し身を引き、たじろぐ僕を横目に彼女はさらに言った。
なぜちゅーを、してくれないのかと──。
神社での出会いのとき以来、僕はなにも手を出していなかった。
ベッドの上で抱き合うだけで、それ以外のことは一切していない。
「佑凛さん、あのときはすごーく積極的にあたしにちゅーをしてきたのに、もう飽きたのですか?」
「桃乃さん、飽きたとかそんなんじゃなくて、ただ君を、大切に思いたいのですよ」
彼女の態度から少し不満みたいなものを感じるも「あたしを守ってくれるやさしいお兄ちゃん、好きですー」それだけ言うと、ギューッと力強く抱きしめてきて、なにも言わなくなった。
やさしいお兄ちゃん──その言葉と意味が僕の心に突き刺さる。
好意を抱いているということは、身も心も僕を受け入れるということ。
お互いに合意の元なら、きっと問題はない。
そう考えてしまう。
僕は怖い。
彼女に、僕の黒い欲望をぶつけたとき、はたして理性を保っていることができるだろうか、そして、止めることはできるだろうか。
後戻りできない世界が、待っているのではないか。
人の道を踏み外した、外道に成り下がる──。
そんなことを、何度も何度も考えてしまう。
「佑凛さん、このままここで寝てもいい?」
いつもは押し入れに作った秘密の寝床で寝ている。
幽霊も睡眠を取ることに驚いたら、寝ないと体!?がもたないと。
元は人間だったからその影響ではないかと。
「僕は寝相があまりよくないので、気をつけてくれればいいですよ」
「寝相、たまーにベッドから落ちますものね」
「あら、知っているのね。ではでは桃乃さんを潰さないよう、気をつけますね」
そう彼女に言い残し、トイレに向かうことにした。
就寝前にいろいろとスッキリしたい。
いろいろとね……。
振り向くと彼女は僕の枕を鼻先にあて、匂いを嗅いでいた。
どこか変態さんな彼女、嫌いじゃない。
今夜はぐっすり眠れるだろうか。
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