第146話 介入の理由
「【ウェールズの赤い竜】ですか。確か、アーサー王伝説に出てくる竜……でしたよね?」
鶫はそう答えたものの、あまり合っている自信がなかった。
義務教育である程度の神話や物語は履修しているが、その頃の鶫はそこまで勉強熱心ではなかったので、主要人物以外の話までは覚えていなかったのだ。
すると山吹は小さく頷いて答えた。
「はい、葉隠さんの言う通りアーサー王伝説の赤い竜で合っています。ウェールズの地下に白い竜と共に埋まっていたとされるブリテンの化身――それが今回の敵です」
「……それは、なんとも
鶫は神妙な顔をしながらそう答えた。
過去のイギリス――ブリテン島の化身とされる赤い竜。それを模した魔獣に攻撃を受けるなんて、イギリスの民はどれほどの衝撃を受けたのだろうか。
日本からしてみれば、天照……だと行き過ぎなので、八咫烏の化身が大暴れするくらいの衝撃だろう。考えただけでも恐ろしい。
そう告げると、山吹は小さく溜め息を吐いて口を開いた。
「それがそうとも言い切れないのですよ。この魔獣がロンドンに現れた当初は、ただの赤茶けた小型の竜だったらしいのです。その頃は、誰もそれを【ウェールズの赤い竜】だとは呼びませんでした」
「ならどうしてそんな呼称になったんですか?」
鶫がそう問いかける様に聞くと、隣にいた遠野が呟くように言った。
「――
「ええ。その通りです、遠野さん」
そう言って二人は納得した様に頷いていたが、鶫にはさっぱり理解できない。
困惑しながら二人を見つめていると、左隣に座っていた職員がこそっと耳打ちするように説明をしてくれた。
「葉隠さん。その魔獣が、何度も同じ姿でロンドンに出現していることは話しましたよね。つまりイギリスの人々は、その竜を何度も見るうちに【ウェールズの赤い竜】だと思う様になったんですよ。まあ、軍がその竜を倒しきれてさえいればこんなことは起こらなかったかもしれないんですけどね」
「……箱根の芦ノ湖のイレギュラーの件とは逆ですね。あれは元々あった伝説が魔獣に利用され、
箱根の芦ノ湖では、その土地にあった九頭竜伝説を下敷きにラドンが顕現された。今回の赤い竜はつまり――イギリスの民の不安が作り上あげた怪物なのだ。強くて当然だろう。
「そうです。まあ魔獣は人の恐怖を読み取って形を作る傾向がありますからね。倒されない限り同じ場所に出現するという特性を持ったイレギュラーが、ロンドンに集まった恐怖――赤い竜の姿を模倣しだすのは当然のことかと」
「最初に出てきたのが竜だったのも運が悪かったわね。……そういえば、私の記憶違いだったら申し訳ないのだけれど、ロンドンの紋章も竜だった気がするわ。もしかしたら最初から竜が出てくる下地はあったのかもしれないわね」
「なんて厄介な……」
職員と遠野の説明を聞いた鶫がげんなりしていると、ごほんと山吹が咳払いをした。思わず、顔を上げる。
「問題はそれだけではないのですよ、葉隠さん」
「まだあるのですか?」
「はい。私もこちらに赴いてから知ったのですが、どうやら我々を呼ぶようにイギリスに助言したのは――バチカンのようなのです」
「バチカンが? ええと、イギリスにキリスト教徒が多いからでしょうか?」
訳が分からずに、鶫は首を傾げた。
――しかも敵対関係にあるバチカンが、わざわざ他国のことで日本に協力を要請した?
それさえも理解に苦しむのに、今回の件でバチカンの介入が必要になる理由が分からない。
鶫が不思議そうにそう告げると、山吹は珍しく無表情を崩し苦い顔をして鶫たちの方に一枚の写真を差し出した。
その写真には、ロンドンの街を破壊している赤い
「昔の怪獣映画でこんな感じのドラゴンが出ている物があったような。確かキングギ――」
「首が増えましたね」
「ええ、増えたわね」
隣の職員の呟きを無視しつつ、遠野とそう話す。確かにどこかで見たような形状だが、まさかそんなはずがないだろう。
「【ウェールズの赤い竜】を模しているにしては少し変ね。あの竜は三つ首の逸話なんて無かったと思うのだけれど」
遠野が不思議そうにそう告げると、山吹は静かな声で言った。
「これこそがバチカンが介入してきた理由です。彼らは恐れたのですよ。この竜が変質を続け、
「……この魔獣の特性と、キリスト教が多いことが裏目に出たのね」
「蛇の道は蛇。異教徒には異教徒を。そして
「ふうん、彼らがなりふり構わず私たちを招集した理由がようやく理解できたわ。わざわざ上がこの私を外に出した理由もね。――つまり、手に負えなくなる前に叩けということかしら。確かにそれなら私たちの利害も一致してるわね。この竜が進化して欧州を滅ぼし、そのまま日本に渡って来られても困るもの」
そう言って、遠野は肩を竦めた。
一方、鶫は顔を少し青くしながら三つ首の竜の写真を見つめていた。
――ヨハネの黙示録に出てくる赤い竜。七つの頭に七つの王冠を被ったその竜は、サタンの化身だと言われている。
もしそんなものが万全な体制で顕現されたなら、おそらくA級の枠では収まらないだろう。不死殺しの力を有する葉隠桜でも、敵うかどうかは分からない。弱いうちに叩いた方がいい、というのは鶫も賛成である。
それに、何故だろうか。――黙示録とサタンという響きが、何故だか
もしかしたら昔読んだ漫画に似たような話が出ていたのかもしれない。
そんなことを考えながら、鶫は口を開いた。
「人々の恐怖を読み取り変質していく魔獣。――まさに人の業が生み出した化物ですね。……本当に、これだから宗教は面倒なんですよ」
そう吐き出すように鶫は言った。
――この場にベルがいなくて本当に良かった。きっとベルがいたら、大笑いして文字通り自ら広げた教義のせいで墓穴を掘ったかの宗教を馬鹿にしたことだろう。
そんな鶫の心情を知ってか知らずか、ポンポンと軽く鶫の背中を叩きながら遠野は言った。
「何はともあれ、その魔獣が神の敵という特性を少しでも持つ以上――私の炎は
そう言って、遠野はうっそりとした笑みを浮かべた。……頼りになるが、少しだけ恐怖も感じる。人は避難しているだろうが、街ごと燃やし尽くされないことを祈るばかりだ。
「頼もしいですね。――この後はイギリス側の軍の人間から明日の説明があります。先ほど葉隠さんがあれだけ脅しをかけたので変なことはされないとは思いますが、各自警戒は忘れないようにしてください。多少のことは神祇省から支給された守りの護符で何とかなるとは思いますが、念には念を入れたいので」
さらりとそう告げた山吹に、鶫は首を傾げて言った。
「……待って下さい。そんなものがあるなら、あの時私が動かなくてもどうにかなったのでは?」
わざわざ鶫が悪役を買って出なくても、そんなものがあったなら銃を撃たれてもどうにかなったはずだ。鶫がジト目でそう主張すると、山吹は悪びれもせずに「言っている暇がなかったので。それにある程度力を見せてもらった方がこちらとしても動きやすくなりますから」と告げた。
……確かにそうかもしれないが、それなら最初からこちらに相談しておいてほしい。焦って損したじゃないか。
そんなことを考えながらむくれていると、隣にいた職員がふと思いついたように山吹に問いかけた。
「そういえば山吹さん。今回の宿は多分このホテルになると思うのですが、食事はどうされるのですか? 流石にあのような敵意を持つ人間がいると分かった以上、こちらで食事を用意してもらうのは危険だと思うのですけど」
「そうですね……。第二陣で毒物に対処できる人材を呼ぼうとは考えていますが、それでも食事はあちらの物を取り寄せた方がいいでしょうね。その方が安全ですから」
そう山吹は答えたのだが、それを聞いた鶫は不思議に思った。
ホテルの大広間にある転移陣は一日二回ほどしか使えないと事前に話を聞いていたのだが、どうやって数十人分もの食事を日本からイギリスに持ってくるつもりなのだろうか。
鶫がそう考えこんでいると、ふと自分に視線が集まっていることに気が付いた。
「えっと、どうかしましたか?」
少し怯えながら鶫がそう聞くと、山吹が目を細めて言った。
「いえ、本当に良い巡りあわせがあるものだと思いまして。――葉隠さんは、生き物以外ならば距離制限無しでの転移が可能でしたよね? こちらから本国に食事を乗せたカートを用意するように伝えておくので、後で取りに行ってくれませんか?」
山吹にそう平然とした様子で言われ、鶫は苦笑いしながら答えた。
「……私、貴方達のそういう使える者は何でも使う姿勢は嫌いじゃないですよ。とっても合理的ですからね」
そう嫌味を込めて言うと、山吹はフッと笑って言った。
「お褒め頂き光栄です。まあ、この中で一番物を食べるのは葉隠さんですからね。食事の調達くらい協力してもらわないと、他の皆が飢えることになってしまいますから」
「べ、別に私はいつもそんなにたくさん食べてるわけじゃないですから。控えるべき時は控えますし……」
そう言って鶫は気まずそうに目を逸らした。
鶫だってきちんとTPOくらいは弁えている。イギリスという異国の地で、いつもの様に際限なく食事をとるなんて真似はするはずがないだろうに。
「じゃあ、この話はこれで終わりね。後はあの気弱そうな外交官のおじ様が呼びに来るのを待てばいいのかしら」
遠野がそう聞くと、山吹は小さく頷いて話し出した。
「はい、そうです。その後は食事をとって、第二陣を迎え入れた後に事務方以外の面々は、ホテルで休んでいただく手筈になっております」
「そう。ならそれまでは緊張感が保てるように努力するわ。もちろん葉隠さんもね」
そう言って遠野に顔を覗き込まれ、鶫は渋々といった様子で頷いてみせた。
「……分かっていますよ」
「なら良かったわ。――あら、どうやらお客さんが来たようね」
遠野がそう言ったと同時にノックの音が部屋に鳴り響く。そしてやや小さな声で「バートンです。入ってもよろしいでしょうか」という控えめな声が聞こえてきた。
――どうやら先ほどの外交官がやって来たらしい。
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